連想ゲーム

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連想ゲーム
ジャンル クイズ番組
放送時間 水曜 20:00 - 20:30
土曜 19:30 - 20:00
水曜 19:30 - 20:00
放送期間 1969年4月9日 - 1991年3月20日(915回)(特集版を含む。前身の『みんなの招待席』のコーナー時代を含めると計962回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 NHK
出演者 #出演者参照
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連想ゲーム』(れんそうゲーム)は、1969年4月から1991年3月までNHK総合テレビで放送されたクイズ番組である。

概要[編集]

1968年4月8日に始まった番組『みんなの招待席』(月曜20:00 - 21:00放送)の1コーナーから始まり、1969年4月5日に独立した番組として放送され[1]、1991年3月20日まで22年続いた[注 1]。この番組は、最初の『みんなの招待席』の時代からカラー放送である。

アメリカCBSのクイズ番組『Password』をヒントに得て、製作された。[2]

放送時間は、1969年4月9日から1969年12月までは毎週水曜20:00 - 20:30、1970年1月から1978年3月25日までは毎週土曜19:30 - 20:00、1978年4月5日からは毎週水曜19:30 - 20:00であった[注 3]
尚、土曜放送時代はプロ野球中継など臨時編成が優先されていた関係で休止週が多く、特にナイター対応のために土曜19:30からの90分枠をワイド枠の「土曜スペシャル」が編成され、その第一部扱い(19:30-20:00)で当番組が放送された1971年度に関しては、特にナイターシーズンの上半期(4月 - 9月まで)で放送されたのはわずか9回、年間を通じても29回という少なさであった。その後、水曜に移動した後も、夏季(7月末 - 8月にかけて)と年末年始では特集番組のために放送休止が相次ぎ、結果的に『みんなの招待席』時代も含め23年に及ぶ放送期間を誇りながら、放送1000回に到達できないまま放送終了を迎えている(単独番組としては全915回(特集番組を含む)、前身を含めても計962回)。

男女の解答者達が「白・紅」と2チームに分かれて競い合う形式は、紅白歌合戦と同形式である。

オープニングテーマ終了後の司会者の挨拶は『こんばんは。水曜夜7時半、今夜も連想ゲームでお楽しみください』と言ったが、徳田章はそのあとに『連想は十人十色と申します。今夜はどんなに楽しい、そしてユニークな連想が飛び出してくるのでしょうか』も追加した。これは、2003年の復刻版でも同様だった。

番組のオープニングとエンディング曲は放送開始から終了まで同じ曲(小森昭宏作曲)が使われた[注 4]

番組初期の1969年度には和歌山市呉市豊橋市[1]、1970年度には前橋市鹿沼市旭川市東村山市静岡市において公開録画を行った[3]

番組終了後[編集]

  • 2003年3月27日に、NHKテレビ放送開始50年を記念して復活版『連想ゲーム スペシャル』が放送。なお放送時間は45分間で、本放送時よりも15分延長された[注 5]。BS2でも2003年3月に『今夜復活 連想ゲーム 私の秘密』の中でも放送される(内容は地上波と同様)。
  • 2003年4月13日から1年間、BS2で『アーカイブス・連想ゲーム』として過去の放送分からピックアップして放送された[注 6]
  • 2005年5月16日には、バラエティ番組『きよしとこの夜』の1コーナーとして復活した。
  • 2006年11月5日、BS2で放送された『ザ少年倶楽部』で「ひらめけ言葉当てゲーム」として本家・連想ゲームの「勝ち抜きゲーム」を基にしたクイズが行われた。内容は基本的に勝ち抜きゲームと同じである[注 7]
  • 2009年8月6日(8月5日未明)、特番として放送された『WALKING EYES アルクメデス』で、パロディー版「ほうれんそうゲーム」なるものが放送された[注 8]
  • 2013年から当番組のアレンジ版となる「伝えてピカッチ」が放送される。

番組の保存状況[編集]

放送開始当時、放送用ビデオテープが高価であったことと当番組の保存価値の按分により、しばらくの間、当番組のビデオテープは放送終了後、消去されて使い回された。そのため、NHKアーカイブスで保存される当番組の放送用ビデオテープは、1984年5月23日放送分が最古である。以後1986年が3本[注 9][注 10]、1988年が4本、1989年1月から同年3月まで3本存在する。以降、同年4月26日放送分から放送終了まで、およびその後の復活版等は全放送分が保管される。2014年2月現在、現存する放送分は94回分である[5]

