石浦将勝

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石浦 将勝 Sumo pictogram.svg
Ishiura 2015 March.JPG
基礎情報
四股名 石浦
本名 石浦 将勝
愛称 マサ、坊ちゃん[1]
生年月日 (1990-01-10) 1990年1月10日(28歳)
出身 鳥取県鳥取市
身長 173cm
体重 116kg
BMI 38.76
所属部屋 宮城野部屋
得意技 右四つ・下手投げ・上手出し投げ・足癖[2]
成績
現在の番付 西前頭16枚目
最高位 西前頭8枚目
生涯戦歴 220勝194敗(35場所)
幕内戦歴 74勝91敗(11場所)
優勝 序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 2013年1月場所
入幕 2016年11月場所
他の活動 格闘家(入門まで)
趣味 キャッチボール[3]
備考
2018年9月23日現在

石浦 将勝[4][5](いしうら まさかつ、1990年1月10日 - )は、鳥取県鳥取市西品治出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長173cm、体重116kg。最高位は西前頭8枚目(2017年7月場所)。憧れの力士は体格の近い元関脇・鷲羽山[6]

来歴[編集]

高校卒業まで[編集]

鳥取城北高校相撲部・石浦外喜義(いしうら・ときよし、石川県出身[7])監督の長男として生まれ、幼少期から相撲をしていた。母も同校で養護教員を行っている[8]。『暴れん坊将軍』のシーンに力士たちが褌を締めて戦うシーンがあり、それを見てかっこいいと思った石浦は父に相撲をやってみるかと言われ、やりたいといって相撲を始めた。父によると、後に石浦は騙されたような気もすると語っているという[9]鳥取市立富桑小学校2年生の頃からは因幡相撲道場で本格的に稽古を始め、週2回の稽古の合間には野球水泳にも打ち込んだ。幼少期は相撲より野球の方が好きであり、阪神タイガースに入団することを夢見ていた[8]。当初相撲の方では小柄であったためなかなか勝てず、道場まで自身を送迎してくれた母には「絶対に稽古を見るなよ」と言っていた[8]。一方でまだ相撲を本格的に始める前であった1年生の頃に6年生に噛みついて歯形を付けるなど負けん気の強さを見せていた[8][9]。野球では左腕のエースとして活躍していた[9]が、素質を見抜いた道場の倉本新太郎監督に「お前は毎日稽古場に来い」と口説かれ、小学校高学年からは相撲一本に絞った[9]。4年生の頃には体重が30㎏もなく、中国ブロック上位に入り全日本小学生相撲大会に出場した際には、90㎏もある北海道代表の選手に初戦で敗れた[8]。中学校は鳥取城北高校と一貫練習を行っている鳥取市立西中学校に進学し、現在は同じ部屋に所属している山口(入門時、幕下付出)とは、ここで出会うことになった[10]。中学時代は学校が近隣ではあったが寮生活を行っており、父からは「これからお父さんとお前はライバルだ。お父さんを超えられるようになれ。そのために外に出るんだぞ」と伝えられた[8]。中学2年生の頃は相撲部の準レギュラーであった高校生に敗れ、厳しい顧問の先生は「気合が入ってない」と怒鳴った。すると石浦は悔しがって稽古場の鉄砲柱に頭突きを加えた[8]。負けん気を活かして石浦は強くなり、2年時の全国中学相撲選手権大会で団体準優勝を果たし、3年次には全国都道府県相撲大会で個人3位に入賞[8]。だが中学時代には鳥取城北高校から日本大学という既定路線が敷かれつつあることを不愉快に思い、商業高校への進学を考えて簿記の勉強をしていたというが、「相撲を辞めたら自分に何が残るか」と自問自答し、これは思いとどまった[10]。高校は父親が相撲部監督を務めている鳥取城北高校に山口と共に進学。石浦家の2階(自宅は3階)ではあるが、寮暮らしを行っていた[8]。1学年下には貴ノ岩がいた。高校在学中は入学直後のインターハイ予選で1位を獲得(2位は山口)し、小・中学時代のような破天荒なエピソードではなく相撲の実力で父を驚かせた[8]。団体戦でレギュラーメンバー入りして団体優勝に導き、個人戦では2・3年次で全日本ジュニア体重別相撲選手権大会の軽量級で2連覇を達成(2年生の時がこの大会の第1回大会)。3年生の時には世界ジュニア選手権の軽量級で優勝し、この時に横綱白鵬と知り合った。

