鬼畜系

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鬼畜系(きちくけい)とは悪趣味にまつわるサブカルチャーの一ジャンルで、1990年代悪趣味ブームにおいて鬼畜ライター村崎百郎によって作り上げられた造語概念である。現在では成人向け漫画などにおける反社会的行為、ないし残酷描写が含まれる作品、またその作家を指す言葉として用いられている。

サブカルチャーに於ける鬼畜系[編集]

前々々史[編集]

前々史[編集]

エログロナンセンスの帝王、地下出版の帝王、発禁王、罰金王、猥褻研究王と謳われた梅原北明が編集した雑誌『グロテスク』新年号の発禁を伝える『読売新聞1928年12月30日朝刊死亡広告

昭和初期の1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)にかけて「エログロナンセンス」と呼ばれる退廃文化日本を席巻した。

エログロナンセンスのオルガナイザーといわれる梅原北明は『デカメロン』『エプタメロン』の翻訳で知られる出版人で、1925年(大正14年)11月に既成文壇へのカウンター誌『文藝市場』(文藝市場社)を創刊。同誌の創刊号では「文壇全部嘘新聞」と題して田山花袋岡本一平辻潤春画売買容疑で取調べられている横で、菊池寛邸が全焼し、上司小剣が惨殺されるという過激な虚構新聞を見開き一頁を割いて掲載した。それら内容はいずれも冗談と諧謔の精神に満ち溢れており、既成権威に対してイデオロギーを持たず無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時の同人からも「焼け糞出版」と評された[1]

その後、梅原は出版法19条の「風俗壊乱」の疑いで市ヶ谷刑務所に投獄され、前科一犯となるが、仮出獄後すぐに『文藝市場』の後継誌『グロテスク』(グロテスク社→文藝市場社→談奇館書局)を1928年(昭和3年)11月に創刊。新年号が発禁になると、それを逆手にとって全国紙読売新聞』に「急性發禁病の爲め、昭和三年十二月廿八日を以て『長兄グロテスク十二月號』の後を追い永眠仕り候」という死亡広告を出すなどして世人の注目を集めた。また梅原は度重なる発禁処分を「金鵄勲章ならぬ禁止勲章授与、数十回」と声高らかに喧伝し、警察からは「正気だか気ちがいだか、わけのわからぬ猥本の出版狂」と見なされた[2]。戦後、発禁本研究家の斎藤昌三は「軟派の出版界に君臨した二大異端者を擧げるなら、梅原北明宮武外骨老の二人に匹敵する者はまずない。その実績に於て北明は東の大関である」と梅原について評価している[3]

後に梅原は当局から逃れるため満州に逃亡し、梅原の雑誌は廃刊を余儀なくされる。また二・二六事件以降は国内での検閲発禁が激化していき、一連のムーブメントは1936年(昭和11年)頃を最後に終息していった(なおエログロナンセンス期の代表的作家である夢野久作は日本三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』を1935年に発表したのち、奇しくもブームが終焉した1936年に急逝している)。

その後、戦後を迎えると出版自由化の運びとなり、これに同調する形でエロ性風俗)やグロ猟奇犯罪)に特化した低俗な大衆向け娯楽雑誌が大量に出回るようになる。これらの多くは3号で廃刊(=3号雑誌)したことから「3飲むと酔い潰れる」粗悪なカストリ酒にかけて「カストリ雑誌」と総称された。代表的なカストリ雑誌に『猟奇』『りべらる』『あまとりあ』『奇譚クラブ』などがある。なお『奇譚クラブ』は後にSM雑誌に転身して団鬼六の『花と蛇』や沼正三の『家畜人ヤプー』を連載する。

前史[編集]

1960年代ヨーロッパアメリカで観客の見世物的好奇心に訴える猟奇系ドキュメンタリーモキュメンタリー映画が登場し、人気を博していた。これらの映画は俗に「モンド映画」(Mondo film)と呼ばれ、世界中の悪趣味(バッド・テイスト)文化に多大な影響を及ぼしたことで知られている[注 1]。なお、著名なモンド映画監督に『世界残酷物語』のグァルティエロ・ヤコペッティ、『ピンク・フラミンゴ』のジョン・ウォーターズ、『ファスター・プシィキャット!キル!キル!』のラス・メイヤーなどがいる。

その後、モンド映画ブームは収束するが、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』(1932年MGM)がアメリカの映画館で深夜上映されたのを皮切りに、1970年代よりアメリカでカルトムービーインディーズ・ムービーが深夜上映の形態で続々公開されるようになり、一部の映画マニアを中心に熱狂的な人気を博した。この一連のムーブメントは「ミッドナイトムービー・ブーム」と呼ばれ、このブームから『ピンク・フラミンゴ』『エル・トポ』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ロッキー・ホラー・ショー』『イレイザーヘッド』など多数のカルト映画が生み出されていった。

