なだぎ武

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なだぎ武
本名 灘儀武
生年月日 1970年10月9日(45歳)[1]
出身地 大阪府堺市[1]
血液型 A型[2]
身長 172cm
方言 大阪弁
出身 NSC大阪校8期[1]
コンビ名 スミス夫人(1989年 - 2001年)
ディラン&キャサリン
グループ名 ザ・プラン9(2001年 - 2015年)
相方 松村博司(スミス夫人)
浅越ゴエ(ザ・プラン9)
お〜い!久馬(ザ・プラン9)
ヤナギブソン(ザ・プラン9)
芸風 コント漫才ものまね
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1989年 -
同期 千原兄弟
FUJIWARA
バッファロー吾郎など
現在の代表番組 といろch
他の活動 俳優
配偶者  未婚
受賞歴
2002年 E-1グランプリ準グランプリ
2004年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞
2007年 R-1ぐらんぷり優勝
2007年 MTVスチューデントボイス・アワード最優秀お笑い賞
2008年 R-1ぐらんぷり優勝

なだぎ 武(なだぎ たけし、1970年10月9日[1] - )は、日本コメディアンお笑いタレント漫談家俳優である。本名、灘儀 武(読み同じ)[1]

大阪府堺市出身[1]よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。2007年、2008年のR-1ぐらんぷりで史上初の2連覇を成し遂げた[1]。元々はお笑いコンビスミス夫人、のちにお笑いグループザ・プラン9の元メンバーであり、現在はピン芸人。ザ・プラン9の中で最年長かつ最も芸歴が長かった。

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

大阪府堺市に出生。

著書によれば、青春時代にいじめ引きこもりを経験した[3]

小学校低学年では活発で運動神経がよく人気者だったが、高学年に上がるにつれ同級生に違和感を感じ距離を取るようになった。卒業間際からは肥満児となり中学2年生からイジメが度を越してエスカレートし、なだぎの弁当に砂を入れる、殴る蹴るの暴行を加え、なだぎの顔をトイレの大便器に突っ込む等、常軌を逸した凄惨な内容になって行った。しかし小学生時代に塾をサボった時、父親に初めて殴られ「嘘だけはつくな」と諭された経験や、いじめをする同級生を許すことで精神的優位に立とうという気持ちから、学校を休むことはしなかった。中学3年では身長が伸び普通体型になったことやいじめの首謀者とクラスが離れたことからいじめはなくなったが、人との交流が不得手になっていたため孤独に過ごすことは変わらなかった。高校には行かずにメッキ工場に就職したが、単調な毎日と目標のない自分に葛藤を覚え、半年ちょっとで退職した。その後小学生時から憧れていたテレビの世界に入りたくて、芸能事務所のタレント募集に応募。書類審査を通過したが、面接試験には会場まで行くもあまりの緊張に逃げて帰ってきたことを契機に引きこもるようになる[4]

引きこもりの時期は部屋にこもって、小学生時に遊んでいた大学生からもらっていた音楽や本を手当たり次第に聴いたり読んだりして、学校で学ぶものよりも重要なものを得ていると思っていた。そういった生活を親に申し訳なく思う気持ちから母親が部屋に届けてくれていた食事にも手を付けなくなり、飲み物と果物以外のものを口にしなくなった。しかし、鏡で見た痩せ細った自分の姿に驚き病院を受診すると、「このままでは死ぬよ」と言われたことや、引きこもりながら読んだジョージ秋山の漫画や吉田拓郎の歌に衝撃を受け、自分の挫折を受け入れ闇の世界からの脱却を決意する[4]

17歳の正月に初めて観た「男はつらいよ」の主人公の車寅次郎の伸び伸びとした生活に憧れ、流れに身を任せる気になり、母親の勧めでラーメン店でアルバイトを始めた。しかし仕事中の怪我がきっかけでアルバイトも辞め、かつて観た映画の舞台である広島の尾道にひとり旅をした。その際に食中毒で倒れていたところを旅館の女将さんに助けてもらい、そこでのふれあいが人嫌いを直すきっかけになる[5]