大学時代の挫折から大相撲入門に至るまで[編集]

高校卒業後は日本大学文理学部に進み、引き続き相撲部に所属する。大学の1学年上には常幸龍が、同学年には山口と英乃海が、1学年下には遠藤がいた。1年次に東日本学生個人体重別選手権の無差別級準優勝、2年次に全日本大学選抜十和田大会3位入賞などの実績を残した[11]。だが大学時代は体重別以外のタイトルとは無縁であり、団体戦にも出場できなかった[12]。石浦も3年途中から食べ過ぎからくる腸の病気を患い自信を喪失し、稽古にも身が入らなくなった[8]。腸の病気によって100㎏あった体重は70㎏にまで落ち、手術するとまず相撲は取れなくなる状況ではあったが、手術は回避できた[13]。しかし医者からはもう太ってはいけないと忠告され、この時点ではスポーツを行うなら太る必要のない競技を行うしかなくなった[14]。それからしばらくして元から好きであった格闘技にも活路を見出そうとしていたが道場に通う15歳の少年や40代の男性に歯が立たなかったことを理由にわずか3か月で挫折した経験もある[10][14]。父が語るには、負けはしないが打撃がさっぱり当たらなかったという[14]。母は殴る蹴るを行う格闘技には反対しており、大相撲に行ったらどうだと助言していたという[8]

2012年に大学を卒業した後は一時オーストラリアに語学留学したり、格闘家を目指したりして悩んでいたが同年7月に相撲のオーストラリア国内選手権で優勝した[15]。170㎏もあるオーストラリアチャンピオンに対抗して出場した選手権で優勝した石浦は、ちょうどこの頃に山口(当時の四股名は大喜鵬)と高校の1年後輩である貴ノ岩が関取昇進を決めたということもありプロ入りすることを決意した[15]。現地では予てより相撲を教えていたがこれに触発されて留学時代終盤には熱を帯びて指導をするようになったといい、帰国までに四股・腕立て・腹筋を毎日300回ずつこなした上で80kgを切った体重を大量の白米で100kg近くまで増やすことで大相撲に耐え得る肉体を取り戻した[10]。翌月に日本へ帰国し、プロ入りに反対していた父親を「一度きりの人生だから」と言って説得。父の言いつけにより帰国後は一旦国体選手になり、鳥取県代表として試合に出場。成績は団体でベスト8、個人でベスト16であった[16]12月24日に、山口に次ぐ白鵬の内弟子第2号として宮城野部屋へ入門することが発表され、「もう一度相撲を力いっぱい頑張ろうと思った」と語った[17][18][19]2013年1月場所、四股名を本名と同じ「石浦」として23歳で初土俵[20]を踏み、鳥取県出身としては元序ノ口の大田中(中村部屋)以来、実に17年ぶりの力士となった。同期生には阿武咲爆羅騎らがいる[21]。父は貴乃花と親しかったことと鳥取城北の1学年下である貴ノ岩がいることから貴乃花部屋に頼もうかと思ったが、石浦自身は「どうせいくなら一番強い人がいるところ」という考えで宮城野部屋を選んだという[22]。父は後に「小さい時は、1月生まれで損させてるなってお母さんとよく言ってたんです。4月生まれなら(同じ学年でも)もうちょっと大きな体でやれたのになって。でも、1月生まれだったから、大相撲に行けた」としみじみ振り返っている[8]

入門から関取昇進まで[編集]

