随筆春秋

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随筆春秋
随筆春秋 創刊号 表紙(枠付).jpg
随筆春秋 創刊号
(黎明期のシンプルな装丁)
ジャンル 文藝エッセー
読者対象 中学生以上の男女
刊行頻度 年2回発刊(春・秋)
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
定価 1,320円(税込)
出版社 一般社団法人随筆春秋
編集部名 随筆春秋事務局
発行人 池田 元
編集長 富山竣就
刊行期間 1993年(平成5年)3月創刊
ウェブサイト 随筆春秋 公式ホームページ
特記事項 各号印刷部数:400 - 800部
毎号:電子書籍も出版
会員総数:約120名
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随筆春秋(ずいひつしゅんじゅう)は、1993年(平成5年)創刊の同人誌[1]。また、その発行団体の名称。

概要[編集]

団体としての随筆春秋は、現在は法人格を取得し一般社団法人となっている。公募の文学賞、随筆春秋賞を主催する。対象はエッセー。会員数は、事務局員も含み120名以上を擁する。以前は国分寺市に事務所を構えていたが、現在は都内の駒込に移転している。文学活動においては「同人誌 随筆春秋」、経営母体を表現する場合には「一般社団法人随筆春秋」と使い分ける。2019年(令元)、一般社団法人となってからは事業範囲を拡大し、会員のエッセーや小説を書籍として出版する事業も手掛けている。電子版、製本版(紙の書籍)の両方に対応。DTPはすでに内製化している。つまり、営業、企画、編集、デザイン、組版版下校正校閲[2]も含む)、製版刷版までの一連を随筆春秋が行う。担当は、編集長の富山竣就[3][4]校閲と、巻末のあとがきの執筆は、代表の近藤健が担当している。裏方の事務局は、荒川十太、正倉一文が担当。ほかに、添削指導部、随筆春秋賞審査部があり、10名ほどで分担している[5]。なお、随筆春秋(同人誌)は、春と秋の年2回の発行である。具体的には3月と9月。事務局からの直販と、Amazon.co.jpでは電子版と製本版の両方を扱っている。発行部数は、春、秋の各号が、少なくとも400部超と推定される。

随筆春秋では、以前から、インターネットの活用にも力点を置いている。同人誌 随筆春秋 公式HP(メインサイト)、代表 近藤 健 公式HP(人物と作品群)、随筆春秋資料室(随筆春秋の歴史、先生方、こぼれ話など)、随筆春秋の電子書籍/ 一般書籍(販売サイト)、随筆春秋の画家  山下暎二[6](人物と作品紹介)などを開設中である。ほかにYouTubeSNSも活用している。[7]

沿革[編集]

随筆春秋の現在のロゴ(早坂暁による揮毫)

創設[編集]

堀川としは、1911年(明44)、群馬県吾妻郡中之条町で生まれた。女学校から師範学校へと進み、1929年(昭4)には小学校の教諭となっている。1936年(昭11)、職業軍人堀川義武の妻となる。翌年、2人の間には長男、敦厚(あつたか)が誕生した。後の堀川とんこうである。さらに数年後には娘も得て一家は4人家族となった。1959年(昭34)、ついに夫義武の事業が行き詰まり、一家は夜逃げ同然に上京した。長男の敦厚は東京大学に合格してすでに上京していたので、としと娘があとから東京に出て来たことになる。夫の義武も一緒だ。このとき、美容師見習いである娘の婚約者[8]も堀川一家を追って上京している。最初のうちはバラバラに生活していたが、彼らは中野にあるとしの仕事場で、ようやく一緒に暮らすことができるようになった。としは、洋裁請負業を手掛けていた。やがて、明るく積極的なとしの人望もあり、彼女が中心となって杉並で美容室を開店する[9]。実業家、堀川としの誕生である。娘の婚約者をヘアカットのスターに押し上げ、結局、1984年(昭59)までに、19店舗を展開する企業をつくり上げた。かくして70歳を過ぎてからようやく生活の労苦から開放されたとしは、余暇を楽しめる境涯となる。そんなとしは、1993年(平5)3月に同志を募って、随筆春秋を創設した。彼女は82歳になっていた。

  • 1993年 ‐ 堀川とし(演出家、プロデューサー、映画監督の堀川とんこうの実母)を中心として発足。
  • 1993年 ‐ 斎藤信也(元朝日新聞記者、朝日カルチャーセンター講師、東京大学卒)を代表に迎える。
  • 1993年 ‐ 3月 同人誌 随筆春秋の創刊号[10]を発刊。
  • 1995年 ‐ これ以降、佐藤愛子金田一春彦早坂暁らの協力を得て発展。のちに北杜夫布勢博一竹山洋らが加わる。
  • 1996年 ‐ この年の初め、代表取締役が、堀川としから斎藤信也に交代した。としの病気が原因である。当時、随筆春秋有限会社だった。

