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江戸川乱歩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江戸川 乱歩
(えどがわ らんぽ)
ペンネーム 江戸川 乱歩
小松 龍之介
誕生 平井 太郎
(1894-10-21) 1894年10月21日
日本の旗 日本三重県名賀郡名張町(現在の名張市
死没 (1965-07-28) 1965年7月28日(70歳没)
日本の旗 日本東京都豊島区池袋
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 早稲田大学大学部政治経済学科
活動期間 1923年 - 1965年
主題 推理小説怪奇・恐怖小説[※ 1]
代表作D坂の殺人事件』(1925年)
陰獣』(1928年)
孤島の鬼』(1930年)
黒蜥蜴』(1934年)
怪人二十面相』(1936年)
幻影城』(1951年、評論)
探偵小説四十年』(1961年、自伝)
主な受賞歴 紫綬褒章(1961年)
勲三等瑞宝章(1965年)
デビュー作二銭銅貨』(1923年)
子供 平井隆太郎
親族 平井蒼太 (次弟)
平井憲太郎(孫)
松村喜雄(従妹の息子)
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江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、本名:平井 太郎〈ひらい たろう〉[1]1894年明治27年〉10月21日 - 1965年昭和40年〉7月28日)は、日本推理作家怪奇・恐怖小説家[※ 1]アンソロジスト[※ 2]日本推理作家協会初代理事長位階正五位勲等勲三等。ペンネームの由来は、小説家のエドガー・アラン・ポー[2][※ 3]のもじり。

大正から昭和期にかけて活躍し、主に推理小説を得意とした。また、第二次世界大戦後は推理小説分野を中心に評論家や研究家、編集者としても活躍した。乱歩の寄付で創設された江戸川乱歩賞が推理作家の登竜門となるなど、後世にも大きな影響を与えた。自らも実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。

経歴

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生い立ち

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乱歩生誕地碑広場

1894年(明治27年)、三重県名賀郡名張町(現在の名張市)に名賀郡役所書記の平井繁男ときくの長男として生まれる(本籍地は同県津市)。平井家は武士の家柄で、祖先は伊豆伊東郷士だった。のちに伊勢津藩藤堂家に仕え、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げた。

2歳の頃父の転勤に伴い三重県鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)、翌年、愛知県名古屋市に移る。以降、大人になっても引越しを繰り返し、生涯で46回引っ越した。

小学生の頃に母に読み聞かされた菊池幽芳訳『秘中の秘』(ウィリアム・ル・キュー原作)が、探偵小説に接した最初であった。中学校では、押川春浪黒岩涙香の小説を耽読した。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業後、早稲田大学政治経済学科に進学。在学中に(メルヴィル・D・ポーストに先んじた世界初のトリックという意味で)傑作の処女作『火縄銃』を執筆。博文館の雑誌『冒険世界』に投稿するが、掲載はされなかった[4]。卒業後は貿易会社社員、古本屋支那そば屋など多くの仕事に勤務。

就職と結婚

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1917年(大正6年)11月、三重県鳥羽の鳥羽造船所電機部(現・シンフォニア テクノロジー)に就職。庶務課に配属されたが、技師長に気に入られ、社内誌『日和(にちわ)』の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に回された[5]。無断欠勤などもあったが許されていたという。『日和』では編集のみならずイラストも描いている[6]。この会社は1年4か月で退職するが、この時期の体験が『屋根裏の散歩者』『パノラマ島奇談』の参考になったという[5]

1919年、読み聞かせ会で知り合った坂手島の小学校教師である村山隆子と結婚する[6]

作家デビュー

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1923年(大正12年)、森下雨村小酒井不木に激賞され[7]、『新青年』に掲載された『二銭銅貨』でデビューする。欧米の探偵小説に強い影響を受け[8]、本格探偵小説を志す一方で『心理試験』『赤い部屋』といった変格とみなせるような作品も書き、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。『人間椅子』や『鏡地獄』に代表されるようなフェティシズムや怪奇小説の部類も初期から執筆しており、岩田準一とともに研究していた衆道少年愛少女愛男装・女装、人形愛、草双紙サディズムやグロテスク、残虐趣味などの要素を含んだ通俗探偵小説も、昭和初期から一般大衆に歓迎された。

当初は小説家として生計を立てるか悩んだと述べており、デビュー作『二銭銅貨』以降は、あくまで兼業の趣味の範疇として散発的に短編小説を執筆するに留まっていた。1925年に森下の企画で『新青年』に6か月連続短編掲載するにあたってその2作目の『心理試験』が好評で踏ん切りがついたと述べている。ここで会社を辞めて小説家一本にしたが、探偵小説家としては早くも行き詰まり、連続掲載の6作目に当たる『幽霊』は自ら愚作と評し、小説家になったことを後悔したという。しかし、森下の紹介で『写真報知』や『苦楽』にも掲載を持てることとなり、探偵小説専門誌である『新青年』には載せられないような通俗的な作品の執筆で生計が安定した。

海外作品に通じ、翻案性の高い作品として『緑衣の鬼』『三角館の恐怖』『幽鬼の塔』などを残している。このほか、探偵小説に関する評論(『幻影城』など)を残している。

また、少年向けとして1936年に発表した、明智小五郎と小林少年や少年探偵団が活躍する『怪人二十面相』は、少年層からの圧倒的な人気を得てシリーズ化され、その他にも少年向けの作品が作られるようになった。

