鬼畜系

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鬼畜系/悪趣味系
Hyakurō Murasaki.jpg
まぼろし博覧会内の常設展示「村崎百郎館」に設置されている村崎百郎の等身大人形
様式的起源
文化的起源 日本の旗 日本東京都
1920年代1990年代
エログロナンセンスカストリ雑誌エロ本自販機本)→サブカルモンド/悪趣味系→鬼畜系
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1960年代1970年代
MONDOカウンターカルチャー
サブジャンル
関連項目
  • 青林堂
  • 檸檬社
  • 白夜書房
  • アリス出版
  • 群雄社
  • VIC出版
  • 幻の名盤解放同盟
  • JICC出版局別冊宝島
  • 洋泉社
  • ペヨトル工房
  • データハウス東京公司
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  • V&Rプランニング
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    鬼畜系(きちくけい、Demon style)は、悪趣味系サブカルチャーのサブジャンルであり[1]1990年代鬼畜・悪趣味ブームにおいて電波系ゴミ漁りで知られた鬼畜ライター村崎百郎が自分自身を指すのに提唱した造語である[2]

    これはポストモダン的な価値相対主義面白主義冷笑主義など)が成立背景にあり、かつては従来の権威主義的な文化への対抗として機能していた[3]。しかし、現代の人権感覚に照らすと全体的に人権意識が乏しく[3]、狭義の文脈が喪失した今日では「政治的に正しくない(Politically Incorrect)」すなわち「ポリティカル・コレクトネスに違反する」として批判的に言及されることも多い[4]

    なお、これは成人漫画などにおける反社会的行為、ないし残酷描写が含まれる作品、またその作家を指す言葉としても用いられている。

    語義[編集]

    「鬼畜系」という言葉が活字出版物上に現れるようになったのは「鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座」と銘打たれた『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」(データハウス東京公司)が刊行された1996年頃からとみられている[5]

    SPA!』編集部は鬼畜ブーム特集「鬼畜たちの倫理観」(1996年12月11日号所収)で「鬼畜系」について「モラルや法にとらわれず、欲望に忠実になって、徹底的に下品で、残酷なものを楽しんじゃおうというスタンス」と定義し「死体写真ブームから発展した悪趣味本ブームの流れとモンド・カルチャーの脱力感が合流。そこに過激な企画モノAVの変態性が吸収され、さらにドラッグレイプ幼児買春などの犯罪情報が合体した」ことを踏まえながら「インターネットの大ブームにより、過激なアンダーグラウンド情報が容易に入手できるようになったのも、この流れを加速させた要因だろう」と鬼畜系カルチャーが誕生した大まかな流れを概説している[6]

    ロマン優光による総括[編集]

    2010年代以降はSNSを中心に鬼畜系の功罪が論じられるようになったが、その強烈な語感からイメージのみが先行し、当時を知らない層には政治的な正しさの観点から必要以上に悪く思われ、否定的に扱われる節もある[7][8]

    90年代サブカルについて無責任な放言が跋扈することに強い危惧を持ったロマン優光は、著書『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)で鬼畜系サブカルの出自と存在意義、および文脈が失われた過程と語義上の留意点について次のように総括している。

    90年代というのは不思議な時代です。(中略)建前が道徳的な機能を失っているのに、それはなかったことにして表面上だけ建前を優先する世界。綺麗事が蔓延し、綺麗なものしかメディアに出すことを許さない一方で、本音の部分では差別意識と搾取精神に溢れている。そんな時代です。当時はネットがそこまで発達していない状況で、一般の人が汚い本音を世間に撒き散らせる環境はなかったため、表面上は建前でコーティングされてました。(中略)

    わかりやすく言うと、こういった社会に対して「そんな風に建前を言っているけど、本当は汚い欲望でいっぱいじゃないか。世界はこんなに汚いもので溢れている。お前らが覆い隠そうとしているような人間だって自分の人生を生きている」という風な異議申し立ての側面があったのが、「鬼畜系」だったのです。

    「鬼畜系」というものは90年代社会に対するカウンターであり、それは当時の状況の中で一定の意義があったものでした。しかし、同時に当時の人権意識の低さから自由ではなかったし、本人たちの意図してない受け入れられ方を多くされていくことで、瓦解していったのです[注 1] — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、30-31頁。
    ここで忘れてはいけないのは、「鬼畜系」はあくまで反道徳性、犯罪性の強いものを考察してたり、語ってたりするものを消費する文化であって、表面上に見られる読者へのあおりも基本ポーズであり、犯罪を犯すこと、反道徳的行為を実行すること自体を指していたり、それをみだりに推奨していたわけではないということです。そこは注意するべきところだと思います。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、12-13頁。

    また「鬼畜系」の派生元となった「悪趣味系」についてロマンは次のように定義した。

    90年代サブカルにおける悪趣味系というのは「価値のないもの、取り上げるに値しないものと見なされているものを、俎上にのせ再評価していくこと」をポップな文脈で楽しむという行為と、薬物、死体、殺人者などの情報を即物的に楽しむという行為の二つが混合されたムーブメントです。(中略)視点の位置を変えることで対象に新しい意味を付加していき、それをポップなものとして提示するのが通例であり、「世間的に悪趣味な存在と見なされているもの」、「それを好むと世間的に悪趣味だとみなされるものを好むこと自体」をその対象に選んだのが悪趣味系ということです。悪趣味なことを実践していくことが目的ではなく、世間では悪趣味とされているようなものや行為を取り上げることに主眼がおかれているムーブメントだと考えれば、そう間違ってないのではないでしょうかね。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、20-21頁。

