カストリ雑誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

カストリ雑誌(カストリざっし)は、太平洋戦争終結直後の日本で、出版自由化(但し検閲あり、詳細は下段参照)を機に多数発行された大衆向け娯楽雑誌をさす。

これらは粗悪な用紙に印刷された安価な雑誌で、内容は安直で興味本位なものが多く、エロ(性・性風俗)・グロ(猟奇・犯罪)で特徴付けられる。具体的には、赤線などの色街探訪記事、猟奇事件記事、性生活告白記事、ポルノ小説などのほか、性的興奮を煽る女性の写真や挿絵が掲載された。

戦前の言論弾圧で消滅したエログロナンセンス1929年 - 1936年)を引き継ぐ面もあり、戦後のサブカルチャーに与えた影響も大きい。

語源[編集]

語源には複数の説がある。

  1. こうした娯楽雑誌の多くが粗悪で、たいてい3号で休廃刊(=3号雑誌)したことから、「3飲むと悪酔いして潰れる」といわれたカストリ酒(粗悪な酒)にかけた名称である[1]。カストリ酒とは、本来、酒粕から取った焼酎のことであるが、当時は粗悪な密造酒のこともこう呼んだ。中には工業用アルコールを酒の中に混ぜたものが出回り、それを飲んだ人が失明する事件も多発したという。
  1. 仙花紙(屑紙を漉き返した質の悪い紙)で作られていたことから「紙のカスをとって作られた→カス・トリ」雑誌。

検閲[編集]

出版自由化と言っても、実態はGHQによりプレスコードに従い検閲が行われていた。カストリ雑誌に対して行われた検閲の記録は米国メリーランド大学のプランゲ文庫に保管されている。

用紙[編集]

当時は戦後統制により、物資不足であったため、印刷用紙は当局に申請し配給してもらわなければならなかった。しかし、この種の娯楽用出版物は用紙の確保ができず、統制外の仙花紙を用いることになった。仙花紙は古紙などを漉き直した再生紙で、紙質は良いものではなく劣化しやすい。現存しているものは保存状態が劣悪であることが多いが、古書店で購入するなどして収集・研究の対象とする人もいる[1]

ちなみに同音の「泉貨紙」とは別のもの。泉貨紙は高級和紙である。

主な雑誌と内容[編集]

カストリ雑誌のブームは1946昭和21) - 1949年(昭和24年)頃と言われる。昭和初期に刊行されていたエロ・グロ雑誌『グロテスク』(1928 - 1931年梅原北明)などのスタイルを継承している面がある。復員が進んだ1949年頃には凄惨な戦争体験の手記も掲載されるようになった。著名な文化人といえども生活苦だった当時は、カストリ雑誌に小説・挿絵を寄せていた。作家では永井荷風江戸川乱歩菊池寛谷崎潤一郎林芙美子らがいる。画家の東郷青児は『女性』の表紙を描いた[1]

  • 『赤と黒』(1946年9月創刊)[2]
  • 『猟奇』(1946年10月 - 1947年)は、第2号に「H大佐夫人」を掲載し、1947年(昭和22年)にわいせつ物頒布罪で戦後第一号といわれる摘発を受けた。
  • 今日よく知られる『りべらる』(創刊号は1945年12月発売の1946年1月号。1953年まで刊行)は20万部を売り上げ、これに触発されて雑誌創刊が相次いだといわれる。数年続いたため、語源(3号でつぶれる)からすればカストリ雑誌とは言えないが、戦後まもなく創刊され、当時の世相をよく表しているため、カストリ雑誌と同様のものとして論じることが多い。後にSM雑誌に転向した『奇譚クラブ』(1947 - 1975年)、『夫婦生活』(1949 - 1955年)、吉行淳之介が編集者を務めていた『別冊モダン日本』(1950 - 1951年)なども同様である。
  • さらに後の『あまとりあ』(1951 - 1955年)、『裏窓』(1956 - 1965年)なども、その内容から代表的なカストリ雑誌の系譜と言われている。
  • 『千一夜』『ロマンス』『犯罪読物』『だんらん』など。

参考文献[編集]

  • 終戦直後の「カストリ雑誌」の総合的研究:平成17年度プロジェクト研究および平成18年度プロジェクト研究(大阪芸術大学・山縣煕他)
  • 『カストリ雑誌研究』(山本明

脚注[編集]

  1. ^ a b c 西潟浩平「めくるめくカストリ雑誌◇敗戦の傷抱え人々はどう生きたか 大衆娯楽雑誌に見る◇」『日本経済新聞』朝刊2018年7月30日(文化面)2018年9月7日閲覧
  2. ^ 三島由紀夫『仮面の告白』という表象をめぐって武内佳代、お茶の水大学 F-GENSジャーナル、2007-09

関連項目[編集]