小牧太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
小牧太
Futoshi-Komaki20111029.jpg
2011年スワンS表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県曽於郡有明町
(現・志布志市
生年月日 (1967-09-07) 1967年9月7日(50歳)
身長 160cm
体重 52kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 フリー
勝負服 緑胴、赤山形一本輪、そで赤(兵庫)
初免許年 1985年(兵庫)・2004年 (JRA)
免許区分 平地[1]
経歴
所属 曾和直榮(西脇園田
→フリー(JRA)
テンプレートを表示

小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は日本中央競馬会 (JRA) の騎手2004年兵庫県競馬組合から移籍。弟は兵庫県競馬組合所属調教師小牧毅。息子の小牧加矢太馬術競技の選手。

来歴[編集]

兵庫所属時代[編集]

地元鹿児島で競馬とは無縁の環境で育ち、進学先の高校も決まっていたが、乗り役を捜していた近所の牧場が小牧に声を掛けたことから話は進展し、1985年兵庫県競馬組合の曾和直榮厩舎の所属騎手としてデビューとなる[2]

初騎乗は1985年10月30日姫路競馬第1競走(タカラヒリユウ)で初勝利は同年11月3日姫路競馬第8競走(ビンゴトモエ)[2]。厩舎の主戦に田中道夫がいたことや、厩舎の西脇から園田への移転で伸び悩む時期もあった[2]が、1989年摂津盃での優勝を機に盛り返しを見せ、これ以降曾和厩舎の主戦騎手として、楠賞全日本アラブ優駿3勝など数々の重賞を制覇した。1992年には181勝をあげ、田中道夫をおさえ初めて兵庫リーディングジョッキーとなる[2][3]。兵庫県でのリーディング獲得は9年連続を含む10回を数え、1994年1996年には地方競馬の全国リーディングを獲得している。

アラブ時代は縁がなかった三冠制覇はサラブレッド導入2年目にロードバクシンで達成している。

中央競馬での活躍、移籍[編集]

中央競馬での初勝利は1993年ワールドスーパージョッキーズシリーズ参戦時。その後、兵庫県競馬にもサラブレッドが導入されたことから指定交流競走を通じて中央競馬での騎乗も増え、移籍前に重賞を2勝している。このころから橋口弘次郎厩舎の所属馬に騎乗する機会が増えた。

2001年2002年に中央競馬で20勝以上を挙げ、JRAの騎手試験の一次試験の筆記試験(国語・数学・競馬法規)が免除され二次試験(技能試験と面接)から受験できる資格を得た。2003年の同試験に合格し、2004年にJRAへ移籍。兵庫県競馬組合所属としての最後の勝利は、特別に「フェアウェルステージ」と改称されたレースで同じくJRAへ移籍する赤木高太郎をマッチレースの末、クビ差抑えてのものだった。中央移籍までの地方競馬通算勝利は3376勝。

JRA移籍後[編集]

移籍後の初騎乗は2004年3月6日、初勝利は翌3月7日

ダイタクバートラムでは同じようなミスを犯し、しかもミルコ・デムーロに乗り代わった途端に圧勝されるなど与えられたチャンスを生かせなかった。騎乗機会の多かった橋口厩舎の馬でも上村洋行ペールギュントなど)や藤岡佑介ローゼンクロイツなど)に委ねられるケースが増えた時期もあった。ただ、2009年にはローズキングダムでの朝日杯フューチュリティステークス勝利をはじめ橋口厩舎所属馬で重賞を4勝するなど、重要な場面での起用が増えている。

それでも移籍4年間で重賞を9勝(地方込み)、2006年2月26日の阪神第2競走で中央競馬通算200勝、2007年10月7日に中央競馬通算300勝を達成している。2007年2月34日には小倉大賞典シルクロードステークスと2日間で重賞2勝するという偉業を達成している。

園田時代の勝負服
園田時代の勝負服
緑色ベースの貸し勝負服を着用中の小牧
緑色ベースの貸し勝負服を着用中の小牧

2008年4月13日桜花賞をレジネッタで制し、JRA移籍5年目にして初のGI勝利を達成した。同年のスプリングステークスをスマイルジャックで制するなど同年のクラシック世代で活躍していることから、桜花賞実況の馬場鉄志関西テレビアナウンサー)をして「今年は小牧の年か!」と評するなどとこの年は注目されていた。なお、桜花賞以後もレジネッタを優駿牝馬で単勝5番人気3着、東京優駿ではスマイルジャックを12番人気で2着に好走させ、それぞれのレースで3連単44万馬券、20万馬券となるのに一役買うなど、2008年の3歳春クラシックを盛り上げたジョッキーのひとりである。また、夏にはカノヤザクラでアイビスサマーダッシュセントウルステークスを制してサマージョッキーズシリーズに優勝、JRA移籍後初となるワールドスーパージョッキーズシリーズへも参戦した。

