スピードワゴン

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スピードワゴン
メンバー 井戸田潤
小沢一敬
別名 SPW、スピワ、スピワゴ、ワゴン
結成年 1998年
事務所 ホリプロコム
活動時期 1998年12月 -
出身 名古屋NSC2期生
出会い 名古屋吉本
旧コンビ名 マグニチュード(井戸田)
バツイチほか(小沢)
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才コント
ネタ作成者 小沢一敬
現在の代表番組 NHK短歌「短歌de胸キュン」
など
過去の代表番組 激あま〜い
スピードワゴンと裸の××アイドル
キャラ☆キング
熱血!平成教育学院
週刊AKB
など
同期 次長課長
徳井義実
ブラックマヨネーズなど
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2002年 M-1グランプリ7位(敗者復活枠)
2003年 M-1グランプリ6位
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スピードワゴンは、日本お笑いコンビホリプロコム所属。略称は「SPW」「スピワ」「スピワゴ」「ワゴン」。

メンバー[編集]

来歴[編集]

両者とも名古屋吉本の養成所・名古屋NSCに通っており、共に名古屋吉本の2期生にして名古屋NSC2期生である。吉本での同期デビューの芸人は次長課長徳井義実チュートリアル)、ブラックマヨネーズなどの大阪NSC13期生、札幌吉本1期生のタカアンドトシなどで、また名古屋NSCにおいてはボルサリーノスギちゃんが同期で、1期上にタックインがいる。小沢は高校中退後フリーター生活を送っていた頃にNSCの宣伝を見て幼馴染とオーディションを受け、井戸田は高校時代の同級生とコンビを組む予定だったがオーディションにその同級生が現れず[1]、結局1人で受ける。受験番号が前後であった事、小沢のコンビのネタの完成度が高かった事、井戸田は社交的で声も出ており陽気で騒いでいた事などから、互いに印象に残っていた。

NSCでは常にライバル関係で、名古屋吉本の劇場の舞台出演を賭けた「芸人の卵」たちによる週1回のオーディションライブがリーグ戦形式(観客と審査員による投票でランクが決まる。ネタ時間の長短で区分される2リーグ制で入れ替えあり)で行われていたが[2]、そこでは両者ともネタ時間の長いAリーグの常連で、小沢のコンビ「バツイチ」は毎回優勝、井戸田のコンビ「マグニチュード」(この時は井戸田は相方と併せて『ひろき』『じゅん』という芸名で、またそれ以前のピン芸人の頃は『イトリ』という芸名だった)は毎回2位(バツイチが出場しなかったら1位)であった。NSC卒業後は、バツイチは「爆笑BOOING」で5回勝ち抜きを達成しチャンピオンになった経歴を持つ[1] ほか「オールザッツ漫才'95」に名古屋吉本の代表として出演した事があるが、その時は「『ウンコ』という名前の馬が出走する競馬ゲーム」の漫才を披露。生放送で「ウンコ」を連呼してダダ滑りし、西川のりおから「お前もう辞めたらいいねん。うそつきペッカーみたいな声しやがって」と言われてしまい、小沢は思わず「あんたもでしょ!」と逆ギレしたという[3]。他に「マンスリーよしもと」208号(1997年7月号)には、小沢の事が当時属していた「メトロイド」というコンビで掲載されている。一方マグニチュードの方もなんばグランド花月の舞台に立ったり[4]雨上がり決死隊と共に「吉本印天然素材」「ピッカピカ天然素材!」に出演したり「ミックスパイ+(この番組にはバツイチも時折出演していた)」のレギュラーを務めるなどの活動を行っており、名古屋吉本の中では期待株だった。また、吉本時代は育ての親である吉本興業の新田敦生(大阪制作チーフプロデューサー、当時は名古屋吉本の所長)に非常に世話になり、ホリプロに所属してからもラジオで共演を果たし、プライベートでも親しくしている[5][6]