その後、視聴者から1979年3月28日分、1982年12月22日分、1984年1月4日分、山本耕一から1981年8月26日放送分、風間杜夫から1984年2月29日分、柳生博から1977年12月10日分が提供された。なお、現存する最古の映像は、2015年11月に杉良太郎から提供された1973年1月20日放送分である。

出演者[編集]

歴代司会者[編集]

司会はNHKアナウンサーが担当した。

  • 初代:青木一雄(1968年4月 - 1969年3月、『みんなの招待席』のコーナー時代)
  • 2代目:野村泰治(1969年4月 - 1970年3月)
  • 3代目:井上昌巳(1970年4月 - 1972年3月)
  • 3代目:中江陽三(1972年4月 - 1974年3月[注 11]
  • 4代目:加治章(1974年4月 - 1978年3月)
  • 5代目:川野一宇(1978年4月 - 1981年3月)
  • 6代目:松平定知(1981年4月 - 1984年3月[注 12]
  • 7代目:吉川精一(1984年4月 - 1987年3月)
  • 8代目:佐藤充宏(1987年4月 - 1988年3月)
  • 9代目:徳田章(1988年4月 - 1989年3月)
  • 10代目(再):佐藤充宏(1989年4月 - 1990年3月)
  • 11代目(再):徳田章(1990年4月 - 1991年3月)
    • 2003年3月27日放送の、復刻版『連想ゲーム スペシャル』では、徳田が司会を担当した。また、2005年5月16日放送の『きよしとこの夜』の1コーナーの中でも復活し、徳田は司会とキャプテン[注 13]を兼任した[注 14]

キャプテン・解答者[編集]

スタート当初は紅白ともにキャプテン席+4枠ずつの設定で、レギュラー出演者も両軍のキャプテンのみであったが、1970年以降、紅組は小山明子中村メイコロミ山田うつみ宮土理ほか、白組は牟田悌三小沢昭一長門勇桂米丸山田吾一杉良太郎らが準レギュラー格として出演するようになり、徐々に各枠の出演者が固定されるようになり、1972年4月に1枠増員されたのを機に、キャプテン席+レギュラー4枠+ゲスト1枠(1973年4月からはキャプテン席+レギュラー3枠+ゲスト2枠)の形式が定着した[注 15]

1988年4月、従来のキャプテン・レギュラー解答者達を大幅に変更した(但し白組・加藤キャプテンのみ残留)。

歴代キャプテン
  • 紅組キャプテン
  • 白組キャプテン
    • 初代:加藤芳郎(1968年4月 - 1969年3月[注 19][注 20]
      「みんなの招待席」の1コーナーとしてスタートした当時にキャプテンを担当。その後一旦降板したが、1年後に再度キャプテンに復帰。以降、番組終了まで20年以上にわたり長く出演を続けていた。
    • 2代:小沢昭一(1969年4月 - 1970年3月[注 21]
    • 3代(再):加藤芳郎(1970年4月 - 1991年3月[注 22]
レギュラー解答者
復刻版(2003年3月)

アシスタント[編集]

  • Emi、Yumi、渡辺まや子、橋本弘子、菊地友理、吉本恵ほか

ルール[編集]

紅組(女性チーム)と白組(男性チーム)の対抗戦。各組は出題キャプテンと5人のメンバー[注 55]で構成された。

  1. クイズ開始前、各チームのキャプテンに、アシスタントから答えが書かれたメモが渡され、キャプテンはメモを見ながらヒントを出す。
  2. 司会は「○○さん、××さん、○○さん!」または「○○さんと××さんで、○○さん!」[注 56]と指名する。
  3. 指名された解答者のチームのキャプテンが一語のヒントを出し、解答者は5秒以内に口答で答える。
    なお、キャプテンは原則としてヒントを出せるのは1回につき1個のみである。但し、うっかりキャプテンが正解答を言ってしまうと、その問題はノーカウントとなる。更に解答者は、基本的に解答の単語は1個しか言えず、不正解の直後に正解答を言い直しても認められず、相手チームに解答権が移る[注 57]
  4. 5秒を超えたり、不正解の場合は「ピンポン」と2音のチャイムが鳴って[注 58]相手チームに解答権が移り、キャプテンは同じ要領で解答者にヒントを出す。
  5. これを正解が出るか、最終ヒントが出るまで繰り返し、終了後に次の問題に移る。なお10個目のヒントを出す際は、司会者が「これが最後のヒントです」と言う[注 59]