一方、日本国内では1960年代よりテレビの普及に伴い、映画館の観客動員数が減少し、これに対抗した大手以外の独立系映画会社が「テレビでは出来ないこと」としてピンク映画の製作に舵を切り始め、隆盛を極めていた。これに目を付けた東映が『網走番外地』シリーズで知られる映画監督石井輝男と『くノ一忍法』『893愚連隊』『日本暗殺秘録』で知られる中島貞夫を抜擢し、日本の大手映画会社としては初となるポルノ映画大奥㊙物語』(監督・中島貞夫)および『徳川女系図』(監督・石井輝男)を製作した。これに手応えを感じた東映と石井は本作より「異常性愛路線」を前面に打ち出し、作中にサドマゾ拷問処刑などグロテスクな描写を次々に取り入れ、エログロサディズムの極限を追求した成人映画を立て続けに製作し、和製モンドの一ジャンルを築き上げた。これら一連の作品によって石井輝男は国内におけるカルトムービーパイオニアとしてみなされている。

この「異常性愛路線」は1968年公開の『徳川女系図』の大ヒットを嚆矢として『徳川女刑罰史』『異常性愛記録 ハレンチ』『徳川いれずみ師 責め地獄』『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』とシリーズを重ねるごとに、その過激さを加速度的にエスカレートさせていくが、1969年の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』の興行的失敗、併映作『㊙劇画 浮世絵千一夜』の警視庁から東映映倫に対するわいせつシーンの削除要請、そして警察庁による取り締まり強化宣言などによって60年代末に終焉を迎える事となる[4]

その後、エログロ路線が下火になる中、1971年東京テレビ動画(後の日本テレビ動画)は谷岡ヤスジ原作の劇場用アニメ映画ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を製作。本作はそれまで子供向けであると言われたアニメの世界にエログロバイオレンス表現を大胆に取り入れ、強姦獣姦幼児姦近親相姦といったハードコア要素を存分に詰め込んだアブノーマルな世界観に仕上がっており[5]、今日では伝説的なカルトムービーとして一部で再評価されている。しかし、公開前に映倫からのクレームで11カ所がカットされ、主人公がメスゴリラ姦通した後、割腹自殺を遂げるラストシーンは前年の三島事件を連想させるとのことで全面的に撮り直された[5]。そのうえ公開後は全く客が入らず、2週続映が1週で打ち切られ、ほとんどの批評誌からも酷評されるなど興行は大失敗に終わり、本作を最後に東京テレビ動画は解散を余儀なくされた[5]。その後、1984年ワンダーキッズ中島史雄原作の成人向けOVA雪の紅化粧/少女薔薇刑』を公開するまで国産アダルトアニメは12年半にわたり姿を消す事となった。

黎明期[編集]

変態雑誌の草分けにして極北。スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房刊)

20世紀日本で花開いた鬼畜系カルチャーの系譜において、伝説的編集者の高杉弾山崎春美1979年3月に創刊した伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』(エルシー企画アリス出版群雄社出版)が元祖的存在としてしばしば挙げられる[6][7]

特に『Jam』創刊号の爆弾企画「芸能人ゴミあさりシリーズ」では山口百恵かたせ梨乃など有名芸能人の自宅から出たゴミを回収し、誌面のグラビア電波系ファンレターから使用済み生理用品まで大々的に公開したことで物議を醸した。それ以外にも同誌ではドラッグパンク・ロック皇室臨済禅神秘主義フリーミュージック英語版など忌憚に触れるような内容を積極的に取り上げ、冗談諧謔に満ちたパンクな誌面を展開したことから今日では「伝説のサブカル雑誌」として神話化されている[8]

ちなみに鬼畜系文筆家の草分け的存在である青山正明村崎百郎は同誌の影響を強く受けており、青山は慶應義塾大学在学中の1981年にキャンパスマガジン『突然変異』(突然変異社)を創刊。障害者奇形ドラッグロリコン皇室揶揄まで幅広くタブーを扱い[9]、熱狂的な読者を獲得したものの、椎名誠等々の文化人から「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」[10]と袋叩きに遭い、わずか4号で廃刊。一方の村崎は『Jam』からヒントを得て「鬼畜ゴミ漁り」というスタイルを後に確立することになる[11]

1981年には白夜書房がスーパー変態マガジン『Billy』を創刊。当初は芸能人インタビュー雑誌だったが全く売れず路線変更し、死体奇形女装スカトロ、果ては獣姦切腹幼児マニアまで何でもありの最低路線を突き進んだ。その後も一貫して悪趣味の限りを尽くし、日本を代表する変態総合雑誌として、その立ち位置を不動のものにしたが、度重なる条例違反有害図書指定を受け、誌名を変更するなどしたが全く内容が変わっておらず、1985年8月号をもって廃刊に追い込まれた[12]

成熟期[編集]

