有馬頼義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

有馬 頼義(ありま よりちか、1918年大正7年)2月14日 - 1980年昭和55年)4月15日)は日本小説家で、大衆小説社会派推理小説で活躍した。旧筑後国久留米藩主有馬家の第16代当主。

出自[編集]

伯爵有馬頼寧の三男として東京市赤坂区青山に生まれる。母貞子は北白川宮能久親王の第二女王女子。

頼寧の母・寛子(頼義の祖母)は岩倉具視の五女。頼義の妹・澄子は足利惇氏の妻。姉の正子は亀井茲建の妻であり、衆議院議員亀井久興は甥にあたる。

兄2人の早世と病弱により早くから伯爵家を嗣ぐことを決められる一方、有馬家と母の実家・北白川宮家の複雑な家庭環境を肌で感じる多感な幼少期を過ごした。

複雑な家庭環境とは以下の通り。父・頼寧の実母・寛子は岩倉具視の娘であったが、頼寧出産後、有馬家によって一方的に理由不詳のまま岩倉家に返され、離婚に追い込まれた(後に森有礼と再婚)。

また、母・貞子は側室の岩浪稲子出生であったが、北白川宮家での貞子母子の立場の悪化を懸念した有馬韶子(有栖川宮韶仁親王女・曽祖父頼咸の正妻)によって有馬家に迎えられた。

この時に貞子の母も有馬家に同行したが、あくまで「女中」という扱いをされたため、実娘の貞子からですら呼び捨てにされるという奇妙な状態であった[1]

経歴[編集]

学習院初等科卒業。野球に熱中し、成蹊高等学校を中退。早稲田第一高等学院に入って小説を書き始め、片岡鉄兵の知遇を得る。在学中の1937年に短篇集『崩壊』を上梓。その原稿料を受け取ったことが問題とされて放校処分を受ける。徴兵延期の特権を失い、1940年に兵役に就いて満洲に渡る。

3年間の軍隊生活を経て帰国後、同盟通信社社会部記者となり、周囲の反対を押し切って、1944年に芸者だった千代子と結婚[2]

1944年、『晴雪賦』によって第4回国民演劇脚本情報局賞受賞。

戦後[編集]

敗戦後、農相だった父が戦犯容疑者として拘禁され、財産差押えを受ける。家は貧窮生活に転落し、古道具屋、ビルのガラス拭きやアコーディオン弾き、友人が編集していたカストリ雑誌『アベック』の常連執筆者、『日刊スポーツ』の記者などで生計を支えた。

直木賞受賞まで[編集]

雑誌への投稿により、1950年に『河の唄』で『改造』第1回懸賞選外佳作入選。1951年、『皇女と乳牛』で『文藝春秋』懸賞入選。

1952年に田辺茂一と知り合い、同人誌「文学生活」に参加。1954年、これに発表した作品を集めた『終身未決囚』が認められ、表題作により第31回直木賞受賞。この後『別冊文芸春秋』『オール読物』『面白倶楽部』などに旺盛に作品を発表。

推理小説[編集]

1956年「三十六人の乗客」以来推理小説も書き、『四万人の目撃者』『リスと日本人』『殺すな』は、同じ高山検事の登場する三部作となっている。

『貴三郎一代』は型破りな初年兵を主役にした悪漢小説的な作品で、のちに『兵隊やくざ』の題で大映で映画化されて大ヒットし、シリーズ化もされた。

1959年、『四万人の目撃者』で日本探偵作家クラブ賞受賞。賞に推された際は、野球小説のつもりで書いたとして辞退していたが、江戸川乱歩の強い薦めにより賞を受けた。

石の会[編集]

1960年代から、自宅に若手作家たちを集めて「石の会」を主宰。高井有一高橋昌男色川武大佃実夫萩原葉子室生朝子後藤明生森内俊雄渡辺淳一梅谷馨一早乙女貢らが参加していた。

1963年の『小説現代』創刊以来の新人賞選考委員を務め、受賞者の五木寛之中山あい子北原亞以子らもこの中におり、落選した立松和平も有馬家で作家修行をした。

中央公論社の編集者時代の澤地久枝と不倫の関係となり、澤地は1963年に退社。

1970年には、『早稲田文学』編集長に就任。

自殺未遂[編集]

1972年5月、川端康成の死に誘発されてガス自殺未遂を起こし、一命は取り留めたものの、以後はいくつかの随筆を書いた程度で執筆活動から遠ざかった。

遺族の証言では、以前から極度の薬物依存症であったのが原因と言われる[3][4]