    サブカルチャーに於ける鬼畜系[編集]

    前史[編集]

    近世以前[編集]

    は生物にとって根本的なものであり、日本列島の各地では生殖器崇拝が行われていた。

    江戸時代[編集]

    月岡芳年英名二十八衆句』(慶応3年・1867年)内の「稲田九蔵新助」図。裸のを逆さ吊りにして鮟鱇斬りにする様子を描いた無残絵

    日本におけるエログロ文化は、江戸時代後期の艶本春画においても見出すことができる。鳥居清信の春画の一つ(1700年頃)には性的倒錯の一種の裸の男と服を着た女のシチュエーションがある[10]葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通』(1814年頃)における「蛸と海女」は、獣姦アートの中でも蛸が相手というかなりのキワモノであった。また蘭学の医学書・解剖図の影響も見られる渓斎英泉の艶本『閨中紀聞 枕文庫』(1822年)は、当時の性の医学書・百科事典にして性奥義の指南書であり、同時に、奇書の中の奇書として知られている(特に膣の内部に大きな関心が抱かれている)[11]西洋でもルネッサンス以降、医学書・解剖図や解剖図を反映した等身大の人体蝋人形などが数々制作された。中でも、Marie Marguerite Bihéron (1719 - 1795) の作品が有名であり、妊婦の解剖人形などは非常に精巧だったとされる[12][13][14]

    幕末期には浮世絵師月岡芳年落合芳幾が「無惨絵」という歌舞伎の殺陣や鮮血などの残酷描写を主題にした扇情的な浮世絵を発表した。これは幕末という不穏当な時代世相を背景に制作されたともいわれる。なお、無残絵は江戸時代後期の廃仏毀釈の流れもあり、九相図など仏教絵画に見られる宗教色が一掃されている。つまり無残絵は宗教的文脈を逸脱し、純粋な娯楽として制作および鑑賞されていたことがわかる。以降、無残絵はエログロの古典的地位を確立し、責め絵の草分け的存在である伊藤晴雨は、芳年の無残絵を模した緊縛絵や緊縛写真を多数制作した。また芳年と芳幾が幕末に発表した競作無惨絵『英名二十八衆句』(1866年〜1867年)は、非商業的な漫画雑誌『ガロ』(青林堂)などで活躍した丸尾末広花輪和一によって昭和末期にリメイクされており、無残絵を原点とするエログロ文化の精神的な流れは、後々のサブカルチャーに脈々と受け継がれた。

    文明開化[編集]

    宮武外骨「頓智研法発布式」(安達吟光画)。大日本帝国憲法に擬した「頓智研法」を骸骨(=外骨)が下賜する場面。また条文の「第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」をもじり「第一條、大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」とした。奥に立つ骸骨は明治天皇であるとして外骨は不敬罪で逮捕され、投獄は3年8ヶ月に及んだ。
    妊婦の腹を裂いて喰い殺す黒塚鬼婆伝説を描いた月岡芳年奥州安達がはらひとつ家の図』(明治18年・1885年
    明治政府風俗壊乱の廉で発禁とした。

    1785年にはマルキ・ド・サド鬼畜SM小説ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を著した(初版は1904年)。マゾ文学は1871年の『毛皮を着たヴィーナス』にて開花したと言われている。死や汚穢趣味[15]エロティシズムを見出す文学は世界各地に見られる。

    19世紀イギリスアメリカでは、フリーク・ショウと呼ばれる見世物小屋にて世の中の奇怪なもの(奇形、部族の全身入れ墨身体改造など)を、人間動物園では西洋文化以外の部族・人種や非健常者を見せ物にしていた(日本でも明治から昭和初期にかけて開催された衛生博覧会が見世物的なエログロとして鑑賞された)。これらは現代の人権感覚に照らすと差別極まりないものであった。

    また、1839年に実用的な写真技術が発明されて以来、そのような奇怪なものの写真(髭の生えた女性、シャム双生児小人症、4本足の人物など)やヌード・ポルノ写真も巷に出回り、人々の好奇を集めていた。19世紀終盤に映画が発明されると、すぐにポルノ映画が地下で制作されるようになったが、欧米および日本では公権力の下では非合法だった。このような悪趣味な習慣は、部分的に明治維新後(1868年)の日本にも伝わったと考えられる。その他にも、故人を生きているかのようにポーズを取らせて写真を取ることも流行した[16]が、これは葬儀の風習の一貫である。

    イギリスでは風刺漫画雑誌『パンチ』が1841年に刊行され、社会を面白おかしく皮肉的に風刺した。またこの頃の日本でも、時には不謹慎とも見なされた社会風刺雑誌として、野村文夫の『團團珍聞』や宮武外骨の『滑稽新聞』のようなものがあった。

    特に「癇癪と色気。過激にして愛嬌あり」キャッチコピーに足掛け8年で全173号を刊行した宮武外骨の『滑稽新聞』は1901年(明治34年)の創刊以来、政府や役人の汚職や醜聞、既成ジャーナリズムの腐敗などを容赦なく暴き出し、歯に衣着せぬ過激な社会風刺が人気を集め、当時としては驚異的な8万部を発行した[17]。同紙は発刊中だけでも、外骨本人の入獄2回、関係者の入獄3回、罰金刑16回、発禁印刷差押え処分20回以上という壮絶な筆禍を受けたが、外骨は全く懲りることなく「寧ろ悪を勧めよ」「法律廃止論」などの過激な持論を紙面に掲げ、不当に高額な罰金刑を下した検事を紙上で攻撃し、発行禁止に先手を打つ形で最終的に「自殺号」(1908年10月20日付)を出すに至る(翌月に『大阪滑稽新聞』を創刊して戦いを継続)。これは権力に殺されたのではなく、自らの意志で自殺廃刊を選んだという外骨なりの自負とユーモアが込められている[17]。このように外骨は権威に屈せず、反骨と諧謔のパロディストであることを生涯を通してつらぬいた[18]