その後、井戸田は1997年10月に東京吉本に移り、半年ほどの間マグニチュードとしてアルバイトをしながら銀座7丁目劇場で活動するが、相方が芸人を辞めた事で解散となった。この頃に井戸田は名古屋にいた小沢がコンビ別れを繰り返していると聞き[7]、以前より小沢とコンビを組みたいと考えていた事もあって1998年夏ごろに小沢に声をかけた。しかし腰の重い小沢はなかなか名古屋から出ようとせずコンビ結成に意欲を見せないため、井戸田がトラックをレンタルして名古屋まで小沢を迎えに行き[8]、小沢は身ひとつで上京した。小沢は住まいが見つかるまで井戸田の家に居候し[9]、井戸田は小沢の昼食を作るために一度アルバイトの昼休みに帰宅してはバイト先に戻る生活をしていた。そして1998年12月11日にスピードワゴンを結成。それから間もなく吉本を辞め[10]、いくつかの事務所のオーディションを経て当時のM2カンパニー(現・ホリプロコム)社長の宮原匡彦に誘われ、1999年5月に同社所属タレントとなる[11][12]雨上がり決死隊からは「ギャラが安いから、お前ら吉本辞めて正解だったよ」とも言われている。また以前スピードワゴンと名古屋の正月特番で共演した岡村隆史(ナインティナイン)は「正直、やっぱスピードワゴンって名古屋でくすぶってた感ありましたもん」と語っている。

仕事がない日が続いていた時に転機となったのは後述の2002年M-1グランプリ決勝戦への敗者復活枠での出場。これを機に名前が知られるようになり、注目度も高まった。本人たち曰く、M-1決勝出場前の月給は3000円だったが[13]、出場後はテレビ出演が増えたため一気に100倍の額になったという。この頃の打合せの際、井戸田が「来年から忙しくなるよ」と小沢に言ったというエピソードがあり、その言葉通りこの大会を境にテレビ出演も増え、知名度も上がった。同年の大会では立川談志に「俺、下ネタ嫌いなんです」とネタを酷評されたが、中田カウス島田洋七には「後半の畳み掛けがよかった」と評価されている。そして2003年のM-1グランプリでは準決勝を勝ち抜き、敗者復活でない決勝進出を果たした(そのため、キャッチフレーズが『正門突破』だった)が、その際に披露したネタは童謡(しかも『サッちゃん』や『グリーングリーン』といった都市伝説があるものばかりだった)をネタにしたものであったためDVDでは大部分がカットされており、場合によってはネタ自体が収録されていない。翌年には「爆笑オンエアバトル」(NHK)で第6回チャンピオン大会ファイナル2位、勝率0.750、オンエア率15/20でゴールドバトラーの称号を与えられており、同番組の黄金時代を支えた芸人の1組でもある[14][15]。ちなみに当番組のオフエア最高得点(461KB)という珍記録の持ち主でもあり、この記録はその後10年以上も更新されていない[16]

小沢がプライベートで使用していた「甘い言葉」をネタに使用、一気にブレイクした。「爆笑オンエアバトル」では本分である漫才で(甘い言葉自体も元々漫才のネタであった)、よくも悪くもさらに知名度や人気を上げるきっかけとなった。また若手芸人の登龍門的存在の「エンタの神様」(日本テレビ系列)に出演した事も知名度向上に大きな影響を与えた。同ネタを番組内で使ってもらおうと始まった(後に趣旨はずれるが)「激あま〜い」(TBS)に出演、キー局での初メインレギュラー番組となった。

2005年9月14日、井戸田が安達祐実と入籍。ちなみにこの日は安達の誕生日だった(安達はこの時点で妊娠2ヶ月で、2人はできちゃった結婚となった)。また安達の母親で井戸田の義母である安達有里ヘアヌード写真集を発売した事や写真集発売とほぼ同時期に井戸田の不倫疑惑が写真週刊誌に報じられた事で、何かと話題を集め、メディア露出が格段に増えた。

2010年8月6日、NHK総合放送の「笑・神・降・臨」第3シーズンに出演。「現時点でのスピードワゴンの総決算」を目指して自ら厳選した漫才4本を披露したが、ラストの漫才「富士山」は2人に取って「大好きだけどハマるかどうか不安」という挑戦ネタだった。幕間のVTRでは井戸田のピン芸・ハンバーグ師匠も登場している。

