この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

手塚理美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
てづか さとみ
手塚 理美
本名 手塚 理美
別名義 手塚 さとみ
生年月日 (1961-06-07) 1961年6月7日(56歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都大田区
身長 161 cm[1]
血液型 AB型[要出典]
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1974年 -
活動内容 1975年:ユニチカ2代目マスコットガール
1982年:『ハイカラさん
1983年:『ふぞろいの林檎たち
1987年:『男女7人秋物語
1993年:『チャンス』、『もう涙は見せない
配偶者 真田広之1990年 - 1997年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー(2016年4月[2] - )

手塚 理美(てづか さとみ、1961年6月7日[1] - )は、日本女優である。ヴィレッジエンターテイメント[3]を経てよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属[4]東京都大田区出身[5]

経歴

生い立ち

5歳の時、オリンピック体操種目の金メダリスト・小野喬の池上スポーツクラブに入門。この頃の夢はオリンピック選手になる事だった[要出典]。小学生の頃よりジュニアモデルとして活動を始めたが[5]はじめての仕事は8歳の時で、七五三の撮影でモデルを務める予定だった7歳の女の子が病気になり、代役を頼まれたことによるものだった[要出典]大田区立梅田小学校、大森第四中学校を卒業[6]

10代

中学入学前に出演した不二家チョコレートCMユニチカのスタッフの目に留まったことから、中学1年生の時に同社の2代目マスコットガール[7][8]に選ばれ、本格的に芸能界デビューした。当時は手塚さとみ名義[9]

1974年昭和49年)にはユニチカのCMに三つ編み、赤の鉢巻、白無地の襟付き長袖体操服に濃紺無地のブルマーという姿で出演、作曲家小林亜星との共演で話題となる[要出典]東京都立赤坂高等学校卒業後、映画『正午なり』(1978年)への出演[5]や雑誌のグラビアモデル等、様々な分野で活躍し人気を博す。アイドル歌手としてシングル2枚、アルバム1枚をリリースしているが、人前で歌う事の恥ずかしさから、テレビの歌番組には一度も出演しなかった[要出典]

女優

1981年昭和56年)、ヌード写真集『少女だった』(沢渡朔撮影)を発表し、アイドル活動から女優業へシフトする[5]。翌年にはNHK朝の連続テレビ小説ハイカラさん』ではヒロインを務め、 芸名を本名の手塚理美に変更する[5]「ハイカラさん」のヒロインには878名の候補者の中から選ばれたが、記者会見での「今の心境は?」という質問に「ガラスの箱の中にいるような気分です。高い台に立たされて、背中まで見透かされてしまっているみたい……」と答えている[要出典]。以降『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマや『ア・ホーマンス』、『茶の味』などの映画で活躍[5]

私生活

1990年平成2年)、俳優の真田広之と結婚[5]1992年(平成4年)には長男、1996年(平成8年)には次男と[要出典]二人の男児をもうけたが、真田の不倫報道を機に1997年(平成9年)に離婚[5][10]。その後再婚はせずにシングルマザーとして暮らしている[11]

手塚の家族は兄弟は弟が2人。手塚がモデルの仕事を始めたのは8歳のときだが、弟はそれよりも先に子供服のモデルをやっていたという[要出典]

エピソード

  • 幼稚園時代に好きだった同級生の男子がおり、その男子が現在、東京外国語大学教授でコーパス言語学で知られる投野由紀夫である[12]
  • 少女時代に好きだったミュージシャン井上陽水ビートルズクイーン
  • 高校に入学してすぐ、クラスの男子に交際を申し込まれたが「まだあなたのこと全然知らないし、好きになってもいないのに、交際なんて私にはできません。」としどろもどろになりながら断った。
  • 2枚目のシングル「ボビーに片想い」のレコーディング合宿で、吉田拓郎に「おまえは生意気だ。おまえはちっとも自分の意見を言わないじゃないか。自分の意見をはっきり言えないのは、いつも知ったかぶりで済ませてきたからだ。」と説教された。
  • 初めてのキスシーンはドラマ「娘が家出した夏 家庭ってなァに?」の第2話。
  • 「写真熱気球」ではゲストへのインタビューの最後に必ず「あなたにとっていい写真とは何ですか」と尋ねた。
  • 「ハイカラさん」の撮影中、ヒロイン・文(ふみ)の新婚時代、夫とふたりでベランダの手すりにもたれて外の景色を眺めるシーンがあった。その際、手すりを握る手塚の手に偶然夫役の俳優の手が触れた。ほとんど無意識的かつ反射的に手塚は自分の手をそらしてしまった。そのシーンのオンエアを観た母親は「あれは無いわよ。とても新婚夫婦には見えなかったわよ」と告げたという。