    発行禁止命令に先んじて自殺廃刊した『滑稽新聞』の後継誌『大阪滑稽新聞』創刊号(1907年11月3日号)表紙。通巻24号(1909年10月15日号)では伊藤博文の最期を当てるという不謹慎な懸賞企画を行い、その直後に伊藤博文暗殺事件が起きると「女ずき者の最後」と題した風刺画を通巻26号(11月15日号)に載せ、繰り返し発禁となった。

    第一次世界大戦後[編集]

    1920年代は、破壊的だった第一次世界大戦からの反動で、既存の権威に対する不信感が高まり、より自由な社会を望む風潮が世界的に高まった。アメリカでは女性の参政権が成立し、女性の服装や髪型は動きやすいボーイッシュなものが流行した。

    世界では、ダダイズムなどの反芸術の流れが起き、マルセル・デュシャンは小便器を芸術作品として発表し(1917年)、マン・レイは性交中の結合部のアップの写真を芸術作品として発表する(1920年代)などしていた。日本でも大正デモクラシーという運動が盛んになった。しかし、1929年の世界恐慌の発生によって社会・政治が保守化したことで、社会の解放のムードは戦後まで抑圧されることになった。

    エログロナンセンスと梅原北明の時代[編集]

    雑誌『グロテスク』1929年(昭和4年)1月新年号の発禁処分に対抗して梅原北明が『読売新聞1928年12月30日朝刊に出した死亡広告。通知によると「愚息『グロテスク』新年号儀サンザン母親に生みの苦しみを味わわせ、漸く出産致せし甲斐もなく、急性發禁病の爲め、昭和三年十二月廿八日を以て『長兄グロテスク十二月號』の後を追い永眠仕り候……」。この新年号は372ページの増大号で、グラビアに狸の睾丸八畳敷きの画集を添え、記事内容は「聖天秘抄」(酒井潔)、「阿片考」(北明)、「世界残虐刑罰史」(才田礼門)、「日本残虐刑罰史」(高田義一郎)、「童貞論」(浅田一)、「近世詐欺取物考」(北明)などの他、特別付録として生方敏郎大泉黒石随筆などを載せている[19]
    梅原北明1928年(昭和3年)に起こした27件の筆禍事件(出版法違反)の決着を祝って1929年(昭和4年)3月20日に関係者40数名を集めて華々しく催された「梅原北明罰金刑祝賀会」の様子[20]。北明は官憲相手に諧謔エログロで無意味なまでに対抗する姿勢を見せつけたことで「猥本の出版狂」とも呼ばれていた。
    グロテスク』復活記念号(1931年4月号)。表紙には「侮り難きヨタ雑誌」「エログロの総本山」という言葉が並び、内容的にも華々しさより焼け糞さが目立つ復刊であった。

    世界恐慌が起こった1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)にかけてエログロナンセンスと呼ばれる退廃文化日本でブームとなった。時代的背景として関東大震災による帝都壊滅、官憲のファシズム台頭プロレタリア文化運動の弾圧、恐慌による倒産や失業の増加、凶作による娘の身売りや一家心中などで社会不安が深刻化しており、出口のない暗い絶望感とニヒリズムが世相に充満していた[21]。大衆は刹那的享楽に走り、共産主義革命を翼賛する“反体制的反骨”のプロレタリア文化運動も行き詰まりの果てに、常識を逸脱するエログロナンセンスへと流れていった[22][23]。このムーブメントはまさしく混迷極まる昭和初期のわずかな暗い谷間に咲いた、現実逃避の徒花であった。

    このブームの中心人物こそ「エログロナンセンスの帝王」「地下出版の帝王」「猥本出版の王」「発禁王」「罰金王」「猥褻研究王」などと謳われたエログロナンセンスのオルガナイザー梅原北明である。北明は『デカメロン』『エプタメロン』の翻訳で知られる出版人で、1925年(大正14年)11月にはプロレタリア文芸誌の体裁を取った特殊風俗誌『文藝市場』(文藝市場社)を既成文壇へのカウンターとして創刊。創刊号では「文壇全部嘘新聞」と題して田山花袋岡本一平辻潤春画売買容疑で取調べられている横で、菊池寛邸が全焼し、上司小剣が惨殺されるという過激な虚構新聞を見開き一頁を割いて掲載した。それら内容はいずれも冗談と諧謔の精神に満ち溢れており、既成権威に対してイデオロギーを持たず[24][25]無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時の同人からも「焼糞の決死的道楽出版」と評された[26][27][28]

