赤坂お笑いD・O・J・O

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赤坂お笑いD・O・J・O
ジャンル バラエティ番組
放送方式 録音
放送期間 1994年10月 - 2003年3月
放送時間 毎月第4日曜日深夜
放送局 TBSラジオ
パーソナリティ 浦口直樹向井政生、他若手芸人毎月数名
公式サイト 赤坂お笑いD・O・J・O 公式サイト
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赤坂お笑いD・O・J・O(あかさかおわらいどうじょう)は、主にTBSホール1994年から2003年まで行われたお笑いイベント。その模様はラジオ番組として毎月第4日曜日深夜に放送されていた。

概要[編集]

1994年より、当時のTBSアナウンサーであった浦口直樹の企画・主催で月1回行われ、主にお笑いD・O・J・O参加権をかけ一定数の観客の手が上がる前にネタを3回完走するゴングショー形式の道場破りと、段数が近い芸人同士が対決形式でネタを披露。投票形式で勝てば一段昇格し、10回勝てれば免許皆伝となる赤坂お笑いD・O・J・O、司会とゲストによるトークコーナーが中心。

当時の関東お笑いシーンはM-1グランプリに代表される全国区のお笑い賞レースが皆無であり、「キャブラー」「ボキャブラ世代」と呼ばれた『タモリのSUPERボキャブラ天国』や『GAHAHAキング』『オールナイトフジR(リターンズ)』等でしかネタを披露する場が無かった。当イベントはそんな芸人達の数少ないネタ見せの場として企画されたが、実力のある芸人の多くは勝ち抜いていくうちにテレビの冠番組やメインMCの仕事が来てイベントに参加できなくなってしまい、免許皆伝を達成した3組も前述のボキャブラ世代の芸人達とほぼ同時期にデビューしたもののその波に上手く乗れず燻り続けたゆえに達成できた結果である。

イベントの模様は録音され、放送休止中の日曜深夜(月曜未明)に放送された。イベントは約1年ほどの休止期間を経て延べ8年近くの間に計84回行われたが、TBSホールの閉鎖・取り壊しが決定した事により2003年に終了した。

司会[編集]

免許皆伝達成者[編集]

初代[編集]

二代目[編集]

三代目[編集]

有段者[編集]

九段[編集]

八段[編集]

※番組終了時には不在。

七段[編集]

六段[編集]

五段[編集]

四段[編集]

三段[編集]

二段[編集]

初段[編集]

段位不明・その他の主な入門者[編集]

他、多数の芸人が出演。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 当時はコンビ。
  2. ^ かつて山根大嗣(だいまじん)が組んでいたコンビ。
  3. ^ コンビ「細雪」時代も参加。
  4. ^ コンビ「Wコロン」結成後も参加。
  5. ^ かつてジャック豆山辻本耕志フラミンゴ)が組んでいたコンビ。
  6. ^ かつてやついいちろうエレキコミック)が組んでいたコンビ。
  7. ^ 出演者ではなく、前説で登場。
  8. ^ かつて今立進エレキコミック)が組んでいたコンビ。

外部リンク[編集]

TBSラジオ 第4日曜26:00〜27:00
前番組 番組名 次番組
不明
赤坂お笑いD・O・J・O
放送休止