夜も一生けんめい。

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夜も一生けんめい。
ジャンル 音楽バラエティ番組
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本テレビ
演出 菅原正豊ハウフルス
プロデューサー 小杉善信(日本テレビ)
村松宏(ハウフルス)
出演者 逸見政孝
徳光和夫
美川憲一
田中律子
杉本彩
設楽りさ子
梨花
ビジーフォー・スペシャル
グッチ裕三モト冬樹など)
岩本恭生
小田敏文
音声 ステレオ放送
夜も一生けんめい。
放送時間 土曜日 23:00 - 23:30(30分)
放送期間 1990年4月7日 - 1994年3月26日
夜もヒッパレ一生けんめい
放送時間 土曜日 22:00 - 22:54(54分)
放送期間 1994年4月16日 - 1995年3月18日
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夜も一生けんめい。』(よるもいっしょうけんめい。)とは日本テレビ系列で1990年4月7日から1995年3月18日まで土曜23:00 - 23:30(JST)に放送された音楽バラエティ番組である。

概要[編集]

毎回1組のゲストを招き、出演者とのトークと音楽ライブで構成される。

オープニングはレギュラー陣の前フリとゲスト紹介に始まり、ゲストが登場と共に1曲歌う。美川憲一の「いらっしゃ〜い」(ゲストが外国人の場合、その国の言語になる場合もある。また、桂三枝(現:六代桂文枝)がゲストだった回では三枝の物真似だった)でトークが始まり、土曜深夜に合った落ち着いたトークが進む。CMの後、ゲストと逸見政孝をはじめとするレギュラー全員のライブとなる。この番組で逸見の“どこか憎めない”音痴が全国的に知られるようになった。

このライブで毎回繰り広げられた歌の奪い合いやこの番組の持つオシャレなテイストは、同番組の期末期首特番『芸能人ザッツ宴会テイメント』や『THE夜もヒッパレ』に引き継がれた。この番組に登場していた“見たい・聴きたい・歌いタイ!”の鯛のオブジェは『THE夜もヒッパレ』にも登場している(こちらは『夜も一生けんめい。』の鯛のオブジェとは別物で、銀色である。)。また、エンディングでは岩本恭生による次週ゲストのものまねが披露されていた。

ゲストはコネがないと出演できないことがほとんどだった。出演した谷村新司は「出るのに難しいものがあった」と番組でコメントしている。

1993年9月、がんの治療のため入院した逸見が出演休止。がん克服・復帰を想定し、その代役として徳光和夫が司会を担当。しかし、復帰の願いもむなしく12月25日に逸見が死去。これに伴い徳光が正式に2代目司会者を務めることになる。同日は生放送の追悼特別番組に差し替えられた。この日は、クリスマス関連の内容とこの日をもって解散となっていたDORAのラストライブが行われる予定だったが、年明け最初の放送である1月8日にテロップを入れたうえで改めて放送された[1][2]

レギュラー出演者[編集]

メイン司会
ご意見番
アシスタント
  • 初代:田中律子 1990年4月 - 9月
  • 2代目:杉本彩 1990年10月 - 1992年9月
  • 3代目:設楽りさ子(現:三浦りさ子) 1992年10月 - 1993年7月
  • 4代目:梨花 1993年8月 - 1995年3月
演奏担当等

夜もヒッパレ一生けんめい[編集]

1994年4月16日から土曜22:00 - 22:54の枠で『夜もヒッパレ一生けんめい』というタイトルのもとリニューアルされ、前半後半の2部制となる。前半30分を新番組「夜もヒッパレ」、後半30分を従来の「夜も一生けんめい」という形式で放送していたが、1995年3月18日で5年間の歴史にピリオドを打つ。『夜もヒッパレ』については下記を参照。

番組終了から13年を経た2008年4月6日、特番形式の『ザッツ宴会テイメント』が復活することが決定した。

夜もヒッパレ[編集]

上述の通り、1994年4月からリニューアルした『夜もヒッパレ一生けんめい』の前半部番組としてスタート。毎週邦楽トップ10内の楽曲を出演者がカラオケ形式で歌っていくのが主な内容で、順位はCD売上・カラオケ・有線放送・番組へのはがきリクエストから集計していた。メイン司会には三宅裕司、アシスタントを赤坂泰彦マルシアがそれぞれ担当。ゲスト出演者は人気タレント、アイドル、お笑い芸人から大御所歌手まで幅広く出演し番組を盛り上げた。

芸能人によるカラオケというコンセプトが人気を呼び、1995年4月15日より『THE夜もヒッパレ』として1時間の単体番組がスタート。なお、ライブコーナーは『夜も一生けんめい。』のコンセプトを踏襲している。

その他[編集]

  • 番組初期は後半に逸見と中村あずさが共演するミニドラマコーナーもあった。
  • 当時テレビ朝日系列とのクロスネットだった青森放送山形放送では番組開始当初は土曜日22:00 - 23:55に「土曜ワイド劇場」を遅れ放送していた関係で「夜も〜」は遅れ放送(両局とも1日遅れの日曜日23:00)だったが、日本テレビ系列フルネット局となってから(青森放送は1991年10月、山形放送は1993年4月)最終回まで同時ネットでの放送だった。
  • 一方秋田放送では1992年4月放送開始(1時間遅れの土曜日24:00でそれ以前は未ネット。半年後の10月より同時ネット)[3]
  • また南海放送1995年4月1日eat開局までは『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送製作、テレビ朝日系)を土曜日23:00から遅れ放送していた関係で「夜も〜」は月曜日24:55からの遅れ放送であった。
  • 逆に「夜も一生けんめい。」から「夜もヒッパレ一生けんめい」に移行すると同時に、遅れ放送若しくは打ち切りになった地域もある(福井放送高知放送など)。これは、土曜日22:00台が当時マストバイセールス扱いで、非マストバイ局では他系列の番組へ差し替えられることを前提にした編成となっていたためである。
  • 「夜も一生けんめい'S」としてシングル『ナイスチョット』をリリースした。内容は黒田アーサー長保有紀のカバーで、逸見と杉本のデュエットソング。結果的にこれが逸見政孝の最後のシングルとなった。
  • 番組スポンサーはパイオニアの1社提供。後期は同社を筆頭とした複数社提供だった。22時台移動後も同様。

脚注[編集]

  1. ^ 『福島民報』1993年12月25日付朝刊、20面、テレビ欄。
  2. ^ 『福島民報』1994年01月08日付朝刊、24面、テレビ欄。
  3. ^ 但し、1992年10月11日に放送の2時間SP『芸能人ザッツ宴会テイメント・秋場所』は、90分の短縮版で放送。
日本テレビ系 土曜日夜の音楽番組
前番組 番組名 次番組
夜も一生けんめい。

夜もヒッパレ一生けんめい
日本テレビ系列 土曜23時台前半枠(1990年4月 - 1994年3月)
【当番組途中までパイオニア一社提供枠】
夜も一生けんめい。