芸人を目指すきっかけ[編集]

NSCの生徒募集を知ったなだぎは一人で受験する自信がなく、幼なじみでかろうじて付き合いのあった松村博司の履歴書を勝手に書き申し込んだ。書類審査を通過してから何とか松村を説得し、NSCへ入学。しかし授業のネタ見せでは全然笑いが取れず、同期のFUJIWARAや千原兄弟、バッファロー吾郎といった圧倒的な才能の前に、プロの芸人になる自信は持てなかったが、引きこもりから脱却する経験として一年間を過ごすことにする。

しかしその頃知り合い恋心を抱くようになった女性に、「灘儀くんが芸人になったら、私みたいな醒めた人間でも笑かすんやろね……」と言われた横顔を見てお笑いに対して夢を抱いた。その女性が実は緑内障で失明する可能性もあるため、実家の高知に帰り治療を受けると聞かされ、「……治ったその目で、俺が芸人になった姿をいつか見てほしい……」と言い、自分の目の前のものに全力で向き合うことを決意した[6]

スミス夫人[編集]

1989年の4月、当時18歳だったなだぎは、大阪NSCの8期生として加入し、同年8月に同期の松村博司とスミス夫人を結成した(当時は本名のまま活動)。このコンビ名はヒッチコックの数少ないコメディ作品『スミス夫妻(Mr. and Mrs. Smith)』(1941年)からつけられたものである。

コンビ当時は「自分の顔をプリントしたTシャツを着て現れる」などといった変人キャラを演じる松村に対してなだぎが容赦なくツッコミを入れるが、松村はそれを無視するかのように延々とボケ続けるというスタイルのコントが多かった。シュールで奇天烈なキャラの松村とマシンガンのようなツッコミを繰り出すなだぎのコントラストが受けていたが、うめだ花月での大スベリをきっかけに劇場の出演が減り、2001年に解散した。なだぎはこの解散について後にナインティナインの番組「99プラス」(2008年3月25日放送)にて、「自分から松村へ(解散を)切り出した」と公言した。一旦は芸人引退を考えたがケンドーコバヤシバッファロー吾郎中川家に説得されてピン芸人で活動することを決意する。

同じくザ・プラン9のメンバーである浅越ゴエとは1997年12月のオールザッツ漫才の一回戦で、お互いに当時組んでいたコンビ同士で対戦した経験がある(浅越は当時「デモしかし」というコンビを組んでいた)。

[6]

ザ・プラン9[編集]

コンビ解散から1年後の2002年、ザ・プラン9にヤナギブソンと共に追加メンバーとして加入した[7][8]。加入当初はナギナギオという芸名で活動していたがヤナギブソンと名前を間違えられる事が多くなったことで2003年に本名の灘儀武に戻すも、読みやすいようにとのことで2005年6月に再び改名しなだぎ武になった。

ザ・プラン9の結成が2001年であることや遅咲きであることから、一年後輩のナインティナイン、同期の千原兄弟FUJIWARAなどが中堅芸人として扱われる一方若手芸人の扱いを受けることが多い。また、ブレイクした時期で考えるとお笑い第五世代の芸人に分類されているため、第五世代の芸人の中で最も芸歴が長い。プラン9本公演では主役や物語を大きく動かす役が多い。

2015年5月17日に脱退を発表[8]。なだぎの活動が東京中心となり、大阪で活躍する他メンバーとのスケジュール調整が困難になったため[8]。ケンカ別れではなく、ザ・プラン9の公演やコントに参加することもある。

R-1出場[編集]

2002年(第1回)は1回戦敗退、2003年(第2回)は2回戦敗退、2004年(第3回)は準決勝敗退となかなか芽が出なかった。特に第3回、東京会場での準決勝では大スベリ。その後も準決勝までいくも敗退、という結果が続いたが、そこでの過程で「1人コントにはカツラが重要だ」と認識するようになる。そこから後述のディランのキャラクターに磨きがかかるようになっていった。