晩年から死去

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平井家の墓の右脇に江戸川乱歩の墓標がある

戦後も主に評論家、プロデューサーとして活動するかたわら、探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わった。また、日本探偵作家クラブの創立と財団法人化に尽力した。同クラブに寄付した私財100万円の使途として江戸川乱歩賞が制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となる。 晩年は高血圧動脈硬化副鼻腔炎(蓄膿症)を患い、さらにパーキンソン病を患ったが[9]、それでも家族に口述筆記させて評論・著作を行った。

1965年(昭和40年)7月28日、蜘蛛膜下出血のため東京都豊島区池袋の自宅で70歳で没した[10]戒名は智勝院幻城乱歩居士。31日、正五位勲三等瑞宝章を追贈される。8月1日、推理作家協会葬が行われた。墓所は多磨霊園(26区1種17側6番)。

業績

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小説家として

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創作活動初期は、『D坂の殺人事件』『心理試験』など、いわゆる本格派推理小説(探偵小説)の短編作品を執筆し、日本人の創作による探偵小説の基礎を築いた。トリックや題材に欧米の諸作からの影響を感じさせるが、単なる模倣でなく乱歩の独創性が活かされている。

探偵小説の王道というべき本格派を志向していたが、それらの作品は大衆からあまり支持されなかった。大衆は幻想・怪奇小説、犯罪小説に分類できる変格ものと称される作品を好んだ。『赤い部屋』『人間椅子』『鏡地獄』などが代表的な変格ものといえる。

1926年(大正15年)12月より1927年(昭和2年)2月までの約3か月間、朝日新聞に『一寸法師』を連載する。病欠の山本有三の代役だった。作品は評判がよく、映画化された。しかし乱歩は小説の出来に満足できず休筆宣言をし、各地を放浪したという(以後、戦前の乱歩は「休筆中に放浪」というパターンが多くなる)。

1928年(昭和3年)8月、14か月の休筆のあと、乱歩は自己の総決算的中篇『陰獣』を発表する。これは変態性欲を題材にした作品で、不健康とみなされた一方、横溝正史(当時の探偵小説の雑誌『新青年』の編集者)により「前代未聞のトリックを用いた探偵小説」と絶賛された。戦前の本格探偵小説の新時代を築いたといえる。『新青年』は『陰獣』を8月増刊号、9月号、10月号の3回に分けて掲載したが、初回の載った増刊号は増刷するほどで、当時の世評の高さがうかがえる。

1929年(昭和4年)8月より通俗長編『蜘蛛男』をかねてより執筆依頼のあった『講談倶楽部』に連載する。この作品は自身の趣向であった「エログロ・猟奇・残虐趣味」を前面に押し出したものだった。作品は大好評で、これを契機として乱歩は続けざまにヒット作を連発させる。単行本は数十版を重ねた。これは探偵小説をポピュラーな地位に押し上げたといえる(通俗長編について乱歩は、黒岩涙香モーリス・ルブラン、ポーなどから着想をえたと言っており、事実、そのような作品が多い)。

乱歩の通俗長編が大衆に歓迎された理由は、作品自体の面白さ以外に、時代的背景が影響していたといえる。金融恐慌の影響で、世間にはいわゆる「エログロナンセンス」といわれる退廃的気風が満ちていた[11]。これらの通俗長編は、初期作品に比べると破綻があり(乱歩自身認めている)、これがミステリーの低俗化を招いたとする批判がある。評論家の権田萬治は、著書『日本探偵作家論』において、乱歩の長編は翻案など一部を除きほとんどがプロットに破綻をきたしていると述べ、作品としての完成度を批判している。一方、乱歩と長年親交のあった評論家中島河太郎は、1974年刊の『小学館万有百科事典』(ジャンルジャポニカ)において、低俗性を認める一方で、市場拡大の貢献を言及している。

1931年(昭和6年)5月、乱歩初の『江戸川乱歩全集』全13巻が平凡社より刊行開始された。総計約24万部の売り上げを記録し、経営の行き詰まっていた平凡社を建て直すきっかけになったという。

乱歩は執筆に関して、長編小説のプロットをまとめることが苦手だったという。多くの長編連載を場当たりで執筆し、筋の展開に行き詰まってしまうことがあった。ストーリー展開の行き詰まりから休筆を繰り返すこととなった。また、長編を作り上げるにあたり、程度の低い作品を書いているという意識に苛まれていた。これも休筆の要因といえる。

とりわけ、探偵小説の本舞台である『新青年』に本格ものを書こうとして行き詰まった経緯がある。『悪霊』は1934年(昭和9年)1月号までに3回中断し、探偵文壇の不評を被った。これ以外に、木々高太郎小栗虫太郎らの台頭により、乱歩は自分の時代が過ぎ去ったと感じ始める。

1935年(昭和10年)頃より、乱歩は評論家として広く活躍し始める。評論集『鬼の言葉』は、その最初の成果である。その一方で、1936年(昭和11年)初めての少年ものを執筆する。のちにシリーズ化される『怪人二十面相』を雑誌『少年倶楽部』に連載した。この作品は少年読者の圧倒的支持を受け、乱歩のもとに多数のファンレターが来たという。以後、乱歩は創作レパートリーに少年ものを定期的に加えるようになった。

日本が戦争体制を強化していくに従い芸術への検閲が強まっていき、日中戦争に勃発した1937年(昭和12年)頃よりその度合いは強くなった。探偵小説は内務省図書検閲室によって検閲され、表現の自由を制限された。一説では、内務省のブラックリストに乱歩の名が載っていたという[要出典]

