ミルコ・デムーロ

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ミルコ・デムーロ
Mirco-Demuro.jpg
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 イタリアの旗 イタリアローマ
生年月日 1979年1月11日(36歳)
身長 158cm
体重 52kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 フリー
初免許年 1994年イタリアの旗 イタリア
免許区分 平地
経歴
所属 栗東・フリー(2015.3 - )
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ミルコ・デムーロMirco Demuro1979年1月11日 - )は、イタリア生まれの日本中央競馬会 (JRA) 所属の騎手。2015年3月1日よりJRA所属騎手として騎乗しており、それ以前は短期免許制度を利用して来日して騎乗していた。香港における名前の中文表記は「杜滿萊」。

妹のパメラ・デムーロは元騎手で後に調教師に転身。弟のクリスチャン・デムーロもイタリアの騎手[1]であり、2011年から短期免許で来日し、2011年は船橋を拠点に地方競馬である南関東競馬で、2012年以降は中央競馬で騎乗している。

来歴[編集]

1994年に騎手免許を取得し、1995年にイタリアの見習騎手リーディングに輝く。1997年から2000年までは4年連続でイタリアのリーディングジョッキーとなる。

日本には1999年に初来日。騎乗センスは非常に評判が良く日本の関係者の信頼も厚い。2001年2月3日小倉競馬場では1日5勝を記録。これは外国人騎手としてJRA初のことである[2]。翌日の2月4日には小倉大賞典に勝ち、重賞初制覇を達成した。

2003年4月20日皐月賞ネオユニヴァースで制し日本のGI初制覇。喜びのあまりにゴール後2着のサクラプレジデント騎乗の田中勝春の頭を叩くシーンもあった。続く6月1日東京優駿(日本ダービー)でもネオユニヴァースに騎乗し外国人騎手としては初となる東京優駿制覇を達成、1番人気に応えて快勝したネオユニヴァースを祝福する大観衆を目にして「イタリアのダービー(デルビーイタリアーノ)を5回勝つよりも、日本のダービーを1度勝つ方が嬉しい」と感激の涙を流した。

二冠を達成し、三冠達成の期待がかけられたネオユニヴァースであったが、当時の日本の短期免許制度では三冠目の菊花賞にはミルコは騎乗できない状態となっていた。これは日本の短期免許では年間3ヶ月しか騎乗できず、ミルコは春だけで3ヶ月分を使い果たしていたためである。しかしこの事態を受けてJRAが新しく「同一馬で1年間にGIを2勝以上すれば、その馬が同年にGIに参戦する際に騎乗を認める」という規定を設けたため、ミルコは菊花賞に騎乗することが可能となった。だが菊花賞では3着に敗れ、三冠達成はならなかった。

2004年4月18日、皐月賞をダイワメジャーで勝利し、外国人騎手初の連覇を達成する。

2007年11月24日京都競馬場で、外国人騎手としての最多タイとなる1日5勝を再び記録。12月2日中日新聞杯ではサンライズマックスに騎乗して勝利したが、決勝線手前で飛行機ポーズを披露し制裁を受ける珍事を起こした。

2008年11月29日より短期免許を取得したが、その翌日11月30日ジャパンカップではスクリーンヒーローに騎乗し同レース初制覇を飾る。なおこの時もゴール後のウイニングランで飛行機ポーズを披露していた。

2012年天皇賞(秋)で優勝後、本馬場において下馬し、天皇・皇后陛下に対して最敬礼をするデムーロ

2009年12月28日より翌2010年1月27日までNARで短期免許を取得した。この時は船橋の川島正行厩舎に所属した。なおミルコはこれより以前にも2度NARの短期免許を取得していた[3]

2011年3月26日、ネオユニヴァースの子のヴィクトワールピサドバイワールドカップを優勝。ドバイワールドカップ初騎乗初勝利を果たすと共に、日本馬にとっての同レース初勝利をもたらした。日本・イタリア以外では初のビッグタイトルと言え、ミルコ自身も「ジャパンカップもイタリアダービーも勝っているけど、これがベストレース」と語った[4]

2012年3月18日阪神競馬第10・11競走と、4月7日の阪神競馬第2競走から第11競走にかけて、JRAタイ記録となる騎乗機会9連続連対を達成した[5][6]10月28日、天覧競馬として行われた天皇賞(秋)エイシンフラッシュで優勝。ウイニングランを終えた直後、メインスタンド前の馬場で下馬し、天皇皇后両陛下に対し跪座の形で最敬礼を行った[7][8]。なお、この最敬礼は後検量前の下馬ということで審議対象[9]となったが、不問となった[10]