社長交代[編集]

1996年10月25日、随筆春秋の生みの親であり、有限会社随筆春秋の代表取締役だった堀川としが永眠した。享年84歳。1994年の半ばごろ「胃に悪い病気があるらしいの」と、夜遅い時間に電話がかかってきた。いつもと変わらぬ明るい声で、「先生、とうとうやられちゃった。手術することになっちゃったよ」と、笑いながらの電話だったが、言いようのないショックで言葉を失い、斎藤信也は「頑張って!」と答えるのが精いっぱいだった。その後、1996年の秋、「ものが食べられなくなっちまったよ。また入院だけど、今度は本当にダメかもしれない」という伊豆からの電話を最後に、2度とベッドから戻ることなく、10月25日、永遠の旅路に就いた。まだまだ元気に歩き回っていた1995年の暮、堀川は「先生に頼みがある。代表の座にいるのは無理だから、バトンタッチしてよ」と言い出した。斎藤は、「ダメだよ、あなた以外に適任者はいない」と強く反対したが、その後も折に触れて持ち出され、とうとう1996年の初め、主だったメンバーを新宿の談話室滝沢に招集し、「私は社長を退く。あとは斎藤先生にお願いする。みんな仲よくやっておくれ」と宣言した。有無を言わせぬ迫力だった。斎藤はその申し出を引き受けた。

内助の功[編集]

随筆春秋佐藤愛子(直木賞作家)、早坂暁(脚本家)を結びつけのは、堀川とんこうの妻の高木凛(脚本家)である。随筆春秋(同人誌)の第34号から第43号までは、高木自身も寄稿していた。創業期には、有名企業からの広告を獲得し、経済面での基盤づくりにも貢献した。

その他のエピソード[編集]

演出家 故 堀川とんこう 随筆春秋創設者 堀川とし、の長男

芥川賞作家、遠藤周作をゲスト指導者として迎えたこともある。遠藤周作は、川上宗薫と並んで、佐藤愛子が最も懇意にした異性の作家仲間である[11]

主な関係者一覧[編集]

  • 池田元(同事務局長、代表理事[12]
  • 富山竣就(同編集長、DTP 制作プロデューサー)[4][12]
  • 正倉一文(同事務局次長、文学賞審査担当)[12]

(※太字は、存命人物)

脚注[編集]

  1. ^ 以下URLは、国会図書館オンラインの検索結果。 https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000007703166-00 ここに、同人誌 随筆春秋の記録がある。創刊号が1993年3月であることが分かる。
  2. ^ 校正の内でも、原稿との突き合わせを超えた部分に関しては「校閲」と呼ばれる。以下URLに、当該事項の説明あり。https://manual-torisetsu.com/blog/2989/ 「校正と校閲の違いとは? 2分でわかる用語解説」より
  3. ^ 随筆春秋とは”. 随筆春秋. 2022年3月27日閲覧。
  4. ^ a b 以下URLは、同人誌 随筆春秋(一般社団法人)公式HP内のページ。https://zuishun-bookshelf.themedia.jp/pages/3359004/shop その「随筆春秋の電子ブック」内の「PRODUCT」のページに、富山竣就(とみやましゅんじゅ / DTP 制作プロデューサー、編集長)の考え方が記述されている。
  5. ^ 以下URLは、近藤健(作家)公式HP内のページ。https://conkendo.amebaownd.com/posts/20494696 ここに、同人誌 随筆春秋の組織が掲載されている(随筆春秋 第55号 2021年3月発行 297ページより)。
  6. ^ 同人誌 随筆春秋の画家 山下暎二”. 一般社団法人随筆春秋. 2022年5月2日閲覧。
  7. ^ 随筆春秋のホームページ一覧”. 一般社団法人随筆春秋. 2022年5月22日閲覧。
  8. ^ 婚約者である荻原宗(おぎわらそう)は英国に渡り、カットの魔術師ヴィダル・サスーンに師事する。日本において、ヘアカットを代金の取れる手技として定着させた。それまでカットといえば家庭内で母親が娘に対して行うなど、金の取れない仕事とされていた。
  9. ^ 1960年(昭35)、杉並区に「荻原宗美容室」1号店をオープン。全国展開を目指す。
  10. ^ 以下URLは、国会図書館オンラインのページ。https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000007703166-00 ここに同人誌 随筆春秋の記録があり、1993年3月に創刊号を発刊していることが分かる。
  11. ^ 佐藤愛子の著作『晩鐘』、『血脈』(巻)に、この辺りの件(くだり)が書かれている。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p https://zuishun-episode.amebaownd.com/posts/23057733 左記は、「随筆春秋資料室」内の「随筆春秋とは」というウェブページ。ここに当該人物の随筆春秋との関わりについて記述がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]