福永祐一
福永祐一 | |
---|---|
国内最終騎乗後セレモニーにて (2023年2月19日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
滋賀県栗太郡栗東町 (現栗東市) |
生年月日 | 1976年12月9日(47歳) |
身長 | 160.0 cm |
体重 | 51.0 kg[1] |
血液型 | B型[2] |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
栗東・北橋修二(1996.3.1 - 2006.2.28) 栗東・フリー(2006.3.1[3] - 2023.2.28) |
初免許年 | 1996年 |
免許区分 | 平地・障害[4] |
騎手引退日 | 2023年2月28日 |
重賞勝利 |
201勝[5] (中央160勝、地方36勝、海外5勝) |
G1級勝利 |
45勝[5] (中央34勝、地方6勝、海外5勝) |
通算勝利 |
19497戦2636勝(中央) 593戦87勝(地方) |
調教師情報 | |
初免許年 | 2023年 |
重賞勝利 | 2勝(中央) |
通算勝利 | 116戦13勝(中央) |
経歴 | |
所属 | 栗東トレーニングセンター |
福永 祐一(ふくなが ゆういち、1976年12月9日[6] - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の元騎手で現在は調教師である。父は現役時代「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一[7][8]、叔父に元調教師の福永甲、福永二三雄、元騎手の福永尚武、北村卓士[9]、義従兄に調教師の福永敏。妻は元フジテレビアナウンサーの松尾翠[10]。2016年7月より夫人も所属している芸能事務所のホリプロとマネジメント契約を結んでいる[11]。160 cm, 52 kg[12]。義父は東芝顧問の松尾幸弘。
以下、父である福永洋一(洋一)、叔父である福永甲(甲)、福永二三雄(二三雄)、福永尚武(尚武)と区別するため、本文中はとくに「祐一」と表記する。
来歴
[編集]騎手デビュー前
[編集]栗東町立金勝小学校を卒業[13]。近江兄弟社中学校時代はサッカーをしていた[14]。中学校二年次に騎手になることを決め、母の猛反対を説得して[14]競馬学校に入学。その前年にも受験していたが、実技テスト前に骨折し、翌年に再受験[15]、近江兄弟社高校を中退し[16]、12期生として競馬学校へ進む[17]。同期にはJRA初の双子騎手柴田大知・柴田未崎、JRA初の女性騎手細江純子・牧原由貴子、和田竜二などがいる[18]。
騎手時代
[編集]1996年、北橋修二厩舎でデビュー[6]。3月2日の中京競馬第2競走でマルブツブレベストに騎乗し初騎乗初勝利を挙げると続く第3競走でもレイベストメントで勝利し、史上2人目のデビュー2連勝を飾る[19][20]。同日、中京11Rの中日新聞杯(GIII)で瀬戸口勉厩舎のオグリワンに騎乗、デビュー日に重賞に騎乗した唯一のJRA騎手である。11月には1987年の武豊以来となる新人50勝を達成[21]。12月、第10回香港国際カップのシーズグレイスで海外初騎乗(9着)[22]。この年は最終的に53勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得した[19]。
1997年7月22日、川崎競馬場(スパーキングナイター)で行なわれた第44回エンプレス杯でシルクフェニックスに騎乗し重賞初制覇。同年11月15日にキングヘイローで第2回東京スポーツ杯3歳ステークス(現東京スポーツ杯2歳ステークス)に勝ちJRA重賞初勝利[23]。そのキングヘイローで1998年、第65回東京優駿(日本ダービー)初騎乗。
1999年の第59回桜花賞でプリモディーネに騎乗しJRAGI初勝利[6]。しかしその翌週、中京競馬場で施行された第33回小倉大賞典の本馬場入場の際に落馬事故で左腎臓摘出というけがを負う[24][25]。7月に復帰し[26]、第51回朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を自厩舎の所属馬エイシンプレストンで制した[27]。
2005年は第22回フェブラリーステークスをメイショウボーラーで、第65回桜花賞と第10回NHKマイルカップをラインクラフトで、第66回優駿牝馬をシーザリオで制したほか、フサイチリシャールで第57回朝日杯フューチュリティステークスを勝利した[28]。またシーザリオでは同年7月3日 [29](現地) アメリカ合衆国のハリウッドパーク競馬場で行われた第4回アメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げた[30]。また初の年間100勝を達成。
2006年の第31回エリザベス女王杯ではフサイチパンドラに騎乗[31]。カワカミプリンセスに1位入線[注 1]を許したものの同馬は審議の結果進路妨害で12着に降着となり、フサイチパンドラが2着から繰り上がり優勝[31]。これにより史上6人目、初騎乗から10年8か月10日は藤田伸二の記録を抜いて史上最速でJRA G1全5場制覇。また同年に新設された第1回阪神カップをフサイチリシャールで制し、初代王者となった[32]。
2007年には、JpnI競走の優駿牝馬でローブデコルテに騎乗し優勝[33]。2001年から7年連続のGI級競走 (GI・JpnI) 勝利となった。11月29日に兵庫県警察宝塚警察署から一日警察署長を委嘱され「年末特別警戒隊発隊式」に出席した[34]。
2008年も順調に勝利数を重ねた。9月27日に8811戦目で父・洋一の通算勝利数(983勝)に並んだ(洋一は5086戦目で983勝目をあげている)[35] 。また、11月30日京都競馬場で行われた12Rでオリオンスターズに騎乗し中央競馬史上23人目となるJRA通算1000勝を達成した[36]。また12月6日と7日に行われた第22回ワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS) に、負傷した武豊騎手に代わっての出場[37]。しかし、順調な勝利とは裏腹にこの年はGI競走での勝利がなく、連続勝利記録は7年で途絶えた。
2007年の第68回優駿牝馬以来、GI競走での勝利から遠ざかっていたが、2010年の第62回阪神ジュベナイルフィリーズで1番人気に支持されたレーヴディソールに騎乗し勝利[38]。
2011年、第47回札幌記念などサマーシリーズの3レースを勝ち、サマージョッキーズシリーズを2位に15ポイント差で優勝[39]。また、ディープインパクト産駒でブエナビスタの妹ジョワドヴィーヴルにて第63回阪神ジュベナイルフィリーズを連覇[40]。岩田康誠との熾烈なリーディングジョッキー争いを制し、16年目で全国リーディングジョッキーとなると同時に、JRA史上初の親子での達成となった[41]。 JRA賞最多勝利騎手は(地方競馬での)中央・地方交流競走の勝利を含めた勝利数で上回った岩田が受賞し、福永はJRA賞最高勝率騎手を受賞した[42]。
