岸惠子

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きし けいこ
岸 惠子
岸 惠子
1957年
生年月日 1932年8月11日(84歳)
出生地 日本の旗 日本神奈川県横浜市
職業 女優文筆家
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1951年 -
配偶者 なし(離婚歴あり)
主な作品
テレビドラマ
赤い疑惑
沿線地図
こころ
映画
君の名は
女の園
ここに泉あり
早春
おとうと
黒い十人の女
怪談
男はつらいよ 私の寅さん
悪魔の手毬唄
細雪
たそがれ清兵衛

岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 - )は、女優文筆家岸恵子の表記もある。身長161cm。体重47kg。舞プロモーション所属。

来歴[編集]

神奈川県横浜市神奈川区生まれ。1945年5月の横浜大空襲で被災。高校在学中に小牧バレエ団に通う。神奈川県立横浜平沼高等学校卒業。

もともとは作家志望で川端康成を耽読した。高校時代に観た『美女と野獣』に魅せられ、映画に興味を持ち、田中敦子(小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎にスカウトされ[1]、断ったが後に「本物の女学生が欲しいと頼まれて1本だけの約束で、1951年に大学入学までという条件で松竹に入社し、映画『我が家は楽し』でデビューするがヒットしてそのまま女優になった。

1952年には『坊ちゃん重役』で鶴田浩二佐田啓二の相手役を務める。5月、松竹の看板スターであった鶴田が、戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立。第1作として、新東宝配給『弥太郎笠』の制作にあたり、鶴田の相手役のヒロインとして岸にオファーを出すが、松竹は拒否したため岸は辞表を出す。結局松竹が折れて、岸は映画に出演。続いて、新生プロの『ハワイの夜』でも鶴田と共演しヒットとなる。この頃、鶴田との恋愛関係が報道されたが、松竹に強引に別れさせられた。

1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作が大ヒット。主人公・氏家真知子のストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んでマネる女性が出るほどだった(ちなみに北海道での撮影の合間に、現地のあまりの寒さに横浜で購入して持参していた私物のストールで耳や頭をくるんだ岸のアドリブである)。以降、「松竹の看板女優」として絶大な人気を誇った。一方、1954年には有馬稲子久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立した。

1956年フランス・日本合作映画『忘れえぬ慕情』に出演。1957年、『忘れえぬ慕情』の撮影がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚[2]。挙式はフランスで、川端康成が立会人となった。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と言われた。この頃に、ジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワールアンドレ・マルロージャン・コクトーらと親交を持つ。また1963年には1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ (Delphine Ciampi) を出産した。しかし1975年、イヴ・シャンピと離婚[3]。娘の親権は岸が持った。

数多くの巨匠名匠の作品に主演を続けてきたが、とりわけ市川崑監督とのコンビは40年に及ぶ。日本の映画女優が通常大きな役につきにくくなる40代後半から60代後半にかけても市川作品にはしばしば主演や準主演で招かれ、女優人生後期の大きな成果をともにした。市川の葬儀においては、「細雪」出演に際し市川から直接パリに電話があり、山本富士子の代役であること、「あんたはミスキャストもいいところ」だが「仕方なしにお願いする」とポンポン毒舌を吐かれながら即答で引き受けたエピソードを披瀝、強い信頼で結ばれた関係を覗かせた。

1996年国連人口基金親善大使に任命された。

2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の8位になった。2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優7位となっている[4]

2013年3月、自らの恋愛経験を基にオマージュした熟年男女の恋愛小説『わりなき恋』を発表。

2014年、小説『わりなき恋』を原作とした一人舞台『わりなき恋』に主演。脚本も自ら書いた。

人物[編集]

  • 1957年、25歳のとき、フランス人の映画監督で医師でもある11歳年上のイヴ・シャンピと結婚し、パリへ移住した。当時はまだ日本人が海外旅行をすることが出来ない時代であり、フランスへ移住する日本人は非常に珍しかった。
  • 夫・イヴの母は世界的なバイオリニストだった。その影響で、「女性は手を大事にしなければならない」という理由で、夫から料理をするのを禁じられてしまった。その結果、ノイローゼになってしまった。しかし、この頃にフランス語をマスターした。
  • 1973年、41歳のとき離婚した。娘は11歳だった。以後、独身を貫いている。
  • 一人娘のデルフィーヌはパリ在住のオーストラリア人の作曲家と結婚して別居した。
  • 自宅はセーヌ川の中州にあるパリ発祥の地、パリの高級住宅街として有名なサン・ルイ島にある。築400年の家で一人暮らしをしている。
  • 男の子の孫が2人いて、娘や孫たちとときどき会っている。
  • 最新小説を執筆中である。
  • 「やりたいことはたくさんある。やりたいことがなくなったら死んだほうがいい」と述べている。