得点は10点から始まり、解答権が移る度に1点減る。正解すると司会が「そうです」「その通り」などと言った後に観客から拍手が起き、その時の得点がチームに加算される。またチャイムの音と同時に正解を答えても、司会が「ピンポンと同時、認めます」または「ピンポン同時、結構です」と言って正解扱いとなるが、完全にチャイムの鳴った後に正解を言っても、認められず相手チームに解答権が移る。また答えが略語で解答の正式名称を答えたり[注 60][注 61]敬語を付け加えて答えた場合[注 62]なども、司会者が「○○と××、どちらでも結構です」と言って正解になる場合がある。但し正解答に対して、余計な言葉を付けたり、逆に言葉が足りなかったり、さらに読み違いが有ったりなど、司会者の裁定で不正解になる事もある[注 63]。なお観客には正解が教えられており、正解に近い解答が出ると、チャイムの後観客から拍手(やや近い解答で小さな拍手、非常に惜しい解答で大きな拍手)が起こり、解答者にとって大きなヒントとなる。

但し一語でないヒント、正解の漢字と1字でも重なるヒント、殆ど同じ意味の言葉でのヒントを出して正解が出た場合は違反ヒントとなり、司会の裁量で獲得得点が半分に減らされる[注 64]。ほか名詞以外の言葉[注 65]も違反ヒントとなる[注 66]。但し、相手チームのキャプテンによる違反ヒントで解答者が答えられず、自分チームのキャプテンのヒントが違反でなければ、相手の違反ヒントで分かり正解でも減点しない。特に加藤芳郎と藤田弓子は、正解が中々出て来ず行き詰まった際、意図的に違反ヒントを言い[注 67]、観客や解答者達を笑わせて会場を盛り上げるのがお約束だった。本来の解答の同音異義語(またはそれに近い言葉)を連想させるヒントを出しても良い[注 68]

出題時にがテロップ表示されるが、「ワンワンコーナー」終了後の後半戦は、司会者が「ここからは画面に字幕を出しません。テレビをご覧の皆様もご一緒にお楽しみください」と言い、正解のテロップの代わりに四角枠に「?」と表示される[注 69]

クイズの内容[編集]

  1. オープニング・司会、解答者、アシスタント紹介
  2. 一般問題(15問出題)
  3. 3ヒントコーナー(男女1問ずつ、計2問出題)
  4. 勝ち抜きゲーム(男女対抗戦、5人抜きで勝ち)
  5. ワンワンコーナー(5問出題)
  6. 一般問題(時間まで、TVの前に答えの字幕が出されない)
  7. 1分ゲーム(男女1ゲームずつ、計2ゲーム出題)
  8. 総合得点を発表・エンディング

