ハリガネロック

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ハリガネロック
HARIGANE ROCK
メンバー ユウキロック
大上邦博
結成年 1995年
解散年 2014年
事務所 吉本興業
活動時期 1995年 - 2014年
出身 NSC大阪校11期
出会い NSC
旧コンビ名 松口VS小林(ユウキ)
あっぱれ団(大上)
現在の活動状況 解散(ユウキはピン、大上はMCタレントとして活動)
芸種 漫才
ネタ作成者 両者
過去の代表番組 熱唱オンエアバトル
家計診断 おすすめ悠々ライフ
同期 中川家
ケンドーコバヤシ
陣内智則など
公式サイト 大上の公式ブログ
受賞歴
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ハリガネロックは、吉本興業に所属していた日本の元漫才コンビ。共にNSC大阪校11期生。爆笑オンエアバトル第4代目チャンピオン。1995年4月結成。2014年2月25日に解散を発表(後述)。

メンバー[編集]

  • ユウキロック(本名(旧姓):松口 祐樹(まつぐち ゆうき)、 (1972-04-16) 1972年4月16日(48歳) - )
大阪府池田市出身。生誕地は高知県 血液型B型。身長176cm。2001年までは本名で活動していた。
目が離れていることから、漫才の冒頭で「眼ぇ離れてましたー」と言うのが定番であった。
かつてはケンドーコバヤシとのコンビ「松口VS小林」として活動。ツッコミ担当。1995年解散。
解散後は構成作家や松竹芸能タレントスクール等養成所の講師を務める。
パンクという名前のを飼っている。
倹約家である。
中学校時代は生徒会長をしていた。
高校時代は中華料理屋でアルバイトをしていた。
ポテトチップスを作ったことがある。
家電に詳しく、アメトーークの企画にも出演している。好きなメーカーはアイリスオーヤマ
2019年4月16日に12年間交際していた一般女性と入籍。1年以上が経過した2020年8月、自身のYouTubeチャンネルでこれが婿入りであり、松口は旧姓になったことを明らかにした[1]
石川県が好きでそのも石川県出身である。
  • 大上 邦博(おおうえ くにひろ、 (1973-08-07) 1973年8月7日(47歳) - )
奈良県葛城市出身。血液型AB型。身長186cm。
かつては高校の同級生である堂土貴(現ルート33)とのコンビ「あっぱれ団」として活動。
キン肉マン仮面ライダー[2]、戦隊もの好きで、仮面ライダー好き芸人仲間とトークライブを行った。
2016年2月20日の舞台を最後に、芸人を引退[3]
引退後は大阪府東大阪市でご当地アイドル(Le Siana/Culumiなど)などのプロデュースを行うSAKURA entertainmentに所属し、「おおうえくにひろ」名義でMCタレントとしてイベント出演などを行っている。
横浜DeNAベイスターズのファンである。
2003年に結婚したが、2019年6月に離婚をしていた。

エピソード[編集]

芸風[編集]

  • 漫才を中心に活動を行っており、悪役ぶるユウキのボケと柔和な大上のツッコミが特徴(後述のようにユウキがツッコミを、大上がボケを担当していた時期もある)。漫才では主に「ぼやき漫才」が多く、ネタ作りは二人で行っているが、ボケを細かく作っているのはユウキ[4]
    • 結成当初は過激な内容を含む漫才をする事が多く、そのせいかM-1グランプリの第1回大会(2001年)で決勝進出を果たした際のコンビのキャッチフレーズも「武闘派」であった。その代表的な例として、生放送であるM-1(第1回大会)の最終決戦で行った漫才の中でユウキが「薬物を打つジェスチャー」をやった事などが挙げられる[5]。この出番直後、2人はネタの内容を当時吉本の常務であった人物に注意されてしまったという。その後、徐々にコンプライアンスが厳しくなっていった時代の流れと共にスタイルも変えざるを得なくなり、その後は「ぼやき漫才」から「漫才コント」へとシフトするようになっていったとユウキは自身の著書で語っている[6][7]
  • ネタの最後には大上は普通に礼をし、ユウキが「THANK YOU!!」と叫んで終わるスタイルも特徴的であった。2001年の第1回M-1グランプリ決勝では、この締めの一言を言った際にこの日一番の歓声が上がっていた。
  • 一時期、ユウキと大上がネタ中にある一つの事にぼやき一緒にツッコむ「ユニゾンツッコミ」を披露しており、ハリガネロックの代名詞の一つとも言われていたが、ユウキの「漫才の中身で勝負したい」という思いから次第にやらなくなっていった[8]
  • コンビ名に「ロック」が付いている所以から、2003年にはロックの聖地である渋谷公会堂で史上初の漫才ライブを開催している。この時、お笑いのライブとしては珍しく、花火や紙テープバズーカなどの特殊効果が使われていた[9]

