佐々木正洋 (1954年生)
ささき まさひろ 佐々木 正洋 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 出身地 |
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| 生年月日 | 1954年7月17日(64歳) |
| 血液型 | B型 |
| 最終学歴 |
福岡県立小倉高等学校 慶應義塾大学法学部 |
| 職歴 |
テレビ朝日アナウンス部 (1977年 - 2012年) |
| 活動期間 | 1977年 - |
| ジャンル | 報道・情報・スポーツ系 |
| 公式サイト | プロフィール |
| 出演番組・活動 | |
| 過去 |
「ワールドプロレスリング」 「邦子がタッチ」 「ワイド!スクランブル」(夕刊キャッチUP) 「サンデースクランブル」 |
備考 所属事務所「株式会社ICH」 | |
佐々木 正洋(ささき まさひろ、1954年7月17日 - )とは、日本のフリーアナウンサー、タレント。元テレビ朝日アナウンサー。左利き。所属事務所は株式会社ICH。
来歴・人物[編集]
福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校、慶應義塾大学法学部卒業後の1977年、テレビ朝日(当時:全国朝日放送)にアナウンサーとして入社した。慶應義塾大学では落語研究会の部長として活躍。妻は元フジテレビアナウンサーの古賀万紀子。元NHKアナウンサーの宮本隆治とは中学校から大学まで出身校が全て同じであり、佐々木は宮本の4期後輩である。また、「3年B組金八先生」乾友彦役を務めた俳優の森田順平は高校の同級生である。
ニュース・ワイドショー・スポーツ番組と一通り実況とリポートをこなすが、1990年、新日本プロレスの東京ドーム大会の際、『ワールドプロレスリング』の選手控え室リポートにおいて、試合前のアントニオ猪木(当時、参議院議員)に対し、「もし負けるということがあると、これは『勝負は時の運』という言葉で済まないことになりますが」と質問したため、激怒した猪木に「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と強烈な張り手を受けて、「出てけ! コラ!」と追い出された。今でこそ、猪木の張り手・ビンタは活を入れてもらうための儀式として素人が求めることも多いが、公の場でこれを受けた素人は佐々木が初めてである。翌日、病院で検査したところ重度のムチウチと診断され、入院する羽目になった。
1996年から2012年まで『ワイド!スクランブル』の新聞記事紹介コーナー『夕刊キャッチUP』を担当。タイトルコールのナレーションで「佐々木正洋の~」と冠されるようになる(休暇等で別のアナウンサーが担当する場合、名前はカットされた上でタイトルコールが読み上げられていた)。
2012年3月5日に、同月31日にテレビ朝日を退職したうえで、浅井企画所属のフリーアナウンサーへ転身することが発表された[1]。フリーアナウンサーへ転身後は、九州朝日放送(地元・福岡県にあるテレビ朝日系列局)の紀行番組『前川清の笑顔まんてんタビ好キ』などへ出演のかたわら、東海大学のアナウンサー講座で講師を務めている。
2018年5月に、株式会社ICH所属へ転身した。
フリー転進後の活動[編集]
テレビ[編集]
- 前川清の笑顔まんてんタビ好キ(九州朝日放送,2012年5月~2013年3月まで)
ラジオ[編集]
- サポートウェルス!~NIPPONを裕福に~(TBSラジオ、2016年10月~)
CM[編集]
- キューサイコラリッチ通販MC
テレビ朝日時代の出演番組[編集]
- 輝け!第13回日本歌謡大賞 (進行)
- アフタヌーンショー(芸能中心のリポーター)
- スーパーJチャンネル(初期の天気コーナーにおけるCGキャラクター「源さん」の声および演技、世紀末事件簿、1999年8月28日、29日蟹瀬誠一のリリーフ)
- こんにちは2時
- ワールドプロレスリング(実況)
- 夢のビッグスタジオ
- ナイトライン
- 邦子がタッチ
- 仮面ライダークウガ(司会者役)
- 気分はシャッフル
- 徳光&史朗の暴走おやじアナ(ナレーション)
- サンデースクランブル(司会)
- ベスト30歌謡曲
- TVいま時あの時
- スポーツ宝島
- 発汗!シェイプUP
- ザ・テレビ演芸(ナレーション)
- ワイド!スクランブル(「夕刊キャッチUP」月~金曜 担当)
- 大都会事件の最前線
同期入社[編集]
- 古舘伊知郎(現在、フリーアナウンサー)
- 吉澤一彦(現在、フリーアナウンサー)
- 渡辺宜嗣(現在、テレビ朝日専属キャスター)
- 宮嶋泰子(現在、テレビ朝日スポーツコメンテーター)
- 南美希子(現在、フリーアナウンサー他美容ライター等としても活動)
- 戸谷光照(現在、フリーアナウンサー)
- 中里雅子(現在、フリーアナウンサー)
- 伊福保子(現在、フリーアナウンサー)
補足[編集]
- 佐々木が入社した1977年は、1980年のモスクワオリンピック独占放送権を得た同社がオリンピックに向けた人材養成を見越して、アナウンサーが大量採用された年である。
脚注[編集]
- ^ テレ朝・佐々木アナ退社 欽ちゃん事務所へ Archived 2012年3月5日, at the Wayback Machine. デイリースポーツ 2012年3月5日閲覧