初めて番付に名前が載った3月場所は序ノ口で7戦全勝優勝[23][24]、5月場所も序二段で7戦全勝優勝と、2場所続けて各段優勝[23]。本割での連勝記録も伸びていたが、三段目に昇進した7月場所の6番目の相撲で能登櫻に敗れて連勝記録は19でストップした。7番相撲では阿武咲に勝ち、6勝1敗に終わり翌9月場所では幕下に昇進した。幕下に昇進した後も快進撃を続け、わずか2場所で幕下15枚目以内に昇格した。東幕下5枚目まで昇進した2014年3月場所は3番相撲まで黒星続きであったがそれ以降7番相撲まで4連勝し、最終的に場所を4勝3敗と勝ち越しで終える。翌5月場所は関取目前の番付で、十両力士との対戦もあったが、2勝5敗で初土俵以来の連続勝ち越しが止まった[23]。以降も十両昇進をうかがう番付に定着。2015年1月場所では土付かずの6連勝と好調だったが、幕下優勝のかかる13日目の7番相撲で正代に敗れて優勝はできなかった。7番相撲を終えた翌日の報道では「関取昇進は持ち越し」と伝えられた[25]が、十両下位に成績不振者が多かったこともあり、場所後の番付編成会議で新十両昇進が決定。鳥取県出身の関取は第53代横綱琴櫻以来、53年ぶりの復活となった[26]。2016年11月場所後のインタビューで本人は「この場所で十両に昇進できなければ今も昇進しているかどうかわからない」という趣旨のコメントを述べて振り返っている[27]

関取昇進以降[編集]

新十両となった3月場所からは、時には足技や八艘飛びなどの奇抜な技をはじめとして多くの技を駆使して十両の地位を保った。新十両となった3月場所10日目の里山戦では足首を痛めたことで勝ち越しを危ぶまれたが、宮城野からは「楽しんで来い」と言われ、10日目の4勝6敗から9勝6敗まで持って行った[28]。この場所で幕下に陥落したら二度と十両には戻れないと思っていた石浦は、日大から送られた化粧廻しではなく鳥取城北から送られたものを締め込んだという。また、この場所の足首の怪我をきっかけに相撲が速くなったという[29]。10勝以上の大勝ちをした場所は無かったが10敗以上の大負けをした場所も無く、10場所目の2016年9月場所では東十両6枚目で9勝6敗の成績を挙げたことにより、この場所で幕内下位の成績不振者が多かったこともあり、翌11月場所で新入幕となった。本名での新入幕は遠藤以来。石浦は福岡県篠栗町の宮城野部屋の宿舎で会見し「幕内は夢のまた夢だったので、まさかこんな日が来るとは思わなかった。変な感じです」と謙虚に喜びを語った。石浦はそのうえで「小さくても、どんどん前に出て相手が嫌がる相撲を取って、自分らしさを出したいと」と抱負を述べた。鳥取県出身力士としては1963年の元横綱・琴櫻以来、53年ぶりの新入幕となったことについて石浦は、「先輩が偉大なので少しでも近づけるよう努力したいです。いま鳥取は地震で大変な時で避難しているかたもいます。一番でも多く勝って鳥取の皆さんを元気づけたいです」と話していた[30]。西十両筆頭で迎えた11月場所は、千秋楽に勝ち越しを決め、場所後の番付編成会議で1場所での再入幕を果たした。