2013年5月19日、東京・しもきた空間リバティにおいて漫才ライブ「東京センターマイク 〜スピードワゴンと数組の漫才師〜」を主催。このライブは以後も2-3か月に1回の割合で開催されており、「漫才にこだわったライブ」として毎回実力派から若手まで多数の漫才師のゲストを招き、東京のライブシーンを盛り上げる事を趣旨としている。

2014年、「THE MANZAI」に開催4年目にして初出場、認定漫才師50組に選出される。

2015年、なごやめしPR大使に就任[17]。トークライブ「話スピードワゴン 名古屋編」の会場にて任命式が行われた。

M-1グランプリ[編集]

2002年度の第2回M-1グランプリにおいて、この年から導入された敗者復活枠の制度で初出場にして初の決勝進出を果たす。そこで披露した「小沢が考える次世代のヒーロー」というネタは、中田カウス、島田洋七、ラサール石井がそれぞれ3位の笑い飯よりも2点高い「85点」、「86点」、「86点」をつけ、大竹まことからは同じく笑い飯と同点の「80点」、松本人志は優勝したますだおかだより5点高い「75点」をつけたが、島田紳助は最下位のアメリカザリガニと同じ「73点」、立川談志は歴代最低得点の「50点」をつけるなど、評価が大きく分かれた。結果は8位のダイノジと1点差で7位となった。また、談志が「50点」をつけた理由としては「下ネタ[18]が嫌いだから」と発言していたが、その後「爆笑オンエアバトル」の第6回チャンピオン大会で談志と共演した際、本番後に談志は小沢に「お前らの漫才、面白いよ」と声を掛けたうえ、井戸田の役になって先ほど披露した漫才の稽古をつけた。小沢は「M-1の一件のフォローだったのかも」と振り返っている[19]

第3回は決勝に進出し、6位。前述の通り童謡の替え歌ネタだったことからDVDではほぼカットされた。

2004年度も出場したが、準決勝止まりで敗者復活戦も辞退。2005年度や2006年度は出場すらしていない(理由については、『井戸田の結婚のおかげで決勝に進めた』と言われるのを嫌ったためともいわれる)。2007年度は出場したが準決勝で敗退し、ラストイヤーである2008年度も準決勝で敗退した。

第1回大会に出場しなかった理由は、公には「コントしかやっていなかったから」である(実際は結成当初から漫才を本分としている)が、本音は小沢曰く「単純に怖かったから出場しなかった」という[20]

特徴[編集]

小沢が荒木飛呂彦漫画ジョジョの奇妙な冒険」のファンであり、コンビ名は作中に登場する架空の人物ロバート・E・O・スピードワゴン及びその人物が設立した財団の名称、スピードワゴン財団に由来する[21]。その縁で、2007年公開の映画ジョジョの奇妙な冒険 Part1 ファントムブラッドにゲスト出演するが、構成上の理由から(元ネタの方の)スピードワゴンは登場しておらず、小沢はこの事に少なからずショックを受けたという。またコンビ名の候補は他に「ワイルドチョコレート」などがあったらしい[22]。この「スピードワゴン」という名前のルーツはアメリカの自動車メーカー、レオ・モーター・カー・カンパニーが1930年代に製作したトラックの名前であり、そこからアメリカのロックバンド・REOスピードワゴン→「ジョジョ - 」のスピードワゴン→お笑いコンビのスピードワゴンとつながっている。

西寺郷太ノーナ・リーヴス)曰く「スピードワゴンの事は家族みたいな気持ちで見てしまう。他の芸人さんはネタがつまらなかったら『つまらなかった』で済むけど、スピードワゴンは心配になる」[5]

芸風[編集]

漫才[編集]