1939年(昭和14年)以降は検閲が激化し、無茶な削除訂正が頻発し、『芋虫』が発禁になっている。

1941年(昭和16年)に入ってからは原稿依頼が途絶え、旧著がほぼ絶版になった。同年12月、日本が太平洋戦争に突入すると、探偵小説は少年ものですら執筆不可能となり、乱歩は小松龍之介の名で子供向きの作品(科学読み物「知恵の一太郎」など)や内務省の検閲対象とならない海軍省の会報に論評を載せるなどしていた[12]

この時期、少年時代のノートから気になった近年の新聞記事など取り溜めておいた資料をスクラップブックに貼るようになった。他見させるつもりはなかったようであるが、没時までに9冊に増え、後に『貼雑年譜』(はりまぜねんぷ)として復元・刊行され、乱歩自身や日本の推理小説史の貴重な史料となっている[13]

太平洋戦争中、抹殺されていた探偵文壇は戦後、GHQの占領政策終了のもと復興し始める。戦後は、創作以外に活動の幅を広げ、評論や講演を行う。また、1946年から始めた愛好家の集まり「土曜会」を発展させ、1947年に探偵作家クラブ(後の日本推理作家協会)の結成を行う。雑誌『少年』1949年(昭和24年)1月号から連載の『青銅の魔人』で少年向け小説を再開する。

評論の分野では、1947年(昭和22年)に『随筆探偵小説』を上梓。1951年(昭和26年)には『幻影城』、1954年(昭和29年)に『続・幻影城』、1958年(昭和33年)に『海外探偵小説作家と作品』が上梓される。これらの評論集は、乱歩の優れた批評眼と洞察力がうかがえる探偵小説論・探偵作家論といえる。

戦後においても、大衆は乱歩の「本格もの」よりも「変格もの」を支持し、作家としても日本・海外を問わず既出のトリックがある本格推理が軽蔑されたため、乱歩だけではなく変格ものが中心に執筆された。乱歩が本意としていた本格ものはあまり反響がなかった。同時期に多数発表された長編探偵小説の中で、戦後継続して再刊され続けた(ほとんどの作品は入手できない時期は存在しなかった)のは乱歩の作品だけである。なお、文庫5000万部という空前のリバイバルとなった横溝正史ですら、戦前作品は『人形佐七捕物帳』などごく一部を除けば一時的に再刊されただけである。また、推理小説(ミステリ)の枠に留まらず、怪奇・幻想文学において存在意義がある。猟奇・異常性愛を描いた作品は後年の官能小説に多大な影響を残した。

また、戦後に再開した少年探偵団シリーズは子どもたちから絶大な支持を受け、昭和30年代頃から映像化された。戦後は雑誌『少年』の発行元だった光文社から『少年探偵江戸川乱歩全集』として全23巻が刊行された。乱歩最晩年の1964年(昭和39年)頃から光文社は絶版となり、版権はポプラ社へ移動する。ポプラ社では、『少年探偵江戸川乱歩全集』として乱歩が児童向けとして書いた作品を全26巻で刊行した。さらに乱歩の大人向けの作品を代作者が児童向けに書き直したものを20巻刊行し、全46巻の大全集となった。シリーズのほとんどで敵役となっている怪人二十面相は、推理小説の架空キャラクターとしては、シャーロック・ホームズアルセーヌ・ルパン明智小五郎金田一耕助らと並んで、日本では広く親しまれている。なお、戦後に発表されたものについては、戦前に大人向けに書いた推理小説・怪奇小説を代作者が子供向きに翻案した結果、明智小五郎など登場人物の性格が、乱歩自身の設定と異なっていることがあった。

プロデューサーとして

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来日したヒッチコックを囲む乱歩、淀川長治双葉十三郎植草甚一ら(1955年)

戦後は、新人発掘にも熱心で、高木彬光筒井康隆大薮春彦星新一など、乱歩に才能を見出された作家は少なくない。『宝石』編集長時代には、多くの一般作家に推理小説発表の場を与えている。代表的な作家に、歌舞伎評論家の戸板康二がいる。また、小林信彦を宝石社にスカウトし[14]アルフレッド・ヒッチコックの名を冠した雑誌『ヒッチコック・マガジン』の編集長に推薦している。

日本国外の推理作家との交流にも積極的で、エラリー・クイーンと文通してアメリカ探偵作家クラブ (MWA) の会員にもなったほか、フランスイゴール・B・マスロフスキーオランダロバート・ファン・ヒューリックW・G・キエルドルフnl)、ソビエト連邦ロマン・キムru)、韓国金来成らと文通し、彼らを介して各国の推理小説事情を日本に紹介した。

晩年には、SF小説に興味を持ち、筒井康隆、矢野徹など、黎明期の日本のSF関係者を援助し、商業出版に尽力した。1959年のインタビューでは、「推理物は一作目にいいものが多く、クリスティを例外に、一般的に年を取るにつれ筆が鈍る。自分にはすでに創意がない。60歳の誕生日会のとき再び筆を取ると宣言したが、書いてみたら納得がいかなかった。代わりに今後は探偵小説史のようなものをまとめたい」と語ったが、その夢は実現されなかった[15]

「全集」は没後刊行が一般的な時代、生前・没後に各4度[※ 4] にわたり「全集」刊行した作家は分野を問わず他には存在しない。

内外から尊敬を込め大乱歩とも呼ばれた。師事した山田風太郎は、『風眼抄』で「『大乱歩』という言葉もある。ほかにも一世を風靡した作家や、大衆から敬意を表された作家や、芸術的にもっと高いものを書いた作家は多いのに、大の字を冠してこれほどおかしくない人も珍らしい。」と書いている[16]。なお、他に「大」を冠して呼ばれることの多いアレクサンドル・デュマ・ペール(大デュマ)や谷崎潤一郎(大谷崎)には、同じ文筆家として名高い息子や弟と区別する意味合いもあるが、乱歩にはそうした区別対象はない。