2007年では決勝戦に駒を進め友近などと戦った。最終結果発表ではチュートリアルの徳井義実と同点の456点になった末、審査員による史上初の決選投票が行われ、なだぎに4票、徳井に1票という結果が出てなだぎが見事R-1王者となった[9]

翌年の2008年のR-1ぐらんぷりでは2回戦の開始直前「あほ高校生」の会心作ができたことで参戦を決意し、出場。チュートリアルの徳井、友近らが準決勝で敗退するという波乱の展開の中で決勝戦に進出。決勝戦では、「文化祭の出し物を決める高校生」を扮してコントを披露[10]。持ち前のオーバーリアクションの芸風もそのまま活かし、ファミコンのツーコンのマイクを利用したカラオケや狂言師の野村萬斎のパロディで「ややこしや〜」(元ネタはNHK教育にほんごであそぼ』の狂言コーナーより)を披露した[10]審査員のうちの一人であった間寛平からは「96点」をつけられ、さらにはコメントでは「もう、参りました。言うことありません」と言わしめ、その言葉通り、寛平が上位2人につけた点差「2点差」で見事連覇を果たした[11][要出典]

最終結果発表では昨年に続き再び上位2人の発表まで残されたため、「また同点じゃないでしょうね?」と不安がっていた。また、その後、1位に自らの名が挙がっているのを目にした途端、大号泣[10]翌日のスポーツ新聞の芸能面には「涙の連覇」の文字が躍った[要出典]

2010年は2年ぶりに出場し決勝進出を果たした[12]決勝戦を661点の1位通過でこの年から新設されたファイナルステージ(最終決戦)に進出するも、それまではなだぎの奇怪な動きも含めて笑いをとっていたのに対して、最終決戦で披露したネタ(偽ドラえもん目覚まし時計のクレーム)では微動だにしなかったこともあり、票を得られず3位に終わった[要出典]

ミュージカルと2009年R-1ぐらんぷり出場回避[編集]

2009年には宮本亜門演出の舞台「ドロウジー・シャペロン」への出演が決定。人生初のミュージカルに挑戦することとなった。この舞台に起用されたキッカケは、宮本が爆笑レッドカーペットに審査員として出演した際になだぎ武の藤岡弘、の物まねを見た事に始まる[13]宮本は、なだぎの物まねに衝撃を受け、その後、なだぎの初主演舞台、「春子ブックセンター」を観覧し、本来決まっていた大物俳優を変更してまで「ドロウジー・シャペロン」の主役のオファーを出した。後輩芸人・陣内智則の妻であった藤原紀香とキスシーンを演じることが話題となっていた(藤原演じるヒロインの婚約者役)。俳優の大和田獏爆笑レッドカーペットに審査員として出演した際になだぎの演技力の高さを絶賛している。水谷豊の物まねを見た大和田は「やっぱ、なだぎさんは、凄いね。水谷豊さんにあんまり似てないんだけど、だけど面白い。演技力が凄いから。宮本亜門さんが認めるだけのことはありますね」とコメントしていた[要出典]

2008年11月17日の「R-1ぐらんぷり2009」の開催発表会見で、「ドロウジー・シャペロン」の出演日程が重なりスケジュール調整がつかなかったとの理由で、R-1出場回避を表明。会場でなだぎは、「ぜひとも3連覇を目指してネタを作っていたんですが、準決勝の日に藤原紀香とダンスしているので、今回は残念ながらリタイアのRとなりました」とコメントした[14]

性格など[編集]