コンビ名の由来[編集]

  • コンビ名の由来は、「ロック」の部分はユウキ自身が音楽のジャンルである「ロック」に憧れを抱いていた事から付けられた。一方で「ハリガネ」の部分は、「HOUND DOG」のヴォーカルである大友康平が学生の頃、地元にいた伝説の不良「針金くん」からきている事をユウキが自身の著書で明かしている。ユウキ曰く、大友のこの話を聞いた後、「強い人」=「針金くん」というイメージが付いてしまい、その後「ロック」は強くなければならないという理由からこの2つの部分がくっつき「ハリガネロック」となったという。しかし、ユウキ自身「この由来を誰が理解してくれるのか」という思いがあり、解散まで「ハリガネ」の部分の本当の意味は周囲はおろか相方の大上にも伝えなかったという(「ロック」の意味は伝えていた)[10]。この為、表向きの由来は、大上がハリガネのように痩せていて、ユウキがロック好きなことから[11]となる事が多かった。なお、「ハリガネロック」以外のコンビ名の候補として、「カメライフ」「ろくでなしBLUES」「アングラ」などがあった事も明かされている[12]

爆笑オンエアバトル[編集]

  • 「爆笑オンエアバトル」には1999年の放送開始当初から出演しており、2001年度には4代目チャンピオン(後述)に輝くなど活躍を見せた。
  • 初挑戦は1999年7月24日放送回。この時ユウキ・大上共々、本番前からかなり緊張しており、ネタ中も終始足元がおぼつかず動きすらままならなかったという。その結果初オンエアは果たしたものの、この事が影響したのか353KB[13]でギリギリの(11組中)6位通過であった。ユウキはこの結果に帰りの大阪に向かう新幹線の車中で落胆したという[14]。その後、2回目の挑戦となった1999年10月2日放送回では初のオーバー500(521KB)[15]で1位通過を達成し、初挑戦時のリベンジを果たしていた。その後も安定したKBで勝利を重ね、番組の常連として活躍していった。
  • 2001年11月3日放送回(広島収録)ではパーフェクト達成まであとボール1個に迫る541KB[16]を記録した。仮にこの時545KBを記録していれば、ますだおかだ以来となる番組史上2組目のパーフェクト達成コンビとなっていた。その為、ユウキはネタのオンエア前に流れる勝者コメントで「入れてへんやつ、顔覚えたからな!」「家行ったる!」などと(冗談半分だとは思うが)かなり憤っていた[17][18]
  • チャンピオン大会には過去3回出場している。2000年度の第3回チャンピオン大会で初出場を果たし、ファイナルへと進出するも、2人揃って漫才中にネタを忘れてしまうという失態を演じてしまい、結果は11組中10位に終わった。[19]翌年の2001年度の第4回チャンピオン大会ではファイナルで974KB[20]を獲得して4代目チャンピオンに輝いた。2位のダイノジ(874KB)に100KBの差をつけての優勝であった。また、番組史上初の2連覇を果たし、それまでチャンピオンの座を防衛していたルート33の堂土[21]は元相方(大上)と同期(ユウキ)にその座を明け渡す形となってしまった。この回はハリガネロックを含め漫才を披露した芸人が3組[22]しかいない(他の芸人は全てコントなどを行っていた)という極めて珍しい回であった。その後、第5回チャンピオン大会ファイナルにもシードとして出場するが、714KBで6位と振るわずチャンピオン防衛は果たせなかった。この回で新たに5代目チャンピオンとなったのはコントを得意とするアンジャッシュ(850KB)であった。
  • チャンピオンに輝いた2001年度は年間合計キロバトルでも1位を記録(年間合計1988KB・一回平均497KB)している。年間合計1位とチャンピオンの両方を達成した芸人は歴代でもハリガネロックとタカアンドトシ(2004年度)の2組のみである。