2012年、6月2日の第65回鳴尾記念をトゥザグローリーで勝利、さらに翌日の第62回安田記念を関東馬ストロングリターンで勝利し2005年以来の牡馬牝馬混合GIを制覇。その勢いを持って同日12Rにて行われた第17回ユニコーンステークスもストローハットで勝利し史上初の同一週3重賞勝利を達成[43]。第53回宝塚記念後、8月末までアメリカへ遠征する[44]。なお、第48回札幌記念でダークシャドウに騎乗するため、一時帰国した[45]。
2013年3月、松尾翠(元フジテレビアナウンサー)と結婚、8月20日に婚姻届を提出した。翠の父で元陸上自衛隊自衛官の松尾幸弘陸将(現・東芝顧問)は義父にあたる。同年10月6日、第64回毎日王冠でJRA重賞100勝を達成[46]。10月20日、第74回菊花賞をエピファネイアで勝利し牡馬クラシック初制覇と同時に、父・洋一との親子制覇を達成した[47]。さらに10月27日、第148回天皇賞(秋)をジャスタウェイで制覇し、2週連続で八大競走親子制覇を達成した[48]。菊花賞と天皇賞(秋)を同一年に連覇したのは1965年の栗田勝以来である。最終的に131勝を挙げ2011年以来となるリーディングジョッキーとなった[49]。この年から始まった初代MVJに選ばれた[6] ほか、中京開催で20勝し、中京開催リーディングジョッキーになった[50]。
2014年、3月29日の第19回ドバイデューティーフリー(現ドバイターフ)をジャスタウェイで勝利[51]。この年は118勝を挙げるが、全国リーディング4位となった[52]。中京開催で19勝し、2年連続中京開催リーディングジョッキーになった[53]。
2015年は、121勝を挙げリーディング1位を走っていたが[54]、10月31日の第58回スワンステークスにて、最後の直線でテイエムタイホーが斜行、接触し落馬した[55]。これにより、右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折と診断されるが[55]、精密検査の結果、右肩のじん帯断裂、右胸骨骨折も明らかになった[56]。
怪我後2016年は2月13日の京都競馬で復帰し、7鞍に騎乗するも、勝利にはならなかった[57] が、翌日の14日に復帰後初勝利を挙げた[58]。
2016年10月16日に行われた第21回秋華賞をヴィブロスで優勝し、JRA・G1レース通算20勝目をマークした[59][60]。
2017年7月15日、中京8Rをキセキで勝利し史上8人目のJRA通算2000勝を達成[61]。デビューから21年4か月14日での達成は、武豊に次ぐ史上2番目のスピードであった[61]。
2018年5月27日に行われた第85回東京優駿(日本ダービー)を5番人気ワグネリアンで優勝。19回目にして初の日本ダービー制覇を達成した[62]。父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇となった[63]。
2019年3月24日、中京競馬場にて開催された第49回高松宮記念をミスターメロディで勝利[64]。レース5日前の3月19日にはキングヘイローが他界しており、かつてのパートナーに捧げる勝利となった[65]。同年12月1日の中京4Rでサヴァイヴに騎乗して1着となり、JRA年間100勝を達成し、年間100勝連続達成記録を10年とし、岡部幸雄(1990年~1998年)と武豊(1992年~2000年)が記録していた連続9年を更新[66]。
2020年4月19日、中山競馬場で行われた第80回皐月賞を1番人気コントレイルで優勝。父・洋一との皐月賞父子勝利、史上11人目の5大クラシック完全制覇[67]、世代限定JRAGI[注 2] 完全制覇を達成した[68]。
2020年5月31日、第87回東京優駿(日本ダービー)をコントレイルで優勝。自身2度目のダービー制覇を果たした[69]。同年10月25日、京都競馬場で行われた第81回菊花賞をコントレイルで優勝、同馬とのコンビで中央競馬クラシック三冠を達成した[70][71]。43歳での達成は三冠騎手としては最年長であった[72]。同年11月21日、阪神4Rで史上9人目のJRA通算18,000回騎乗を達成した[73]。
2021年1月10日、中京11R第55回シンザン記念をピクシーナイトで勝利し、史上5人目のJRA通算2400勝を達成した[74][75]。同年5月2日、第163回天皇賞(春)をワールドプレミアで優勝。史上2例目の天皇賞春秋親子制覇と同時に、史上4人目となるJRA重賞150勝を達成した[76][77]。同年5月30日、第88回東京優駿をシャフリヤールで優勝。前年のコントレイルに続く連覇達成(武豊、四位洋文に続き史上3人目)および、単独2位となる通算3勝目となった[78]。また同時にJRA・G1レース通算30勝を達成した[78]。同年9月26日、中京4Rをドライスタウトで勝利し、史上5人目の通算2500勝を達成した[79]。10月3日、第55回スプリンターズステークスでピクシーナイトに騎乗し優勝[80]して年間GI3勝目を勝ち取った。12月12日、第23回香港スプリントに前走スプリンターズステークスを制覇したピクシーナイトに騎乗し出走。レースでは後方を進んでいたが、第4コーナーに差し掛かった際前方を進んでいたアメージングスターが転倒。それに巻き込まれる形でピクシーナイトも転倒し、福永は体を投げ出された。事故後も意識ははっきりしており搬送先の病院で左鎖骨骨折と診断された[81]。同月25日に手術を受け、翌年2月の復帰を目指しリハビリに専念[82]。
2022年2月5日の中京競馬で復帰し3鞍に騎乗。同日のメインレースであるアルデバランステークスをスマッシングハーツ騎乗で勝利を飾った。同年10月16日阪神1R2歳未勝利でゴッドセンドに騎乗し1着となり、史上4人目のJRA通算2600勝達成[83]。同年12月8日、2023年度新規調教師試験に合格したことが発表され、同時に翌年2月をもって騎手を引退することが告知された[84]。3日後の12月11日、カペラステークスをリメイクで勝利。これが騎手として最後のJRA重賞勝利となった。
2023年2月6日、引退式を3月4日に行うことがJRAから発表された。奇しくもこの日は、洋一の最終騎乗となった日でもある。2月9日、佐賀記念をバーデンヴァイラーで勝利し、騎手生活最後の重賞勝利を飾った。同年2月19日、東京12Rの大島特別でゲンパチプライドに騎乗(5着)したのが日本での最後の騎乗となり、同25日(現地時間、日本時間26日未明)に行われたリヤドダートスプリントでリメイクに騎乗し3着。27年の騎手生活を終えた。最終年の騎手生活はは2か月だったため、2010年から続いていた年間100勝連続達成記録は2022年で途切れたが連続13年で最長キャリアを保持して引退[85]。
調教師転身後
[編集]2023年3月1日付で調教師免許が交付された。厩舎開業までの1年間は技術調教師として活動。本人によれば藤原英昭厩舎での修行を予定していたものの、当の藤原から「(所属した厩舎の)色がつくから、お前はフリーで行け」と言われてしまい所属できず、その影響で厩舎開業まで本業では無収入だった[86]。