一般問題だけでなくさまざまなコーナーがあった。

3ヒントコーナー(番組終了の半年前頃に廃止)
男性軍・女性軍に1問ずつ問題が出される。キャプテンから3つのヒントを出され、チーム全員で相談して連想される言葉を当てる。通常の問題と異なり、ことわざ・四字熟語・俳句・歌のワンフレーズなどが出題される。正解で10点、不正解で相手チームに解答権が移り、キャプテンが新たな3ヒントを出題、正解で5点、さらに不正解は両者0点となる。
勝ち抜きゲーム(放送初期の頃は無く、途中から追加)
男性軍と女性軍の1対1の対抗戦。出題し続けるの言葉にある共通点がある「隠しテーマ」と呼ばれる物が有り、男性軍は夏みかん、女性軍はりんごの模型をそれぞれ持ち、一般問題と同じ要領で対戦する。相手チームの解答者に正解を出されると、自分が持つ果物の模型を相手チームのテーブルの前に置く。キャプテンは最初の解答者を1・3・5枠のレギュラーの中から指名し、解答者の交代は1・3枠の場合は席の並び順、5枠は4枠から逆に交代する。1回勝負がつくごとに、次回からは負けたチーム[注 70]が先攻になる[注 71]。先に5人勝ち抜いたチームが勝利となり[注 72]、得点は勝ち負けに関わらず、奪った相手チームの果物模型の数×10点で、違反ヒントがあれば1問につき5点減点、ただしそれによって勝敗が覆ることはない。なお、解答者以外(順番待ちや、出番が終わったメンバー)は「隠しテーマ」をチーム同士で相談する事が出来る。また、番組末期の1990年9月12日放送からは、違反ヒントなしで連続3人勝ち抜くと、「メロン賞」としてメロンの置物が置かれ、ボーナス30点加算のルールが追加された。
勝ち抜きゲームは全体で1問とされる為、コーナー終わり後のワンワンコーナーの最初は「第19問」とされる。つまり一般問題15問、3ヒントコーナーは男女別2問で16問目・17問目、勝ち抜きゲームは全体で18問目となる。
ワンワンコーナー
答えが「ワンワン」「ニャンニャン」のように繰り返しの言葉となり、一般問題と同じ要領で当てる。それから派生したクイズでは「さんざん」「めちゃくちゃ」「しどろもどろ」「のらりくらり」など、一字違いの繰り返し言葉を当てる「ワンニャンコーナー」という出題も稀にあった。
1分ゲーム
後半戦の問題終了後にピンポン音が連続で鳴ると、司会者がタイマーを出し[注 73]、スタートの合図でタイマーを作動させゲームがスタートした[注 74]。紅組・白組共に、テーマに沿った言葉が16問(但し番組末期は13問)出題され[注 75]、制限時間1分の間にリレーでどれだけ多く正解できるかを競う。逆転を賭けた番組のラストコーナーだった。
得点の多いチームの方が先攻で、1分ゲームが始まる[注 76]。後攻チームは、先攻チームの問題を見ながら出題の傾向を予測していた[注 77]
それぞれのチームのアシスタントが、解答者の後ろで答えの書かれたフリップを紙芝居の様に掲げ、キャプテンはそれを見ながらヒントを出す。正解すると1枚捲って次の解答を出して解答者の後ろに移動し、5枠から1枠へは走って移動した。フリップの最初は1分ゲームのタイトルフリップであり、全問正解で再び最初の1分ゲームのタイトルフリップとなる。
正解すると、解答者がだるまパネルを1個置く[注 78]。得点は正解のだるま1個につき10点だが、違反ヒントが出た場合は1問につき5点減点される。その他、キャプテンがうっかり正解を言ってしまったり[注 79]、その問題を本来答える解答者でなく他の人が答えたり、余りにも悪質な違反ヒントを出した時[注 80]など、司会者の裁量で0点となる。さらに時間を掛けても正解が分からなければ、キャプテン・解答者の何方でもパスが可能だが、この場合も無得点に扱われる。
全問正解、かつ違反ヒントなしの場合はボーナス50点が加算される。キャプテンはなるべく間を空けず、かつ矢継ぎ早にヒントを出さなければならないため、他のコーナーより違反ヒントが出やすかった。終了後、司会者が各チームの解答及びキャプテンから違反ヒントの有無を確認する[注 81]
画面は縦2分割になっており、半分は答える解答者と、もう半分は出題するキャプテンを放映する[注 82]。その後時間が残り15秒位になると、キャプテンの映像から残り時間を示すタイマーに切り替わる。

その他[編集]