  • 2003年度を以って番組を卒業し、最終的には14戦全勝という記録を残しているが、主に番組で活躍した芸人に与えられるゴールドバトラーには獲得条件を満たしておらず認定されていない(上述にもあるようにチャンピオンにはなったためプラチナバトラーには認定されている)。全戦全勝を果たしているチャンピオンの中でゴールドバトラーに認定されていないのはハリガネロックとNON STYLEの2組のみである。
  • 「爆笑オンエアバトル」卒業後は、2004年4月から2006年3月まで「熱唱オンエアバトル」[23]の司会を担当した。元々番組開始前の2003年8月と12月に放送された「サマーソングバトル」「ウインターソングバトル」でも司会を担当しており、そこから継続して行う形となった。
  • ユウキは自身の漫才師人生にとって、1番の青春が爆笑オンエアバトルでの戦いだったと著書内で語っている。更に当時から同番組での活躍もあり、ハリガネロックの漫才は芸人受けという面では劣るが、客票には強く、大衆性に重きを置いている(ピープルズチャンピオンとも)と自認していたという[24]。この思いが後述のM-1における一般審査員枠廃止への苦言へと繋がっていく事となる。

M-1グランプリ[編集]

  • M-1グランプリには過去4回(2001・2002・2003・2005)出場し、2回決勝に進出(2001・2002)している。

第1回大会(2001年)[編集]

  • ハリガネロックはM-1以前から、当時関西で数々の漫才の賞を受賞しており、実力派として名を馳せていた為、ユウキ自身「まあ出たら決勝は行くんやろな」と高を括っていたという[25]。その言葉通り、準決勝も難なく勝ち抜き着実に決勝進出を果たす。ユウキはNSC在学中から実力が飛びぬけていた同期・中川家を強くライバル視しており、大会ではどちらかと言えば「優勝」というよりも「中川家と決着をつけたい」という思いの方が強かったという[26]
  • 1回戦ではネタ順が10番目で最後という緊張感の中、特別審査員・567点、一般審査員・242点、総合809点という記録を残し、暫定2位であったアメリカザリガニを倒して2位に食い込み最終決戦進出を果たす。最終決戦では因縁の相手である中川家(暫定1位・総合829点)との一騎打ちとなった。しかし結果は6対1で中川家が優勝となり、ハリガネロックは準優勝に終わる。ユウキは著書でこの時の最終決戦が、「中川家」の背中に触れた、最初で最後の瞬間だったと語っている[27]
  • 表彰式後、審査員の松本人志からクリスマスプレゼントにチョコレートが入ったサンタの小型ブーツをプレゼント[28]されたが、ユウキはそれを暫く食べる事が出来ず長い間冷蔵庫に保管していた。初めて口にしたのは、第2回大会終了後の事だったという[29]
  • この年ではプロ(芸人)の特別審査員枠の他にも吉本興業の各劇場(札幌大阪福岡)に一般審査員枠が設けられていたが、一部出場コンビに対しての得点が著しく低く(詳細はM-1グランプリの審査方法の変遷の項も参照の事)、公平性に欠けると言われたため第2回大会以降は廃止されている。しかし、以前から客票の審査に自信を持っていたユウキは自身の著書にて、「ヨシモトの劇場以外の場所で試す事もせずに。」「芸人は誰に向けてお笑いを発信しているのか?」「この不公平という風潮と廃止という決定は、点数を取った俺たちをも否定されたように感じた。」などとかなりの苦言を呈していた[30]。事実、ハリガネロックは一般審査員枠の得点のみに限定すれば中川家を抜いて総合1位を記録しているが、仮に特別審査員枠の得点のみの場合だと総合4位となっており、最終決戦進出は果たせていなかった[31]
  • 1回戦の結果発表の際、司会の赤坂泰彦に「アメリカンロック」と間違えられ、爆笑が巻き起こるというハプニングが起きてしまった。
  • 翌年から決勝大会は決勝進出者8組+敗者復活戦勝者1組で行う形式となった為、ハリガネロックは2016年大会まで[32]唯一M-1の決勝1回戦で10番目にネタを披露したコンビとなっていた。