鬼畜系」という言葉自体は1995年に創刊された東京公司編集/データハウス発行の鬼畜系ムック危ない1号』の周辺から生まれた1990年代の特徴的なキーワードおよびムーブメントであるが[13]、鬼畜ブームの直接的な引き金となった『危ない1号』以前にも青山正明1992年に上梓した日本初の実用的なドラッグマニュアル『危ない薬』(データハウス)が10万部を超えるヒットを記録したほか[14]1993年鶴見済が発表した単行本『完全自殺マニュアル』(太田出版)は100万部を売り上げるミリオンセラーを記録している[13]

1994年には『Billy』元編集長の小林小太郎奇形&死体雑誌TOO NEGATIVE』(吐夢書房)を創刊し、同年には死体写真集『SCENE―屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態』が発刊されるなど、1980年代後半から始まったバブル景気が崩壊した1993年頃から次第に自殺や死体など危ない書籍に対して大衆的な注目が集まるようになり[15]、これらは1990年代後半以降に「鬼畜/悪趣味」という一語にまとめられることになる[13]

周辺文化研究家のばるぼらは、これら『危ない1号』以前の「悪趣味」について、どこかフェティッシュで学術的な内容が強い「外部からの視点」のものであるとし、村崎百郎の定義した鬼畜的な行為あるいは妄想に「娯楽性」を見出す積極的意識こそが『危ない1号』以降の「鬼畜系鬼畜ブーム」の本質であることを指摘している[13]

なおエロティシズム文化に詳しい伴田良輔は「悪趣味」の起源そのものは「キッチュ」「マニエリスム」「バロック」「グロテスク」といったヨーロッパ文化にあると指摘し、それが大量消費時代を迎えた1950年代以降のアメリカ合衆国で「モンド」「スカム」「ビザール」「ローファイ」「バッド・テイスト」に発展し、それが米国での流行の経緯とは無関係に日本で新しい意味や機能が付け加えられて蘇ったと解説している(ただし、伴田の定義する「悪趣味」とは、ある範囲の事物に共通して見られる「けばけばしさ」「古臭さ」「安っぽさ」の類型的特徴を意味しており、最初から露悪的な表現や様式を追求するような「鬼畜系」は含まれていない)[16]

鬼畜・悪趣味ブーム[編集]

悪趣味ブームの火付け役となった青山正明吉永嘉明村崎百郎編集の『危ない1号』(東京公司編/データハウス刊)
戦後最大の都市型大災害、阪神淡路大震災(1995年1月)
戦後最悪の無差別テロ、地下鉄サリン事件(1995年3月)

1990年代中頃になると鬼畜系サブカルチャー鬼畜ブーム・悪趣味ブームとして爛熟を迎え、不道徳な文脈で裏社会やタブーを娯楽感覚で覗き見ようとする露悪的なサブカルアングラ文化が「鬼畜系」または「悪趣味系」と称されるようになった[17]

青土社発行の芸術総合誌『ユリイカ1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」では文学映画アートファッションなどあらゆるカルチャーにキッチュで俗悪な「悪趣味」という文化潮流が存在することが提示され、これを境に露悪趣味(バッド・テイスト)を全面に押し出した雑誌ムックが相次いで創刊され一大ブームとなる。同年6月には世紀末B級ニュースマガジン『GON!』(94年4月創刊)が月刊化された。

このブームを代表する1995年7月創刊の鬼畜系ムック危ない1号』(東京公司データハウス)では「妄想にタブーなし」を謳い文句に「鬼畜系」を標榜し、ドラッグ強姦死体ロリコンスカトロ電波系障害者変態畸形獣姦殺人風俗盗聴テクノカニバリズムフリークス身体改造精神疾患動物虐待肛門性交変態漫画児童買春ゴミ漁りゲテモノ新左翼内ゲバV&Rプランニング青山正明全仕事まで、ありとあらゆる悪趣味を徹頭徹尾にわたり特集した。鬼畜・変態・悪趣味が詰め込まれた同誌はシリーズ累計で25万部を超えるヒットとなり、初代編集長の青山正明は鬼畜ブームの立役者とみなされた[17][18]

また鬼畜本ブームの先駆けとなった『危ない1号』の創刊以降

などの鬼畜/悪趣味を前面に押し出した雑誌週刊誌月刊誌隔月刊誌ムック単行本が相次いで出版されるようになり、ますますブームの過熱を煽っていった[19]

電波系鬼畜ライター・村崎百郎の登場[編集]

まぼろし博覧会内の常設展示「村崎百郎館」に設置されている村崎百郎の等身大人形
支離滅裂な主義主張を喧伝する電波ビラの典型。かつて東京メトロ銀座線で湊昌子(港雅子)という女性が「トリコじかけの明け暮れ」と書かれた電波ビラを配布しており、これに影響された特殊漫画家根本敬は雑誌『宝島30』に連載していたコラム『人生解毒波止場』や著書『夜間中学―トリコじかけの世の中を生き抜くためのニュー・テキスト』などを通じてこの言葉を広めた。なお根本のフォロワーである電気グルーヴ石野卓球1995年にリリースしたシングル』で実際に「トリコじかけにする」というフレーズを用いている。

