山田申吾

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山田 申吾(やまだ しんご、1908年明治41年)12月15日 - 1977年昭和52年)7月7日)は日本画家。東京出身。父は日本画家山田敬中

略歴[編集]

1908年(明治41年) 東京田端に生まれる。父は日本画家の山田敬中、母ははなで、申吾は次男。1926年大正15年)には東京美術学校日本画科へ入学。同学年に東山魁夷橋本明治加藤栄三らがいる。

1930年(昭和5年)には第11回帝展で《水辺初夏》が初入選。1931年(昭和6年)には東京美術学校を卒業。卒業制作は《武蔵野》。その後、結城素明に師事する。

1944年(昭和19年)には私立麻布中学教諭となる。後に日本画家となる野田修一郎は麻布中学校時代に山田に師事している。1950年(昭和25年)には第6回日展へ出品した《馬」》で特選、白寿賞を受賞する。1953年(昭和28年)には私立麻布学園教諭を退職する。同年には第9回日展に出品した《山》で特選、白寿賞、朝倉賞を受賞する。

1960年(昭和35年)には第3回日展に出品した《牧馬》で文部大臣賞を受賞する。1963年(昭和38年)には前年の日展出品作《嶺》で日本芸術院賞を受賞。

1964年(昭和39年)には脳血栓で倒れ一時左半身不随となるも回復する。1969年(昭和44年)には日展理事となる。同年にはネパール少数民族であるシェルパの生活に取材した《シェルパの歌》を発表する。1973年(昭和48年)には脳血栓を再発し、左半身不随となる。1976年(昭和51年)には第8回日展に《静かな朝》を出品。日展出品作としては最後の作品となる。1977年(昭和52年)には日大板橋病院にて死去。享年68。

1979年(昭和54年)には銀座和光に於いて「山田申吾素描展」が開催される。1989年には山梨県立美術館に於いて、「山田申吾展」が開催される。

参考文献[編集]

  • 『山田申吾展』山梨県立美術館、1989年