    1926年(大正15年)12月に北明が出版した会員誌『変態・資料』(文藝資料編輯部)4号では、月岡芳年画『奥州安達がはらひとつ家の図』と共に、伊藤晴雨が撮影した「逆さ吊りの妊婦」(1921年)が本人に無断で掲載された。その上「この寫眞は画壇の變態性慾者として有名な伊藤晴雨畫伯が、臨月の夫人を寒中逆様に吊るして虐待してゐる光景」「恐らく本人の伊藤畫伯もこれを見たら、寫眞の出處に驚くだらう」という事実無根の解説文を載せ、大いに物議を醸した[注 2]。なお、北明と晴雨は留置場で同室した仲であり、互いの性格をよく知っていたことから、晴雨は写真の無断転載について「北明という男は罪のない男で腹も立たない」と述べている[29]。以降も同誌には過激なグラビアが掲載され、9号(27年6月)には反戦写真集『戦争に対する戦争』(1924年)から負傷兵のえぐれた顔写真を無断転載し、チューブで食事する写真に「何と芸術的な食べかただろう!」「手数はかかるが彼の生活は王侯のそれと匹敵している」など本来の文脈から完全に逸脱した不謹慎なキャプションを添えた。この他にもミイラや手足のホルマリン漬けなどグロの極みのような写真が終刊まで無意味に掲載され続けた。

    その後、北明は出版法19条「風俗壊乱」の疑いで市ヶ谷刑務所に投獄され前科一犯となるが、仮出獄後すぐに猟奇雑誌『グロテスク』(グロテスク社→文藝市場社→談奇館書局)を1928年(昭和3年)11月に創刊する。新年号が発禁になると、それを逆手にとって読売新聞に「急性發禁病の爲め、昭和三年十二月廿八日を以て『長兄グロテスク十二月號』の後を追い永眠仕り候」という死亡広告を出し、世人の注目を集めた。また北明は度重なる発禁を「金鵄勲章ならぬ禁止勲章授与、数十回」と声高らかに喧伝し、警察からは「正気だか気ちがいだか、わけのわからぬ猥本の出版狂」と見なされた[28]。発禁本研究家の斎藤昌三は「軟派の出版界に君臨した二大異端者を擧げるなら、梅原北明宮武外骨老の二人に匹敵する者はまずない。その実績に於て北明は東の大関である」と評価している[30]。結果、北明は生涯で家宅捜索数十回、刑法適用25回、出版法適用12回、罰金刑十数回、体刑5年以下の筆禍を受けることになった[31]

    与太雑誌『グロテスク』自体は度重なる発禁と罰金で、ほとんど採算無視の放漫経営状態にあったが、発行部数だけは伸び続け、1929年4月号で部数は遂に1万部を突破した。同誌は『変態・資料』と違って一般に市販されたこともあってか、文献研究雑誌の趣が強く、北明自身も「文献趣味雑誌」と自認していたため、後の視点で見ると決してグロテスクなわけではないが、戦前の抑圧社会で「グロ」を主題にした軟派雑誌が公刊で1万部を売ったという事実は、それだけで驚異的だった[32]。結果的に『グロテスク』は出版界にグロ旋風を巻き起こし、数多くの亜流本を生みだした(後述)。

    1931年(昭和6年)に北明は菊判2100頁にも及ぶ古新聞漁りの集大成『近世社会大驚異全史』を刊行する。しかし今度検挙されたら保釈がきかないと弁護士から宣告された北明は当局から逃れるため上海大阪に逃がれ、ほどなく艶本出版から完全に手を引き、靖国神社の職員となった[28][33]。また二・二六事件以降は国内での検閲発禁が激化していき、一連のムーブメントは1936年(昭和11年)頃を境に終息していった。この年、日本三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』を著した夢野久作も急逝する。

    猟奇ブーム─エロからグロへ[編集]

    エログロの極み、阿部定事件1936年)。この2年前には世紀の猟奇殺人犯と呼ばれたアルバート・フィッシュの逮捕騒動もあった。

    出版界は1929年から1931年頃にかけて「変態ブーム」に代わり、拷問刑罰や犯罪科学にまつわる学術書籍が相次いで刊行されるなど「猟奇ブーム」で沸いた。これは「エロ」が露骨な弾圧を食らうようになってきた背景があり、エロが駄目なら「グロ」を主軸に展開しようということだった[注 3]

    当時流行した「刑罰もの」のモチーフは、刑罰史から姦淫刑罰宗教刑罰歌舞伎の残酷演劇、伊藤晴雨責め絵まで幅広く、変態風俗本と同様に各ジャンルを横断的に網羅していた。また、刑罰ものは単に猟奇趣味の好奇を煽るだけでなく、歴史風俗史料という言い訳が可能で、図版に修正を入れなくても当局の監視下で堂々と出版できるという抜け道があった(性科学系の文献雑誌は、学術誌であると同時に性的欲望を満たすエロ本としても機能していた)。

    特に有名なものが、各界の権威を招いて1929年から全16巻を刊行した犯罪科学全集『近代犯罪科学全集』(武俠社)である。秋田昌美は著書『性の猟奇モダン』で「この全集が出たこと自体、日本の出版界においての大事件だったというべきだろう。それを可能にしたこの時代がエロ・グロ・ナンセンスに沸き立った熱い戦前の一時代だったのである」と評価している[34]

    1930年(昭和5年)頃には、エログロナンセンスが頂点に達し、死体写真集に相当する奇書が出回った。同年3月、武侠社の柳沼沢介は『近代犯罪科学全集』の別巻として、図版中心の非公開資料集『刑罰変態性欲図譜』(刑罰及変態性欲写真集/DIE BILDER UBER DIE STRAFE UND ABNORMER GESCHLECHTS TRIEB)を少数頒布した(1996年6月に皓星社から復刊)。本書は「刑罰」「性犯罪」「文身」「責め」の4章から構成され、豊富な写真と図版が300点あまり掲載された。序文には「犯罪科学の研究の資料として世の真摯なる研究家の参考に…」とあるが、実態は今で言うところのSM本であった。刑罰の章では、1868年(明治元年)に発禁となった『徳川刑罰図譜』からの転写、幕末の刑罰/処刑写真、宗教的迫害を描いた拷問絵巻、世界各地の刑罰図譜などが掲載された。また性犯罪の章では、1917年(大正6年)に起こった下谷サドマゾ事件(日本初のSM怪死事件)[注 4]で無残な死体となったマゾヒストの人妻・ヨネの裸体写真が掲載された。さらに文身の章では責め絵無残絵伊藤晴雨緊縛写真が多数紹介された(晴雨自身も「責めの研究」と題したSM論を寄稿している)。