青林堂(当時)発行の『月刊漫画ガロ1993年10月号の特集「根本敬幻の名盤解放同盟/夜、因果者の夜」でメディアに初登場し、1995年4月刊行の『悪趣味大全』で本格的に文筆デビューした鬼畜系電波系ライター村崎百郎は、1995年から「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ために「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに「日本一ゲスで下品なライター活動をはじめる」と宣言して[20]、鬼畜本ブームの先駆けとなった『危ない1号』の編集・執筆に同年から参加し、編集長の青山正明と知己を得る。

1996年1月10日には新宿ロフトプラスワンで『危ない1号』関係者総決起集会『鬼畜ナイト』(東京公司新年会青山正明を励ます会)が村崎百郎の主催で開催され、大麻取締法違反で保釈されたばかりの青山正明が一日店長を務めたほか、吉永嘉明柳下毅一郎根本敬佐川一政夏原武釣崎清隆宇川直宏石丸元章クーロン黒沢ら30人以上の鬼畜系文化人が総決起し「誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション」を繰り広げた。このイベントの模様は同年8月に『鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ~な夜』(データハウス)として書籍化され、7万部を売り上げるヒットを記録した[21]

その後も村崎は、同年7月刊行の著書『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』(データハウス)で他人のゴミを漁ってプライバシーを暴き出す「ダスト・ハンティング」を世に紹介し、同年9月には電波系にまつわる体系的な考察を行った単行本『電波系』を特殊漫画家根本敬との共著で太田出版から上梓する。

鬼畜ブームの背景[編集]

ばるぼらは鬼畜ブームについて「95年8月に創刊した『危ない1号』(データハウス)を中心に流行した、死体畸形写真を見て楽しんだり、ドラッグを嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『完全自殺マニュアル』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『死体ブーム』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『悪趣味ブーム』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『鬼畜だった。『危ない1号』の編集長、故・青山正明氏の出所記念イベント『鬼畜ナイト』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している[19]

なお鬼畜・悪趣味ブームの背景について、週刊誌SPA!』は「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」とブーム当時指摘していたが[22]、一方でロマン優光オウム真理教阪神・淡路大震災などの影響で「たいした根はないけど変な終末『気分』になっていた人が増えていた」という状況に触れ「金銭や名誉、勉強やスポーツ、地道に文化を身につけるといったことから落ちこぼれたり、回避したりしながらも、他人との差異をつけたがるような自意識をこじらせた人たちが他人と違う自分を演出するためのアイテムとして、死体写真を使うようになった」と分析し、こうした新しい流れは悪趣味系/鬼畜系から派生したものというより、自販機本などの過去のアングラサブカルチャーの流れを踏まえた界隈に流れこんでいったと結んでいる[23]

前述したように『危ない1号』が創刊された1995年には阪神淡路大震災地下鉄サリン事件などの重大事件が立て続けに発生しており、それらに起因する一連の社会現象が悪趣味ブームと深く関わっているとされている[24]。特に1995年は「インターネット元年」[25]と呼ばれるように社会環境が大きく移り変わっていった激動の年でもあり[24]劇作家宮沢章夫はこれらの事象による社会の混乱や不安定な情勢が、ある種の世紀末的世界観や終末的空気感を醸し出している悪趣味ブームの土壌になったことを指摘している[24][26]。また宮沢は自身が講師を務めるNHK教育テレビ教養番組ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』の最終回において1995年を「サブカル」のターニングポイントと定義し、根本敬村崎百郎をはじめとする1990年代の鬼畜系サブカルチャーを取り上げている[24]

インターネットでの動向[編集]

インターネット黎明期だった1995年から2000年にかけてアンダーグラウンドサイトが乱立した[19]

1995年夏には地下鉄サリン事件を題材にした不謹慎ゲーム霞ヶ関』がパソコン通信上に出回るようになり、これを『朝日新聞』と『毎日新聞』が1995年10月26日夕刊が取り上げたことで、多くのメディアの注目を集めた[27]。当時このゲームを所有していたしばは、このソフトを配布する目的で電子掲示板あやしいわーるど」を起ち上げ、同サイトは1990年代後半から2000年代初頭にかけて日本最大の規模を誇るアンダーグラウンドサイトに発展する[19]

1996年4月には日本初と推定されるグロサイト「Guilty」が開設され[19]、同年5月には伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾によるWEBマガジン《JWEbB》が創刊される[28]。同年11月には現代版『腹腹時計』の異名をとる危険図書『魔法使いサリン』(冥土出版/1994年12月)で一躍有名になった『危ない1号』『危ない28号』のライター北のりゆき[注 2]主宰の危険文書サイトの最左翼「遊撃インターネット」がスタートし、翌1997年にはスーパー変態マガジン『Billy』『TOO NEGATIVE』元編集長の小林小太郎が運営していた死体写真ギャラリー「NG Gallery」のWEBサイトや漫画誌『ガロ』の裏サイト「裏ガロ」が本格始動する[19]