新入幕の場所では初日に黒星の後で2日目から10連勝と星を積み重ね、幕内の優勝争いにも絡んだ。12日目から4連敗となり10勝5敗で終わったが、石浦はこの好成績により初めての三賞となる敢闘賞を受賞した。この場所の活躍により石浦は生まれて初めて父親に褒められたという[5]。2017年(平成29年)5月場所・宮城野部屋の千秋楽パーティーにおいて宇都宮市出身の23歳の女性と4月8日に入籍したことを発表した。結婚を報告した際には「責任が自分一人のものではなくなった。食べさせていけるように、より一層頑張りたい」と話した[31][32]。妻との出会いは白鵬がテレビに出演した際に付け人として付いてきたことがきっかけであり、食事会で白鵬に醤油をスッと持っていった気遣いの良さに好感を持ったという[33]。2017年1月場所からは4場所続けて白星も黒星も二桁に乗らない波の少ない成績を残していたが、東の10枚目で迎えた9月場所は他の力士に慣れられたのか持ち味である中に潜り込む相撲を取らせてもらえず、何もできずに圧倒される相撲が多く見られた。結局3勝12敗と入門以来初めての二桁の負け越しとなり、十両落ちが濃厚となった。10月1日、東京都内のホテルで結婚披露宴を開き、伊勢ヶ濱一門の関取衆や後援会の関係者など招待客500人が出席して祝福を受けた。元NHK会長の海老沢勝二は「助け合いと思いやりの気持ちで明るい家庭を作り、九州場所では一から出直す気持ちで頑張ってください」とはなむけと激励の言葉を述べ、石浦本人は「秋場所は負けて帰っても笑顔で迎えてくれて申し訳ないと思いました。これからは自分一人ではないので、幸せになってもらうため自分の相撲を取り切って頑張ります」と九州場所での再起を誓っていた[33][34]。同月26日の秋巡業鳥取場所では十両力士らと12番取って8勝。鳥取市内で14年ぶりに開かれた巡業に「14年前は中学生で手伝いをしていた。お相撲さんはデカイなと。まさか、14年後に自分が帰ってくるとは不思議」と石浦は感慨に浸った。十両転落が濃厚となった石浦は会場ののぼりを見て「石浦ののぼりが少ないな」と苦笑いしたが「元気をもらったので、今度は皆さんに元気を与えられるように」と誓った[35]。1場所の十両暮らしを経て2018年1月場所に再入幕。この場所は中日まで4勝4敗であったものの後半に星が伸びて14日目に勝ち越しを果たし、最終的に9勝6敗。5月場所は11日目までに9敗を喫するが、12日目から千秋楽までを4連勝して6勝9敗と踏みとどまった。7月31日の夏巡業勝山場所では申し合いを11番行った[36]

取り口[編集]

入門当初は100㎏に満たなかった体格に合わせ、投げや足癖などを駆使した相撲ぶりを特徴としていた[2]。十両時代には前述のとおり足癖や八艘飛びなどの技を駆使した。入幕したころからは正攻法の立合いが多くなり、2017年3月場所中一度も立合い変化をしなかったことなどはその好例である[37]。2017年1月場所前の座談会ではお笑い芸人チロが「舞の海さんとはタイプが違いますね」と感想を述べており「当たって左に動くことはあっても、立合いでいきなり変化することはないですからね。あの体で立派ですよ」と評価している[38]。だがその正攻法の相撲から体重の影響が大きく出ることがあり、2017年3月場所には初土俵以来初となる2場所連続での負け越しを喫するなど苦難を経験している[37]。ウエイトトレーニングなどで鍛えた筋肉が評価されることがあるが、父は寧ろ機敏な動きを評価しており[39]、本人もテレビのインタビューで巨体の力士を相手にすることに関して「あれはでかいだけだと思うことにしている」などと自分の機動力に自信を持っているかのような発言をしたことがある[39]。父はまた、舞の海と石浦はかなり違うタイプの力同士であるとしており、父は自著で「日本相撲協会の力士データによれば、舞の海の決まり手は、下手投げ38%、送り出し14%、その他36%でした。これに対して石浦の決まり手は、押し出し19%、寄り切り17%、送り出し13%、その他51%になっています(2017年3月場所終了時点での、過去6場所の取組結果に基づいて算出したもの)。(中略)このように石浦は、まだ舞の海ほど多彩な技を知らないという面もあるでしょうが、意外に寄り切り、押し出しなどの正攻法の攻めが多いという特徴があります。石浦が幕内最軽量の小兵ながら、2016年11月場所で10連勝し、敢闘賞までもらえたのは、動きのよさに加えて、正面からの正攻法を心掛けていたからだと思います」と解説している[40]。2017年5月場所6日目の妙義龍戦では、ロケットのように突っ込んで体格で勝る突き押し力士の妙義龍を押し出したことが話題になった[41]。石浦に押しの力があることを表わす一番である。現役時代、90㎏の軽量を活かして走るしかなかった父に似たのか相撲が速く[42]、2017年7月場所などは5秒以内で終わった相撲が15番中6番、3秒以内が6番であった[43]。十両昇進以降は大勝ちも大負けもしない波の少ない成績を残すのが特徴で、新十両から新入幕までの10場所は一度も二桁の勝ち負けは無かった。2017年9月場所で大敗を喫した原因として、同年11月場所前のコラムで舞の海は余計に動いてバタバタし、上手を引き付けて以降足を土俵から離してその瞬間に吊られるなど自滅が目立ったという趣旨の論評をしている[44]