主な出演[編集]

日本映画[編集]

太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

外国映画[編集]

テレビドラマ[編集]

情報番組[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

受章・受賞歴[編集]

著書[編集]

  • 『巴里の空はあかね雲』(新潮社 1983年 のち新潮文庫文芸大賞エッセイ賞
    • 自らが朗読したカセットブックも発売された。録音後、「さすがに、自分のことを読むのは恥ずかしかったわ」と語っている
  • 『砂の界(くに)へ』(文藝春秋 1986年 のち文春文庫・朝日文庫)イラン、アフリカ紀行 
  • ベラルーシの林檎』(朝日新聞社 1993年 のち朝日文芸文庫)日本エッセイストクラブ賞
    • 表紙のデザインは娘のデルフィーヌが担当した
  • 『30年の物語』(講談社 1999年 のち講談社文庫)自伝
  • 『風が見ていた』(新潮社 2003年 のち新潮文庫)小説
  • 『私の人生ア・ラ・カルト』(講談社 2005年)
  • 『私のパリ 私のフランス』(講談社 2005年)
  • 『わりなき恋』(幻冬舎 2013年)小説

共著[編集]

翻訳[編集]

  • スージー・モルゲンステルヌ、セルジュ・ブロック「パリのおばあさんの物語」(千倉書房 2008年) 

関連書籍[編集]

  • 「水野晴郎と銀幕の花々」(水野晴郎著、近代文芸社) - 水野による岸を含む女優達のインタビュー集
  • 「麗しの銀幕スタア」(秋山庄太郎著、小学館
  • 「人は大切なことも忘れてしまうから 松竹大船撮影所物語」(山田太一・斉藤正夫・田中康義・宮川昭司・吉田剛・渡辺浩/編著、マガジンハウス) - 岸を含む松竹ゆかりの人たちへのインタビュー集
  • 「別冊太陽 監督 市川崑」(平凡社
  • 「小津安二郎新発見 松竹編」(講談社ISBN 4-06-206681-5
  • 「日本映画スチール集 大映女優篇 昭和10・20年代」(石割平・円尾敏郎/著、ワイズ出版
  • 「香港・日本映画交流史 アジア映画ネットワークのルーツを探る」(邱淑婷/著、東京大学出版会)
  • 「『銀幕の名花』20世紀のビッグスタア3 平凡特別編集」(マガジンハウスISBN 4-8387-1210-3
  • 「父・鶴田浩二」(カーロン愛弓/著、新潮社

その他[編集]

  • 遠縁に前田美波里がいる(前田美波里の母のいとこが岸恵子の母方のいとこの妻の弟)[16]。また、冨士眞奈美も遠縁にあたる(冨士眞奈美の母方の叔母の夫が岸恵子の母方のいとこの妻の弟)[16]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『週刊AERA1994年10月10日号 P.55
  2. ^ 『歩いて行く二人』によれば、『忘れえぬ慕情』のヒットでどこへ行っても「ノリコ!」と呼ばれるのが嫌だったし、シャンピとも英語で話していたので一日8時間くらいフランス語の勉強をしたという。下層の人々からも学んでいて首相官邸に招かれた時にそのまま使って夫を赤面させたという。
  3. ^ 『歩いて行く二人』では仕事をしすぎて不在が多かったことが原因だという。
  4. ^ オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). 2016年9月23日閲覧。
  5. ^ 共演はダニエル・ダリュージャン・マレーゲルト・フレーベ 。撮影監督はアンリ・アルカン。撮影は全て日本で行われ、ダリュー、マレー、フレーベ、アルカンらも来日。日本公開の翌1957年2月6日、パリで公開。同年2月13日、フランス全国33都市で公開。ほか、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスでも公開。製作費は当時の4億8千万円。
  6. ^ 第14回カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞
  7. ^ 『歩いて行く二人』の中で一番好きだった役は『おとうと』のげんだったと語っている。
  8. ^ スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜
  9. ^ 共演はマリオ・アドルフ
  10. ^ カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞、第38回米国アカデミー賞外国語映画賞本選ノミネート作品
  11. ^ 共演はアラン・キュニーAlain Cuny
  12. ^ 第76回米国アカデミー賞外国語映画賞本選ノミネート作品
  13. ^ Du rififi à Tokyo
  14. ^ 太陽が目にしみる
  15. ^ 日仏合作ドラマ 真夜中の太陽 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
  16. ^ a b 『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。

外部リンク[編集]