1998年には『コンピューター悪のマニュアル』の著者であるKuRaReを編集長に『危ない1号』の事実上の後継誌『危ない28号』がデータハウス鵜野義嗣によって創刊される(これについてばるぼらは「90年代雑誌文化のサブカルの流れをコンピューター文化が引き継いだ」と指摘している[29])。同誌はハッキングドラッグ兵器安楽死など様々な違法・非合法行為のハウツーが記載された危険情報満載のムック本で『危ない1号』に次ぐヒットを飛ばしたが、発売前の段階で有害図書指定を受けるなど自治体からの風当たりも強く、のちにKuRaReは「どんだけ何も見てない連中なんだよ…という。そうやって仮想の敵をやっつけて良いことをしたと思う自慰的行為」「(危ない)28号は意識的に有害図書指定になろうとしてたで、別にいいのですが」と述懐している[30]

しかし、2000年1月浦和駅東海村大阪府で発生した一連の連続爆発事件で犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述[31]した結果、最終的に同誌は全国18都道府県有害図書指定され[32]、発行済みの第5巻(1999年11月発行)を最後に廃刊を余儀なくされた。

こうしたインターネット発のアングラカルチャーは1996年アダルトサイト摘発、1999年通信傍受法成立と悪趣味ブームの終焉、そして2000年不正アクセス禁止法が決定打となり完全消滅したとされている[19][33]

ブームの終焉[編集]

1997年神戸連続児童殺傷事件以降は、悪趣味系の書籍を棚から撤去する書店も現れるようになり[34]2000年の『危ない28号』廃刊をもって悪趣味ブームは完全に終焉を迎えた。時期を同じくして悪趣味系に属する雑誌の廃刊や路線変更が相次ぎ、鬼畜系のシーンは拡散・消滅した。

またインターネット上でも1999年以降はテイストレスに興味を持つ人口も減少したようで、死体や奇形など悪趣味に特化したグロサイトは殆ど作られなくなった(テイストレスサイトの総本山だった「下水道入口」も1999年6月17日付で閉鎖している)[19]。これについてばるぼらは「おそらく『何か変わったもの』だったはずの死体や畸形画像が、いつのまにか『ありふれたもの』になってしまい、当時アクセスしていた人々はまた別の変なものを求めて、ネットを徘徊しているのだろうと思う。そもそも2004年本物の殺人動画あの首切り映像が出回ったウェブに、これ以上何を求めればいいのだろう。いつかまた会うその時まで、死体は墓に埋めておいてほしい」とコメントしている[19]

青山正明の自殺(2001年)[編集]

2001年6月17日青山正明神奈川県横須賀市の自宅で首を吊って自殺した[35]

ともに鬼畜ブームを牽引した村崎百郎は青山の訃報に際して雑誌に次の文章を寄稿している。

サブカルチャー”や“カウンターカルチャー”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、“鬼畜系”という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」編集部の質問に対し、単行本『鬼畜のススメ』著者であり、故・青山正明氏とともに雑誌『危ない1号』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・村崎百郎の答はこうだった。

鬼畜“系”なんて最初からない。ずっと俺ひとりが鬼畜なだけだし、これからもそれで結構だ。

次に主張しておきたいのは「青山正明鬼畜でも何でもなかった」という純然たる事実である。これだけは御遺族と青山の名誉の為にも声を大にして言っておくが、青山の本性は優しい善人で、決して俺のようにすべての人間に対して悪意を持った邪悪な鬼畜ではなかった。危ない1号』に「鬼畜」というキーワードを無理矢理持ち込んで雑誌全体を邪悪なものにしたのはすべてこの俺の所業なのだ。

俺の提示した“鬼畜”の定義とは「被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル」なのだが、途中からいつのまにか“鬼畜系”には死体写真フリークスマニアスカトロ変態などの“悪趣味”のテイストが加わり、そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブームに成長したようだが、「誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、“鬼畜”のイメージや意味なんかどうなってもいい。

(中略)ドラッグいらずの電波系体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『危ない薬』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、非合法なクスリ遊びをする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。

— 村崎百郎非追悼 青山正明──またはカリスマ鬼畜アウトローを論ずる試み太田出版『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁

青山の没後、村崎百郎が明かしたのは、実際に『危ない1号』に関わった人間で本当に「鬼畜」な人間は、村崎本人以外に誰もいなかったという事実である[13]。これについてばるぼらは「実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、つまり鬼畜ブームは実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した」と解説している[13]

村崎百郎の刺殺(2010年)[編集]

2010年7月23日村崎百郎は読者を名乗る男に東京都練馬区の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされて殺害された[注 3][36]。犯人は精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となり、精神病院措置入院となった[37]