    1930年8月には『刑罰変態性欲図譜』と同じ発行元(正確には武俠社内犯罪科学同好研究会)から『犯罪現場写真集』(BILD DES VERBRECHENS IN ELAGRANTI)が発行された[注 5]。これは我が国初の本格的な死体写真集とされている[35]。本書の序文には「主として強盗殺人、強姦致死並びにその疑ある犯行等の現場写真を収載した」とあり、実に100枚もの死体写真を掲載した。また扱われた61件の事件中15件が日本のもので、書籍の後半では日本人の死体写真も扱われており、これは海外の死体写真を差し置いて抜きん出た臨場感を放っていた。

    しかし、グロには寛容であった官憲とはいえ、やはり本書の内容は目に余る代物だったようで、刊行翌月には「風俗禁止」で発禁となった[35]。結果的に『犯罪現場写真集』の前後が犯罪・猟奇ブームのピークとなり、1935年(昭和10年)に中央公論社が出した『防犯科学全集』では性犯罪がわずかに扱われるだけで、基本的には防犯教育を説く内容であり、猟奇的なムードは一掃された。1936年(昭和11年)には社会を震撼させた阿部定事件が起こり、エログロナンセンス時代最末期の掉尾を飾った。

    第二次世界大戦後[編集]

    終戦後は出版自由化に同調する形で再びエロ性風俗)やグロ猟奇犯罪)に特化した低俗な大衆向け娯楽雑誌が大量に出回るようになる。これらの多くは3号で廃刊(=3号雑誌)したことから「3飲むと酔い潰れる」粗悪なカストリ酒にかけて「カストリ雑誌」と総称された。

    周囲からは「これからが梅原北明の真の出番だ」と期待されたが、すでに北明にその意志はなく、1946年(昭和21年)に発疹チフスであっけなく逝去する[36]。終戦でエロ産業は一挙に解放され、巷は第二の桃色風俗出版ブームの華々しい黄金時代を迎えようとしていた[37]

    この時代の代表的なカストリ雑誌に『猟奇』『裏窓』『りべらる』『あまとりあ』『奇譚クラブ』『風俗草紙』などがある。このうち『奇譚クラブ』(1947年〜1975年)はSM誌に転身して沼正三の『家畜人ヤプー』や団鬼六の『花と蛇』を連載した。『奇譚クラブ』の類似誌としては『風俗奇譚』『血と薔薇』『黒の手帖』などの存在がある。

    欧米では、1930年代から活動しているフェティッシュ・アーティストジョン・ウィリーによるSM雑誌『Bizarre』(1946 - 1959)やGene Bilbrewによる『ENEG』、『Exotique』(1956 - 1959)などが出版されている。中でも有名なSM雑誌は、イギリスの『AtomAge』(1957年刊)である。またSM雑誌以外にも、アメリカでは「パルプ・マガジン」と呼ばれる安価で低俗な娯楽雑誌が大衆の人気を集めた。

    カウンターカルチャー・ムーブメント[編集]

    1960年代は、世界的にカウンターカルチャームーブメントが広がり、既存の社会規範から解放されようという動きが一般に浸透した時代であった。この時代には、それまでアンダーグラウンドだったエロやグロの表現が徐々に表立つようになり、後にはさらに過激化させる方向に進んでいくことになる。ショック・アートなど反芸術的な前衛芸術はさらに先鋭化し(人糞を展示するに至る)、ショック・ロックなどミュージシャンのファッションやパフォーマンスも過激化した(脱衣や自傷行為、さらには嘔吐・小便・大便の汚物三種の神器を舞台で行うに至る[38])時代でもあった。こうした風潮はフリーク・シーンとも呼ばれた。

    ショック・ロックの代表格には、イギー・ポップオジー・オズボーンGGアリンマリリン・マンソン。日本ではザ・スターリンじゃがたらハナタラシTACOガガーリンゲロゲリゲゲゲハイテクノロジー・スーサイドなどがいる。たとえば遠藤ミチロウは観客に豚の臓物や汚物などを投げ込み、江戸アケミは流血・放尿のほかニワトリシマヘビの首を生きたまま食いちぎり、山塚アイユンボでライヴハウスの壁を壊し、田口トモロヲは炊飯器に脱糞し、山崎春美自殺未遂ギグを決行した。

    また世界的にも反芸術的な前衛芸術が再興した。アメリカではネオダダが興り、日本でも九州派などがゴミに小便をかけたものを前衛芸術店に展示したり、街角でストリーキングや迷惑行為を行う芸術テロ的で過激なパフォーマンスアーティスト集団も登場した(日本ではゼロ次元ハイレッド・センター、ヨーロッパではウィーン・アクショニストなど)。草間彌生ウォール街にて全裸集団を組織して路上パフォーマンスを行なった(ナチュラリスト指向のヌーディスト運動の歴史は19世紀末に遡る)。

    カルトムービーの黄金時代[編集]