エピソード[編集]

相撲・取組関連[編集]

  • 「角界のオシャレ番長」として知られており、ドイツ製の高級スーツケース「RIMOWA」を愛用(2個所持)。好きなファッションブランドはステューシーアンディフィーテッドシュプリームなどストリート系。音楽はレゲエを好む。大学時代はダンスクラブでタチの悪い客相手のガードマンをしていたこともある[45]
  • 序ノ口時代には白鵬と共に雑誌『相撲』の表紙を飾ったが、元横綱でありNHK解説者を務めている北の富士勝昭はこの様子を「白鵬の公私混同」と指摘している[46]
  • オーストラリア留学時代、現地の相撲の大会に出たらたまたま会場に映画監督がいて声をかけられ、オーディションに合格して映画『X-MEN』シリーズの敵役が決定したが、撮影間近に辞退[47]
  • 取的時代は白鵬の付け人についていたため白鵬の記者会見に同伴することも少なくなかったが、関取昇進会見では「見慣れているはず(の光景)なのに、記者会見で自分にカメラが向くなんて…」と初々しい様子をみせていた[48]
  • 石浦はアマチュア時代の山口について、「稽古はまるで喧嘩でした。たまにこっちが勝つと顔を張ってきた」と負けず嫌いであるという人物評を語ったことがある[10]
  • ライバルは宇良。2017年2月20日に好角家で知られるアイドルの山根千佳とトークショーを行い、同年3月場所で新入幕確実の宇良に対抗心を燃やした。参加者からライバルを問われると「宇良関ですね」と即答。「昔やった時は意識しないようにしてたけど、勝ちに行きます。(宇良は)面白い相撲取りますからね。負けたくない」と同じ小兵として意識していることを明かした。山根から対策を問われると「引かずに我慢すること」と話した[49]
  • 父・外喜義は妻(石浦の母親)に対しては石浦に関する相撲論を口にするが、いざ石浦本人に電話すると「どうだ。体の調子はおかしくないか。痛いところはないか」「何か困ったことはないか」と途端に相撲指導者から父親に視点を変えてしまい、「何ですか、今の電話は。私に言っていることと全然違うじゃないですか」と妻に言われることもあるという[50]
  • 父は最終的に入門に関しては石浦の意思次第だと考えていたが、石川にいる父の兄たちは猛反対であり「親も親だ。何をやっとるんだ。大体、自分の子供に甘すぎるんだよ」などと散々な言いようであった。ところが、父の兄たちは石浦が入幕するや否や熱狂的な応援者に立場を変え、石浦の場所座布団も父の兄たちが用意した[51]
  • 当たり負けしない体をつくるため、多忙な巡業中は「量より質」とトレーニングの負荷を高めた。1セット40回の腕立て伏せなら、半分は床を強く押して上体を起こし、空中で手をたたく。「力士はアスリート」と言い切る理論派らしいメニューで、バーベルやマシンが使えない巡業を乗り切ろうとしている[52]
  • 2017年4月8日に行われた春巡業藤沢場所では子どもとの稽古に参加したが、そこで男の子のまわしをつかんで振り回したら手を滑らせて子供を落としてしまった。会場は笑いにつつまれたが、男の子はどうやら急所を打ったようで、泣き顔。それでも大事には至らず、石浦は「焦りました」と冷や汗をかいていた[53]
  • 2018年3月場所の時点では弟弟子の炎鵬が自身より短身かつ軽量であり、炎鵬との稽古の中で「大きい人の気持ちがわかった。もっと相手の嫌がることをやらないと」とヒントを得た[54]