同年11月、村崎本人が遺した文章や関係者の証言などから綴った鬼畜系総括の書『村崎百郎の本』がアスペクトから刊行された。

ポルノグラフィに於ける鬼畜系[編集]

成人向け漫画アダルトゲームなどのポルノにおいて、SM緊縛拉致監禁拷問調教洗脳催眠強姦輪姦屍姦獣姦異種姦臍姦カニバリズムスカトロロリコン孕ませ寝取られ触手責め拡張プレイ異物挿入焼印欠損寄生蟲責め悪堕ち肉体改造人体破壊内臓掻爬四肢切断精神崩壊公衆便所など強制的な性行為を強調した作品は「鬼畜系」(または「陵辱系」)と呼ばれており、これは度が過ぎるサディストを指した用語でもある。それに対して恋愛や合意の上での性行為を重視した作品を「純愛系」と呼ぶことがある[38]

いずれもオタク系の媒体で用いられることの多い表現であり、評論家本田透は「鬼畜系」について「萌え」とは対極に位置する概念であると指摘し[39]監禁調教といった鬼畜系のジャンルは1990年代半ば(鬼畜ブーム期)までがピークとして「現在(2005年時点)では一部の根強いファンだけに支えられている」と主張していた[40]

また、成人向け漫画の世界で自分の世界を築き上げる作家も多く、もちろん、性的描写を避けては描けない世界というものでもある。また一つには性的描写が必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台であり、その自由度の高さから作家独自の嗜好によって特異ともいえる表現が追及され、一般誌では掲載不可能な作風を実現する作家も存在する。

アダルトビデオに於ける鬼畜系[編集]

V&Rプランニング[編集]

安達かおる1986年に創業したアダルトビデオメーカーV&Rプランニングレイプスカトロ蟲責めなどを題材にしたキワモノ系の異色作・問題作を1990年代に多数リリースして異彩を放ち、鬼畜ブーム時には『危ない1号』に特集が組まれるなどマニアの間で密かに注目を集めていた。

V&Rは当時台頭していた規制の少ないインディーズメーカーを差し置くほど過激極まりない作風で知られ[41]、当時加盟していた日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)からはしばしば発売禁止・審査拒否の対象となった。

例えば1993年に制作されたスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』(監督:安達かおる)では身体障害者が出演したことが問題視されお蔵入りとなり[42]平野勝之監督の『水戸拷悶2 狂気の選択』(1997年)では過激な描写を追求するあまり2名が負傷して3名が引退宣言し、撮影の舞台となった渋谷はパニック状態に陥り警察が出動する騒ぎとなった(当然ビデ倫からは「論外の外」と審査拒否されたため、自主規制した不完全版のみが流通した[43])。また下水道を舞台に撮影を敢行した平野監督の『ザ・ガマン』(1993年)でも警察官水道局員が大挙する騒動に発展している[43]

AV史上最大の問題作とされるバクシーシ山下監督のデビュー作『女犯』(1990年)は既存のレイプ作品では到底考えられないほど迫真に迫ったリアルな描写・演出から女性人権団体から抗議が殺到、社会問題化した[44]。しかし、後に山下が語るところによれば作品は意図的に後味の悪さを狙ったもので、事前に山下は本気で嫌がるよう女優に説明し、あえて男優にその事実を教えなかったという[44]。これらを踏まえて著作家本橋信宏は「実際に弄ばれていたのは女優でなく男優だった」と述べている[44]。その後も山下は抗議に萎縮することなく、1992年には路上ドキュメント『ボディコン労働者階級』を監督し、山谷ドヤ街を舞台に日雇い労働者AV女優との交接を描いたことで物議を醸すことになった[44]。ちなみに死体写真家釣崎清隆は人権団体と争ってまで問題作を送り出すV&Rプランニングの姿勢に感銘を受け、過去にAV業界で活動していたこともある。

V&Rのスカトロ作品では井口昇監督・卯月妙子主演の『ウンゲロミミズ エログロドキュメント』(1994年)が最も有名で排泄物食糞塗糞脱糞に始まり、嘔吐物ミミズまでを扱った過激な演出からマニアの間でカルト的な人気を集め、翌1995年には続編も制作された。

2004年にはV&Rプランニングの制作陣によってV&Rプロダクツが発足し、現在も事業を継続中である。なお、2015年には封印されていた障害者主演のスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』がアップリンク渋谷で上映され、制作から22年目にしての解禁となった[45]

バッキービジュアルプランニング[編集]

アダルトアニメに於ける鬼畜系[編集]

鬼畜系漫画家[編集]