栄典

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家族

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両親
妻子

 1919年(大正8年)、鳥羽造船所を退職したのち、東京で三人書房を営んでいた時代に結婚。1982年9月2日、脳血栓で死去、享年85。

兄弟

邸宅および記念施設

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江戸川乱歩記念大衆文化研究センター(旧江戸川乱歩邸)
  • 乱歩は46回転居したが、現在の東京都豊島区西池袋にある家を気に入り、没時まで31年住み続け、当初は月額90円で賃借していた家を買い取って増築した[18]。敷地は1000平方メートルを超え、母屋と土蔵があり、太平洋戦争末期の1945年4月の城北大空襲でも焼失を免れた[18]立教大学と隣接しており、子息である平井隆太郎が立教大学教員だったこともあり、2002年に同大学が旧江戸川乱歩邸と蔵書、原稿・書簡などを譲り受けて「江戸川乱歩記念大衆文化研究センター」として保存している[18]。引き継いだ資料には、家族旅行などを生前を写した8ミリフィルム映像も含まれる[18]。蔵書は和書1万3000冊、雑誌5500冊、洋書2600冊に及び、図書館のようにラベルを貼って整理していた[18]
  • 1980年昭和55年)1月になって、1924年大正13年)9月から東京へ転居する1926年(大正15年)1月まで2階を書斎にしていた、当時「守口町外島694番地」であった大阪府守口市八島町の家が今も残っていることが判明した。この家は一時期一般開放されていたが、2010年平成22年)に解体された。「江戸川乱歩寓居の跡」と書かれた記念碑板が掲げられていた[※ 5] が、民家が解体された後に建造されたワンルームマンションにこの記念碑板も移築され同地に現存する[※ 6]
  • 2002年、三重県鳥羽市にある乱歩と親交の深かった岩田準一の邸宅に鳥羽みなとまち文学館がオープンした[19](複数棟からなり鳥羽みなとまち文学館〜江戸川乱歩館〜として整備された)[20]。しかし、2021年10月の火災で建物4棟のうち本館だった旧宅母屋と書斎が全焼したため休館[20]。2023年4月29日に隣接する空き家を活用してリニューアルオープンすることになり[20]江戸川乱歩館として展示内容も江戸川乱歩と岩田準一に特化した施設となった[21]
  • 名張市の生家跡には「江戸川乱歩生誕地碑」が建てられている[22]。また、名張駅前には江戸川乱歩の銅像がある[22]

エピソード

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  • ファンにサインを求められると必ず色紙に「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」あるいは「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」と書き添えた。
  • 稚児趣味があり、若い歌舞伎役者を可愛がり、ただのファンを超えた関係があった[23]
  • 2015年、未発表手記が発見された。日付は1936年で原稿用紙38枚[24]

作品一覧

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探偵小説

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明智小五郎もの(長編)

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  • 一寸法師』(『東京朝日新聞』1926年12月 - 1927年2月)連載時の挿絵は柴田春光でこれを含めたものが東京創元社から『湖畔亭事件』の名で刊行中[25]
  • 蜘蛛男』(『講談倶楽部』1929年8月 - 1930年6月)挿絵は松野一夫と林唯一でこれに加えて次回予告も復刻したものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[26]
  • 『猟奇の果』(『文芸倶楽部』1930年1月 - 12月)
  • 魔術師』(『講談倶楽部』1930年7月 - 1931年5月) -挿絵は岩田専太郎でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[27]
  • 黄金仮面』(『キング』1930年9月 - 1931年10月) -挿絵は吉邨二郎でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[28]
  • 吸血鬼』(『報知新聞』1930年9月 - 1931年3月)-挿絵は岩田専太郎でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[29]
  • 黒蜥蜴』(『日の出』1934年1月 - 11月) -挿絵は林唯一でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[30]
  • 『人間豹』(『講談倶楽部』1934年1月 - 1935年5月) -挿絵は嶺田弘(林唯一と画風がよく似ているとされる[31])と岩田専太郎でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[32]
  • 『悪魔の紋章』(『日の出』1937年9月 - 1938年10月)-挿絵は伊東顕でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[33]
  • 『暗黒星』(『講談倶楽部』1939年1月 - 12月) -挿絵は伊東顕で東京創元社から『何者』として刊行中[34]
  • 『地獄の道化師』(『富士』1939年1月 - 12月)
  • 化人幻戯』(『別冊宝石』 - 『宝石』1954年11月 - 1955年10月) - 乱歩晩年の「本格」ものに挑戦した作品[35] と言われる。
  • 影男』(『面白倶楽部』1955年1月 - 12月)-挿絵は戸上英介でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中[36]

明智小五郎もの(中短編)

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  • D坂の殺人事件』(『新青年』1925年1月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 心理試験』(『新青年』1925年2月)
  • 黒手組』(『新青年』1925年3月) 挿絵は不明[38]でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 『幽霊』(『新青年』1925年5月) 挿絵は不明[38]でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 屋根裏の散歩者』(『新青年』1925年8月)
  • 何者』(『時事新報』1929年11月 - 12月) -挿絵は松野一夫でこれを含めたものが東京創元社から同名の書籍として刊行中として刊行中[34]
  • 『兇器』(『大阪産業経済新聞』1954年6月)
  • 月と手袋』(『オール讀物』1955年4月)