  • 大変な映画マニアであり、それが芸風や芸名にも反映している。朝日新聞で映画コーナーの連載を担当したこともある[15]。* コンビ時代は痩せていたが現在ではその体格は年齢と相応しないほど筋骨隆々であり、元々筋肉が付きやすい体質とのこと[16]女性セブン(2008年4月17日)でグラビアを飾ったこともある。
  • 同年代の芸人の中でも抜群の運動神経を誇り、番組などで活かされることが多い。
  • BON JOVIのファンでPVを真似たVTRを撮った事がある[17]。一時期、まったくなだぎの出演しない芸人のライブでこのVTRを流すのがブームとなったことがある。
  • 嫌煙者で潔癖症であり、ポテトチップを食べる際は、服や口の周りが汚れないようにチップを二本の指でつまみ顔を上に向けてそっと口に落とし込む[要出典]
  • 自分の過去やプライベートを話すことはほとんど無いため、周囲から「謎の多い男」と見られることがある。
  • レーズンが嫌い[18]

人間関係[編集]

2006年12月19日友近との熱愛が週刊誌に報じられ、交際は両人とも認め合っていた[19]2010年3月頃破局するも[20]、引き続き共演は続いており関係は良好である[21]

  • 平山昌雄南海キャンディーズレイザーラモン等、多くの弟子がいる。[要出典]
  • 芋洗坂係長(小浦一優)とはメル友である(きっかけはR-1ぐらんぷり出場)。自身のブログに、小浦が自身の舞台を見に来てくれた事について書いている。
  • 友近と付き合い始めた頃、付き合っている事を芸人仲間には知らせなかったが、周囲がそれに気づき、芸人内でその情報が広まっていた事を逆に本人は知らず、交際するきっかけは「友近に押し切られた」とたびたび公言していた[要出典]
  • 吉本の同期や後輩からは謎の多い男と見られており、同期のFUJIWARAですら彼の面白エピソードを見つけることができなかったと公言している[要出典]

その他[編集]

  • 2005年には関西テレビ放送の金曜深夜の番宣枠にて「カンテーレ〜真夜中のエンターテイナーなだぎ武〜」なる約10分のミニ番組を担当していた。好評につき翌年にも「帰ってきた真夜中のエンターテイナーなだぎ武」として復活している。番組宣伝の合間に1人で様々なネタを披露するというものである。
  • 2007年6月、大阪府泉南郡岬町にある「みさき公園」の「ぷ〜るらんどRiO」イメージキャラクターに起用される[2]
  • ダムマニアである[22]

ディラン[編集]

ディラン(ディラン・マッケイ)は、なだぎが演じる外国人キャラクター。元ネタはビバリーヒルズ高校白書シリーズの同名の登場人物[23]。2005年のオールザッツ漫才でテレビ初登場。

ディランのキャラは、もともと「ビバリーヒルズ青春白書」の日本語吹き替え版でディランの声を担当している小杉十郎太の真似がなだぎの持ちネタであったことと、当時の彼女が「ビバリーヒルズ青春白書」を見ていた事から発想された。さらには、ホフディランのシングル「キミのカオ」において、「ビバリーヒルズ青春白書」をパロディにした小杉のナレーションにも感銘を受けたと語っている。当初は楽屋で「ビバリーヒルズ青春白書」を知る芸人仲間等へ観せていたという。海外ドラマ特有の「大げさなセリフ回し」や「アメリカンジョーク」、「アテレコによる独特の空気感」をデフォルメした芸風だが、ビバヒルファンの今田耕司も認める激似ぶりである(最近では今田も言い回しを真似する事がある)。前述の2005年「オールザッツ漫才」において「レイザーラモンHGに続くキャラを探せ」という企画で披露され、これがこのネタのブレイクの最初の切っ掛けとなった。なおこのネタは本人曰く「元々このオールザッツ漫才のためだけにつくってきたものだった。」

2006年からは本家「ビバリーヒルズ青春白書」には登場していない新キャラとして相棒のキャサリンが登場、2007年2月10日には2人で「ディラン&キャサリン〜難問続出!?恋の数式大パニック〜」というイベントを開催した。

なだぎは「R-1ぐらんぷり」でもディランネタで参加。2006年は準決勝で敗退したが、2007年は徳井義実チュートリアル)と共に最高得点を記録し、審査員5人による決選投票で勝利し優勝を果たし、ザ・プラン9のメンバーにおいて2人目のチャンピオンとなった(1人目は浅越ゴエ)。