主に鬼畜系、陵辱系、猟奇系(リョナ)の漫画を執筆している漫画家を生年順に挙げる。

1940年代生

1950年代生

  • 平口広美
  • 内山亜紀
  • 丸尾末広 - 高畠華宵の影響を受けたレトロなタッチに幻想・怪奇・猟奇・グロテスクな描写を交えた過激な作風を特徴としている。代表作に『少女椿』(青林工藝舎)ほか多数。
  • 森園みるく - 鬼畜系・電波系ライターの夫・村崎百郎が原作を担当し、妻の森園が作画を担当した漫画作品が多数ある。
  • 根本敬 - 自称・特殊漫画家東洋大学文学部中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号掲載の「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。しばしば便所の落書きと形容される猥雑な絵柄と因果で不条理なストーリーで知られ、日本オルタナティブ・コミックの作家の中でも最も過激な作風の漫画家である。『平凡パンチ』から『月刊現代』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで活動の場は多岐に渡り、イラストレーションから文筆、映像、講演、装幀まで依頼された仕事は原則断らない。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』他多数。
  • 海明寺裕

1960年代生

1970年代生

1980年代生

1990年代生

生年不詳

関連ライター[編集]

関連雑誌[編集]

休廃刊[編集]

刊行中[編集]

関連項目[編集]

関連書籍[編集]

  • 青山正明『危ない薬』データハウス 1992年11月
  • 鶴見済完全自殺マニュアル太田出版 1993年7月
  • 鶴見済編『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』太田出版 1994年2月
  • 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月
  • マガジンハウスBRUTUS』1995年3月15日号「特集・インモラル図書館へようこそ!」
  • 青土社ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」
  • 宮台真司『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』筑摩書房 1995年7月(1998年3月に同社より文庫化)
  • 竹熊健太郎『私とハルマゲドン―おたく宗教としてのオウム真理教』太田出版 1995年11月(2000年7月に筑摩書房より文庫化)
  • 別冊宝島228『死体の本―善悪の彼岸を超える世紀末死人学!』宝島社 1995年8月
  • 別冊宝島250『トンデモ悪趣味の本―モラルそっちのけの,BADテイスト大研究!』宝島社 1996年3月
  • 別冊宝島281『隣のサイコさん―電波系からアングラ精神病院まで!』宝島社 1996年11月
  • 別冊宝島356『実録!サイコさんからの手紙―ストーカーから電波ビラ、謀略史観まで!』宝島社 1998年1月
  • 村崎百郎『鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』データハウス 1996年7月
  • 東京公司+鬼畜ナイト実行委員会『鬼畜ナイト―新宿でいちばんイヤ~な夜』データハウス 1996年8月
  • 根本敬村崎百郎電波系』太田出版 1996年9月
  • 青山正明危ない1号』第4巻「特集/青山正明全仕事」データハウス 1999年9月
  • 桃園ムック92『鬼畜系美少女ゲーム攻略200連発』桃園書房 2002年2月
  • 青土社『ユリイカ』2005年4月臨時増刊号「総特集=オタクVSサブカル!」
    • 近藤正高「カミガミの黄昏〈一九九三年〉以前・以後」
    • 屋根裏「悪趣味と前衛が支えたアングラ」
  • アスペクト編『村崎百郎の本』2010年12月
  • Quick Japan』Vol.135 太田出版 2017年12月
  • ケロッピー前田責任編集『BURST Generation 01』東京キララ社 2018年12月
  • 木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』イースト・プレス 2019年1月
  • ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン 2019年3月
  • 香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』太田出版 2019年3月

参考文献[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 日本のサブカルチャーに「MONDO」という概念・用語を輸入したのは伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾であるといわれている。ちなみに高杉は「MONDO」に一番近い日本語として「ひょっとこ」を挙げている。
  2. ^ 別名義に死売狂生・行方未知など。ちなみに太田出版発行のサブカルチャー雑誌『Quick Japan』vol.4(1995年10月)には北へのインタビューが掲載されている。
  3. ^ 当初犯人は特殊漫画家根本敬を殺害する予定であったが、根本が不在だったため『電波系』(太田出版)の共同執筆者であった村崎の自宅に向かったという。
  4. ^ 「鬼畜系作家」というのは自称でなく通称であり、京極夏彦の対談では「鬼畜系作家」でなくハートレスな「キクチ系作家」として呼んで欲しいとのこと。

    京極:平山さんは、いうなれば鬼畜系ですよね。
    平山:それを言われると嫁が泣く(笑)。ネットで「鬼畜系作家」と書かれているのを読んで、「あなた鬼畜系なの?私は鬼畜の嫁なの?」って泣いたんだよね(笑)。まあいいんだけど、漢字だと重たいから、できればカタカナにしてもらえたら(笑)。
    京極:表記の問題なのか(笑)。でも音で区別はつかないから。発音を変えて対談するしかないじゃないですか。「キチク」……「キクチ」ならいい?
    平山:そうそう、「キチク」とか「キクチ」とか……「キクチ」だね。
    京極:じゃあ「キクチ」系にしましょう(笑)。で、「キクチ」系作家の平山夢明さんとしては、ハートフルな小説というのはあまりお書きになりませんね?ハートレスですよね(笑)。
    平山:ハートレスだね。(中略)僕が書くこわい話なんかは、どっちにしろ死んでるやつのほうが多く出てくるわけ。そういう生き物より死人のほうが多いような小説はともかく(笑)。でも、そうじゃない小説って、みんな愛の方向にもっていくでしょう?
    京極:もっていきがちですわね、愛の方向に。
    平山:愛なんて所詮、算数でいうゼロみたいなもの。幸も不幸もゼロを掛ければみんな同じ。駆け込み寺みたいな安易な逃げ場所なんだけど、酷いことを書いて、そのまんまで終わらせちゃうとだいたい鬼畜系作家とか言われちゃうわけだよね。