2023年3月4日、第30回チューリップ賞で誘導馬のミツバに騎乗し、出走17頭を先導した。同日行われた引退式ではJRA理事長・後藤正幸などに加え、師匠である北橋修二、主戦騎手を務めたコントレイルの生産者である前田幸治、後輩の川田将雅、競馬学校同期で日本騎手クラブ副会長兼関西地区支部長の後任となる和田竜二、日本騎手クラブ会長の武豊からの花束贈呈を受けた。落馬事故以来44年ぶりに阪神競馬場に姿を見せた父・洋一と母・ 裕美子への感謝の花束を渡し、最後の挨拶では両親や北橋への感謝の言葉を涙ながらに伝えた。
2024年、厩舎を開業。同年3月9日、阪神競馬第11Rにレオノーレを出走させ、管理馬初出走。鞍上には武豊を迎え、積極的に逃げるもゴール寸前でハナ差だけ交わされ2着。初出走初勝利はならなかった[87]。同年4月7日、福島競馬8Rでマルカブリッツが1着となり、調教師としての初勝利を挙げた[88]。4月13日アーリントンカップでチャンネルトンネルが重賞初出走で3着。同馬で5月5日のNHKマイルカップにG1初出走も6着。8月18日CBC賞をドロップオブライトが優勝し、人馬ともに重賞初制覇となった。なおCBC賞は騎手時代に2012年から2連覇しており、騎手と調教師の両方で制したことになる[89]。
人物
[編集]- 現在は競馬学校花の12期生の1人として語られることも多いが、その前年に競馬学校11期生の入学試験を受けている。しかし、直前に負った足の骨折で体力試験をパスできずに不合格。これにより福永は幻の11期生となったが、その後1年間近江兄弟社高等学校に通い[90]、翌年に再受験し合格したため、1歳年上の細江純子以外の同期生は福永より1歳年下である。
- テレビゲームマニアで、幼少の頃は信長の野望シリーズや三國志シリーズ (どちらもコーエー) に熱中していた他、「イメージトレーニングのため」と称して『ジーワンジョッキー』シリーズ (コーエー) をプレイすることが多く、かつて主戦を務めたキングヘイローも登場する『ウマ娘』もプレイ済み[91]。『ジーワンジョッキー』ではゲーム中に自分自身が実名で登場するため、自分の名前ではなくエディット機能を使用して父・洋一の名前でプレイしている[92]。
- 工藤公康とも馴染みがある[93]。
- 祖父が元調教師である武元唯衣(櫻坂46)とも交流があり、幼少期の武元が福永に抱きかかえてもらっている写真を武元がテレビ番組で公開したことがある[94]。武元の所属する櫻坂46の元キャプテンである菅井友香とは2023年9月29日より「菅井友香のウマのおケイコ〜教えて!福永先生〜」(カンテレ)で共演している[95]。
- 妹は引退馬の支援活動を行うTCCセラピーパーク(滋賀県栗東市)の運営に携わっている[96][97]。
- 八大競走は全8レースのうち7つを制覇しているが、二大グランプリの有馬記念だけは最後まで勝てなかった(最高は2022年のボルドグフーシュで2着)。また
- 前述の通り技術調教師の1年間はほぼ無収入だったこともあり、調教師転身後は意図的に生活レベルを落としている。本人によれば「(騎手時代は)身体に違和感が少しでも生じるとレースに差し支えるから(飛行機では)ビジネスクラスを使っていた」が、調教師になってからは「エコノミークラスでもまったく問題ない」という。同様に宿泊するホテルのランクも下げ、移動もタクシーではなく電車を使うようになったという[86]。
- 騎手として父の名に恥じない活躍をしたので、天才二世と呼ばれる[98]。
GI・JpnI競走勝利
[編集](斜字は統一GI、太字は海外GIを指す)
- 1999年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- クイーンエリザベス2世カップ - エイシンプレストン[104]
- 2004年
- 2005年[28]
- フェブラリーステークス - メイショウボーラー
- 桜花賞 - ラインクラフト
- NHKマイルカップ - ラインクラフト
- 優駿牝馬 - シーザリオ
- アメリカンオークス招待ステークス - シーザリオ[29]
- 朝日杯フューチュリティステークス - フサイチリシャール
- 2006年[107]
- 2007年[108]
- 優駿牝馬 - ローブデコルテ
- 2010年[109]
- 阪神ジュベナイルフィリーズ - レーヴディソール
- 2011年[110]
- 阪神ジュベナイルフィリーズ - ジョワドヴィーヴル
- 2012年[111]
- 2013年[112]
- 2014年
- ドバイデューティーフリー - ジャスタウェイ[113]
- 2016年[114]
- 2017年
- 2018年
- 2019年
- 高松宮記念 - ミスターメロディ
- 安田記念 - インディチャンプ
- ホープフルステークス - コントレイル
- 2020年
- 2021年
- 2022年
騎乗成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗・初勝利 | 1996年3月2日 | 1回中京1日目3R | 4歳未勝利 | マルブツブレベスト | 16頭 | 1 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1996年3月2日 | 1回中京1日目11R | 中日新聞杯 | オグリワン | 16頭 | 6 | 15着 |
重賞初勝利 | 1997年7月22日 | 5回川崎6日目9R | エンプレス杯 | シルクフェニックス | 7頭 | 3 | 1着 |
JRA・重賞初勝利 | 1997年11月15日 | 5回東京5日目11R | 東京スポーツ杯3歳S | キングヘイロー | 12頭 | 1 | 1着 |
GI初騎乗 | 1996年10月20日 | 4回京都6日目10R | 秋華賞 | シーズグレイス | 18頭 | 12 | 6着 |
GI初勝利 | 1999年4月11日 | 2回阪神6日目11R | 桜花賞 | プリモディーネ | 18頭 | 4 | 1着 |
年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 表彰[2] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | 53 | 49 | 45 | 518 | .102 | .197 | .284 | JRA賞(最多勝利新人騎手) 関西放送記者クラブ賞(敢闘賞) |
1997年 | 62 | 59 | 56 | 692 | .090 | .175 | .256 | |
1998年 | 52 | 52 | 55 | 635 | .082 | .164 | .250 | 小倉ターフ賞[115] |
1999年 | 43 | 39 | 31 | 398 | .108 | .206 | .284 | |
2000年 | 84 | 71 | 61 | 660 | .127 | .235 | .327 | 小倉ターフ賞[115] |
2001年 | 81 | 68 | 69 | 749 | .108 | .199 | .291 | |
2002年 | 89 | 62 | 78 | 722 | .123 | .209 | .317 | JRA優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門) |