2007年、ドラマで本物のディランを演じたルーク・ペリーや、日本語吹替えを担当した小杉十郎太との共演がそれぞれ実現している。

2007年10月には"ディラン&キャサリン"としてCD「フンダリー ケッタリー」を発売。同曲はアニメ『ケロロ軍曹』のオープニング曲に使用された。また、同キャラクターで「ビバリーヒルズ晴天白書」なるコントDVDも発売している。

2007年11月、ホフディランのシングル「カミさま カミさま ホトケさま」のジャケットにディランを演じるなだぎが起用されたが、ビバリーヒルズ高校白書の権利関係者からこのジャケットが同番組のパロディに当たるとのクレームが入り協議を行ったところ、発売直前になり同シングルの発売は延期され、ジャケットが差し替えられることとなった[24]

千葉 拳[編集]

千葉 拳(ちばけん)は、なだぎが演じるキャラクター。R-1ぐらんぷり2008にはこのネタで参加[25]

キャラクター設定は「なだぎの妄想で実在はしない。神奈川県出身、血液型A型、性格几帳面。好きなタイプは昔は古風な叶和貴子であったが、BoAが登場して以来、BoAが好きになった」と、2008年3月3日放送「めざましテレビ」内コーナー「メディア見たもん勝ち! 広人苑II」で語っている。

警察24時シリーズ[編集]

警察24時は、なだぎが演じる交通ルールを乱す若者を、本物のようにして行うコントである。R-1グランプリ2010にはこのネタで参加、ファーストラウンドで披露し、1位になる。また、S-1バトルにもこのネタを投稿し、2月月間チャンピオンを獲得した。

なだぎが演じる若者はコロコロ変わるが、共通するのは「目線のようなものを目につけている」・「声はあらかじめ録音してあるボイスチェンジャーがかかったもので、声に合わせて動く」ということである。

R-1グランプリで演じたのは「ミッキーマウスの格好をして原付に乗り、東京ディズニーランドに向かう若者」であった[26]

クレーム[編集]

クレームは、なだぎが孫の誕生日のために「ぼく ドラえもん」という名前の目覚まし時計を通販で買ったのだが、きた品物はどう見てもドラえもんには見えない品物であったために、なだぎがクレームをするコントである。R-1ぐらんぷり2010の最終決戦で披露したネタはこれである。

届いたという設定のドラえもんの目覚まし時計はかなりツッコミどころの多い代物であるため、披露する度にクレームをつけるポイントは違う。また、なだぎが「届いてすぐにクレームの電話をしている」パターンと、「クレームのためにメーカーまで押しかけてきている」パターンがある。前者ではなだぎが未確認なことがある上、電話であるために相手に姿が見えないのをいいことになだぎは好き勝手やったりするが、後者ではなだぎがクレームをつけるポイントを決めている上、相手の前で不審な行動はしないために、ウケがいいのは前者となっている[26]

ものまねレパートリー[編集]

出演作品[編集]

ピンとしての出演を記載。ザ・プラン9ディラン&キャサリンとしては各ページを参照。

バラエティ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ[編集]

映画[編集]