第2回大会(2002年)[編集]

  • 2年連続で決勝進出を果たすも、昨年とはまた違ったテイストの漫才(昨年の形式に加え、「相方をいじる」部分を付け加えた)を披露した結果、審査員には響かずまさかの総合5位という成績に終わる。この漫才の出来にCM中、舞台裏に来た島田紳助に激しく酷評されてしまったという[33]。この年の決勝1回戦のネタ順は昨年優勝した中川家と同じトップバッターであった。結果的にハリガネロックはこの年が最後のM-1決勝進出となってしまう。

第3回大会(2003年)以降[編集]

  • 第3回大会は準決勝敗退に終わり、第4回大会は出場すらしなかった。そしてラストイヤーとなった第5回大会(2005年)には再び出場を決意。この年を逃がすと2度と出場する事は叶わないと思ったユウキは優勝を狙い、今大会ではボケとツッコミを入れ替える(ユウキがツッコミ、大上がボケ)という最後の賭けに出る(大上に漫才衣装にオーバーオールを着用させてアホッぽさを強調させる、ネタは漫才コントを採用する、などかなり徹底していた)。しかし、結果はなんと3回戦敗退に終わってしまう。その後、追加合格として準決勝に進むも、ユウキはこれを主催者側の「配慮」だと思わずにはいられなかったという。準決勝では原点に帰って、従来のスタイルに戻して漫才を行うも敗退。敗者復活戦でも勝ち上がる事は出来ず、ラストイヤーに決勝進出を果たす事は出来なかった[34]
  • ユウキは自身の著書にて、第5回大会(2005年)で優勝したブラックマヨネーズが見せた漫才こそ、自分が目指した理想の漫才だったと語っている。この漫才を見てユウキは10年間のハリガネロックとしての取り組みが全て間違いだったのではという思いに駆られたという[35]

解散[編集]

  • 2008年のMBS新世代漫才アワード出場後、ユウキと大上の2人それぞれの思惑から完全にすれ違いが生じ[36]、以降2人で仕事は行うものの、単独ライブはやらない、新ネタも作らないなど長きに渡って「ハリガネロック」としての動きは完全に停止する状態が続いた[37]。ユウキはこの間、自身の芸歴20年を終える2013年3月31日に「ハリガネロック」を解散しようと思っていたという(この事は周囲には勿論、相方の大上にも伝えていなかった)[38]。その後大上からの呼びかけにより[39]、M-1終了後に新たに始まった漫才の大会「THE MANZAI 2011」に出場を決意し再び漫才に対して本腰を入れるが、結果は2回戦敗退に終わり認定漫才師50組に選ばれる事は無かった。それから2年後の「THE MANZAI 2013」に、ユウキは相方の大上に「解散の意思がある」という事、「漫才だけにはちゃんとけじめをつけて辞めたい」「『THE MANZAI』で決勝に行けなければ解散しよう」という思いを事前に伝えた上で再び参戦を決意する[40]。このようにお互い万感の思いを持って挑んだ「THE MANZAI 2013」であったが、大苦戦(ユウキは著書で「ハリガネロック」を結成して、一番といっても過言では無いほどスベッたと明かしている。[41])し最終的に2011と同じく2回戦敗退に終わった。こうして2人は「ハリガネロック」としての本格的な戦いに幕を閉じる事となった。
  • その後、2014年2月25日、同年3月22日に解散することを発表した[42]。M-1グランプリの決勝(及び最終決戦)進出経験、爆笑オンエアバトルのチャンピオン経験があるコンビが解散を正式に発表するのは史上初の出来事であった[43]。解散後、ユウキは構成作家・ライター・養成所の講師として活動、大上は芸人としては引退し、地元・奈良を拠点にタレント活動を継続している。