その他の探偵・ノンシリーズ

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  • 二銭銅貨』(『新青年』1923年4月)
  • 一枚の切符』(『新青年』1923年7月)挿絵は不明[38]ででこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 恐ろしき錯誤』(『新青年』1923年11月)挿絵は不明[38]でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 二癈人』(『新青年』1924年6月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 『双生児』(『新青年』1924年10月)挿絵は不明[38]でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 赤い部屋』(『新青年』1925年4月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 『日記帳』(『写真報知』1925年4月)挿絵は松野一夫でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 算盤が恋を語る話』(『写真報知』1925年4月)挿絵は松野一夫でこれを含めたものが東京創元社から同名書籍として刊行中[39]
  • 盗難』(『写真報知』1925年5月)挿絵は斉藤五百枝でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 白昼夢』(『新青年』1925年7月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 『指環』(『新青年』1925年7月)挿絵は不明[38]でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 『夢遊病者の死』(『苦楽』1925年7月)挿絵は不明[38]でこれを含めたものが東京創元社から『算盤が恋を語る話』として刊行中[39]
  • 『百面相役者』(『写真報知』1925年7月)挿絵は斉藤五百枝でこれを含めたものが『人でなしの恋』として東京創元社から刊行中[40]
  • 『一人二役』(『新小説』1925年9月)-挿絵担当は不明[41]でこれを含めたものが東京創元社から『人でなしの恋』として刊行中[40]
  • 『疑惑』(『写真報知』1925年9月)挿絵は松野一夫でこれを含めたものが『人でなしの恋』として東京創元社から刊行中[40]
  • 人間椅子』(『苦楽』1925年10月)
  • 『接吻』(『映画と探偵』1925年12月)-挿絵担当は不明[41]でこれを含めたものが東京創元社から『人でなしの恋』として刊行中[40]
  • 闇に蠢く』(『苦楽』1926年1月 - 11月で連載中絶)1927年に完結
  • 『湖畔亭事件』(『サンデー毎日』1926年1月 - 5月)-挿絵は名越国三郎[42]でこれを含めて収録したものが東京創元社から同名書籍として刊行中[25]
  • 『空気男』(原題:二人の探偵小説家)(『写真報知』1926年1月 - 2月で連載中絶) (未完)
  • 踊る一寸法師」(『新青年』1926年1月)-挿絵担当は不明[41]でこれを含めたものが東京創元社から『人でなしの恋』として刊行中[40]
  • 『毒草』(『探偵文芸』1926年1月)-連載当時の挿絵を収録した状態(作者不明[43])で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 『覆面の舞踏者』(『婦人之国』1926年1月 - 2月)挿絵は椛島勝一でこれを含めたものが『人でなしの恋』として東京創元社から刊行中[40]
  • 『灰神楽』(『大衆文芸』1926年3月)挿絵は伊藤幾久造でこれを含めたものが『人でなしの恋』として東京創元社から刊行中[40]
  • 『火星の運河』(『新青年』1926年4月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • モノグラム』(『新小説』1926年7月)-挿絵担当は不明[41]でこれを含めたものが東京創元社から『人でなしの恋』として刊行中[40]
  • お勢登場』(『大衆文芸』1926年7月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 人でなしの恋』(『サンデー毎日』1926年10月)挿絵は名越国三郎でこれを含めたものが同名書籍として東京創元社から刊行中[40]
  • パノラマ島奇談』(別表記:パノラマ島綺譚)(『新青年』1926年10月 - 1927年4月)
  • 鏡地獄』(『大衆文芸』1926年10月)
  • 『木馬は廻る』(『探偵趣味』1926年10月)-挿絵は存在しない[44]
  • 陰獣』(『新青年』1928年8月 - 10月)-挿絵は竹中英太郎で東京創元社から発行されていた『日本探偵小説全集〈2〉江戸川乱歩集』に収録されている。
  • 芋虫』(原題:悪夢)(『新青年』1929年1月)
  • 孤島の鬼』(『朝日』1929年1月 - 1930年2月)-連載時に挿絵を担当した竹中英太郎の挿絵は東京創元社から刊行されている同名書籍に収録[45]
  • 押絵と旅する男』(『新青年』1929年6月)
  • 』(『改造』1929年9月 - 10月)-連載当時の挿絵を収録した状態(作者不明[43])で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 盲獣』(『朝日』1931年2月 - 1932年3月)挿絵は竹中英太郎でこれを含めたものが同名書籍として東京創元社から刊行中[46]
  • 目羅博士』(原題『目羅博士の不思議な犯罪』)(『文芸倶楽部』1931年4月)
  • 地獄風景』(『平凡社版江戸川乱歩全集』1931年5月 - 1932年4月) 全集付録冊子への連載、挿絵は竹中英太郎と横山隆一でこれを含めたものが『盲獣』として東京創元社から刊行中[46]
  • 恐怖王』(『講談倶楽部』1931年6月 - 1932年5月)
  • 』(『キング』1931年11月 - 1932年2月)
  • 火縄銃』(『平凡社版江戸川乱歩全集』1932年4月) 学生時代(1916年以前)の習作
  • 悪霊』(『新青年』1933年11月 - 1934年1月で連載中絶) (未完)[※ 7]
  • 妖虫』(『キング』1933年12月 - 1934年10月)-挿絵は岩田専太郎と小林秀恒でこれを含めたものが東京創元社から同名書籍として刊行中[47]
  • 石榴』(『中央公論』1934年9月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 『大暗室』(『キング』1936年12月 - 1939年6月)-挿絵は田代光(後に素魁と改名)、創元推理文庫から田代の挿絵も収録した状態で刊行されている[48]
  • 『偉大なる夢』(『日の出』1943年11月 - 1944年12月)米国相手の戦意高揚小説
  • 『断崖』(『報知新聞』1950年3月)
  • 『悪霊物語』(『講談倶楽部』1954年8月 - )
  • 『防空壕』(『文藝』1955年7月)-連載当時の挿絵を収録した状態で東京創元社から『D坂の殺人事件』として刊行中[37]
  • 『十字路』(講談社、1955年11月、書き下ろし) 渡辺剣次による第一稿を書きなおし。トリック、構想も渡辺剣次の案出。
  • 堀越捜査一課長殿』(『オール讀物』1956年4月)
  • 『妻に失恋した男』(『産経時事』1957年10月 - 11月)
  • 『ぺてん師と空気男』(桃源社、1959年11月、書き下ろし)
  • 『指』(『ヒッチコック・マガジン』1960年1月)
  • 『薔薇夫人』(未収録作品)