また1971年の『小説現代』8月号に発表した『カストリ雑誌前期』において、そこで引用した匿名の小説について「作者の創作でなく盗作である。盗作の事実を認めず慰謝料を払わなければ新聞沙汰にする」との脅しを受け、内密に約100万円の慰謝料を支払わされたことがあり、これを取り次いだ編集者の大村彦次郎は自殺未遂にこの事件が尾を引いていないかとしている[5]

東京空襲を記録する会」で「東京大空襲・戦災誌」の編纂代表を務め、1974年に菊池寛賞を受賞。

晩年[編集]

晩年は、自殺未遂で入院時の看護婦を愛人とし、家族と離れ、愛人と暮らし[6]、家族・知己・文学関係者との繋がりもほとんど絶って隠棲していた。1980年4月15日未明に自邸で倒れ、同日午後9時15分に東京都杉並区の駒崎病院において脳溢血のため死去[7][8]。62歳没。戒名は大有院殿謙山道泰大居士。

作品[編集]

  • 「終身未決囚」は大川周明を思わせる人物の内面を描いたもので、他にも多くの作品で戦争批判が込められている。
  • 血友病という病気を抱えた男を描く「失脚」や、軍人の子として生きる少年の懐疑を描く「葉山一色海岸」は、生まれながらの運命を抱えた人間をとらえようとして、有馬頼寧の子である自身の境遇の影響が見られ、疎外された人間への注目は「殺意の構成」などにも現れる[9]

著作リスト[編集]

  • 『崩壊』富士印刷出版部 1937
  • 『ある父と子の話』日本公論社 1939 
  • 『経堂日記』瑞穂社 1946
  • 『蕩児』蒼土社 1948
  • 『終身未決囚』作品社 1954 のち旺文社文庫 
  • 『皇女と乳牛』河出新書 1955
  • 『姦淫の子』作品社 1955
  • 『少女娼婦』鱒書房(コバルト新書) 1955
  • 『やどかりの詩』鱒書房 1956
  • 『空白の青春』作品社 1956
  • 『毒薬と宰相』大日本雄弁会講談社(ロマンブックス) 1956
  • 『三十六人の乗客』角川書店 1957 のち旺文社文庫、光文社文庫  
  • 『幽霊の唄が聞えてくる』筑摩書房 1958
  • 『失脚』中央公論社 1958
  • 『この手が人を殺した』小壷天書房, 1958
  • 『四万人の目撃者』講談社 1958 のち角川文庫中公文庫、光文社文庫、双葉文庫    
  • 『美貌の歴史』光文社 1958
  • 『象牙座殺人事件』六興出版部 1958
  • 『夜の配役』文藝春秋新社 1959
  • 『バラ園の共犯者』平凡出版 1959
  • 『ガラスの中の少女』角川書店, 1959 のち光文社文庫 
  • 『現行犯』角川文庫 1959
  • 『黒いペナント』角川書店 1959 のち光文社文庫 
  • 『リスとアメリカ人』講談社 1959 のち角川文庫 
  • 『裁かれる人々』光風社 1959
  • 『葉山一色海岸』中央公論社 1959 のち角川文庫 
  • 『遺書配達人』文藝春秋新社 1960 のち旺文社文庫、光文社文庫 
  • 『殺意の構成』新潮社 1960
  • 『火と風の論告』毎日新聞社 1960
  • 『風熄まず』角川書店 1960
  • 『化石の森』講談社 1960
  • 『くちびるに紅を』中央公論社 1961
  • 『謀殺のカルテ』文藝春秋新社 1961
  • 『行列の中の彼』講談社 1961
  • 『悪夢の構図』春陽文庫 1961
  • 『虚栄の椅子 長兵衛と権八』角川書店 1962
  • 『女波』中央公論社 1962
  • 『背後の人』文藝春秋新社 1962 のち旺文社文庫 
  • 『月光』浪速書房 1962
  • 『殺すな』講談社 1962 のち角川文庫
  • 『山河ありき』中央公論社 1962
  • 『悪魔の証明』中央公論社, 1963
  • 『結婚の夜』毎日新聞社 1963
  • 『少年の孤独』角川書店 1963
  • 『狼葬』講談社 1963
  • 『隣りの椅子』文藝春秋新社 1963
  • 『ある恋のために』集英社 1964
  • 『風のない夜』講談社 1964
  • 『三人の求婚者』文藝春秋新社(ポケット文春) 1964
  • 『聖夜の欲情』河出書房新社 1964
  • 『風塵に消えた館』桃源社(ポピュラー・ブックス) 1964
  • 『貴三郎一代』正続 文藝春秋新社 1964-66 のち旺文社文庫、「兵隊やくざ」光文社文庫、光人社文庫  
  • 『生存者の沈黙』文藝春秋 1966
  • 『夕映えの中にいた』読売新聞社 1966
  • 『赤い天使』河出書房新社 1966 増村保造によって映画化
  • 『母 その悲しみの生涯』文藝春秋 1967
  • 『廃墟にて』講談社 1967
  • 『小隊長、前へ』文藝春秋 1968
  • 『巡査の子』文藝春秋 1968
  • 『密室の眠り』講談社 1969
  • 『悠久の大義』講談社 1969
  • 『少女の語り』文藝春秋 1969
  • 『二・二六暗殺の目撃者』読売新聞社 1970
  • 『宰相近衛文麿の生涯』講談社 1970
  • 『小説昭和事件史』全5巻 三笠書房 1970-71
  • 『郵便兵の反乱』三笠書房 1970
  • 『原点』毎日新聞社 1970
  • 『有馬頼義の本』ベストセラーズ 1970
  • 『東京空襲19人の証言』(編)講談社 1971
  • 『続・隣りの椅子』文藝春秋 1971
  • 『小説靖国神社新日本出版社 1971
  • 『大陸』毎日新聞社 1971
  • 『山の手暮色』講談社 1971
  • 『乃武子の災難』講談社 1971
作品集
  • 『現代長篇小説全集 有馬頼義・新田次郎集』講談社 1959年
  • 『推理小説大系12 有馬・新田・菊村集』東都書房 1960年
  • 『現代長編推理小説全集4』東都書房 1961年
  • 『長篇小説全集14 有馬頼義集』講談社 1962年
  • 『新日本文学全集3 有馬頼義集』集英社 1962年
  • 『有馬頼義推理小説全集』全5巻 東邦出版社 1971年
  • 『兵隊小説伝記選』全6巻 光人社 1983-84年