2003年 | 83 | 78 | 67 | 696 | .119 | .231 | .328 | |
2004年 | 96 | 81 | 96 | 771 | .125 | .230 | .354 | JRA優秀騎手賞(賞金獲得部門) 小倉ターフ賞[115] |
2005年 | 109 | 70 | 81 | 811 | .134 | .221 | .321 | JRA優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) |
2006年 | 88 | 69 | 87 | 820 | .107 | .191 | .298 | JRA優秀騎手賞(賞金獲得部門4位) |
2007年 | 82 | 80 | 67 | 744 | .110 | .218 | .308 | |
2008年 | 86 | 70 | 86 | 804 | .107 | .194 | .301 | |
2009年 | 93 | 82 | 89 | 825 | .113 | .212 | .320 | |
2010年 | 109 | 108 | 82 | 809 | .135 | .268 | .370 | JRA優秀騎手賞(勝利度数部門4位・賞金獲得部門4位) 関西テレビ放送賞 フェアプレー賞(関西) |
2011年 | 133 | 98 | 84 | 824 | .161 | .280 | .382 | JRA賞(最高勝率騎手) JRA優秀騎手賞(勝利度数部門2位・勝率部門1位・賞金獲得部門2位) サマージョッキーズシリーズ優勝[39] 関西テレビ放送賞 |
2012年 | 115 | 101 | 72 | 741 | .155 | .291 | .389 | JRA優秀騎手賞(勝利度数部門5位・勝率部門2位・賞金獲得部門3位) |
2013年 | 131 | 103 | 103 | 844 | .155 | .277 | .399 | JRA賞(最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、MVJ) JRA優秀騎手賞1位 関西テレビ放送賞 |
2014年 | 118 | 111 | 92 | 751 | .157 | .305 | .427 | |
2015年 | 121 | 112 | 75 | 738 | .164 | .316 | .417 | 関西テレビ放送賞[116]、優秀騎手賞4位 |
2016年 | 106 | 101 | 70 | 703 | .151 | .294 | .394 | 優秀騎手賞4位 |
2017年 | 116 | 85 | 81 | 740 | .157 | .272 | .381 | JRA優秀騎手賞4位 |
2018年 | 103 | 83 | 84 | 689 | .149 | .270 | .392 | JRA優秀騎手賞5位 |
2019年 | 107 | 110 | 84 | 713 | .150 | .304 | .422 | JRA優秀騎手賞5位 |
2020年 | 134 | 91 | 85 | 698 | .192 | .322 | .444 | JRA優秀騎手賞4位 |
2021年 | 123 | 92 | 92 | 687 | .179 | .313 | .447 | JRA優秀騎手賞4位 |
2022年 | 101 | 72 | 82 | 610 | .166 | .284 | .418 | 関西競馬記者クラブ賞 |
2023年 | 18 | 14 | 10 | 105 | .171 | .305 | .400 | |
中央 | 2636 | 2211 | 2064 | 19497 | .135 | .249 | .354 |
出典:JRA騎手名鑑(累計成績は2023年12月31日現在)
タイトル
[編集]- 最多勝利:1回(2013年)
- 関西リーディング:4回(2010年、2011年、2013年、2015年)
- 最高勝率:1回(2011年)
- 最多賞金獲得:1回(2013年)
- MVJ:1回(2013年) ※初代受賞者
- フェアプレー賞:1回(2010年)
- 最多勝利新人、関西放送記者クラブ賞(1996年)
騎手としての評価
[編集]- 1990年代の評価
- 田原成貴はJRA所属の騎手であった当時出版した著書(『馬上の風に吹かれて 競馬場の風来坊2』)において、福永は武豊や横山典弘と比較すると、騎手としての素質をさほど持ち合わせていないと評している[117]。田原は、福永の問題点として、「一生懸命、上半身を柔らかくしようとしているけど、下半身が固いから、努力だけで終わってる」と指摘している[117]。また田原は、この著書を出版した1997年頃から福永の自宅へ出向き、細かい扶助から馬の動かし方まで、マンツーマンでいろいろと指導を行っていた[118][119]。福永曰く「研修生」のような状態であり、1998年皐月賞レース直後には「下手くそ!」「お前、今日のレースは勝ってたぞ」と調整ルームにて酷評されている[118]。
- 2000年代の評価
- 2010年代の評価
- 競走馬に競馬を教える手腕を評価する声があり、JRA美浦所属の調教師堀宣行、JRA栗東友道康夫厩舎所属の安田助手がインタビューで言及している[121][122]。
- JRA所属騎手の小牧太は、「(福永を)すごく応援してる。人間性がね、すごく好きやねん。この人が上に立って、引っ張っていってくれたらいいなぁって思う。彼はそれくらいの精神力を持っている気がするから。」「(福永は)よう考えてる、いろいろね。彼は賢いねんな。アメリカに行って、乗り方もレベルアップしたと思うよ。」[123]「彼はとにかく賢いし、黙々と頑張ってる感じやね。彼自身で変わったことといえば、結婚していいパパになったことくらいでしょう。騎手クラブの仕事も一生懸命にやってくれて、ホンマに責任感の強い子やね。」[124] と評価している。
- 藤田伸二はJRA所属の騎手であった当時出版した著書(『騎手の一分 競馬界の真実』)において、福永の騎乗フォームについて、「おそらく体が硬い」ことが原因で騎乗時に馬と体の間にムダな隙間が生じてバランスが非常に悪く、また騎乗技術に長けた騎手に比べ体重が後ろにかかっているため懐が大きく開き、膝でバランスをとろうとして膝がガックンガックン動いてしまっている、と指摘[125]。加えて「勝ちにこだわった騎乗」もできておらず、「強い馬に乗せてもらっているから勝っている」に過ぎない、と評している[126]。また福永自身がしばしばJRAの制裁対象となっているにもかかわらず、若手騎手に対しては安全に配慮した騎乗ができていないと調整ルームで「威圧している」とし、批判している[127]。ただし、藤田は現役引退後にスタートした自身のオフィシャルサイト内のコラムでは「(福永は)己の技術を知ってるからこそ、今でも先輩らに耳を傾ける人間なんだよ。だから人格って凄いよな!俺が真似出来たら、まだ現役だよ!」[128] と人格に関しては評価をしており、レース回顧においては福永の騎乗を褒める記述も見られる[129][130]。