受賞歴[編集]

出演[編集]

現在[編集]

テレビ
ラジオ
  • とんでもフライデー!!(ならどっとFM)大上のみ
インターネット配信
  • the K.O.show - 大上のみ

過去[編集]

テレビ
ユウキロックがMCを務めていた女芸人育成番組。梅小鉢イー☆リャンらが出演していた。
ラジオ
CM

関連商品[編集]

書籍[編集]

  • 爆笑オンエアバトル(NHK「爆笑オンエアバトル」番組制作グループ)
  • 爆笑オンエアバトル2(NHK「爆笑オンエアバトル」番組制作グループ)
  • 爆笑オンエアバトル3(NHK「爆笑オンエアバトル」番組制作グループ)
  • B面-baseよしもとOFFICIAL BOOK(Pia mooks)
  • ユウキロックの節約革命(2010年11月、竹書房)
  • 芸人迷子(2016年12月8日、扶桑社[45]

ビデオ[編集]

  • ベタっと、吉本若手マニュアル 1(ハピネット・ピクチャーズ)
  • 心斎橋2丁目劇場 Final-Wachacha 大爆発 featuring 2丁拳銃・シャンプーハット(ビクターエンタテインメント)
  • baseよしもと2000 大図鑑(ビクターエンタテインメント)
  • baseよしもと2001 大図鑑(ビクターエンタテインメント)
  • ハリガネロック・チュートリアル・ランディーズ in ZAIMAN(バップ)
  • M-1グランプリ2001完全版〜そして伝説は始まった〜(R&C JAPAN)
  • M-1グランプリ2002完全版〜その激闘のすべて・伝説の敗者復活戦完全収録〜(R&C JAPAN)
  • ハリガネロック in 渋公爆発ロック(R&C JAPAN)
  • 浪商のヤマモトじゃ! 喧嘩野球編・大阪総番長編(ジーピー・ミュージアム)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ ユウキロックのエンタメウェビナー 【マル秘話あり】「ユウキロック自己紹介」から考える成長戦略&緊急告知
  2. ^ 『ハリガネロック大上さんと、仮面ライダー(電王、W、フォーゼ、ウィザード)について語ってみた。』
  3. ^ 元ハリガネロック・大上邦博、芸人引退を発表”. ORICON STYLE (2016年2月16日). 2016年2月16日閲覧。
  4. ^ 『お笑いポポロ 2003年2月号』 麻布台出版社、2003年、15-18頁。
  5. ^ この部分は後に発売されたDVDには収録されずカットされている。また、この他にも著作権の都合上カットされている部分が数ヶ所存在する。
  6. ^ ユウキ 2016, pp. 127-128.
  7. ^ この他にもユウキは自身の著書で「自分たちがデビュー当時に行っていた漫才は今の時代では殆ど出来ない。」とも語っている。
  8. ^ ユウキ 2016, p. 128.
  9. ^ 『お笑いTYPHOON! JAPAN Vol.3』 エンターブレイン、2003年、26-29頁。
  10. ^ ユウキ 2016, pp. 158-159.
  11. ^ 2002年5月放送のNHK「爆笑オンエアバトル」にて発言。
  12. ^ ユウキ 2016, pp. 157-158.
  13. ^ 自己最低KBでのオンエア。
  14. ^ ユウキ 2016, pp. 83-84.
  15. ^ 当時の番組最高記録である。
  16. ^ このKBはハリガネロックを含めますだおかだアンタッチャブルプラスマイナスの4組(システムを引き継いだ後継番組のオンバト+も含めるとジグザグジギーを入れた5組)しか達成していない。また、オンバト+終了後に放送され、ユウキロックも挑戦者の選定に関わった一夜限りの復活スペシャルでは空気階段も達成しているが、この時の審査員は一般視聴者ではなくオンエアバトルに出場経験がある芸人100人であった。
