野島稔

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野島 稔
生誕 (1945-05-23) 1945年5月23日
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横須賀市
学歴 桐朋学園大学
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

野島 稔(のじま みのる、1945年5月23日 - )は日本のピアニスト。東京音楽大学学長。神奈川県横須賀市出身[1]

経歴[編集]

3歳からピアノを始め、桐朋学園大学にて井口愛子に師事。高校3年の1963年第32回日本音楽コンクール第1位大賞受賞[2]1966年よりソ連邦の招きでモスクワ音楽院留学し、レフ・オボーリンに入門。1968年海外派遣コンクール[3]に優勝、1969年、第3回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに第2位を受賞し、翌年カーネギーホールにデビューし成功を収めた。それ以来、日本とアメリカを往復しながら自由な演奏活動を謳歌した。その間ニューヨークにおいて、コンスタンス・キーンエイブラム・チェイシンズの許で研鑚を重ねた。

アメリカでは、クライバーン国際ピアノコンクールライブの予選会の演奏において「ピアニストの中のピアニスト」と呼ばれた。これまでに、1988年に「野島稔・プレイズ・リスト」を、1999年には「野島稔・プレイズ・ラヴェル」の計2枚のCDを発表している[4]。また伝統的な作品ばかりでなく、現代日本人作品の演奏にも興味を寄せており、1986年1988年ロシア松村禎三の《ピアノ協奏曲 第2番》と《交響曲 第2番》を演奏した。

教育[編集]

1981年1985年にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに審査員として招かれて以来、リヒテル国際ピアノコンクールを含めて国内外のコンクールの審査員の多くに名を連ねており、仙台国際音楽コンクールのピアノ部門で審査委員長を務めるほか、2006年には横須賀芸術劇場において野島稔ピアノコンクールを創設し、自ら審査委員長を務め、後進の育成にも意欲を燃やす。

受賞歴[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 市内出身のピアニスト・野島稔さんを審査委員長に隔年で実施しているコンクール。”. www.townnews.co.jp. 2018年12月17日閲覧。
  2. ^ 入賞者紹介
  3. ^ 当時は国内予選会への出場が義務付けられていたため。
  4. ^ 前者については、2007年ジョイス・ハットーの夫ウィリアム・バーリントン=クープによって音源を盗用されていたことが発覚している。

外部リンク[編集]