    世界各地の知られざる奇習や風俗を描いたドキュメンタリー映画『世界残酷物語/Mondo Cane』(1962年)のヒットを嚆矢として、1960年代ヨーロッパアメリカでは観客の見世物的好奇心に訴える猟奇系のドキュメンタリー・モキュメンタリー映画が続々と登場し、人気を博していた。これらの映画は俗に「モンド映画」(Mondo film)と呼ばれる。著名なモンド映画監督としては『世界残酷物語』のグァルティエロ・ヤコペッティ、『ピンク・フラミンゴ』のジョン・ウォーターズ、『ファスター・プシィキャット!キル!キル!』のラス・メイヤーなどがいる。これら監督たちの映画は、世界中の悪趣味(バッド・テイスト)文化にも多大なる影響を及ぼした[注 6]

    その後、モンド映画ブームは収束するが、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』(1932年MGM)がアメリカの映画館で深夜上映されたのを皮切りに、1970年代よりアメリカでカルトムービーインディーズ・ムービーが深夜上映の形態で続々公開されるようになり、一部の映画マニアを中心に熱狂的な人気を博した。この一連のムーブメントは「ミッドナイトムービー・ブーム」と呼ばれ、このブームから『ピンク・フラミンゴ』(犬の糞を食べるシーンがある)『エル・トポ』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ロッキー・ホラー・ショー』『イレイザーヘッド』『エレファントマン』など多数のカルト映画が生み出されていった。1972年にはラルフ・バクシが画期的なアダルトアニメフリッツ・ザ・キャット』を製作する。これは史上最も成功したインディーズアニメーション映画のひとつとなった(それと同時にアニメ史上初のX指定英語版を受けた)。本作ではブラックユーモアセックス描写が大胆に取り入れられ、主人公が学生運動性革命ヒッピーコミューンなどアメリカ社会で60年代後半に巻き起こったムーブメント野次馬的に体験していく様子が毒々しく描かれている。

    1963年にはスプラッター映画の走りとなった『血の祝祭日』が公開され、これ以降の映画で人体損傷シーンを過激化していくきっかけを作った。1975年にはマルキ・ド・サドの鬼畜SM小説『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作とした『ソドムの市』が公開された。これは、金持ちの権力者たちが街で狩ってきた少年・少女たちを囲って、拷問したり食糞したりするという内容の、悪趣味映画の極みであった。1978年にはモンド映画の中でも解剖、処刑、事故、屠殺といった「死」の風景ばかりを扱う、日米合作による『ジャンク』が公開される。

    また、1960年代のアメリカではセクスプロイテーション映画と呼ばれる、独立系映画制作会社による低予算の、お色気女優が性的搾取されるシチュエーションを扱うジャンルが隆盛し、日本でも同様にピンク映画が流行した。『Olga's Girls』(1964年)などSM行為を含むエロ映画もこの頃に多数制作されている。1969年のデンマークを皮切りに、(擬似ではなく)本物の性交を行うポルノ映画が合法となった(ポルノ解禁)。ポルノが合法になる以前からも、スタッグフィルムと呼ばれる非合法のポルノ映画が地下で流通しており、SMポルノ映画もこの頃から制作されていた。デンマークのColor Climax Corporation(1967年〜)は、すぐさま獣姦、飲尿、さらに法律の不備をついて児童ポルノなど様々なジャンルのポルノを制作した。スカトロ行為を行うポルノ動画がいつ頃から登場したかは定かではないが、『HARD GAMES – Klistier Exzess (Anita Feller)』(1980年)やVeronica Moserなどは確認できる初期の例である。1980年代にはイギリスでアニマル・ファームという獣姦ジャンルのポルノ動画がいくつも作成された。中には、ウナギを挿入するものもあった。現在では、動物の権利の観点から、獣姦ポルノは法律で禁止されている国もある。日本のカルト的エログロAVでは、V&Rプランニング平野勝之井口昇天野大吉穴留玉狂アロマ企画などが後に登場した。

    1971年に出版されたエド・サンダーソン著のマンソンファミリーを扱った書籍は、殺人を撮影するスナッフフィルムに対する社会の関心を読び起こした[注 7]。これをきっかけに、スナッフフィルムは「裏世界では娯楽のために人が殺され、その模様を収めたフィルムがひそかに売買されているらしい」などといった噂とともに知られるようになり、様々な作品の題材に取り上げられている。特に1975年のモンド映画スナッフ/SNUFF』は実際のスナッフフィルムとの触れ込みで公開されたことで有名である。また『食人族』(1983年)のように、劇中の映画撮影隊が殺人行為を撮影したり殺されたりする場面をリアルに演出し、さらに誇大宣伝をすることによって本物の殺人映像と思い込ませた例も出現した。

    1960年代から1970年代にかけては、情報・通信機器が急速に普及し、公開自殺の様子も大衆の目に届くようになった。1963年には、ティック・クアン・ドックベトナム戦争に抗議して大使館前で焼身自殺。1970年、三島由紀夫自衛隊の前で公開割腹自殺。1974年には、クリスティーン・チュバックが世界で初めてテレビの生放送中に自殺を遂げた。