コント「甘い言葉」がよく知られているが、本分は漫才であり、M-1決勝に2回進出している。M-1覇者であるますだおかだが自身のラジオで「スピワはM-1(優勝)十分狙えるコンビ」と評価している[23]。2人のテンションと話術に裏打ちされた正統派のしゃべくり漫才をするが[24]、クールでベタなボケと大声でテンションの高い独特なツッコミから、「新感覚のポップ漫才」と称されることがある[14]。ネタは青臭いものが多く、特につかみの所などでちょっとした芝居をやったり空想に入り込んだりする小沢を井戸田が「小沢さーん!」と名前を呼んで現実世界に引き戻すのが特徴的(他に、井戸田が『(つかみが)長ぇよ!入りづれーよ、おい!』と突っ込んだり、井戸田も一緒に芝居に入った後『なんだこれ!?』と突っ込んで現実に戻るノリツッコミに近いパターンもある)。小沢が一人複数の役で自分の作った小説や物語をやり、その内容に井戸田が突っ込んでいくパターンも多く見られる(このパターンは特に『ドラマチック漫才』とも称される。初期はカセットレコーダーなどの小道具を用いたコントとして行った事もあった)。本人たち曰く「グダグダ」である。また、非常にマイナス思考でブラックなぼやき漫才も多い。オチにつながる伏線の張り方も巧妙で、従来の漫才形式の暗黙の了解的な点に焦点を当てて逆説的な笑いを取ったりもしている(例:戦隊物の話を振った井戸田に対し小沢が全く関係のない野球のネタを始め、『何俺とフリに恥かかしてんだお前』『なんだよ、フリがあったらそのフリのネタやらなきゃいけないの?』『あたりめぇだろ!』『誰が決めたんだよ』『やすきよだよ!』など)。基本的に、「死ね」などのきつい言葉や頭を叩くなどの激しいツッコミは見られない。他に、「笑・神・降・臨」でも披露した漫才「富士山」では、笑い飯のWボケにも似た新たなパターンを構築している。小沢が「行列のできるラーメン屋を開きたい」という自分の夢を語るが、店の売りは「器が自慢のラーメン屋」「週刊誌の品揃えが豊富なラーメン屋」など変な物ばかり→それに井戸田が突っ込むが、「富士山のようなでっかい男」に憧れる井戸田の話はことごとく富士山の話に進んでしまう→それに小沢が「結局潤の夢の話になってんじゃん。ラーメン屋の話はどうなったの?」と突っ込んで軌道修正という流れで、若干ボケの要素を感じさせる井戸田のツッコミの特性をうまく活かした新機軸といえる漫才である。

甘い言葉[編集]

  1. 井戸田が小沢に対し「さん」づけで呼びかけ、「全くモテない」または「自分もモテたい」という内容の話を振り、小沢に「モテる方法」のアドバイスを仰ぐ。
  2. 井戸田の質問に小沢は、『甘いセリフ』をサラッと言う事が、モテる上で大事だと答える。
  3. 井戸田を女の子に見立て『甘いセリフ』のレッスンが始まる。
    • 【旅行の計画】や【クリスマス】など様々な設定で行い、小沢が『甘いセリフ』を言うたび、井戸田が「甘ーい!(甘過ぎる)」という内容で絶叫。
    • 小沢が両手を挙げて十字架のようなポーズを取り、それを井戸田が拝む。
    • 井戸田が『凍らせたスポーツドリンクの最初の溶けかけ』や『生類憐れみの令』に例え、小沢のセリフの甘さを讃える。
  4. 途中、小沢が誰もが認めない事を言うと、井戸田が片手を上げて軽く振りながら、認められない趣旨の突っ込みを追加。
  5. 最後に井戸田が、これで自分もモテるかどうかを小沢に聞くと、その考えが甘い、または井戸田に対して甘いという事を補足。
  6. 井戸田が「いい加減にしろ」、もしくは「ズコー!」と軽くコケながら突っ込み、幕となる(後者は「エンタの神様」などで多く使われた)。
  • 井戸田が結婚してからは、最後に井戸田が小沢のセリフの甘さを自らの新婚生活になぞらえて絶叫しそれに小沢がキレる、という締め方も生まれた。
  • 井戸田がオチでない所で絶叫してしまう事が多々あるため、小沢が指を鳴らすのを絶叫の合図にしている。
  • ダイノジの「もてる〜」というネタと似ており、ダイノジが先のため、スピードワゴンがパクッたと言われているが、両コンビとも別物だと考えている様で、きちんと和解もしている[5]
  • 甘い言葉の前は小沢のオカマキャラでネタに入っていき、最終的に井戸田が「認めな〜い、あたし認めないよ小沢さん」というやり取りになるのがネタの定番だった。
  • 井戸田が結婚後初めて「笑いの金メダル」に出演した時、「俺モテたいよ」と言ったところ観客からブーイングが起こり、小沢が「逆に教えてくれよ」と発言。オチでは井戸田の「俺の新婚生活くらい甘いよ」という台詞に小沢が「いいかげんにしろよ!」とキレて終わった。