身体的特徴[編集]

  • 生まれつき左利き。父に食事や筆記で右利きに矯正されかけたが「ふてくされてご飯を食べなかった」と反抗したことがあり、それ以来無理に父は矯正をしなくなった[55]。野球の打撃だけ右打ち[56]
  • スクワット260kg、ベンチプレスも200kgを上げる。高校時代の50m走は6秒3。立ち幅跳びの3メートルは校内1位である[56]。2017年4月に出版されたの父の著書での話によると、握力は左が70㎏、右が100㎏[55]
    • 2018年の時点では、こうした高い筋力を培うために和田良覚をウエイトトレーニングのトレーナーとしている[57]

懸賞金・タニマチ・ファンクラブ関連[編集]

  • 石浦姓の豪族は加賀一向一揆で織田軍に鎮圧されて全国に離散したが、その多くは今の富山石川京都などに居を構え、金沢には石浦神社がある。そんなルーツをたどりながら「石浦姓で集まろう」と自然発生的に「全国石浦会」が発足した。新十両を機に不定期ながら、都内や巡業地での激励会や食事会などで、石浦を勝手連的に応援している。石浦の父、祖父も出身は石川県であり、そのため「会う人はみんな初めてなのに、最初から仲間意識、連帯感がありました」と石浦は語っている。新十両時に同会の宣伝部長に任命され、2016年11月場所から専務に“昇格”した[58]
  • 2017年1月7日、東京都江東区で「マクラーレン東京」から、同社が2014年に発売した緑色のスポーツカー「650S」がデザインされた化粧まわしを贈呈された。同社によれば自動車輸入会社から角界に化粧まわしを提供するのは初[59]。同年の一月場所ではマクラーレン・650Sで場所入りしている。
  • 2017年1月6日、1月場所から大和証券から懸賞が設定されることが明らかになった。相撲協会関係者によると証券会社の懸賞は過去に例はあるが珍しいという。大和証券は「弊社がターゲットにしている年齢層と大相撲ファンの年齢がマッチしている。相撲は今注目を集めているので我々を覚えていただきたい」と説明[60]

趣味・嗜好・験担ぎなど[編集]

  • 2015年の1年間ではタクシー代を100万円以上費やし、以降浪費を反省して興味があったスポーツタイプの自転車を足にして経費を浮かせている。「20キロ圏内ならこれで移動できる。足腰の鍛錬にもなりますから」が本人の弁[61][62]
  • また験担ぎとして、負けるまで髭を剃らないことを実行している。これは、石浦が取的時代からやってきた験担ぎであるが、石浦いわく「怒られたら剃りますけど…。そる機会が少ないようにしたいですね」と語っている[56]。2016年11月場所11日目には9連勝中だったものの、「汚くなってきたから…」という理由で髭は剃っていた。しかしその日の取組には勝利し、10連勝を記録した[63]
  • 「ちびっ子ギャング」の異名を取った元関脇の鷲羽山が力士としての理想で、2016年11月場所の場所入り前には映像を見た。プロ野球は阪神ファン。趣味はキャッチボールで、日大時代に貯金をはたいて黒地に赤と緑の線が入ったグラブを特注したほど[56]
  • 大銀杏を結う時には必ずガムをかむという。2017年5月23日から、自身がパッケージを手掛けたロッテ「キシリトールガム」が全国発売された。パッケージの色はその時に「テンションを上げられるように」と、大好きなレゲエをイメージして黄、赤、緑を採用。さらに柄には「相撲と分かるように」と桜や綱、軍配うちわなどをちりばめた。この日朝、完成品を手にすると「かっこいいっすねー」と気持ちが上がり、その効果からか3連勝。支度部屋では笑顔を見せ、相撲も気持ちもスッキリだった[64]
  • 2017年7月場所中日は守護霊となる幽霊の染め抜きで場所入りした[65]

