高橋英夫 (競馬)

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高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 2013年8月9日[1])は、日本の元騎手中山競馬倶楽部日本競馬会国営競馬日本中央競馬会)、元調教師(日本中央競馬会)。義父の鈴木信太郎は元調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)息子の高橋祥泰調教師(日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道上川郡屈足村(現・新得町)出身。

来歴[編集]

実家は農家で農耕の繁殖も手掛けていたため、幼少期から馬に親しんで育った。

1935年に上京して中山競馬場函館孫作に入門。翌1937年春に騎手免許を取得し、同年秋に初騎乗を経験した。太平洋戦争中は徴兵されて室蘭に配属され、終戦後競馬界に復帰。当時函館孫作が調教師を引退していたため、はじめは東京競馬場藤本冨良厩舎に、次いで中山競馬場の鈴木信太郎厩舎に所属した。1950年代に騎手として全盛期を迎え、1955年1956年リーディングジョッキーを獲得した。

1968年2月に騎手を引退し、同年3月に調教師免許を取得し中山競馬場に厩舎を開業した。1995年2月に定年により調教師を引退した。騎手時代調教師時代ともに500勝以上を挙げたのは中央競馬史上初の記録である。

2014年1月4日、サンケイスポーツが報じたところによると、前年の8月9日に逝去していたことが明らかとなった[1]

成績[編集]

騎手成績[編集]

通算5890戦936勝、重賞24勝(資料が存在するもののみ)

主な勝ち鞍[編集]

調教師成績[編集]

通算4261戦520勝

主な勝ち鞍[編集]

受賞[編集]

主な厩舎所属者[編集]

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

  • 栄森己喜男(1973年-1976年、1979年-1980年 騎手)
  • 高橋祥泰(1975年-1983年 調教助手)
  • 宗像義忠(1980年-1992年 調教助手)
  • 久保田貴士(1993年-1995年 調教助手)

エピソード[編集]

騎手としての最晩年に鈴木信太郎の息子鈴木清に弟子入りした岡部幸雄を親身に指導し、岡部は最も尊敬するホースマンとして常に高橋の名を挙げた。
1983年には岡部が騎乗したダイナカールで優駿牝馬を優勝した。
岡部の師匠にあたる人物のほとんどが既に鬼籍に入っていることもあり、2005年3月20日に中山競馬場で行われた岡部の引退セレモニーには師匠格として出席、花束を贈るとともに長年の活躍に対するねぎらいの言葉を掛けた。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]