ネタ作成[編集]

ネタ作成は、基本的に井戸田立ち会いの下で小沢が行う。ある程度台本ができあがったら井戸田が全体を通しで読んでみて、小沢がそれを客観的に見て修正するというやり方を採っており、制作中は井戸田は部屋の掃除や筋トレなど暇つぶしをしているという。小沢はこれを「原稿が書きあがるのを待ってる漫画家と編集者みたいな関係」と称している。井戸田は読みながら、小沢は書きながらが一番覚えやすいため、この方式が両者に一番合っているらしい。また、こういう方式を採っているためかネタ合わせはあまりやらないという。

エピソード[編集]

  • 小沢より井戸田の方が年上だが、互いに「潤(時に『さん』づけになる事もあり)」「小沢さん」と呼び合っている。
  • コンビ仲がよく、プライベートや性格の事を互いにネタにし合っている(あまりにもお互いの私生活に詳しいなどの点から、ファンの間でアブナイ関係との疑惑が出た事もあったという)。また互いの誕生会にも必ず出ているらしい。小沢が井戸田を支えているように見られる事が多いが、実は繊細で人見知りな小沢を井戸田が持ち前の愛嬌でカバーし、精神的な面は井戸田が支えている。一方で、井戸田の天然ボケを小沢がフォローしていたりする。これが井戸田が「スピードワゴンの愛嬌」、小沢が「スピードワゴンの頭脳」といわれる所以である。
  • 2005年12月15日放送の「クイズプレゼンバラエティーQさま!」(テレビ朝日系列)で「解散する」旨のドッキリを仕掛けられた井戸田は、小沢を傷つけないように優しく解散を思い留まるよう説得し、相方思いの一面を見せた。一般的には小沢がフォローしているように見える関係だが、このドッキリで内面的には逆である事が明らかとなった。なおこの時、小沢は井戸田の「スピードワゴン面白いよ」という言葉に感動して泣いてしまった。
  • 2007年8月27日放送の「くりぃむナントカ」などいくつかの番組で、二人でキスをする所を披露している[2][3][4][5]。視聴者からはかなりの反響があったらしい。
  • ある年の事務所の忘年会で井戸田は酒の勢いもあって涙ながらに「小沢さんと漫才するのが楽しい」「俺、小沢さんと漫才してる時が一番幸せなんだよ〜」などと発言、それを受けた小沢ももらい泣きしていた。そして翌日、それを見ていたX-GUNの二人から「お前ら最高のコンビだ、感動した」とメールが来たという。この様子は今やホリプロコムの忘年会の風物詩になっているそうで、若手の中には「これを見なきゃ年が明けない」とまで言っている者もいるという。
  • 最近、井戸田はカウボーイスタイルでハンバーグに因んだアツアツのジョークを披露する(さらにネタの後には『……ハンバ――グ !!』と決めゼリフを叫ぶ)「ハンバーグ師匠」というキャラを確立、そのキャラに扮した時は小沢の事を「よぉ、ライス !! (ハンバーグ師匠の愛弟子というキャラらしい)」と呼ぶ。井戸田はこのキャラが気に入っていて熱くノリノリになるが、それに反比例するかのように小沢はローテンションの冷めた態度を取り、しばしば「どした?お前、テンションが半ライスだな。大盛りで来い!」と叱咤される。「あらびき団」でこのキャラを披露した時は反応は全くよくなかったが、他に「笑・神・降・臨」でも幕間のネタとして披露するなどしている。また2012年4月5日放送の「お笑いジャッジポイント」では佐々木優介(磁石)の扮する弟子・ミートボールボーイが出てきたりもしている[6]
  • 両者とも相当な下ネタ好きだが、「M-1グランプリ2002」決勝戦において立川談志下ネタを酷評された事があるため、以後は下ネタを控えめにしている。「芸能人専用タクシー し〜たく」(テレビ東京)では「危険コンビ(セクハラコンビ)」と称された事もあった。
  • 2008年12月17日放送の「ゴッドタン」の企画「地元エピソードキング」内で、井戸田は劇団ひとり肛門に指を挿入されるという不意打ちをされ、「なんで嗅ぎたいのお尻の穴?嗅ぎたい意味がわかんない」「なんでお尻の穴に指入れて平気なの?」と驚いていた。この企画では小沢も翌年1月28日放送分においてひとりに体温計を挿入され、さらに体温計が挿された尻を写真に撮られている。ひとりはこの写真を番組のブログに載せようとしたが、共演者の松丸友紀に止められた。
  • モンスターファーム5 サーカスキャラバン」で「超スピードワゴン」のライブDVDを使用するとスウィートピロロというモンスターが出現する。アクセントカラーが赤になっており、左右の角の先と頭部にそれぞれ「S」「P」「W」の文字が配された外見が特徴。
  • 2015年6月22日放送の「しゃべくり007」ではスピードワゴンのコンビ仲がトークテーマとなった。そこで井戸田が「俺は小沢さんのことが好きだから、意識して距離を取らないと冷静に見れなくなってしまう」と語ってそれに感動した小沢が泣いてしまい、司会の上田晋也(くりぃむしちゅー)に「お前ら2人でやってくれるか!これはもうコンビ愛じゃなくてハードゲイだよ」と突っ込まれた。