トークショー関連[編集]

  • 2018年6月10日、東京都墨田区で行われたトークショーで、際どい発言を連発して会場を盛り上げた。 まずは鳥取城北高校に進学した話題になり、司会者から有名な先輩は誰かを問われると「一番の先輩は野球賭博で捕まった琴光喜関です」と言い、会場に集まった約100人のファンを笑わせた。さらに日大進学の話題では、反則タックル問題で揺れるアメフト部の練習グラウンドの隣で稽古していたことを明かし、相撲部の総監督を問われると「今理事長の田中先生です」と言って、もうひと笑いさせた[66]

食生活[編集]

  • 好物はさんま蒲焼き。2016年12月4日に年冬巡業大分場所が始まった際には関取最軽量114kg(当時)の体重を減らさないよう、さんまのかば焼き缶詰を持参。「昔から好きなんです。巡業の弁当は揚げ物が多いんで、魚を食べて体重を保ちたい」と話した。[67]
  • 納豆と塩サバも常食している。2017年1月に行われたインタビューで本人は「九州場所の昼飯は、ご飯とみそ汁に加えて毎日食べました。鳥取出身なので塩サバは大好物で、そのコンビは最高。(地元では)スーパーで安いのを買っても脂がのり、おいしいんです。でも、東京で塩サバを買ったら、めっちゃ干からびていてショックでした。今は地元から送ってもらっています」と語っている[68]
  • 中学・高校時代は父と同様に食事稽古にはあまり熱心でなかったようであり、父が食事に誘っても「お父さんと行くと食べさせられるから嫌だ」と断っていた[8][69]

主な成績[編集]

2018年9月場所終了現在

  • 通算成績:220勝194敗(35場所)
  • 幕内成績:74勝91敗(11場所)
  • 十両成績:86勝79敗(11場所)
  • 各段優勝
    • 序二段優勝:1回(2013年5月場所)
    • 序ノ口優勝:1回(2013年3月場所)
  • 三賞
    • 敢闘賞:1回(2016年11月場所)
石浦 将勝
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2013年
(平成25年)
(前相撲) 西序ノ口6枚目
優勝
7–0
西序二段8枚目
優勝
7–0
西三段目17枚目
6–1 
東幕下41枚目
5–2 
西幕下25枚目
6–1 
2014年
(平成26年)
西幕下11枚目
5–2 
東幕下5枚目
4–3 
西幕下2枚目
2–5 
東幕下11枚目
5–2 
西幕下6枚目
3–4 
東幕下10枚目
4–3 
2015年
(平成27年)
西幕下6枚目
6–1 
東十両14枚目
9–6 
東十両11枚目
8–7 
東十両9枚目
6–9 
東十両12枚目
8–7 
東十両10枚目
7–8 
2016年
(平成28年)
東十両10枚目
8–7 
西十両8枚目
8–7 
東十両6枚目
8–7 
東十両5枚目
7–8 
東十両6枚目
9–6 
東前頭15枚目
10–5
2017年
(平成29年)
西前頭9枚目
6–9 
西前頭11枚目
7–8 
西前頭11枚目
8–7 
西前頭8枚目
7–8 
東前頭10枚目
3–12 
西十両筆頭
8–7 
2018年
(平成30年)
東前頭15枚目
9–6 
東前頭12枚目
7–8 
東前頭13枚目
6–9 
東前頭15枚目
7–8 
西前頭16枚目
4–11 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 石浦 将勝(いしうら まさかつ)2013年1月場所 -

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『相撲』2016年9月号66ページ
  2. ^ a b 『相撲』2014年2月号92頁
  3. ^ 『相撲』2016年11月号63ページ
  4. ^ 「将勝」の名前は祖父が付けたものであり「将軍に勝つ」「いちばん強い人に勝つ」という意味だと石浦には伝えられた。
  5. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年2月号21ページ
  6. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年12月号(九州場所総決算号) 85頁
  7. ^ 指導者紹介鳥取城北高等学校相撲部 2014年7月25日閲覧
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p48-50
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]