出演

テレビドラマ

映画

舞台

バラエティー・教養番組

  • 写真熱気球(テレビ東京)

他多数

ラジオ番組

  • サウンド・アプローチ(FM東京

CM

出版

写真集

  • 少女だった(1981年5月20日、小学館)撮影:沢渡朔 - 手塚さとみ名義
    • 雑誌『写楽』1980年9月号で発表されたカット群がベース。ヌードは手塚本人が撮影を希望していたとされる。ロケ地は主にニューカレドニア。まだ少女の面影を残していた頃の手塚の瑞々しく自然な姿が映し出されている。
  • 四色の花火(1982年11月10日[15]、小学館)撮影:篠山紀信 - 手塚理美名義
    • 『少女だった』に触発された篠山の強い要望で製作が開始された。撮影は1981年春から約1年をかけて行われ、ロケ地は京都福井軽井沢秋田。それまでの手塚が持っていた清楚なイメージに加え、内面の激しさが引き出されている。セクシュアルなヌードのカットも数多く、被写体・手塚に対する篠山のアプローチは沢渡と好対照を為している。
  • 妖精たちのレジェンド-ユニチカマスコットガール写真集-(1996年10月10日、あすか書房)

カレンダー

書籍

  • 同窓会で二番目にキレイになるには・・・ ちょこっとウィッグ付き(2015年4月16日、小学館)50代代表としてモデル出演
  • 大丈夫、あなたの肌は必ず変わる。 (2016年1月21日、宝島社)米澤房昭との対談

ディスコグラフィー

シングル

アルバム

  • 15才の肖像(1976年)キングレコード SKA-157 ※2014年にCD化[16]

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b 手塚理美 プロフィール”. 吉本興業. 2017年12月29日閲覧。
  2. ^ a b 手塚理美、染谷俊之ら“イケメンホスト”にご満悦「堪能したい」”. ORICON NEWS. オリコン (2017年1月11日). 2017年12月29日閲覧。
  3. ^ 手塚理美”. ヴィレッジエンターテイメント. 2017年12月29日閲覧。
  4. ^ “手塚理美、息子2人巣立ち“再出発””. DAILY SPORTS ONLINE. (2016年6月18日). https://www.daily.co.jp/gossip/2016/06/18/0009197553.shtml 2017年12月29日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h 手塚理美”. KINENOTE. 2017年12月29日閲覧。
  6. ^ わがまち池上第100号(平成27年12月10日発行)”. 大田区ホームページ. 大田区 (2015年12月10日). 2017年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月29日閲覧。
  7. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 俺たちが愛した美少女選抜BEST30 第1弾・70年代編
  8. ^ 初代は風吹ジュン、3代目は紺野美沙子
  9. ^ 当時の媒体では写真集も含め「手さとみ」と「」の字が現在と1画異なる表記が見られるが、これは1981年に常用漢字が制定される前後であり、旧字体が用いられていたためである。1982年から1983年以降は「手」表記に統一されているが、芸名の変更があったわけではない[要出典]
  10. ^ “手塚理美、不倫で別れた真田広之との復縁希望明かす”. nikkansports.com. (2016年7月7日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1674618.html 2017年12月29日閲覧。 
  11. ^ 手塚理美がシングルマザーの苦労告白「1年無視された」”. ライブドアニュース (2016年12月11日). 2017年12月29日閲覧。
  12. ^ “手塚理美、初恋の相手がNHK英語番組の先生になっていた”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2017年5月25日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170524-OHT1T50185.html 2017年5月25日閲覧。 
  13. ^ 手塚理美、"毒親"役に不安も「すごく引かれちゃったらどうしようかと」”. マイナビニュース (2017年10月31日). 2017年12月29日閲覧。
  14. ^ 映画「桃とキジ」 追加場面写真&甲本雅裕、手塚理美、千鳥・大悟さんからコメント到着”. CINEMATOPICS (2017年8月22日). 2017年12月29日閲覧。
  15. ^ 奥付による。実際の発売日は1982年10月22日。A4判96Pオールカラー。当時の定価は1700円
  16. ^ 田中美佐子『夢売りのピエロ』、手塚さとみ『15才の肖像』が初CD化”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2014年2月17日). 2017年12月29日閲覧。

外部リンク