翻案・再筆小説

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  • 白髪鬼』(『富士』1931年4月 - 1932年4月」) - マリー・コレリ作『ヴェンデッタ』(Vendetta, A Story of One Forgotten)の黒岩涙香による翻案小説『白髪鬼』を書きなおしたもの。
  • 『緑衣の鬼』(『講談倶楽部』1936年1月 - 12月)- イーデン・フィルポッツ作『赤毛のレドメイン家』(The Red Redmaynes)の翻案小説。挿絵は嶺田弘と伊東顕でこれを含めたものが東京創元社から同名書籍として刊行中[49]
  • 幽霊塔』(『講談倶楽部』1936年12月 - 1937年4月) - アリス・マリエル・ウィリアムソン作『灰色の女』(A Woman in Grey)の黒岩涙香による翻案小説『幽霊塔』を書きなおしたもの。挿絵は伊東顕が担当して、これを含めたものが東京創元社から同名書籍として刊行中[50]
  • 鉄仮面』(1938年) - フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ作『サン・マール氏の二羽のつぐみ』(Les Deux Merles de M. de Saint-Mars)の黒岩涙香による翻案小説『鉄仮面』を小中学生向けに書きなおしたもの。
  • 『幽鬼の塔』(『日の出』1936年4月 - 1940年3月) - ジョルジュ・シムノン作『聖フォリアン寺院の首吊男』(Le Pendu de Sant-Phollien)の翻案小説。
  • 『三角館の恐怖』(『面白倶楽部』1951年1月 - 12月) - ロジャー・スカーレット作『エンジェル家の殺人』(Murder Among the Angells)の翻案小説。挿絵は富永謙太郎でこれと連載時の懸賞記事を含めたものが東京創元社から同名書籍として刊行中[51]
  • 『死美人』(小山書店『黒岩涙香集 日本探偵小説代表作集1』1956年)- フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ作『ルコック氏の晩年』(La Vieillesse de Monsieur Lecoq)の黒岩涙香による翻案小説を現代語訳(完全新版・河出書房新社、2018年)

連作・合作小説

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  • 『五階の窓』(『新青年』1926年5月) リレー連作小説の第1回目を担当
  • 『空中紳士』(原題:飛機睥睨)(『新青年』1928年2月 - 9月) 乱歩を含む5人の作家による合作
  • 『江川蘭子』(『新青年』1930年9月) リレー連作小説の第1回目を担当
  • 『殺人迷路』(『探偵倶楽部』1932年10月) 全集の付録冊子に連載されたリレー連作小説の第5回目を担当
  • 『黒い虹』(『婦人公論』1934年1月) リレー連作小説の第1回目を担当
  • 『畸形の天女』(『宝石』1953年10月)
  • 『女妖』(『探偵実話』1954年1月)
  • 『大江戸怪物団』(『面白倶楽部』1955年7月)

児童向け作品

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少年探偵団・怪人二十面相もの
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一部明智小五郎や二十面相が登場しない作品もある。

児童向け作品(ノンシリーズ )
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  • 『新宝島』(『少年倶楽部』1940年4月 - 1941年3月)
  • 『智恵の一太郎』(『少年倶楽部』1942年1月 - 1943年4月)[※ 8]

随筆・評論

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  • 『悪人志願』博文館(1929年)
  • 『鬼の言葉』春秋社(1936年)
  • 『幻影の城主』かもめ書房(1947年)
  • 『随筆探偵小説』清流社(1947年)
  • 幻影城』岩谷書店(1951年)、評論集
  • 『続・幻影城』早川書房(1954年)、評論集。類別トリック集成を含む。
  • 『探偵小説三十年』岩谷書店(1954年)
  • 『探偵小説の「謎」』社会思想研究会出版部 現代教養文庫(1956年)
  • 『海外探偵小説作家と作品』早川書房(1957年)評論集
  • 『わが夢と真実』東京創元社(1957年)。それまでの随筆のうち、乱歩自身にかかわるものを収録したもの。
  • 『乱歩随筆』青蛙房(1960年)
  • 探偵小説四十年』桃源社(1961年)。自伝的回想録で、乱歩の目を通し描かれた初期日本探偵文壇史とでも称すべきもので、貴重な文献資料でもある。
  • 『彼・幻影の城』東都書房(1963年)

