柳生博

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やぎゅう ひろし
柳生 博
生年月日 1937年1月7日(79歳)
出生地 日本の旗 日本茨城県稲敷郡舟島村(現・阿見町
ジャンル 俳優司会者タレント
活動期間 1960年 -
活動内容 タレント・俳優(テレビ・映画)・ナチュラリスト・日本野鳥の会長・コウノトリファンクラブ会長
配偶者 二階堂有希子
著名な家族 柳生真吾
主な作品
草燃える
生きもの地球紀行
100万円クイズハンター
備考
身長175cm

柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年1月7日 - )は、日本の俳優司会者タレントである。また、作庭家(庭師)としても活動もあるほか、公益財団法人日本野鳥の会会長やコウノトリファンクラブ会長も務める。

来歴・人物[編集]

茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校を経て、東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退。

柳生新陰流』で知られる柳生宗厳柳生氏)の末裔にあたる。

船員を目指して東京商船大学に入学するも、体調を崩して中退。その後、役者を志して劇団俳優座の養成所へ入り、俳優となった。

39歳のとき、NHKの朝の連続テレビ小説いちばん星』に野口雨情役で出演し、テレビ俳優としての地位を確立する。

その傍ら1981年から1993年までの12年間に渡り、テレビ朝日クイズ番組100万円クイズハンター』の司会を務め、「ハンターチャンス」のきめ台詞などで幅広い世代に認知される。また、タレントとしてフジテレビのクイズ番組『平成教育委員会』の解答者やNHKのドキュメンタリー番組生きもの地球紀行』のナレーションを長く担当した。また、ジェームズ・スチュアートの吹き替えなど、声優としても活動している。

作庭家[編集]

柳生は1970年代末、東京に近い山梨県大泉村(現・北杜市大泉町)に居を構え、以後ここを生活の拠点としている。

作庭活動は山梨への転居とともに開始したが、雑木林を中心とした作庭で、庭・家・林・駐車スペースなどのあり方に独自の視点を持つことで知られる。囲炉裏を据え、枕木などを活用するその作庭技術については、本人の著書『森と暮らす森に学ぶ』(講談社)、生和寛著『風景を作る人 柳生博』(辰巳出版)等に詳しい。

また、柳生は近隣の手入れの不十分な人工林から貰い受けた各種の樹木を、自宅や八ヶ岳倶楽部敷地に植林し再生している。その数は柳生によれば[1] あわせて一万本以上になる。

野鳥研究[編集]

柳生は2004年4月17日から「日本野鳥の会」の第5代会長職にあり、同年12月12日に発足した「コウノトリファンクラブ」の初代会長も務める。

家族[編集]

妻は二階堂有希子。長男は園芸家柳生真吾(2015年5月2日死去)。次男は元会社員で、兄の死後に八ヶ岳倶楽部の経営を引き継いだ柳生宗助。

八ヶ岳倶楽部[編集]

柳生は1989年、大泉村西井出・西沢の森に、パブリックスペースとして、ギャラリー・レストラン「八ヶ岳倶楽部」を開設した。八ヶ岳倶楽部では、陶芸家を初めとしたアーティストの作品の展示販売が常時行われている。

建物、雑木林、囲炉裏、枕木を利用した散策路などの設計、作庭は、柳生博及び真吾ら家族の手によるものである。柳生自身は、時間があるときには八ヶ岳倶楽部のレストランによく顔を出し、談笑する姿が見られる。

柳生の著書『森と暮らす森に学ぶ』(講談社)等によれば、この八ヶ岳倶楽部のある西沢には柳生が中学生の頃一人旅で探訪している。この一人旅は、柳生家のしきたりである「男子は12歳になったら一人旅をさせる」というものに基づいたものである[2]。このときの経験が、のち西沢に居を構え八ヶ岳倶楽部を設ける原体験となったと同書で語っている。

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

劇場アニメ[編集]

  • 白いファンタジア (2008年) - 老人

吹き替え[編集]

俳優[編集]

洋画・海外ドラマ[編集]

ナレーション[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

その他[編集]

著書[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ "『森と暮らす森に学ぶ』(柳生博著。講談社)による。
  2. ^ 柳生、柳生の子の真吾、真吾の子(柳生の孫)も一人旅に出されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]