    一方、日本国内では1960年代よりテレビの普及に伴い、映画館の観客動員数が減少し、これに対抗した大手以外の独立系映画会社が「テレビでは出来ないこと」としてピンク映画の製作に舵を切り始め、隆盛を極めていた。これに目を付けた東映が『網走番外地』シリーズで知られる映画監督石井輝男と『くノ一忍法』『893愚連隊』『日本暗殺秘録』で知られる中島貞夫を抜擢し、日本の大手映画会社としては初となるポルノ映画大奥㊙物語』(監督・中島貞夫)および『徳川女系図』(監督・石井輝男)を製作した。これに手応えを感じた東映と石井は本作より「異常性愛路線」を前面に打ち出し、作中にサドマゾ拷問処刑などグロテスクな描写を次々に取り入れ、エログロサディズムの極限を追求した成人映画を立て続けに製作し、和製モンドの一ジャンルを築き上げた。これら一連の作品によって石井輝男は国内におけるカルトムービーパイオニアとしてみなされている。

    異常性愛路線は、1968年公開の『徳川女系図』の大ヒットを嚆矢として『徳川女刑罰史』『異常性愛記録 ハレンチ』『徳川いれずみ師 責め地獄』『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』(阿部定が出演)とシリーズを重ねるごとに、その過激さを加速度的にエスカレートさせていくが、1969年の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』の興行的失敗、併映作『㊙劇画 浮世絵千一夜』の警視庁から東映映倫に対するわいせつシーンの削除要請、そして警察庁による取り締まり強化宣言などによって60年代末に終焉を迎えることとなる[40]

    その後、エログロ路線が下火になる中、1971年東京テレビ動画(後の日本テレビ動画)は谷岡ヤスジ原作の劇場用アニメ映画ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を製作。本作はそれまで子供向けであると言われたアニメの世界にエログロバイオレンス表現を大胆に取り入れ、強姦獣姦幼児姦近親相姦といったハードコア要素を存分に詰め込んだアブノーマルな世界観に仕上がっており[41]、今日では伝説的なカルトムービーとして一部で再評価されている。しかし、公開前に映倫からのクレームで11カ所がカットされ、主人公がメスゴリラ姦通した後、割腹自殺を遂げるラストシーンは前年の三島事件を連想させるとのことで全面的に撮り直された[41]。そのうえ公開後は全く客が入らず、2週続映が1週で打ち切られ、ほとんどの批評誌からも酷評されるなど興行は大失敗に終わり、本作を最後に東京テレビ動画は解散を余儀なくされた[41]。その後、1984年ワンダーキッズ中島史雄三流劇画を原作とした成人向けOVA雪の紅化粧/少女薔薇刑』を公開するまで国産アダルトアニメは12年半にわたり姿を消すこととなった。

    黎明期[編集]

    20世紀末の日本で花開いた鬼畜系サブカルの系譜においてメディアマン高杉弾山崎春美ガセネタTACO)が1979年3月に創刊した伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』(エルシー企画アリス出版群雄社出版)が元祖的存在として挙げられる[42][43][44]。とくに同誌を有名にしたのは『Jam』創刊号掲載の爆弾企画「芸能人ゴミあさりシリーズ」である。この企画では山口百恵かたせ梨乃など有名芸能人の自宅から出たゴミを回収し、電波系ファンレターから使用済み生理用品まで誌面のグラビアで大々的に公開したことで物議を醸した(ちなみに雑誌のゴミ漁り企画はアメリカ合衆国のアンダーグラウンド・マガジン『WET』(1976-81) のゴミ漁り企画が元祖である)。また、これ以外にも同誌ではドラッグパンク・ロック臨済禅神秘主義シュルレアリスム蛭子能収フリーミュージック英語版などオルタナティヴ・カルチャーを縦横無尽に取り上げ、諧謔知性狂気が交錯するパンクな誌面を展開した。そのため今日では伝説の自販機本として神話化されている[45]。なお、1980年代に特異なサブカル雑誌がエロ本などから出現した背景について大塚英志は「全共闘世代が〈おたく〉第一世代に活動の場を提供する、という形で起きた」と指摘しており[46]、これに関して高杉弾も「あの頃は自販機本の黄金期で出せば売れるという時代だったから、僕らみたいなわけの分からない奴にも作らせる余裕があったんだね。それに編集者は全共闘世代の人が多かったから、僕らみたいな下の世代に興味を持ってくれたんだと思うよ。それで『Jam』や『HEAVEN』を作ったんだよね」と述懐している[47]

    鬼畜系文筆家の草分け的存在である青山正明村崎百郎も『Jam』の影響を強く受けており、青山は慶應義塾大学在学中の1981年にキャンパスマガジン『突然変異』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)を創刊[注 8]障害者奇形ドラッグロリコン皇室揶揄まで幅広くタブーを扱い[48]、熱狂的な読者を獲得したものの、椎名誠などなどの文化人から「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」[49]と袋叩きに遭い、わずか4号で廃刊する。一方の村崎は『Jam』の企画からヒントを得て「鬼畜ゴミ漁り」というスタイルを後に確立する[50]

    アリス出版少女アリス』編集長の川本耕次三流劇画ブームロリコンブームの仕掛け人)は、自販機本発のサブカルチャーが1990年代に「鬼畜ブーム」へと発展した経緯を次のように総括している。

    自販機エロ本というのは、それまであったエロ本のタブーをブチ壊し、アナーキーな性欲を街頭に開放することから始まった。既成の出版業界から見れば、鬼畜そのものだ。ロリコンに限らず、性欲に関するあらゆるタブーを打破し、マトモな性欲の持ち主だったら眉をひそめるようなネタを続々と登場させた。それはビニ本に引き継がれ、タブーは次々に破られて行く。それが70年代終わりから80年代前半までのトレンドで、90年代の鬼畜ブームというのは、そんな連中、まぁ、おいらもその典型なんだが、そんな連中を「カッコイイ」と思って憧れていたネクラ少年たちが作り上げたブームなんだろうが、基本は文学少年だったり音楽オタクだったりする文系のお坊ちゃまなので、鬼畜ごっこと呼ぶのが正しい(笑) — オマエが元祖鬼畜系だろうが - ネットゲリラ(2021年7月22日配信)