翻案作品

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映画

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多数あり。「明智小五郎」も参照のこと。以下はその一部である。

テレビドラマ

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漫画

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乱歩作品の漫画化は、藤子不二雄による子供向けの『少年探偵団』ものが1959年(昭和34年)に発表されている。初の成人向け作品の漫画化としては、1970年(昭和45年)に少年誌『週刊少年キング』が「江戸川乱歩恐怖シリーズ」と銘打ち、エログロ物を含む乱歩作品を横山光輝桑田次郎古賀新一石川球太の四者に競作させている。

テレビアニメ

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派生作品

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乱歩が登場するフィクション

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  • 『目羅博士』など、一部の作品は「私が聞いたり見たりした話を元に書いた」という体裁を取っており[※ 9]、聞き手として乱歩が出てくる。
  • 江戸川乱歩『陰獣』:自身をパロディした作家「大江春泥」が登場。春泥の本名「平田一郎」も乱歩の本名「平井太郎」をもじっている。
  • 横溝正史『呪いの塔』1932年:上記『陰獣』をさらに捻った推理パロディ長編。意外性を狙っているため、乱歩に相当する人物は、親友の横溝以外には困難だったであろう遠慮会釈のない造形となっている。
  • 斎藤栄『乱歩幻想譜』1974年、のち双葉文庫:乱歩を主人公にして、作品世界と関連した事件に次々と遭遇する連作短編。
  • 加納一朗『浅草ロック殺人事件』1985年:乱歩をモデルとした探偵作家「香川幻夢」が登場。
  • 久世光彦一九三四年冬―乱歩』初刊1993年、創元推理文庫、2013年(新版):山本周五郎賞受賞。
  • 川田武『乱歩邸土蔵伝奇』光文社文庫、2002年
  • 『乱歩の幻影』日下三蔵編、ちくま文庫、1999年
  • 『江戸川乱歩に愛をこめて』ミステリー文学資料館編、光文社文庫、2011年
以下は小説以外

脚注

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注釈

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  1. ^ a b この分野の乱歩の作品集として『鏡地獄―江戸川乱歩怪奇幻想傑作選』角川ホラー文庫、『文豪怪奇コレクション 猟奇と妖美の江戸川乱歩』双葉文庫などがある。
  2. ^ 『世界短編傑作集』や『怪談入門』を編纂した。
  3. ^ 2001年に発見された『二銭銅貨』の草稿には、「江戸川藍峯」(えどがわ らんぽう)と署名されていた[3]
  4. ^ 全集は刊行順に、生前刊は平凡社全13巻(戦前)、春陽堂全16巻、光文社全23巻、桃源社全18巻(近年沖積舎で復刻)。没後刊は講談社で全15巻(新版 全25巻)、他に「文庫版全集」が、昭和末期に講談社文庫全66巻、平成(21世紀に入り)に光文社文庫全30巻が刊行。
  5. ^ 『心理試験』や『人間椅子』『屋根裏の散歩者』などの初期の作品を含む21作品がこの家で執筆されており、そのほとんどが大正14年(1925年)に創作された。明智小五郎が初登場する『D坂の殺人事件』もこの家で創作された。また乱歩はこの家に住んでいた当時、床の間の天井板を外して踏み台に載り、首だけを出して屋根裏を覗いてみて、その捨てがたい眺めに陶然とした。その経験を元に『屋根裏の散歩者』が書かれた。
  6. ^ 目立つ場所に建っていないので、簡単な謎解きの楽しみがある。
  7. ^ 途中で話が続けられなくなり中断した。乱歩本人が掲載誌にお詫びとして読者へ謝罪し、中断を発表している。
  8. ^ 発表当時は「小松龍之介」名義。
  9. ^ これは古典推理小説ではよくあることで、同時期の横溝正史作品などにもよく見られる。