    対談 京極夏彦×平山夢明 - レンザブロー

出典[編集]

  1. ^ 「公敵」としてのコンテクストメイカー梅原北明『殺人會社』『文藝市場宣言』『火の用心』『ぺてん商法』【FIGHT THE POWER】
  2. ^ 梅原正紀『えろちか No.42 エロス開拓者 梅原北明の仕事』三崎書房 1973年1月
  3. ^ 斉藤昌三『三十六人の好色家―性研究家列伝』創芸社 1956年
  4. ^ “現代の映画とセックス 人間の深奥へ ますます大胆な追求”. 読売新聞 夕刊 (東京): pp. 9. (1970年3月7日) 
  5. ^ a b c 記憶のかさブタ 幻のポルノアニメ特集
  6. ^ a b 太田出版Quick Japan』19号、198頁。
  7. ^ 蓮實重彦、鬼畜系、麻原彰晃、あるいは2つの共時性を巡って - ゲンロンスクール
  8. ^ 赤田祐一「──はじめに」『SPECTATOR』vol.39「パンクマガジン『Jam』の神話」p.30-35 幻冬舎 2017年
  9. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第3章「青山正明の思い出」の中「幻のキャンパス・マガジン」より。
  10. ^ 天才編集者 故青山正明インタビュー 平野悠. BURST 2000年9月号
  11. ^ ばるぼら「『Jam』創刊号を完読してみる」『SPECTATOR』vol.39「パンクマガジン『Jam』の神話」p.50-65 幻冬舎 2017年
  12. ^ a b ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第37回「変態雑誌ビリーにおける青山正明」
  13. ^ a b c d e f ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第18回
  14. ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第1回
  15. ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第13回
  16. ^ ジェーン&マイケル・スターン著・伴田良輔訳『悪趣味百科』(新潮社 1996年)「序文」と「訳者あとがき」より。
  17. ^ a b 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第3章「青山正明の思い出」の中「『危ない1号』の創刊」より。
  18. ^ 扶桑社SPA!』1996年12月11日号 青山正明×村崎百郎鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方
  19. ^ a b c d e f g h i j ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』翔泳社、2005年5月、ISBN 978-4798106571
  20. ^ 村崎百郎『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』データハウス 1996年 著者略歴
  21. ^ ロフトプラスワン・今は亡き伝説の一日店長たち/第1回 青山正明(編集者・『危ない1号』編集長)
  22. ^ 扶桑社SPA!』1996年12月11日号特集「鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?
  23. ^ ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第127回 90年代死体ブーム - ブッチNEWS 2019年1月25日
  24. ^ a b c d ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ90'sリミックス 第4回(最終回)サブカルチャーが迎えた「世紀末」 - NHK公式サイト
  25. ^ マイクロソフト1995年Windows 95日本語版を発売。同年の新語・流行語大賞のトップテンには「インターネット」が選出されている。
  26. ^ 遊園地再生事業団と主宰・宮沢章夫のサイト
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  58. ^ 青山正明は『別冊宝島345 雑誌狂時代!』(宝島社 1997年)掲載の永山薫との対談記事の中で「面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている。
  59. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第3章「青山正明の思い出」の中「幻のキャンパス・マガジン」より。
  60. ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回「ロリコンにおける青山正明(2)」
  61. ^ 『宝島30』1994年9月号(宝島社)青山正明×志水一夫×斉田石也「受験と女権とロリータ文化」138-145頁。
  62. ^ 『宝島30』1994年9月号(宝島社)青山正明「ロリータをめぐる冒険」167頁。
  63. ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第11回
  64. ^ BLACK BOX:鬼畜 =ビリー=
  65. ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第83回「こじままさきインタビュー」part2
  66. ^ 町山智浩ホームページ内 2010年12月04日付/根本敬『人生解毒波止場』幻冬舎文庫2010年、pp.286-288
  67. ^ ドクタークラレのWebサイトより。
  68. ^ “東海村爆発物事件 爆発物マニュアル本 県内の書店で撤去の動き=群馬”. 読売新聞 朝刊 (東京): pp. 35. (2000年1月15日) 
  69. ^ ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第19回
  70. ^ アンソロジー『激しくて変』シリーズ

外部リンク[編集]