  • メインの得点板は、各チーム3桁の9×6の電球で表示され、初期は白組が青、紅組が赤で表示されていたが、後に白組が青、紅組がピンクで表示される。また得点板の電球は、初期は1桁につき40個で4の表示が独特であった上、ゲーム開始前の最初の表示は十の桁と一の桁に0が2個表示されていたが、後に1桁につき51個に増やされ、ゲーム開始前の最初の表示も一の位にのみ0が表示される様になる。電球の各チームのメインの得点板の周りには、10から1の数字のランプがあり、解答権のあるチームが獲得できる得点を表示した[注 83]
  • 白いロングブーツを着用した女性のアシスタントが2人いて、前述の1分ゲームで正解を書いたパネルを掲げるほか、勝ち抜きゲームの小道具を用意したりなどした[注 84]。松平の頃から、出演者紹介の後でアシスタントの名前を紹介されるようになった。
  • 佐藤が司会の頃から司会者・キャプテン・解答者のネームプレートが置かれる様になる。
  • 得点は、1度獲得点数を表示させてから合計得点が表示される[注 85]
  • 当番組初・前期の頃はキャプテン・レギュラー解答者ともに、レギュラー出演中はNHKから「他局のクイズ番組には一切出演しないように」と通達を受けていた[注 86]
  • 視聴者から「1分ゲームのタイマーの針がずれている」という意見があり、それ以来ゲームに入る前は司会者がタイマーの針を直すようになる。
  • 1分ゲームの加藤の似顔絵パネルが青だった時期があった。
  • 1分ゲームで時間切れになったときの問題にちょうど「降参(こうさん)」と書かれたパネルがあり、加藤の要望でそのパネルを持つアシスタントから渡され、加藤が自ら「降参」のパネル持って敗北宣言する一幕があった。この日の放送は女性チームが勝ったためまさに文字通りの結果となった。
  • 当番組の最終回(1991年3月20日)放送時、ゲスト解答者席の2・4枠にはかつてのレギュラー解答者達がそれぞれ登場。そして最後の1分ゲームでは、紅組・白組チーム共に13問全て正解し、違反ヒント無しのパーフェクトを達成する[注 87]。尚エンディングでは、9代目司会者・徳田NHKアナが20年以上務めた白組キャプテン・加藤に労いの言葉を贈り、また紅組の5枠レギュラー・中村が思わず涙ぐんでいた。
  • 漫画家柴門ふみは、この番組に出演して誤答をしたことを、夫の弘兼憲史や子どもからも「あの解答はない」と言われ、初期のエッセイではよく「もうテレビには出たくない。漫画家はテレビに出ない方がいい」と語った。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ MBSアップダウンクイズ』とタイ記録。
  2. ^ 番組初期の頃、紅組の得点板に百の位と十の位にのみ0を出す事が出来ず、一の位にも0が出るため、オープニングでは0が少し映った後にズームで寄せて「30」を表示していた。この「7」「30」の表示は日中、BSの再放送でも同様。ちなみに2003年3月27日の復刻版でBS2ではオープニングは無く、19:20での放送だったので「7」「20」と表示、その後の総合テレビではオープニングがあり、20:00での放送だったので「8」「00」と表示された(番組の内容は同じ)。『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」でもオープニングが流れ、そのときには現在の時刻である「0」「23」(2010年7月16日未明の初回放送時)と表示された。
  3. ^ なお、この放送時刻にあわせ、オープニングでは得点板の白組の一の桁に「7」、紅組の百・十の桁に「30」と表示された[注 2]
  4. ^ 1988年4月6日放送分からステレオ放送になったのと同時にキーを半音下げるなどアレンジしたものを使用した。ただし、復刻版と『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」ではアレンジ前の曲が使用された。
  5. ^ 問題は前半戦では本放送時の15問から25問に、3ヒントコーナーが2問から4問に、ワンワンコーナーが5問から10問にそれぞれ増やして行われた。「1分ゲーム」(出題は本放送時の最末期と同様に13問で、白組が「白」・紅組が「赤」から始まる単語)で1問正解出た場合は、両チーム共に茶色の「どーもくん」の縫いぐるみが置かれる。この復刻版の結果は白組367点・紅組307点で、白組チームの勝利だった。
  6. ^ 放送時間は毎週日曜21:20 - 21:50。字幕放送あり。ただし、月2本のペースでの放送だったため、特番などで放送されない週もあった。全20回の放送で初回のみ1986年分だったが、2回目以降は1989 - 1990年収録分からの再放送だった。
  7. ^ 相違点は、負けた場合に置く「りんご」と「みかん」の飾り物が「どーもくん」と「ななみちゃん」の人形であった点である。
  8. ^ これは緑黄色野菜根菜に分かれてのもので、司会の「ホウレンソウアナウンサー」の声は本家でも司会をした徳田が務めた。2010年7月 - 9月のレギュラー放送でもこのコーナーが放送された。ピンポン音は本家のものよりも音程が低めである他、得点版は電光表示板ではなく、デジタル(セグメントディスプレイ)表示である(ミニチュアサイズで撮影するためか本家にあった得点版周りの数字のランプといったものは無かった)。
  9. ^ 1986年放送分で残存する内1本の3月12日放送分については、全国にあるNHKアーカイブス公開ライブラリーにて観ることができる。
  10. ^ このうち、1986年12月3日放送分については元々NHKには残っておらず、2009年10月に新潟県在住の視聴者が録画したテープから発掘され、その視聴者より寄付されたものである[4]
  11. ^ 但し1978年以降にも、代行として司会をした放送回がある。
  12. ^ 1分ゲームを始めるとき「よーい、ダーン!」という言い方だったのが、当時のNHKアナウンサーとしては珍しかった。