出典

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  1. ^ 厚木淳「江戸川乱歩」『日本大百科全書』(JapanKnowledge版)小学館、2001年。 
  2. ^ 三善貞司 (2011年7月23日). “江戸川乱歩 (上) 雑誌「新青年」に掲載、好評 『二銭銅貨』で作家デビュー”. 大阪日日新聞. なにわ人物伝 -光彩を放つ-. 2012年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
  3. ^ 乱歩の名作「二銭銅貨」、最初期の草稿見つかる”. Yomiuri On-Line. 読売新聞社 (2001年11月21日). 2001年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月10日閲覧。
  4. ^ 『新潮日本文学アルバム41 江戸川乱歩』新潮社,1993 p.14
  5. ^ a b 江戸川乱歩とシンフォニア(その1)”. シンフォニアテクノロジー. 2020年5月9日閲覧。
  6. ^ a b 江戸川乱歩とシンフォニア(その2)”. シンフォニアテクノロジー. 2020年5月9日閲覧。
  7. ^ 小酒井不木「『二銭銅貨』を読む」(1923)、新保博久・山前譲編『乱歩【上】』(講談社、1994年)所収。
  8. ^ 奈落一騎、荒俣宏『江戸川乱歩語辞典』誠文堂新光社、2020年8月5日、41頁。ISBN 978-4416520420 
  9. ^ 三善貞司 (2011年7月30日). “江戸川乱歩 (下) 全集災い、検閲で発禁同然に 戦後推理小説界発展に尽力”. 大阪日日新聞. なにわ人物伝 -光彩を放つ-. 2012年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
  10. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)54頁
  11. ^ エロ・グロ・ナンセンス”. コトバンク. 2020年5月9日閲覧。
  12. ^ “言論統制下も執筆続ける 乱歩ら、海軍関連の会報で”. 日本経済新聞. (2018年5月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30895060U8A520C1CR0000/ 2024年3月12日閲覧。 
  13. ^ 江戸川乱歩著『貼雑年譜はりまぜねんぶ』(東京創元社 完全復刻版)【今出川 閉架 910.268 E9549 】同志社大学図書館(2022年5月5日閲覧)
  14. ^ 小林信彦『東京のロビンソン・クルーソー』晶文社、1974年6月30日、144-147頁。 
  15. ^ 1959年7月31日の対談「文壇よもやま話」 カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「江戸川乱歩」(3)[リンク切れ]
  16. ^ 山田風太郎『風眼抄』(六興出版、1979年)p.152
  17. ^ 江戸川乱歩の世界[リンク切れ]
  18. ^ a b c d e 【シティライフ】旧江戸川乱歩邸(東京都豊島区)執筆支えたついの住み家『読売新聞』東京夕刊2022年4月11日2面
  19. ^ 鳥羽市観光基本計画 ― 資料編別冊 - 鳥羽の観光史略年表 鳥羽市 2024年1月17日閲覧。
  20. ^ a b c “火災で休館の「江戸川乱歩館」 鳥羽でリニューアルオープン”. 中日新聞Web. (2023年4月23日). https://www.chunichi.co.jp/article/677479 2024年3月12日閲覧。 
  21. ^ “乱歩の作品模型で再現 鳥羽・乱歩館 火災1年半 29日再開”. 読売新聞. (2023年4月21日). https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20230420-OYTNT50190/ 2024年3月12日閲覧。 
  22. ^ a b 名張市観光パンフレット”. 名張市観光協会. 2021年11月7日閲覧。
  23. ^ 「江戸川乱歩」(3)”. NHKラジオ. 2013年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月13日閲覧。
  24. ^ 『読売新聞』2015年10月17日1面※記事名不明
  25. ^ a b https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401092
  26. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401030
  27. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401047
  28. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401078
  29. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401061
  30. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401054
  31. ^ 『名作挿絵全集5』、平凡社、1980年
  32. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401191
  33. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401207
  34. ^ a b https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401153
  35. ^ 中島河太郎 『江戸川乱歩 評論と研究』(講談社)など
  36. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401108
  37. ^ a b c d e f g h i j https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401023
  38. ^ a b c d e f g 『算盤が恋を語る話』、東京創元社、編集部後記
  39. ^ a b c d e f g h i j https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401115
  40. ^ a b c d e f g h i https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401122
  41. ^ a b c d 『人でなしの恋』、東京創元社、編集部後記
  42. ^ https://kotobank.jp/word/-1098090
  43. ^ a b 『D坂の殺人事件』、東京創元社、巻末編集部後記
  44. ^ 『人でなしの恋』、東京創元社、編集部後記
  45. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401016
  46. ^ a b https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401146
  47. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401085
  48. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401139
  49. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401160
  50. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401184
  51. ^ https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488401177
  52. ^ 江戸川乱歩”. アニメ「文豪ストレイドッグス」公式サイト. CHARACTER. 2024年3月12日閲覧。

参考文献

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※代表的な書目の一部で、品切・絶版も含んでいる。

図版本・入門書
  • 『新潮日本文学アルバム41 江戸川乱歩』鈴木貞美編、新潮社、1993年
  • 『江戸川乱歩アルバム』平井隆太郎・新保博久編、河出書房新社、1994年
  • 『江戸川乱歩』太陽編集部編、平凡社「コロナ・ブックス」、1998年
  • 『江戸川乱歩と少年探偵団』河出書房新社「らんぷの本」、2003年。堀江あき子編
  • 『怪人 江戸川乱歩のコレクション』新潮社「とんぼの本」、2017年。平井憲太郎(孫)・本多正一近藤ようこ画ほか全5名
  • 『江戸川乱歩 日本探偵小説の父』戸川安宣監修、平凡社「別冊太陽 日本のこころ」、2023年。以上は図版案内
  • 小林信彦『回想の江戸川乱歩』メタローグ 1994年。のち文春文庫光文社文庫で再刊
  • 中川右介『江戸川乱歩と横溝正史』集英社、2017年。集英社文庫、2020年
伝記研究
  • 中島河太郎『江戸川乱歩 評論と研究』講談社 1980年 - 乱歩研究の代表作
  • 中島河太郎責任編集『江戸川乱歩ワンダーランド』沖積舎 新版2003年
  • 平井隆太郎『うつし世の乱歩 父江戸川乱歩の憶い出』河出書房新社 2006年
  • 平井隆太郎『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』東京創元社 2008年 - 自作の年代記『貼雑年譜』(講談社、新版2004年ほか)を読み込んだ評伝。
  • 新保博久山前譲編『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』河出書房新社 1996年
作品研究
書誌研究
  • 平井隆太郎監修・中相作編『江戸川乱歩著書目録』【江戸川乱歩リファレンスブック3】、名張市立図書館、2003年3月 [1](1は『乱歩文献データブック』、2は『江戸川乱歩執筆年譜』)。
  • 『幻影の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』新保博久 山前譲編、東京書籍 CD-ROM1枚付 2002年
  • 『江戸川乱歩小説キーワード辞典』平山雄一、新保・山前編、東京書籍 CD-ROM1枚付 2007年
  • 『江戸川乱歩大事典』勉誠出版、2021年。落合教幸・阪本博志藤井淑禎渡辺憲司 編集委員

関連項目

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外部リンク

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