映画化作品[編集]

短編「ガラスの中の少女」は、吉永小百合後藤久美子の主演で2度映画化されている。

  • 『殺人現行犯』東映 1956年
  • 三十六人の乗客東京映画 1957年
  • 『夜の配役』歌舞伎座プロ 1959年
  • 『リスとアメリカ人 廃墟の銃声』東映 1959年
  • 『四万人の目撃者』松竹 1960年
  • 『ガラスの中の少女』日活 1960年
  • 『三人の息子』松竹 1962年
  • 『兵隊やくざ』大映 1965年(原作は『貴三郎一代』)
  • 『赤い天使』大映 1966年
  • あゝ声なき友』松竹 1972年(原作は『遺書配達人』)
  • 『ガラスの中の少女』東映 1988年

テレビドラマ[編集]

その他[編集]

前任の『早稲田文学』編集長であった立原正秋には、一方的に嫌われていたという[10]

作家の渡辺淳一は数少ない親交のあった文壇関係者で、頼義の自殺未遂時に応急手当をした。

野球好きは有名で東急フライヤーズのテストを受けたこともあり、1947年から十数年間、地元のチームでマネージャー兼投手をしていた。また、一時期、成蹊大学野球部監督を務めた。『黒いペナント』などの野球を題材とした小説を『週刊ベースボール』に複数発表するなどもしている。

嗣子有馬頼央(よりなか、第17代当主)は東京日本橋水天宮宮司を務めている。

中山あい子の小説「春の岬」は、有馬夫妻を題材に書き上げられたものであるとされる。

参考文献[編集]

  • 平野謙「解説」、「有馬頼義年譜」(『新日本文学全集3』)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『想い出の作家たち 2』文藝春秋編 ISBN 4163478604
  2. ^ この顛末は後に『夕映えの中にいた』で描かれた。
  3. ^ 『想い出の作家たち 2』
  4. ^ 子息・有馬頼央の回想(『武将の末裔』p.57-p.58 『週刊朝日』ムック ISBN 978-4-02-277033-2
  5. ^ (大村彦次郎『文壇うたかた物語』筑摩書房1995年。pp.220-221)
  6. ^ 大森光章『続たそがれの挽歌』菁柿堂 P.29
  7. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)17頁
  8. ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)19頁
  9. ^ 平野謙による
  10. ^ 高井有一『立原正秋』新潮社 ISBN 4101374112

外部リンク[編集]

先代:
有馬頼寧
摂津有馬氏当主
第16代
次代:
有馬頼央