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藤田和弘

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ふじた かずひろ
藤田 和弘
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京府
(現・東京都
生年月日 (1934-08-08) 1934年8月8日(90歳)
最終学歴 立教大学経済学部
職歴 TBSアナウンサー
活動期間 1959年 - 1994年
ジャンル スポーツ中継
担当番組・活動
出演経歴 東洋チャンピオンスカウト

藤田 和弘(ふじた かずひろ、1934年8月8日[1] - )は、日本のアナウンサー

東京府(現在の東京都)出身[2]立教大学経済学部卒業[3]

略歴

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1959年4月TBSにアナウンサー6期生として入社(同期には池田孝一郎石井智川野昌宏里見恭夫新堀俊明土屋統督料治直矢相場君子今井登茂子加藤かな子加藤珪子土井誉子蛭田玲子[4][5]。主にスポーツ中継(野球、ボクシング)[6]、情報番組[7][6]を担当。1963年11月1日、報道局運動部兼ニュース部アナウンサーに[8]

1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴い報道局運動部兼アナウンサー研修室付に[9]1970年7月、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部[6]

スポーツアナウンサー時代には主にボクシング中継を担当、輪島功一(元世界ジュニアミドル級王者[注 1])の初防衛戦となったドメニコ・チベリア戦(1972年5月7日、福岡スポーツセンター)など世界タイトル戦の実況も経験している[10]

1972年11月、テレビ本部テレビ営業部CM部に異動しアナウンス職を離れる[6]1974年2月、テレビ本部報道局朝ワイド制作部に異動し情報番組を担当[6]。その後、第二制作局文化情報部(1984年6月)、編成局番組宣伝部(1985年6月)、事業総局事業局番組販売部(1991年5月)、報道局報道センター(1992年8月)に在籍[6]

1994年8月、TBSを定年退職[7][6]

出演番組

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 輪島は当時、日本人選手として唯一の世界ボクシング協会(WBA)世界ボクシング評議会(WBC)の統一チャンピオンであった。

出典

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  1. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、97頁。「生年月日 1934年8月8日」 と記述。
  2. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、97頁。「出身地 東京」 と記述。
  3. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、97頁。「出身校 立教大学経済学部」 と記述。
  4. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236-237頁。「1959.4<6期生> 14人入社(男8・女6) 池田孝一郎 石井 智 川野昌宏 里見恭夫 新堀俊明 土屋統督 藤田和弘 料治直矢 相場君子 今井登茂子 加藤かな子 加藤珪子 土井誉子 蛭田玲子」 
  5. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、11-12頁。「59.4 <6期生>14人入社 応募2000人 池田孝一郎 石井 智 川野 昌宏 里見 恭夫 新堀 俊明 土屋 統督 藤田 和弘 料治 直矢 相場 君子 今井登茂子 加藤かな子 加藤 珪子 土井 誉子 蛭田 玲子」 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、12頁。「藤田 和弘…[63.11 報道局運動部兼ニュース部][67.11 報道局運動部兼アナウンサー研修室付][70.7R本部アナウンス室兼TV本部報道局運動部][72.11 TV本部TV営業部CM部][74.2TV本部報道局朝ワイド制作部][84.6 第二制作局文化情報部][85.6 編成局番組宣伝部][91.5 事業総局事業局番組販売部][92.8 報道局報道センター] 『スポーツ、情報番組』 R「朝のブラス(61)」「シネマサロン(63)」「ハローナイト(86)」 TV「チャンピオンスカウト」「モーニングジャンボ奥さま8時半です(74.4〜84.5)」「チェック&チェック(79)」「ニュースコール おはよう藤田です(92)」」 
  7. ^ a b c d e f 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「藤田和弘[1994.8定年]『スポーツ中継(野球、ボクシング)、情報番組』 R「朝のブラス(1961)」「シネマサロン(1963)」「ハローナイト(1986)」 TV「チャンピオンスカウト」「ニュースコール おはよう藤田です(1992)」」 
  8. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、16頁。「1963年11月1日 『報道局への大量異動』 ◇運動部兼ニュース部へ異動 渡辺謙太郎、吉川久夫、岡部 達、池田孝一郎、石井 智、藤田和弘、山田二郎、新村尚久」 
  9. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。「1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <報道局運動部勤務兼アナウンサー研修室付> 岡部 達、池田孝一郎、石井 智、藤田和弘、山田二郎、新村尚久、石川 顕、平原晋太郎」 
  10. ^ 藤田和弘 (2012年1月15日). “「後遺症があったら誰が責任を取ってくれるんだ」~東京五輪ボクシングのゴールドメダリスト桜井孝雄~”. 私の中の一期一会 №18 [雑木林の四季]. 知の木々舎. 2022年8月30日閲覧。
  11. ^ TBS社内のストライキに伴う代打。緑山スタジオからの中継。

参考文献

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  • 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。 
  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。