- JRAに所属していた元騎手の坂井千明はブログの中で、2013年菊花賞における福永(エピファネイア騎乗)について、「祐一の抑え方もうまかったよ。手綱を引っ張っていても、拳は上げないで自分の重心を後ろに持っていく感じ。ハミを噛んではいても、頭が上がらないようにうまくバランスを取っていたよ。もし、頭を上げたら馬とケンカになって、抑えが利かなくなっていたと思う。」[131] と評価している。
- JRA所属騎手(当時。現・JRA調教師)の四位洋文は対談において、「デビューした頃の祐一はひどかったもんなぁ(笑)。」[132] としつつも、「祐一は本当に頑張ったよ。今でも本当に頑張っている。祐一は頭がいいから、他のジョッキーに比べて自分をプロデュースする能力に長けているんだと思う。俺に祐一の頭の良さがあったら、もっとすごいジョッキーになれたのになぁ。」「無意識に自分をプロデュースできているんだろうね。だから、誰からも好かれるし、その結果、いい波がどんどんくる。」[133] と人となりを評価している。
- 大井競馬所属騎手の的場文男は対談において、「祐一くんの騎乗フォームなんか、本当にキレイだもんね。道中も直線も本当にキレイに乗ってくる。馬はものすごく楽だと思うよ。」[134] と評価している。
- 東京スポーツ記者虎石晃はコラムの中で、2016年8月28日朱鷺ステークス[135]における福永の騎乗について、「最大の衝撃は10Rのペイシャフェリスを1着に導いたこと。これはまさに神がかり。」[136] と評価している。また、JRA美浦所属の調教師中川公成の「あまりいいこと言わない人が多いけど、福永って上手いと思うんだけどな」との意見に対し、虎石は「G1となると、先週のような消極的な面が出てしまうけれど、平場は、先生が言う通り、上手いですよ。スタートセンスは抜群だし、往々にして勝てる位置で競馬をしてくれますから。」と答えている[137]。
- 2020年代の評価
- 田原成貴はNumberのインタビューにおいて、「まず、何度も言っている騎手の重心と馬の支点。同じ馬でも、スタートしたときや、道中、それに追うときといろいろ変わってくるのですが、祐一君は、それを瞬時にポンと合わせられる。そしてそこからあまり揺れないし、動かない。お父さんほどではないけど、すごいなと思う。あと、コントレイルで無敗の三冠を獲る前から、例えば、本質的には中距離がベストの馬に長距離でもいいパフォーマンスを発揮させるなど、馬の能力を補う乗り方ができるようになっていた。それがコントレイルとのコンビで顕著に表れたんでしょうね。もともと頭がいいんだから、それに一番大事な馬乗りが追いついたら、やっぱり無敵になりますよ。それに、いろんなタイプの馬に乗ったことで感性も磨かれましたね」[138]と評価している。
調教師成績
[編集]2024年3月6日付けで厩舎を開業した[139]。同年3月5日付けで定年引退する安田隆行厩舎から重賞勝ち馬ダノンスコーピオンや騎手時代にコンビを組み重賞制覇を果たしたデュアリスト等を引き継いだ[140]。
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 2024年3月9日 | 1回阪神5日11R | コーラルステークス | レオノーレ | 16頭 | 2 | 2着 |
初勝利 | 2024年4月7日 | 1回福島2日8R | 4歳以上1勝クラス | マルカブリッツ | 16頭 | 4 | 1着 |
重賞初出走 | 2024年4月13日 | 2回阪神7日11R | アーリントンカップ | チャンネルトンネル | 16頭 | 4 | 3着 |
重賞初勝利 | 2024年8月18日 | 2回中京4日11R | CBC賞 | ドロップオブライト | 18頭 | 6 | 1着 |
GI初出走 | 2024年5月5日 | 2回東京6日11R | NHKマイルカップ | チャンネルトンネル | 18頭 | 12 | 6着 |
GI初勝利 |
主な管理馬
[編集]雑誌
[編集]- 週刊プレイボーイ「競馬の神髄」 (2代目執筆者) →「福永祐一のリーディング一直線」 (いずれも連載終了)
写真集
[編集]- 「福永祐一」 (和田絵衣子撮影。講談社、1997年) ISBN 9784062084307
脚注・出典
[編集]参考文献
[編集]- 田原成貴『馬上の風に吹かれて 競馬場の風来坊2』マガジン・マガジン、1997年。ISBN 978-4-914967-15-4。
- 藤田伸二『騎手の一分 競馬界の真実』講談社〈講談社現代新書2210〉、2013年。ISBN 978-4-06-288210-1。
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 2020/10/26付『サンケイスポーツ』は「52㌔」と記述している。
- ^ a b “YU-ICHI ROOM 福永祐一騎手(公式)サイト - netkeiba.com -”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “福永祐一騎手など4騎手がフリーに”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
- ^ a b 【祐一独占手記】史上3人目のダービー連覇「シャフリヤールの力に助けられた」 - サンスポZBAT!競馬 2021年5月31日発信
- ^ a b c d e “祐言実行”. netkeiba.com. 2015年6月19日閲覧。
- ^ 『毎日新聞』1996年3月1日、夕刊、7面
- ^ “福永祐一騎手「騎手よりやりたい仕事が見つかった」「父なくしては、今の自分はない」/一問一答”. 日刊スポーツ (2022年12月8日). 2022年12月8日閲覧。
- ^ “アナにお任せ:30年目騎手のG1初勝利=毎日放送アナウンサー・美藤啓文”. 毎日新聞. 2015年11月8日閲覧。
- ^ 福永 フジテレビ松尾アナと結婚「式は年内の予定」 スポーツニッポン 2013年8月25日閲覧
- ^ “福永と川田がホリプロ所属に 菜七子との共演も”. サンケイスポーツ. (2016年7月1日) 2016年7月2日閲覧。
- ^ 『サンケイスポーツ』2020年10月26日 1面より。
- ^ “ユーイチ先生、母校の小学校で熱弁「輝ける場所見つけて」”. サンスポ予想王TV. サンケイスポーツ (2014年7月5日). 2016年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月19日閲覧。
- ^ a b 毎日新聞 1996年3月2日 朝刊 24面
- ^ 『読売新聞』西部本社、1992年12月10日、夕刊、6面
- ^ 『読売新聞』1996年2月16日、朝刊、17面
- ^ “【祐一History vol.4】『個性派“12期生”たちとの競馬学校生活』”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “「また力の限りやってみたい」柴田未崎、36歳の騎手再デビュー。”. Number. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b “【今日は何の日?】福永祐一が初騎乗初勝利”. Sportiva. 2015年11月8日閲覧。
- ^ 毎日新聞 1996年3月4日 朝刊 21面