賞レース[編集]

  • 2002年 M-1グランプリ 決勝7位(敗者復活枠)
  • 2003年 お笑いホープ大賞 決勝進出
  • 2003年 M-1グランプリ 決勝6位
  • 2004年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2007年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2008年 M-1グランプリ 準決勝進出
  • 2014年 THE MANZAI 認定漫才師

現在の出演[編集]

メンバー単独での出演は、井戸田潤小沢一敬の項を参照。

レギュラー、準レギュラー出演

過去の出演[編集]

レギュラー、準レギュラー出演
  • 爆笑オンエアバトルNHK総合)戦績15勝5敗 最高505KB ゴールドバトラー認定
    • 1999年度(0勝2敗)
    • 2000年度(3勝1敗)
    • 2001年度(4勝0敗)
    • 2002年度(4勝1敗)
      • 第5回チャンピオン大会 セミファイナルBブロック1位・ファイナル10位
    • 2003年度(4勝1敗)
      • 第6回チャンピオン大会 セミファイナルAブロック3位・ファイナル2位
    • オンバトヒーローズ(2008年6月13日)
    • オンバトPREMIUM(2009年11月27日)
  • オンバト+(NHK総合)
    • オンバト+PREMIUM(2010年5月28日、2010年10月29日、2011年2月25日)
    • オンバト最終章 チャンピオン大会直前 15年間ありがとうスペシャル(2014年3月15日)
単発・特番
テレビドラマ
  • 富豪刑事」第5話(テレビ朝日、2005年)チンピラ役
テレビCM
EMI編、BMG編、UIP編に出演。
  • 大原学園インフォマーシャル(2008年1月)
日本テレビ「ズームイン!!SUPER」内でOA
ラジオ

テレビ・ラジオ以外の活動[編集]

連載[編集]

映画[編集]

作品[編集]

書籍[編集]

