日本文藝家協会

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公益社団法人日本文藝家協会(にほんぶんげいかきょうかい、: Japan Writers’ Association)は、文芸を職業とする者の職能団体として設立された公益社団法人である。社団法人時代は文化庁が所管していた。文藝春秋ビル内に書記局(事務局)を持つ。2016年6月現在の代表は出久根達郎理事長。

文芸家である会員と、著作権継承者である準会員によって構成され、会員数は約2500人。著作権管理事業については会員以外の管理も請け負っている。

沿革[編集]

1926年(大正15年)に劇作家協会と小説家協会が合併して発足。初代会長は菊池寛1942年(昭和17年)に一度解散して日本文学報国会に吸収されたが、1946年(昭和21年)に再発足した。1948年(昭和23年)年から理事長制をとり、会長・理事長の二本立てになったが、1984年(昭和59年)以降、会長職は廃止された。1990年(平成2年)、永山則夫の入会拒否問題をめぐる対立をきっかけに、柄谷行人中上健次筒井康隆井口時男らが抗議のため脱会した。

文芸家の職能を擁護確立する目的をもって設立されており、政治的主張は基本的には行わず、もっぱら文芸家の地位向上、言論の自由の擁護、文芸家の収入・生活の安定などを活動の主軸としている。このため、文芸美術国民健康保険組合の加盟団体であったり、静岡県の冨士霊園内に共同墓「文學者之墓」を所有するなど、文学者の生活向上を主眼とした、あまり衆目に触れない活動も多い。

上記の立場から、著作権問題については保護期間の延長を、再販売価格維持制度についてはその維持を訴えることが多い(但し、2001年(平成13年)の声明では流通上の問題を見直してもなお再販制度に問題がある場合は再販制度自体の見直しも否定されるべきではないともしており、その点が「再販絶対護持」を掲げる日本ペンクラブと大きく異なっている)。

2003年(平成15年)、協会内に著作権管理部を設立し、解散した日本文芸著作権保護同盟の著作権管理業務を引き継いだ。また啓蒙活動のために特定非営利活動法人日本文藝著作権センターを設立した。

2011年(平成23年)に、公益法人改革により、公益社団法人となった。

歴代会長・理事長[編集]

会長
理事長

著作権問題のまとめ役[編集]

日本文藝家協会は、日本美術著作権連合日本写真著作権協会日本脚本家連盟日本シナリオ作家協会が参加[1][2]する「著作者団体連合」(著団連)に理事長を送り出し、日本複写権センターでも中心的な役割を果たしている。

また、2006年7月に、著作権の保護期間を現在の死後50年から死後70年に延長することを主要な目的として設立された「著作権問題を考える創作者団体協議会」(創団協)にも三田誠広副理事長を議長として送ってまとめ役としての役割を果たしている。

しかし一方で、著作物流通(出版社放送局など)の既得権益に関しては野放し状態であり、これに関して有効な対策は、文藝家協会からは全く出ていない。

文芸美術国民健康保険組合の結成[編集]

日本文藝家協会を中心に、1953年に文芸美術国民健康保険組合が設立された。文芸美術映画写真などの同種の業種に従事する者を組合員とする。略称=「文美国保」。芸術ジャンルを超えた社会保障制度整備の取り組みのなかでは、1973年日本芸能実演家団体協議会による「芸能人年金共済制度」発足よりも20年も早い。創設の中心になった当時の日本文藝家協会理事長の丹羽文雄に関する行政マスコミの記述でも、特筆すべき先進的な取り組みとして取り上げられている[3][4]

文芸美術国民健康保険組合の項目参照。

出版物[編集]

文藝家協会では毎年以下の出版物の編纂を行っている。

関連項目[編集]

  • Author's Guild(全米文芸家協会)
  • イキガミ(星新一の「生活維持省」との類似性を指摘した。しかし、一方で星の作品の3年前に書かれた米SF作家ロバート・シルヴァーバーグの作品「生と死の支配者」に「生活維持省」がかなりの部分で類似性が指摘されている[誰によって?]ことが後にわかっているがそのことに関してはなんのコメントも出していない)

出典[編集]

外部リンク[編集]