  13. ^ その日のゲストガッツ石松への出題。
  14. ^ もう一方のキャプテンはグッチ裕三だった。
  15. ^ 但し、レギュラー固定当初の1年間は、正規のレギュラー出演者がスケジュール都合で収録欠席が多かったため、予備として下記レギュラーに加え、紅組は内海好江、ロミ山田、松坂慶子左時枝ちあきなおみ土田早苗、白組は馬場のぼる平尾昌晃渡辺篤史、三笑亭夢八(のちの三笑亭夢丸 (初代))をピンチヒッター要員として起用した。
  16. ^ スケジュールの都合で不在時は天地総子、宮城まり子が代理キャプテンを担当。
  17. ^ 1977年1月22日 - 3月26日放送分はスケジュールにより一時休演。その期間は当時1枠解答者のロミ山田が代理キャプテンを担当。
  18. ^ 当番組の紅組キャプテンとしては最長期間(約9年)務めた。
  19. ^ 加藤自身が出演の養命酒山一證券のCMでも、この番組を連想させるようなストーリーで制作したのもあった。
  20. ^ 『みんなの招待席』内包時代の休演時には小沢昭一、一龍斎貞鳳が代理キャプテンを担当した。
  21. ^ スケジュールの都合で不在時、三遊亭小圓遊が代理キャプテンを担当。
  22. ^ 1978年7月19日 - 8月2日放送分・9月6日 - 11月22日放送分、1979年9月12日 - 12月5日放送分は、加藤の体調不良により一時休演。その期間は、当時1枠解答者の三橋達也(1978年の休演時)・渡辺文雄(1979年の休演時)が代理キャプテンを担当。
  23. ^ スケジュールの都合で不在時は内海好江が代行。
  24. ^ レギュラー起用前はうつみ宮土理・和田アキ子の代行で出演。尚、1977年1月22日 - 3月26日放送分はキャプテン代理を担当(その間、坪内ミキ子が1枠解答者として毎週出演)。
  25. ^ 不在時はちあきなおみ・ロミ山田・松坂慶子が週替りで代行。
  26. ^ 最終回(1991年3月20日)は元1枠レギュラー・坪内ミキ子が出演。
  27. ^ 不在時は松坂慶子・土田早苗が代行。
  28. ^ 当番組の紅組レギュラー解答者としては最長期間(約15年)務めた。
  29. ^ 1985年1月 - 3月は一時休演。その間は和田アキ子・土田早苗・浅茅陽子中原理恵由紀さおり萬田久子が週替りで代行
  30. ^ 不在時は左時枝が代行。
  31. ^ 最終回は元3枠レギュラー・檀ふみが出演。
  32. ^ 1974年4月20日 - 8月10日放送分は一時休演。その間は主に木原光知子が代行。
  33. ^ レギュラー起用は1974年11月16日放送分から。
  34. ^ レギュラー当初の1978年4月 - 1979年3月の1年間、白組の5枠レギュラー・大和田獏と直接対決した。この番組の共演を機に、1983年大和田と結婚産休により降板。
  35. ^ 結婚による芸能活動休業を表明し降板。
  36. ^ 石原伸晃の現妻。石原と結婚後の1989年、石原の衆議院選挙立候補等により降板。
  37. ^ 不在時は馬場のぼるが代行。
  38. ^ 1978年7月19日 - 8月2日・9月6日 - 11月22日放送は代理キャプテンを担当。その間は宝田明平田昭彦倉石功山城新伍船村徹が週替りで代行。
  39. ^ 1979年9月12日 - 12月6日放送は代理キャプテンを担当。その間は馬場のぼる、月の家円鏡(のちの橘家圓蔵 (8代目))、赤塚不二夫が週替りで代行。ほか不在時は主に元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
  40. ^ 2006年12月30日にBS2で放送された『週刊お宝TVスペシャル』で、ゲスト出演の際この番組が再現された時は、白組キャプテンを担当した(尚紅組キャプテンは麻丘めぐみが担当)。
  41. ^ 不在時は杉良太郎(3枠から一時移動)、平尾昌晃、渡辺篤史が週替りで代行。
  42. ^ 最終回は元1枠レギュラー・渡辺文雄が出演。
  43. ^ 不在時は渡辺篤史平尾昌晃三笑亭夢八が週替りで代行。
  44. ^ 但し1973年1月 - 3月はスケジュールの都合で、1月20日・3月24日放送の合計2回のみ出演。その間不在時は渡辺・平尾が週替りで代行。
  45. ^ 当番組の白組レギュラー解答者としては最長期間(5枠時代を含め約12年)務めた。
  46. ^ 加藤キャプテンからは「バクちゃん」と呼ばれていた。
  47. ^ 但し最終回(1991年3月20日)は休演、元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
  48. ^ 不在時は三笑亭夢八が代行。
  49. ^ 最終回は元5枠レギュラー・水島裕が出演。
  50. ^ 1974年8月 - 9月は一時休演。その間は主に元4枠レギュラー・内田喜郎、ほか田中星児が週替りで代行。
  51. ^ レギュラー当時の1978年4月 - 1979年3月の1年間、紅組の5枠レギュラー・岡江久美子と対戦。この番組共演を機に1983年岡江と結婚した。
  52. ^ 蟇目の降板から水島がレギュラー起用までの間、繋ぎとして出演。
  53. ^ メンバー紹介における大きく高い声の「こんばんは!」という挨拶や、大声で答えを叫んだりするのも特徴的であった。
  54. ^ 宍戸錠の子息。実父・錠が2枠ゲストで当番組登場時、親子としての共演も有った。
  55. ^ レギュラー3人+ゲスト2人、解答者の座席はレギュラーとゲストが交互に入り、奇数枠=1・3・5枠がレギュラー陣、偶数枠=2・4枠はゲスト陣であった。
  56. ^ ○○さんは最初の解答者、××さんはその相手側。1問目から5問目まではフルネームで読み上げ。6問目以降も同じ苗字がいる場合はフルネームか下の名前のみ読み上げた。
  57. ^ 例として出題が「肩こり」で、「こり、肩凝り」と2つの単語を答えたら、不正解の扱いとなる。