単独
  • スピードワゴンのスピチャン!(学習研究社、2004年11月)
  • あま〜い(ぴあ、2005年7月)
  • でらつれ(講談社、2010年2月)
  • 恋ができるなら失恋したってかまわない(宝島社、2015年8月)
単独以外
  • シブスタs.b.s.t若手芸人edition俺達の放課後(双葉社、2005年2月)
  • 笑いの金メダル 究極の貧乏レシピ (ワニブックス、2006年1月)

CD[編集]

  • 「夢の途中」(フォーミュラレコーディングス、2008年7月23日[25]

DVD[編集]

単独
  • スピードワゴン LIVE集、スピードワゴン コント集(ポニーキャニオン、2004年10月)
    • スピードワゴン DVD-BOXも同時発売。
  • 爆笑オンエアバトル スピードワゴン(ポニーキャニオン、2005年3月)
  • 超スピードワゴン〜甘い言葉で抱きしめて〜(ポニーキャニオン、2005年10月)
  • 弩スピードワゴン(ポニーキャニオン、2007年4月18日)
  • 弩スピードワゴンVOL.2(ホリプロ、2007年12月5日)
  • ライブミランカ スピードワゴントークライブ「こんな事言うと、野暮かもしれませんが…売れるために二人の弱点克服します!」(ジェネオンエンタテインメント、2008年1月28日)
  • 弩スピードワゴンvol.3(2008年12月17日)
単独以外
  • M-1グランプリ2002完全版“その激闘のすべて・伝説の敗者復活戦完全収録”(R and C、2003年12月)
  • M-1グランプリ2003完全版 〜M-1戦士の熱き魂〜(コロムビアミュージックエンタテインメント、2004年7月)[26]
  • 大人のコンソメ〜5倍濃縮パック(業務用)〜(ポニーキャニオン、2004年4月)
  • ホリプロお笑い紅白ネタ合戦(ユニバーサルミュージック、2004年12月)
  • 「死球〜DEAD BALL〜」vol.4〜あなたにも必ず飛んでくるであろう人生の死球…〜(徳間ジャパンコミュニケーションズ、2005年4月)
  • ピィース!specoal天下一武笑会最強!お笑い博多決戦其の一(ビクターエンタテインメント、2005年12月)
  • エンタの神様vol.1(バップ、2004年12月)
  • エンタの神様vol.2(バップ、2005年1月)
  • エンタの神様vol.4(バップ、2005年3月)
  • イエヤス爆笑セレクションvol.3(2005年11月)
  • スチーム係長 お笑い芸人vs係長編(パラマウント・ホーム・エンタテイメント・ジャパン、2006年3月)
  • よみきかせ 日本昔ばなしvol.3(コロムビアミュージックエンタテインメント、2006年10月18日)
  • ホリプロお笑いライブスペシャル ストロング混合(ポニーキャニオン、2007年4月18日)
  • ホリプロお笑い夏祭りスペシャル ストロング混合2(ホリプロ、2007年12月5日)
  • 超クソゲー(アース・スター エンターテイメント、2009年1月23日)

開催ライブ[編集]

  • 2004年に初めて単独ライブを行ったが、その前後にはラジオで小沢が「今まで単独ライブから逃げ回っていた」と発言していた。また2009年に単独ライブを行わなかったのは小沢が小説「でらつれ」を執筆していたため[28]

脚注[編集]