2013年10月には、日本での通年騎乗を目指してJRAの騎手免許試験を受験、外国人騎手によるJRAの騎手試験受験第1号となった[11]。しかし結果は不合格だった[12]。この免許試験にはオーストラリアで活躍している藤井勘一郎も受験したがやはり不合格となっている。

2014年1月より、香港ジョッキークラブの所属騎手として騎乗する事になり[13]、香港に渡った。1月11日より騎乗開始し、3戦目のレースで14頭中12番人気の馬で所属騎手としての初勝利を挙げ、単勝式で380香港ドルという大穴を提供した。また1月19日には、「董事盃」(HKG1)を4番人気の「將男(Blazing Speed)」で勝利し、香港重賞初制覇を飾った。

2015年1月、JRAの騎手免許試験を再度受験し今回は合格した[14]。これにより同時に合格したクリストフ・ルメールと共に外国人として初めてJRAの通年免許を取得した[15]。同年3月1日より、JRA通年免許の騎手として騎乗を開始した(このとき、ルメールは騎乗停止のため同時デビューとはならなかった)。当日は早速に阪急杯を勝利し、初日でいきなりの重賞制覇を飾った(後にルメールも騎乗停止明けで実質のデビュー週となった同年4月5日に大阪杯を勝利、いきなりの重賞制覇となっている)。

エピソード[編集]

  • イタリアでテントウムシは「幸運を運んでくる虫」とされていることもあり、テントウムシを自らのラッキーアイテムにしている。同じイタリア生まれの騎手マルコ・モンテリーゾは「彼は色々なものにテントウムシのステッカーを貼っているんだ」と語っている。
  • 上記の2003年の皐月賞で勝った時に田中の頭を叩いたことについて、馬鹿にしているのではないかと言う声もあったため、その後、悪意やからかう意図はなかったと説明。田中も「ノープロブレム」と言い、2人の間にしこりはないと言う。
  • 日本の騎手の中では特に松田大作と仲が良い。2010年10月から松田がイタリアに長期遠征する際にも住居探しなど様々な協力を行っている[16]
  • サッカー好きとしても知られており、インタビューでも語ることがある。2010年末には、サッカー日本代表監督であるアルベルト・ザッケローニと友人になったと明かした。

主な勝ち鞍[編集]

イタリア[編集]

日本[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 【JC】デムーロ、今回はチャンス薄い!?(競馬) - スポニチ Sponichi Annex ニュース 2010年11月26日閲覧
  2. ^ 「競馬ニホン」の中央競馬情報サービス 2010年10月31日閲覧
  3. ^ ミルコ・デムーロ騎手に短期騎手免許を交付 - 地方競馬全国協会公式サイト
  4. ^ 【ドバイWC】ヴィクト世界一!日本に勇気(2/2ページ) - 競馬 - SANSPO.COM 2011年3月28日閲覧
  5. ^ ミルコ・デムーロ騎手、JRAタイ記録の9連続連対 | News | 競馬実況web | ラジオNIKKEI 2012年4月7日閲覧
  6. ^ なお、3月24日から4月1日までは、開催日4日間の騎乗停止処分を受けていた[1]
  7. ^ 閃光復活エイシンフラッシュ! 殊勲ミルコ、両陛下に最敬礼=天皇賞・秋 - スポーツナビ 2015年1月2日閲覧
  8. ^ 天皇皇后両陛下へ最敬礼するM.デムーロ騎手
  9. ^ 日本中央競馬会競馬施行規程第8章第106条3、第120条 - JRAホームページ JRA関連法令等
  10. ^ レース後跪いて両陛下に最敬礼 ミルコ・デムーロ「日本人より日本人らしい」 - J-CASTニュース 2012年11月2日閲覧
  11. ^ デムーロがJRA騎手免許1次試験を受験 - 日刊スポーツ・2013年10月2日
  12. ^ ミルコ・デムーロ、騎手免許一次試験不合格に - サンケイスポーツ・2013年10月17日
  13. ^ 免許期間は、2014年1月11日から2014年3月5日まで。
  14. ^ 2015年度 調教師・騎手免許試験合格者 - 日本中央競馬会・2015年2月5日
  15. ^ M・デムーロ、ルメールが合格 外国人初、JRA騎手免許試験 - スポニチアネックス・2015年2月5日
  16. ^ 東京スポーツ 2010年10月3日付

外部リンク[編集]