- ^ 毎日新聞 1996年11月25日 朝刊 19面
- ^ 『優駿』2014年10月号、16頁。
- ^ 毎日新聞 1997年11月16日 朝刊 23面
- ^ “【祐一History vol.10】『自分という人間は、いい流れや大事なときにポカをする』”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “【祐一History vol.11】『レースに勝って泣いたのは、あのときだけ』”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ 毎日新聞 1999年7月31日 大阪版夕刊 7面
- ^ a b “第51回朝日杯3歳ステークス(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b “重賞レース一覧 2005年”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b “アメリカンオークス|2005年07月03日”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “世界の競走馬調教法(連載第1回)(アメリカ) 【その他】 - 海外競馬情報 (2008/04/18)【その他】”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b “第31回 エリザベス女王杯”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “第1回 阪神カップ”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “第68回 優駿牝馬(オークス)”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “競馬ブック ニュースプラザ”. ケイバブック. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “祐一983勝「天才」父に1年遅れで並んだ”. ニッカンスポーツ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “福永祐一騎手、史上23人目のJRA1000勝達成(11月30日・京都)”. 日経ラジオ社. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “【WSJS】(12月6日・7日、阪神)〜武豊騎手に代わり福永祐一騎手出場”. 日経ラジオ社. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “ブエナビスタに続け! 無敗の2歳女王レーヴディソール=阪神JF “一流”の自覚芽生えた福永、2011年は人馬とも主役へ”. スポーツナビ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b “サマーシリーズ2011”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “【阪神JF】1着ジョワドヴィーヴル”. スポーツニッポン. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “福永JRA初の父子戴冠 騎手全国リーディング”. スポーツニッポン. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “福永祐一騎手「目標は打倒・岩田康誠」/JRA賞授賞式”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “記念すべき第80回のダービージョッキーを目指す”. 競馬ラボ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ 福永祐一騎手がアメリカへ海外渡航 JRA公式サイト 2012年6月27日 2012年8月21日閲覧
- ^ “【札幌記念】前日オッズ/ダークシャドウが2.2倍で1番人気”. 競馬ラボ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “エイシンフラッシュ秋盾連覇が見えた!福永も太鼓判「衰えはない。次も走る」”. スポーツナビ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “エピファネイアが優勝 福永騎手、親子で菊花賞V”. 日本経済新聞. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “5番人気ジャスタウェイが優勝 競馬の天皇賞・秋”. 日本経済新聞. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “福永131勝全国リーディング返り咲き”. 日本経済新聞. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “中央競馬ニュース”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “【ドバイDF】福永ジャスタウェイが豪脚圧勝!父子ドバイ制覇!”. 競馬ラボ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “戸崎圭太騎手が自身初のJRAリーディングジョッキーに!”. 競馬ラボ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “開催競馬場・今日の出来事 (2014/12/21)”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “落馬骨折の福永騎手は6日手術、復帰は来年にずれ込む”. ニッカンスポーツ. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b “京都11Rの競走中止・制裁について”. 日経ラジオ社. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “落馬負傷の福永、右肩のじん帯断裂などで全治5か月と判明”. スポーツ報知. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “落馬負傷の福永騎手が3カ月半ぶり実戦復帰 福永 笑顔の復帰「居場所はここ」”. 2016年2月14日閲覧。
- ^ “福永祐一 復帰後初勝利「結果残せてよかった」昨年10月に落馬”. 2016年2月14日閲覧。
- ^ ヴィブロス鮮やかに差し切りV! 姉の無念晴らしGI制覇!/秋華賞 - netkeiba.com 2016年10月16日閲覧
- ^ “【菊花賞】福永2週連続G1Vだ 3年前に制した一戦 今回は「一発狙いたい」 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年3月22日閲覧。