  58. ^ 番組後期の頃、解答者が無言のままで単語が出ない場合やピンポンと同時に解答した時はゆっくりとチャイムが鳴り、解答者がすぐ不正解を発した場合は早目にチャイムが鳴った時期が有る。
  59. ^ 但し番組開始当初~前半の頃、司会者から「最後のヒント」は言わなかった。
  60. ^ 例として出題が「ファックス」「ガム」で、解答者が「ファクシミリ」「チューインガム」と答えても正解扱いとなる。
  61. ^ 逆のケースで出題が「昆布(こんぶ)」で、解答者が「こぶ」と略語を言っても正解とみなす。
  62. ^ 例として出題が「金(かね)」「近所(きんじょ)」「女将(おかみ)」で、解答者が「お金」「ご近所」「女将さん」など、それぞれ敬語を付けても正解に成る。
  63. ^ 例として出題が「司会」「舶来」「つづら折り」「上がり湯」で、解答者が「司会」「舶来」「つづら折」「湯上がり」等と答えると不正解となる。
  64. ^ 得点が奇数の場合、端数は切り上げまたは切り捨てとなり(5点の場合2点又は3点に減点)、1点の場合は0点となる。
  65. ^ 例として、動詞・形容詞・助詞のついた言葉など。但しかつて番組開始当初、動詞・形容詞はOKだったが、番組後期以降から違反ヒントで減点対象となった。
  66. ^ 例えば「机」が出題で、解答者が「デスク」と答えて不正解となった場合、相手チームのキャプテンは「日本語」というヒントを出しても違反にはならないが、「日本語」と出すと違反となる。
  67. ^ 「手塩」のヒントで「足砂糖」、「逆立ち」のヒントで「足上頭下」、「むくむく」のヒントで「豆の皮」、「五月雨」のヒントで「6月の前」など。
  68. ^ 実例では、「かちかち」が出題の時のヒントが「負け」(対義語の「勝ち」を連想させるヒント)、「神通力」が解答のヒントが「お産」(「陣痛(じんつう)」を連想させるヒント)、「快刀乱麻」が解答のヒントが「問題用紙」(「解答欄(かいとうらん)」を連想させるヒント)、「ダンディー」が解答のヒントが「ふみさん」(「檀(だん)」を連想させるヒント)など、これらの言葉は中々正解が出ない時「取って置き」のヒントとして出される場合が多い。
  69. ^ 後にスリーヒントコーナーも同様となる。
  70. ^ 放送では司会が「2問目からは挑戦者先攻です」等と表現されていた。
  71. ^ 但し、両チーム共10ヒント出しても正解が出なかった場合、解答者はそのままで次の問題の先攻権が入れ替わる。
  72. ^ 坪内ミキ子、水島裕、山形由美、江守徹等がパーフェクト(相手チームを5人ストレートで勝ち抜け)を達成したことがあり、白組4連敗で最後の解答者だったなかにし礼が1人で5連勝する大逆転劇をしたことがある。
  73. ^ 末期はタイマー盤面に赤い発光ダイオードが付き、タイマーの針の動きと連動し点灯した。復刻版でも同じ仕様だった。
  74. ^ 0.5秒刻みでトントンと音が鳴り、1分経つとジリジリとベルが鳴る仕組みである。時間内に全部答えが出た場合、タイマーの刻む音は消えるが秒針は1分経つまで回り続ける。
  75. ^ 傾向として、1.特定の漢字で始まる言葉(例:白組は「若」、紅組は「新」で始まる単語)、2.特定の1字(又は2字)で始まる言葉(例:白組は「マ」、紅組は「ロ」で始まるカタカナ単語)が大半である。稀に特定の文字で終わる言葉(例:白組は「た」、紅組は「と」で終わる単語)、共通する品名(例:紅組は「丸い物」、白組は「四角い物」)、両チーム同じ特定の漢字で始まる言葉、しりとりで繋がるパターン、等もあった。
  76. ^ もし両チーム共に同点の場合、キャプテン同士がじゃんけんして勝った方が後攻、負けた方が先攻となる。
  77. ^ 先攻が特定の漢字で始まる問題なのに、後攻が特定の1字で始まるといった問題の傾向がいきなり変わることは無い。
  78. ^ 紅組は赤色、白組は白色であった。解答者の机の下にあり、そこから解答者自ら出す。番組末期ではキャプテンの似顔絵パネルとなった。
  79. ^ 実際に復刻版では、紅組の原日出子キャプテンが「赤とんぼ」と解答を発言してしまい、ノーカウント扱いとなった。
  80. ^ 実例に、白組の「風俗」のヒントで加藤キャプテンは「人偏に谷と書く」と言った直後、解答者・大和田獏は正解するも、司会者から「ヒントでも何でも無い」とみなされ結局無得点だった。
  81. ^ その際違反ヒントが一つも無かった場合、司会者が言う「違反ヒントは、ありません!」は番組を代表する決め台詞となった。
  82. ^ 男性チームは向かって左が解答者、右がキャプテンで、女性チームはその逆となる。
  83. ^ 番組初期は数字の裏にランプが仕込まれている方式、1978年頃から数字自体が光る方式、番組終了直前の後期では、獲得得点の得点板が司会者席の下に移り、得点板には正解すると獲得できる得点が表示、得点板の周りには解答権のあるチームのカラーのランプが点灯され、紅組はピンク、白組は水色のランプが点灯する。また、1978年頃からメインの得点板の周りに豆電球がフラッシュする電飾があり、オープニングとエンディングで点滅するが、後期の獲得の得点板が司会者席の下に移りに、メインの得点板の周りの10から1のランプが無くなると、豆電球がフラッシュする電飾の数が増やされた。
  84. ^ ただし、椅子は5枠レギュラーの解答者が出した。
  85. ^ 電卓のような表示方法。3ヒントコーナー、勝ち抜きゲーム、1分ゲームは番組最後までこの表示方法。後に獲得点数が司会者席の下に表示される様になってからはダイレクトに合計得点が表示される(それと同時に獲得点数の表示も消える。転送のような感じである)。
  86. ^ 但し番組後期に入るとその規則が緩和され、当時レギュラー解答者の大和田獏や中井貴恵などが、民放テレビ局のクイズ番組(TBSテレビ系列『クイズダービー』等)にゲスト出演した事があった。
  87. ^ 当番組最終回で1分ゲームの出題は、紅組が「銀」・白組が「金」から始まる単語だった。尚最終回の勝敗は、紅組405点・白組335点で紅組チームが勝利。