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  1. ^ 井戸田はもともと芸人志望で、その同級生が高校を留年したり突然神奈川へ就職してしまったりで結局地元の一般企業で働きながら3年も待つハメになったという。
  2. ^ 名古屋NSCでは授業の中で自作のネタを講師に提出し、一定の評価を受けた者はゴングショー形式のオーディションライブに出場して、そこで優秀な成績を挙げた者がこのオーディションライブに出られるようになっていた。
  3. ^ この時は札幌吉本代表のタカアンドトシも同様に「お前らもう辞めろ」とこき下ろされていた。タカアンドトシの方は3分の予定だったネタを時間の都合で急遽1分に縮めざるを得なかったため構成そのものがグダグダになり、後で札幌吉本の社長からも大目玉を食らったという。
  4. ^ 2006年8月31日放送の「スピードワゴンのキャラメル on the beach」によると、出囃子はTHE BLUE HEARTSの「皆殺しのメロディ」だったという。
  5. ^ a b c スピードワゴンのキャラメル on the beach
  6. ^ 「ココロの旅」2012年9月11日放送分(webアーカイブ)
  7. ^ 小沢はデビューから1年強でバツイチを解散した後「メトロイド」や「サボテン」というコンビで活動していた。
  8. ^ 井戸田は正式結成前の1998年11月に小沢とのコンビで銀座7丁目劇場の出演予定を入れていたが、肝心の小沢が上京する気配がないため「相方の身内に不幸があった」などと理由をつけて予定を延ばしてもらい、その間に小沢を迎えに名古屋へ行ったという。
  9. ^ この頃の小沢は東京の地理に暗かった事もあって、もっぱら雀荘に行っては有り金を使い果たして帰ってくる毎日だったそうで、道に迷って井戸田が捜索に走り回るハメになった事もあった。井戸田は「勝手に名古屋へ帰っちゃったんじゃないか」と本気で心配した事もあったという。
  10. ^ 2006年8月4日放送の「JUNK 交流戦スペシャル」では「僕らクビになったんですから」と言っていたが真相は不明。この頃相次いだ銀座7丁目劇場渋谷公園通り劇場の閉館が理由の一つだったともいう。なお銀座7丁目劇場の閉館は小沢の上京から2週間後だったらしい。
  11. ^ 中日スポーツ」のインタビュー
  12. ^ 余談だが、M2カンパニーに入って間もない頃にX-GUNの単独ライブ「STAY OR GO」の手伝いをやったりもしている。
  13. ^ 楽天市場 有名人のすっぴんショッピング」のインタビューによると、この給料では帽子一つ買うのがやっとだったため、小沢は周りには「給料のほとんどをファッションにつぎ込んでる」と見栄を張っていたという。
  14. ^ a b テレビお笑いふ!vol.1」(学研
  15. ^ なお出始めの頃は「M2カンパニーの秘密兵器」と称されていた。
  16. ^ この放送回は長崎での収録で後のM-1王者となるパンクブーブーのデビュー戦であり、彼らが初登場で537KBという驚異的な記録を樹立したほか2位が陣内智則ダイノジ、4位がいつもここから、5位がはなわと後のゴールドバトラーが6組も出場しており、6位までがオーバー400を達成するハイレベルな回であったため。ちなみにはなわとのKBの差はボール1個分だった。
  17. ^ なごやめし普及促進協議会公式サイト
  18. ^ 「体の一部を取り入れてみました戦隊ボディレンジャー」内の「唇パープルは冬場にプールに入る、しかし月に一度は入れない日がある」という部分と、その直後の「おばさんじゃん!完全に更年期障害であがっちゃったよ!」という、閉経をネタにした部分と思われる。
  19. ^ M-1完全読本2001-2010
  20. ^ 2007年12月20日放送「雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!」(テレビ朝日)「M-1グランプリ芸人」より。
  21. ^ 2007年8月2日放送「雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!」(テレビ朝日)「ジョジョの奇妙な芸人」より。
  22. ^ 「Biwaコレ!!」内インタビュー(ウェブアーカイブ)
  23. ^ ますだおかだのオールナイトニッポン」(ニッポン放送
  24. ^ 爆笑オンエアバトル」の本では「笑いの領土を広げたパイオニアの名に値する独創性」「設定や二人の関係性や言葉のチョイス、その全てが微妙なツボを突いてくる」と称されている。
  25. ^ 山本昌(中日ドラゴンズ)200勝応援ソング。山本昌本人はこの曲を打席に立つ時の登場曲にしている。
  26. ^ スピードワゴンのネタは童謡を扱ったネタのため音声を一部カットされている。
  27. ^ ライブミランカのトークライブ
  28. ^ バナナマンのバナナムーン2010年3月22日放送より。

外部リンク[編集]