2009年7月19日アイビスサマーダッシュをカノヤザクラで制し、人馬ともに史上初となる、アイビスサマーダッシュ連覇を記録した。

なおJRA所属となってからも兵庫への参戦は活発で、2004年に条件レベルの交流戦を中心に地方全体で10勝を挙げ、兵庫での重賞成績は4戦2勝2着2回。三冠の園田ダービー菊水賞では兵庫所属のホクセツガーデンに騎乗している。

エピソード[編集]

泣き虫ジョッキー[編集]

感激屋で、涙もろいことで知られている。JRA初勝利となったワールドスーパージョッキーズシリーズで表彰台に上がった際に涙を見せ、JRA移籍直前の園田競馬場の壮行会でも涙で挨拶にならなかった(最初に一言しゃべりかけたものの涙で詰まり、そのまま1分以上泣きじゃくり、「JRAに行っても応援してください!」と言うのがやっとであった)。念願の初GI制覇となった桜花賞の勝利ジョッキーインタビューでは、「ファンの皆さんにやっとGIを勝てました、お待たせしましたと言いたい」とコメントし、ここでも涙を見せた。弟の毅が重賞初制覇した際に、本人の分も泣いたほどである。

家族[編集]

息子の加矢太も騎手を志していたが、JRAの競馬学校騎手課程試験に落ちた。身長が高く、骨の成長度の検査で将来的に176cmくらいになると診断結果が出たため落ちたという[4]。その後京都の高校に進学し、東京五輪を目指し馬術競技に転向。2013年に全日本ジュニア障害馬術大会で優勝、2014年には長崎がんばらんば国体少年の部で標準障害飛越と二段階障害飛越の2種目で優勝するなど馬術競技で活躍している。

長女は自身のバレットを務めている[5]。2015年にJRA通算800勝を達成した際には娘が記念のプラカードを持った[6]

主な騎乗馬[編集]

騎乗成績[編集]

  • 中央競馬
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1993年3月6日 2回中山3日6R 4歳新馬 ナトルーンフラワー 14頭 2 8着
初勝利 1993年12月4日 5回阪神1日8R 4歳上500万下 ダイゴストロング 9頭 1 1着
重賞初騎乗 1999年9月5日 2回小倉8日11R 小倉3歳ステークス ブイイオン 13頭 8 9着
重賞初勝利 2001年3月11日 1回阪神6日11R フィリーズレビュー ローズバド 14頭 6 1着
GI初騎乗 2001年4月29日 3回京都4日11R 天皇賞(春) イブキガバメント 12頭 12 7着
GI初勝利 2008年4月13日 2回阪神6日11R 桜花賞 レジネッタ 17頭 12 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2002年 21 26 25 333 .063 .141 .216
2003年 23 16 18 275 .084 .142 .207
2004年 44 45 55 616 .071 .144 .234
2005年 76 64 62 781 .097 .179 .259
2006年 63 71 67 795 .079 .169 .253
2007年 56 60 70 752 .074 .154 .247
2008年 68 68 65 748 .091 .182 .269
2009年 75 68 68 815 .092 .175 .259
2010年 58 52 47 666 .087 .165 .236
2011年 69 58 52 702 .098 .181 .255
2012年 60 53 55 627 .096 .180 .268
2013年 45 41 45 628 .072 .137 .209
2014年 62 63 56 681 .091 .184 .266
通算 749 726 719 8845 .085 .167 .248

テレビ出演[編集]

著書[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 平成28年度 騎手免許試験合格者 (PDF)”. 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「スペシャルインタビュー 地方競馬ナンバーワン小牧太」(インタビュー・構成 松元ヒロシ)『競馬騎手読本』宝島社、1997年、70-75頁
  3. ^ 『優駿』1993年3月号、日本中央競馬会、57頁
  4. ^ 残念なことに…
  5. ^ 【新春企画】小牧親子対談!誰も知らない“小牧太”が明らかに”. netkeiba.com. 2017年1月15日閲覧。
  6. ^ 競馬ラボ
  7. ^ 2015年レース結果 - netkeiba.com  2015年6月1日閲覧
  8. ^ 2015年レース結果 - netkeiba.com  2015年6月1日閲覧

外部リンク[編集]