- ^ a b “福永、JRA通算2000勝!武豊に次ぐ2番目のスピード達成”. スポーツニッポン (Sponichi Annex). (2017年7月16日) 2017年7月24日閲覧。
- ^ “【日本ダービー】ワグネリアンが世代6955頭の頂点!福永19度目挑戦で涙の悲願V”. Sponichi Annex (2018年5月27日). 2018年5月27日閲覧。
- ^ “【日本ダービー】ユーイチ 男泣き「福永家の悲願」達成 ダービージョッキーに | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年3月22日閲覧。
- ^ “【高松宮記念】春の短距離王はミスターメロディ! 2・3着には2桁人気馬が入線/JRAレース結果”. netkeiba.com (2019年3月24日). 2019年3月25日閲覧。
- ^ 【高松宮記念】福永祐一、キングヘイローに捧ぐG1制覇「後押ししてくれた」 - スポニチ 2019年3月24日
- ^ “福永祐一騎手が10年連続11回目のJRA年間100勝達成/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2024年11月3日). 2024年11月3日閲覧。
- ^ “【皐月賞結果】コントレイルがサリオスとの一騎打ちを制し無敗の戴冠!福永Jはクラシック完全制覇!”. netkeiba.com (2020年4月19日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ “【皐月賞・豆知識】コントレイルの福永祐一騎手は世代限定JRAGI完全制覇”. netkeiba.com (2020年4月19日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ “【日本ダービー】コントレイル無観客ダービーV 福永完璧エスコート、感謝の馬上礼 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年3月22日閲覧。
- ^ “【菊花賞結果】コントレイルが史上3頭目の無敗3冠達成! 父ディープとの父子3冠! | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年3月11日閲覧。
- ^ “三冠ジョッキーの称号を手に入れた福永祐一 名手ルメールとの壮絶なたたき合い「まずいなとは思いましたけど…」史上4人目のクラシック通算10勝目【菊花賞】:中日スポーツ・東京中日スポーツ”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2022年3月11日閲覧。
- ^ “福永3冠騎手に・・・“天才”の父と武豊追い重ねた努力|極ウマ・プレミアム”. p.nikkansports.com. 2022年3月11日閲覧。
- ^ “福永祐一騎手、JRA通算18000回騎乗達成 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2020年11月21日閲覧。
- ^ “【シンザン記念結果】ピクシーナイトが逃げ切り、モーリス産駒重賞初V | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年1月10日閲覧。
- ^ “【シンザン記念】福永祐一騎手がJRA通算2400勝達成、史上5人目 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年1月10日閲覧。
- ^ “【天皇賞・春結果】ワールドプレミアがGI・2勝目! 福永祐一騎手は洋一元騎手との親子制覇達成 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年5月4日閲覧。
- ^ “福永祐一騎手、JRA重賞通算150勝達成 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年5月4日閲覧。
- ^ a b “【祐一独占手記】史上3人目のダービー連覇「シャフリヤールの力に助けられた」”. サンスポZBAT!競馬 (2021年5月31日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “福永祐一 JRA通算2500勝達成!武豊に次ぐ史上2番目の速さ | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年12月2日閲覧。
- ^ “【スプリンターズS結果】3歳馬ピクシーナイトが突き抜けて秋のスプリント王! | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年3月22日閲覧。
- ^ “【香港スプリント】福永は左鎖骨骨折、ピクシーナイトも左前脚骨折 | デイリースポーツ”. 2021年12月12日閲覧。
- ^ “福永祐一騎手2月復帰を目指す 香港で落馬骨折、25日に無事手術終了|極ウマ・プレミアム”. p.nikkansports.com. 2022年1月6日閲覧。
- ^ “【阪神1R・2歳未勝利】福永祐一騎手がゴッドセンドで勝利し史上4人目のJRA通算2600勝 「G1のなかでも存在感を発揮したい」”. スポーツ報知 (2022年10月16日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “福永祐一騎手が調教師試験に合格、来年2月末で引退 ダービー3勝、JRA通算2613勝の名手 - 競馬 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年12月8日閲覧。
- ^ “【福永祐一 実は○○なトリビア】実は年間100勝連続達成記録の保持者|テレ東スポーツ:テレ東”. テレ東. 2024年11月3日閲覧。
- ^ a b 元ジョッキー福永祐一氏が語る「その後の人生」。新米調教師になって変わった金銭感覚 - 日刊SPA!・2024年5月24日
- ^ “【コーラルS】福永師 武豊と夢タッグでの初陣は惜しい2着 武豊は笑顔で謝罪「どうもすいませんでした」 | 競馬ニュース”. netkeiba. 2024年4月24日閲覧。
- ^ “福永祐一調教師が福島8Rで初勝利 結果を出すことは「簡単ではないことを日々痛感」 | 競馬ニュース”. netkeiba. 2024年4月24日閲覧。
- '^ “【CBC賞】福永厩舎のドロップオブライトが人馬とも重賞初制覇!”. UMATOKU | 馬トク - スポーツ報知 (2024-08-18JST15:36:00+0900). 2024年8月18日閲覧。
- ^ “輝く同窓生たち・活躍中の同窓生たち”. 近江兄弟社学園 同窓会. 2015年1月4日閲覧。
- ^ 【生配信】祝勝会‼︎コントレイル&福永祐一ジョッキーおめでとう!【シャンプーハット恋さん・かまいたち山内さんも参加!】 - YouTube お兄ちゃんネル 2021年12月1日
- ^ 東京中日スポーツ・2008年10月2日付 18面
- ^ “福永祐一「最後まで騎手全う」やりきったジョッキー人生、今夜ラスト騎乗/連載ラストステッキ”. 日刊スポーツ (2023年2月25日). 2023年2月25日閲覧。