OV[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%81%AA%E3%81%A0%E3%81%8E%E6%AD%A6_000000000449395/biography/
  2. ^ a b みさき公園「ぷ∼るらんどRiO」の新イメージキャラクターに『なだぎ武』さんを起用! 平成19年6月20日 南海電気鉄道株式会社
  3. ^ なだぎ武 著書で告白…壮絶いじめで引きこもり 2011年1月16日 06:00 スポニチ
  4. ^ a b 「サナギ」第四章「虚無の部屋とかなかった無我の男」(p.68 - 107)より
  5. ^ 「サナギ」第七章「初めて人の優しさを受け止めた」(p.156 - 183)より
  6. ^ a b 「サナギ」第十章「君を笑わせたいから」(p.231 - 250)より
  7. ^ ザ・プラン9からなだぎ武脱退「わがプラン9は永久に不滅」 2015年5月17日 20:29 お笑いナタリー
  8. ^ a b c なだぎ武、ザ・プラン9脱退でピン芸人に「前に進むため」”. ORICON (2015年5月17日). 2015年5月18日閲覧。
  9. ^ なだぎ武、R-1優勝!初タイトル奪取 2007年02月18日 17時00分 ORICONキャリア
  10. ^ a b c 遠藤敏文 「R-1ぐらんぷり」で明暗を分けたものとは? 2008年02月21日 日経トレンディネット
  11. ^ 寛平以外の4人がつけた点数の合計ではどちらも「378点」となっており、寛平がなだぎ武には「96点」、芋洗坂係長には「94点」をつけていたため、なだぎ武は「474点」、芋洗坂係長は「472点」となった[要出典]
  12. ^ 『R-1ぐらんぷり2010』決勝進出者が決定! 2年ぶり“参戦”なだぎ武も決勝進出しV3狙う 2010-02-11 11:00 ORICON STYLE
  13. ^ 紀香がミュージカル初挑戦 なだぎ武とキスシーンも 2008-07-14 14:00 ORICON STYLE
  14. ^ 『R-1』2連覇のなだぎ武、今年は「辞退」 2008年11月17日(月) 12時37分掲載
  15. ^ イベントレポート「『エージェント:ライアン』公開へ なだぎ武さんも負けずに“復活”」”. キネプレ (2014年2月7日). 2015年9月22日閲覧。
  16. ^ 【インタビュー】なだぎ武「過去の蓄積をネタで爆発させてるのかなと思います」”. マイナビニュース (2011年4月23日). 2015年9月22日閲覧。
  17. ^ サンケイスポーツ(大阪版)2007年3月10日 芸能面
  18. ^ 「サナギ」第一章「素直に笑えない」(p.11 - 12)より
  19. ^ 友近に熱愛発覚…相手は「ザ・プラン9」なだぎ武”. 夕刊フジ (2006年12月19日). 2015年9月22日閲覧。
  20. ^ なだぎ武、浮気と報じられた破局理由を強く否定「まったくそうじゃないんだ!」”. オリコン (2010年4月21日). 2015年9月22日閲覧。
  21. ^ なだぎが友近に未練?今でも「良好」強調”. 日刊スポーツ (2010年4月22日). 2015年9月22日閲覧。
  22. ^ ダムトークイベント「せき止めて TONIGHT 2011」開催”. 音楽ナタリー. 2015年9月22日閲覧。
  23. ^ なだぎディランが明言「ディランと猪木は紙一重」!? 2007-11-28 08:00 ORICON STYLE
  24. ^ ディランはダメ!? ホフディラン新曲発売延期 2007年11月12日 14:36 音楽ナタリー
  25. ^ DVD「R-1ぐらんぷり2008 the freestyle "wagei" bout ピン芸日本一決定戦!!」(YOSHIMOTO R and C、2008)収録(図書館などでも閲覧可能)
  26. ^ a b DVD「R-1ぐらんぷり2010 DVDオリジナルセレクション・門外不出の爆笑ネタ集! ピン芸日本一決定戦 the freestyle "wagei" bout」(関西テレビ放送 2010)収録(図書館などでも閲覧可能)
  27. ^ バカリズム脚本のドラマ4夜連続、渋滞に巻き込まれる原田泰造の運命は”. お笑いナタリー (2016年2月25日). 2016年2月25日閲覧。
  28. ^ バカリズム脚本4夜連続ドラマに柏木由紀・市原隼人・山本耕史・川口春奈ら出演”. マイナビニュース (2016年2月25日). 2016年2月25日閲覧。
  29. ^ 舞台「ホテル・カルフォリニア」開幕!太田基裕の女装や今野杏南の下着姿も”. コミックナタリー (2016年2月4日). 2016年2月5日閲覧。

外部リンク[編集]