日比野光鳳
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旭日中綬章 日比野 光鳳 | |
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![]() 文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
原語名 | 日比野 光鳳 |
生誕 | 日比野 尚 (1928-11-22) 1928年11月22日(94歳) ![]() |
国籍 | ![]() |
出身校 | 同志社大学経済学部卒業 |
著名な実績 | 書 |
流派 | 水穂会 |
選出 | 日本芸術院 |
民族 | 大和民族 |
影響を受けた 芸術家 | 日比野五鳳 |
日比野 光鳳(ひびの こうほう、1928年11月22日 - )は、日本の書家。勲等は旭日中綬章。水穂会会長、公益社団法人日展顧問、日本芸術院会員、文化功労者。本名は日比野 尚(ひびの ひさし)。
宝酒造株式会社での勤務を経て、同志社大学文学部講師、社団法人日展常務理事などを歴任した。
来歴[編集]
書家・日比野五鳳の子として京都市に生まれる。幼い頃より書に親しむ。同志社大学経済学部卒業、1953年宝酒造に勤務、1965年まで勤める。同志社大学文学部講師、京都新聞書き初め書道展審査委員長、京都市展審査員などを歴任。1987年日本美術展覧会(日展)会員賞。1992年京都府文化賞功労賞。1994年京都市文化功労者。1997年日展内閣総理大臣賞。1999年日本芸術院賞受賞、読売書法会常任総務。2002年花園大学文学部客員教授。2004年旭日小綬章受章。日展理事をへて2006年常務理事。京都書作家協会会長、のち顧問、水穂会会長、全日本書道連盟顧問。2008年父に続き親子2代で日本芸術院会員に選ばれる。2011年文化功労者[1]。2021年旭日中綬章受章[2][3]。
家族・親族[編集]
「昭和の三筆」のひとり日比野五鳳を父に持ち、息子の日比野実も書家・花園大学教授である。
著書[編集]
- 高木聖鶴 共編『かな応用 (読売書法講座)』読売新聞、1994年8月。ISBN 978-4643940473
- 『寸松庵色紙・継色紙 (かな古典の学び方)』二玄社、1991年2月。ISBN 978-4544019520
- 『色紙 短冊の書き方〈かな〉』二玄社、1988年5月。ISBN 978-4544014488
脚注[編集]
- ^ “文化勲章に丸谷才一さん、大滝秀治さんら功労者”. YOMIURI ONLINE (2011年10月25日). 2011年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月12日閲覧。
- ^ 『官報』号外第250号、令和3年11月4日
- ^ “橋爪功さんら秋の叙勲、旭日大綬章に畔柳信雄氏ら 4036人受章”. 日本経済新聞 (2021年11月3日). 2023年1月14日閲覧。
外部リンク[編集]
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日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |