伊藤剛臣
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| 基本情報 | ||||||
| 生年月日 | 1971年4月11日(47歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 1.85 m (6 ft 1 in) | |||||
| 体重 | 92 kg (14 st 7 lb) | |||||
| 学校 | 法政二高校 | |||||
| 大学 | 法政大学 | |||||
| 愛称 | タケ | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | ナンバーエイト、フランカー | |||||
| アマチュア | ||||||
| 年 | チーム | |||||
| 1987-1990 1990-1994 |
法政二高校 法政大学 | |||||
| クラブ | ||||||
| 年 | チーム | 出場 | 得点 | |||
| 1994-2012 2012-2018 |
神戸製鋼 釜石シーウェイブスRFC | |||||
| 国代表 | ||||||
| 年 | チーム | 出場 | 得点 | |||
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| 62 | |||||
| 国セブンズ代表 | ||||||
| 年 | チーム | 出場 | 得点 | |||
| – |
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| ■テンプレート | ||||||
伊藤剛臣(いとう たけおみ、1971年4月11日 - )は、日本の元ラグビー選手。
プロフィール[編集]
来歴[編集]
小学校では野球、中学校ではバスケットボールに打ち込む。 法政二高校入学と同時に甲子園を目指して硬式野球部に仮入部後、体育科の教師だった当時の担任の勧めでラグビー部に入部。その後、高校代表に選ばれる。
大学進学後、法政大学ラグビー部に所属し、3年時の大学選手権で25年ぶりに法大に優勝をもたらした。ボールを持った時の独特のカニバサミのようなステップが相手チームを翻弄した。法政大学社会学部応用経済学科(現・社会政策科学科)を経て、神戸製鋼に入社。1994年度の全国社会人大会、日本選手権7連覇に貢献した。
その後もチームの1999,2000年度全国社会人大会優勝、1999,2000年度日本選手権優勝、トップリーグ開幕初年度の2003年シーズン優勝に中心選手として貢献した。
2012年、世代交代を図るチームの方針もありシーズン終了後に戦力外通告を受け、18年に亘り在籍した神戸製鋼コベルコスティーラーズを退団。現役続行表明しトップリーグ所属チームからのオファーもあったがトップイーストリーグ所属の釜石シーウェイブスへの入団を希望し釜石のトライアウトを受験し入団した[2]。
ラグビー日本代表ではW杯に2大会出場。1998年のアジア大会では主将を務めた。キャップ62は歴代7位である。
テレビ[編集]
- ジャンクSPORTS(2009年2月15日、フジテレビ)「清原和博SP」
- ラグビーウィークリー(2012年10月8日、BS朝日)「ワイルドな奴 #1」
- サタデースポーツ(2012年12月1日、NHK)
- スポーツがあったから(2014年12月29日、テレビ東京)
- サンデースポーツ(2015年2月8日・2015年10月4日、NHK)
- 深層NEWS(#366、2015年3月9日、BS日テレ)「釜石復興へのトライ! ラグビーを希望の光へ」
- 旅スルおつかれ様〜ハーフタイムツアーズ〜 (2018年11月13日、14日、テレビ東京)「放送東海道五十三次をあるく元ラグビー選手が東海道五十三次の街道あるきへ」
受賞歴[編集]
- 2003-04 ベストフィフティーン
出典[編集]
- ^ 46歳の鉄人・伊藤剛臣、完全燃焼へ。 . ラグビー共和国. 2018年2月14日閲覧。
- ^ 元日本代表FWの46歳伊藤剛臣、引退戦は1月に . 日刊スポーツ(2017年12月23日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ 釜石シーウェイブス・伊藤、現役続行へ ホリプロと契約 . サンスポ(2016年3月9日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ 伊藤剛臣が引退へ 元日本代表で釜石所属の46歳FW . 産経ニュース(2017年4月7日). 2018年2月14日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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