- ^ “櫻坂46武元唯衣、“すっぴん”で合格したオーディション秘話 競馬界との意外な繋がりも明かす”. モデルプレス (ネットネイティブ). (2023年1月4日) 2023年3月7日閲覧。
- ^ “【TV】9月29日(金)よりレギュラー番組スタート!カンテレ『菅井友香のウマのおケイコ~教えて!福永先生~』”. 菅井友香OFFICIAL WEBSITE. Seed & Flower (2023年9月28日). 2023年10月5日閲覧。
- ^ “福永祐一師が阪神競馬場で騎手引退式「最高の騎手人生でした」/一問一答”. 日刊スポーツ (2023年3月4日). 2023年9月30日閲覧。
- ^ “スポーツの今:引退競走馬を救い、人の心身を癒やす「共生」 滋賀・栗東”. 毎日新聞. 2023年10月13日閲覧。
- ^ “若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」(島田明宏)”. Number Web - ナンバー. 2024年7月3日閲覧。
- ^ “香港マイル(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “クイーンエリザベスC(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “第2回JBCスプリント(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “第54回阪神ジュベナイルF(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “第54回朝日杯FS(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “クイーンエリザベスC(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “第34回高松宮記念(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “第65回優駿牝馬(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “重賞レース一覧 2006年”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “重賞レース一覧 2007年”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “重賞レース一覧 2010年”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “重賞レース一覧 2011年”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “重賞レース一覧 2012年”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “重賞レース一覧 2013年”. 日本中央競馬会. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “ドバイデューティフリ(G1)”. netkeiba.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “重賞レース一覧 2016年”. 日本中央競馬会. 2016年3月28日閲覧。
- ^ a b c お知らせ (PDF)
- ^ “2015年度「関西テレビ放送賞」は福永 祐一騎手が受賞”. 日本中央競馬会 (2015年12月27日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ a b 田原 1997, p. 181.
- ^ a b “『あの騎乗は本気でシビれた ― 田原成貴さんとの記憶』”. netkeiba.com. 2014年7月22日閲覧。
- ^ “四位×福永”. netkeiba.com. 2015年1月13日閲覧。
- ^ 『月刊『優駿』2020年10月号』中央競馬ピーアールセンター、2020年、22頁。
- ^ “有馬記念、ダークシャドウ堀師・ムーア騎手インタビュー”. netkeiba.com. 2012年12月20日閲覧。
- ^ “【秋華賞】一夜明け、ヴィブロス陣営「祐一さんの“教える競馬”が結果に繋がった」”. netkeiba.com. 2016年10月17日閲覧。
- ^ “太論”. netkeiba.com. 2012年12月11日閲覧。
- ^ “太論”. netkeiba.com. 2016年6月14日閲覧。
- ^ 藤田 2013, pp. 75–76.
- ^ 藤田 2013, p. 76.
- ^ 藤田 2013, pp. 41–42.
- ^ “Q&A質問回答”. 藤田伸二オフィシャルサイト. 2016年4月6日閲覧。
- ^ “【回顧】第21回 秋華賞 (GI)”. 藤田伸二オフィシャルサイト. 2016年10月16日閲覧。
- ^ “G1じゃないが”. 藤田伸二オフィシャルサイト. 2016年11月6日閲覧。
- ^ “祐一がよく我慢させた”. 元騎手・坂井千明の乗り役流儀. 2013年10月21日閲覧。
- ^ “【特別対談】四位×福永”. netkeiba.com. 2015年1月6日閲覧。
- ^ “【特別対談】四位×福永”. netkeiba.com. 2015年1月13日閲覧。
- ^ “【特別対談】的場文男×福永祐一”. netkeiba.com. 2016年12月13日閲覧。
- ^ “朱鷺ステークス(OP) 結果・払戻”. netkeiba.com. 2024年3月6日閲覧。
- ^ “大勝はしたけれど”. 虎石晃コラム「トラセン日誌」. 2016年8月29日閲覧。
- ^ “なんだかんだで”. 虎石晃コラム「トラセン日誌」. 2016年10月6日閲覧。
- ^ “「祐一君の姿を無意識に…」名手への惜別の言葉”. 田原成貴に聞く“武豊が超一流な理由”と理想のジョッキー像「結局、福永洋一さんに行き着くんです」「祐一くんの引退は寂しいね…」. 2023年10月6日閲覧。
- ^ 新規開業調教師日本中央競馬会、2023年12月18日配信・閲覧
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2024年3月5日). “新規開業の福永祐一厩舎に2022年NHKマイルC優勝ダノンスコーピオン 引退調教師の管理馬が転厩”. サンスポZBAT!. 2024年3月5日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 福永祐一 | 競馬騎手の公式サイト | ホリプロ
- YU-ICHI ROOM 福永祐一騎手(公式)サイト - netkeiba.com -
- 福永祐一 (@yuichi_fukunaga) - X(旧Twitter) - 2011年1月2日より開始。
- Thanks Horse Project(サンクスホースプロジェクト)