出典[編集]

  1. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室 『NHK年鑑'70』 日本放送出版協会1970年、214頁。 
  2. ^ 読売新聞1969年5月23日27面「クイズ番組・あの手この手」より
  3. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室 『NHK年鑑'71』 日本放送出版協会1971年、149頁。 
  4. ^ 2010年初めに印刷されたNHKアーカイブス発行のパンフレット「お宝発掘キャンペーン第2弾」の「これまでの「発掘」例」の項目に掲載される。
  5. ^ 発掘番組リスト


関連項目[編集]

ゲームソフト
  • NHK紅白クイズ合戦任天堂、2009年 Wii専用ソフト)
    ゲーム独自のルールが多い。ターンする回数に関係無く1問正解につき10点、1回目のヒントで正解すると20点が加算。3ヒントコーナーでは順番に関係なく両チームの早押しクイズとなる。1分ゲームでは全8問ですべて正解すると、80点とボーナス30点が加算される。登場する司会とキャプテンはオリジナルキャラクターである。番組セットデザインは1988年以降の末期のものを再現し、テーマ音楽も1988年4月のステレオ放送開始にあわせたアレンジ版とほぼ同じである。

外部リンク[編集]

NHK総合テレビ 水曜20時台前半枠
前番組 番組名 次番組
水曜劇場
(20:00 - 21:00)
連想ゲーム
(1969年4月 - 1969年12月)
ママは太陽
または
70年代われらの世界
(19:30 - 21:00)
NHK総合テレビ 土曜19時台後半枠
連想ゲーム
(1970年1月 - 1978年3月)
NHK総合テレビ 水曜19時台後半枠
連想ゲーム
(1978年4月 - 1991年3月)
NHKスペシャル
(19:30 - 20:45)