  17. ^ 因みにユウキはこの回まで本名で挑戦しており、次回から改名している。
  18. ^ オンバトサポーター - ハリガネロック
  19. ^ この年のサマースペシャルでいつもここからのネタである「悲しいとき」を他の芸人達がやるというコーナーがあり、ユウキはそこでこの事をネタにしていた。
  20. ^ 今大会からチャンピオン大会の一般審査員が200人制となる。
  21. ^ ユウキ・大上らと共に大阪NSC11期生出身。なお、相方のマスダは13期生出身で3人の2期後輩となる。
  22. ^ ハリガネロックの他に漫才を披露したのは、シードで出場したルート33を除けばホーム・チームしかいなかった。なお、この年のチャンピオン大会セミファイナルAブロックで漫才を披露したのはハリガネロックのみである。
  23. ^ 2004年4月から2005年3月までは「オンエアバトル熱唱編」として、「オンエアバトル爆笑編」と隔週で交互に放送されていた。その後、2005年4月から2006年3月まで「熱唱オンエアバトル」と1つの番組として独立した。
  24. ^ ユウキ 2016, p. 85.
  25. ^ ユウキ 2016, p. 26.
  26. ^ ユウキ 2016, pp. 27-28.
  27. ^ ユウキ 2016, p. 29.
  28. ^ ごっつ』のコント「香川さん」のパロディ
  29. ^ ユウキ 2016, pp. 195-197.
  30. ^ ユウキ 2016, pp. 42-43.
  31. ^ 仮に一般審査員枠の得点が排除されていた場合、特別審査員枠から575点を獲得したますだおかだが最終決戦進出を果たしていた(1位は596点を記録した中川家で順位変動なし)。
  32. ^ 2017年度から決勝大会では決勝進出者9組+敗者復活戦勝者1組で行う形式に変更された。因みに2017年大会にて決勝1回戦で10番目にネタを披露したコンビはジャルジャルである。
  33. ^ ユウキ 2016, pp. 30-31.
  34. ^ ユウキ 2016, pp. 31-34.
  35. ^ ユウキ 2016, pp. 11-12.
  36. ^ ユウキ 2016, p. 44, 92.
  37. ^ ユウキ 2016, pp. 44-46.
  38. ^ ユウキ 2016, p. 111.
  39. ^ ユウキ 2016, pp. 90-91.
  40. ^ ユウキ 2016, p. 113.
  41. ^ ユウキ 2016, pp. 147-148.
  42. ^ ご報告 - 大上邦博のおーうえにっき - Yahoo!ブログ
  43. ^ 同じく第1回のM-1グランプリの決勝出場経験者かつ爆笑オンエアバトル初代チャンピオンであるDonDokoDonも吉本の公式HPにコンビとしての記載がないなど事実上解散状態ではあるが、山口智充の意向で正式な解散発表をしていない。
  44. ^ 翌年の第6回大会では、2次予選で600点満点中504点で14位であり、決勝トーナメントには進出できなかった。
  45. ^ “ハリガネロック解散までの自叙伝、ユウキロック「芸人迷子」帯にはピース又吉”. お笑いナタリー. (2016年12月6日). http://natalie.mu/owarai/news/212165 2016年12月7日閲覧。 

参考文献[編集]

  • ユウキロック 『芸人迷子』 扶桑社、2016年。 

外部リンク[編集]