渡嘉敷勝男

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渡嘉敷 勝男
基本情報
本名 渡嘉敷 勝男
通称 ヤンバルクイナ、トカちゃん
階級 ジュニアフライ級
身長 157cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1960-07-27) 1960年7月27日(59歳)
出身地 沖縄県コザ市(現・沖縄市[1]
兵庫県宝塚市
スタイル ディフェンディングタイプ
プロボクシング戦績
総試合数 25
K0 4
引き分け 2
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とかしき かつお
渡嘉敷 勝男
本名 渡嘉敷 勝男(とかしき かつお)[2]
生年月日 (1960-07-27) 1960年7月27日(59歳)
出生地 沖縄県コザ市(現・沖縄市[1]
兵庫県宝塚市
国籍 日本の旗 日本
身長 157cm
ジャンル バラエティ
活動期間 1985年 -
活動内容 タレント
事務所 太田プロダクション
主な作品
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城
平成教育委員会
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渡嘉敷 勝男(とかしき かつお、男性、1960年7月27日 - )は、日本の元プロボクサータレント沖縄県コザ市(現・沖縄市)出身[1]兵庫県宝塚市育ち。

WBA世界ライトフライ級王者。現役時代は協栄ボクシングジムに所属。

経歴・人物[編集]

  • 沖縄県コザ市(現・沖縄市)生まれだが、親の仕事の関係で幼少時代に兵庫県宝塚市に住居を移転したため、宝塚で高校までを過ごした。
  • 浪速工業高等学校中退。
  • 現役時代の代名詞は“ヤンバルクイナ”。タレント転向後は「トカちゃん」という愛称の方が知られている。

来歴[編集]

プロデビュー前[編集]

幼少のころからやんちゃ坊主で、高校時代は喧嘩に明け暮れる不良少年であった[要出典]

1977年1月30日、テレビでWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ具志堅用高ハイメ・リオスパナマ)を観たことがきっかけでボクシングを始めようと思い立つ。

浪速工業高校中退後、単身で上京し、プロボクサーになるべく協栄ボクシングジムに入門。

プロデビュー後[編集]

  • 1978年12月28日、プロデビュー[3]
  • 1980年2月21日、全日本ライトフライ級新人王獲得。
  • 1981年12月16日、世界初挑戦。金煥珍韓国)を15回判定に降し、WBA世界ライトフライ級王座獲得[1]。同王座は具志堅が3月に14度目の防衛戦で敗れ、手放していたもので、渡嘉敷にとっては9か月前の先輩の無念を晴らす形となった。
  • 同王座はルペ・マデラメキシコ、2度)、伊波政春(日本)、金成南(韓国)、金煥珍相手に5度の防衛に成功するが[1]1983年7月10日、6度目の防衛戦でルペ・マデラに4回負傷判定(当時はTKOと記録された)で敗れ、王座から陥落した[1]。10月23日にマデラと再戦するが、15回判定負けで王座返り咲きならず[1]
  • 1984年8月18日、敵地でWBC世界ライトフライ級王者張正九(韓国)に挑戦するが、9回TKOに敗れ、王座返り咲きならず[1]。結局、この試合を最後に現役を引退。

引退後[編集]

エピソード[編集]

  • 沖縄県生まれであるが、生後間もなく兵庫県宝塚市に転居している。世間的には渡嘉敷を沖縄出身ボクサーとすることに異論はないが、本人は意外と真面目なため「自分は沖縄ボクサーのグループで呼ばれてもいいのだろうか?」と考えていた。引退後、偶然沖縄出身の世界チャンピオンたちが一堂に会するパーティーがあり、壇上で写真撮影をする際に入ろうかどうしようかと考えていたところ先輩達に「早くあがって来い」と叱られて、やっと自分も沖縄グループでよいのだと納得できたという。
  • プロボクサーになったきっかけは具志堅用高を倒すためだったが、入門した協栄ジムにはその具志堅がいた。同一ジムに所属する選手との対戦は原則として行われない[注釈 1]ため「打倒・具志堅」の目的は果たせなかったものの、入門後は具志堅や彼の対戦相手のスパーリングパートナーを積極的に務めた。これが後に渡嘉敷が世界王者となるきっかけにつながったと評価するファンも多い。なお、具志堅との初のスパーでは鼻骨を折られ、その夜は発熱するなど散々だったが、「こいつ根性あるよ。これからスパーリングパートナーに使おうよ」と、トレーナーに進言する具志堅の声を背中で聞きながら「逆だよ。これからお前(具志堅)が俺のパートナーじゃ。使うたるわい」と、心中で呟いていたという。奇しくも具志堅は2010年に渡嘉敷と同じ太田プロダクションに所属することとなり、渡嘉敷は太田プロでは先輩となった。
  • 協栄ジムの金平正紀初代会長は、「具志堅が“カンムリワシ”ならば、渡嘉敷は“ヤンバルクイナ”にしよう」と、渡嘉敷勝男の代名詞(キャッチフレーズ)としてヤンバルクイナと命名した。
  • 以前に住んでいたマンションに松本人志も住んでおり、駐車場で渡嘉敷のバイクと松本の車が、あわや衝突事故という状況になり、興奮した二人が喧嘩寸前の状態になったことがあるという。松本によれば、渡嘉敷がフルフェイスのヘルメットをかぶっていたため、相手が渡嘉敷だと気付くのが遅れ、気付いた時には、お互いエキサイトしていたので、もう引き下がれない状態だったという。渡嘉敷は、そのような事実はなく、「お笑い芸人のネタ」と一笑に付している(http://www.asagei.com/excerpt/76058)
  • 現役時代に東芝EMIより『男泣き乾杯』というシングル盤レコードを出している。

主な出演番組[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティー番組[編集]

映画[編集]

レコード[編集]

  • 男泣き乾杯(1984年、東芝EMI、TP-17541)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 但し、1993年6月5日後楽園ホールで日本ミニマム級王座決定戦として角海老宝石ボクシングジム所属の江口九州男vs江口勝昭による同門・兄弟対決が行われた例がある。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  2. ^ 太田プロの公式プロフィールページより
  3. ^ BoxRecによる戦績

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
金煥珍
WBA世界ライトフライ級王者

1981年12月16日 - 1983年7月10日

次王者
ルペ・マデラ