    80年代の猟奇・変態カルチャーとその終焉[編集]

    1980年代前半には“都市環境が美化された結果、死体が見えなくなったことに対する反逆”として局所的な死体ブームが起こった[51]写真週刊誌FOCUS』(新潮社)に創刊号から連載され、わずか6回で打ち切られた藤原新也の『東京漂流』では、ガンジス川水葬死体に野犬が喰らいつく写真に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というキャプションが添えられた。これはコマーシャリズムによって異物を排除する志向が広く浸透した、現代社会に対する痛烈なアンチテーゼである。

    1982年にはインディペンデント出版社のペヨトル工房が刊行する耽美系サブカルチャー雑誌『夜想』5号で死体を通した文明論や異常心理に関する考察をまとめた「屍体─幻想へのテロル」特集が組まれる。1984年にはビー・セラーズ[52]から死体写真集『SCENE』(中川徳章小向一實・芝田洋一選)が出版された[注 9]。これは法医学書学術書の形を借りずに出版された日本初の死体写真集である。その後、同写真集に触発されたアリス出版編集部は『SCENE』の写真を転載し、自販機本イヴ』に根本敬の死体写真漫画『極楽劇場』を連載する(1991年に青林堂から刊行された根本敬初期作品集『豚小屋発犬小屋行き』に収録された)[54]

    その他にも大手出版社の写真週刊誌では、自殺した三島由紀夫岡田有希子の死体写真、また日航機墜落事故山岳ベース事件の遺体写真が大写しで掲載された[55]。1985年6月18日には豊田商事会長の永野一男が、約30名の報道陣の前で自称右翼の男に日本刀で刺殺され、その様子が全国の茶の間に生中継された[56]

    1981年には白夜書房スーパー変態マガジンBilly』を創刊。当初は芸能人インタビュー雑誌だったが全く売れず路線変更し、死体奇形女装スカトロ、果ては獣姦切腹幼児マニアまで何でもありの最低路線を突き進んだ。その後も一貫して悪趣味の限りを尽くし、日本を代表する変態総合雑誌として、その立ち位置を不動のものにしたが、度重なる条例違反有害図書指定を受け、誌名を変更するなどしたが全く内容が変わっておらず、1985年8月号をもって廃刊に追い込まれた[57]

    また同年には青山正明蛭児神建高杉弾らが連載していたロリコン系サブカル雑誌『Hey!Buddy』(白夜書房)の増刊号『ロリコンランド8』が「少女のワレメわいせつ」として発禁・回収処分となった(読者投稿の犯罪写真や無修正のワレメが当局に問題視された)。本誌『Hey!Buddy』も“ワレメが出せないロリコン雑誌は、もはやロリコン雑誌ではない”として1985年11月号をもって自主廃刊する[58]。その後はバブル時代の到来と共に、鬼畜系は約10年にも及ぶ長い冬の時代を迎えることになった。

    成熟期[編集]

    鬼畜系」という言葉自体は、1995年7月に創刊され「鬼畜ブーム」の直接的な引き金となった『危ない1号』(東京公司編集/データハウス発行)周辺から生まれた1990年代の特徴的なキーワードおよびムーブメントであるが、すでにバブル景気が崩壊した1993年頃から自殺や死体など「危ない書籍」に大衆的な注目が集まるようになっていった[59][60]

    1992年に青山正明が上梓した日本初の実用的なドラッグマニュアル『危ない薬』(データハウス)は10万部を超えるヒットとなり[61]、1993年に鶴見済が発表した単行本『完全自殺マニュアル』(太田出版)はミリオンセラーを記録する[59]

    1994年には『Billy』元編集長の小林小太郎奇形&死体雑誌TOO NEGATIVE』(吐夢書房)を創刊。同誌では死体写真家の釣崎清隆を輩出し、画家のトレヴァー・ブラウンが起用された。また同年には初代『SCENE』編集者の芝田洋一によってアルバロ・フェルナンデスの写真集『SCENE―屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態』(桜桃書房)が発刊され[53]、定価1万5千円で2千部を売り上げた[62]

    周辺文化研究家のばるぼらは、これら『危ない1号』以前の「悪趣味」について、どこかフェティッシュで学術的な内容が強い「外部からの視点」のものであるとし、村崎百郎の定義した鬼畜的な行為あるいは妄想に「娯楽性」を見出す積極的意識こそが『危ない1号』以降の「鬼畜系鬼畜ブーム」の本質であることを指摘している[59]

    またエロティシズム文化に詳しい伴田良輔は「悪趣味」の起源そのものは「キッチュ」「マニエリスム」「バロック」「グロテスク」といったヨーロッパ文化にあると指摘し、それが大量消費時代を迎えた1950年代以降のアメリカで「モンド」「スカム」「キャンプ」「ビザール」「ローファイ」「バッド・テイスト」に発展し、それが米国での流行の経緯とは無関係に日本で新しい意味や機能が付け加えられて蘇ったと解説している[63]。ただし、伴田の定義する「悪趣味」とは、ある範囲の事物に共通して見られる「けばけばしさ」「古臭さ」「安っぽさ」の類型的特徴を意味しており、最初から露悪的な表現や様式を追求するような「鬼畜系」は含まれていない。

    鬼畜・悪趣味ブーム[編集]

    戦後最大の都市型大災害、阪神淡路大震災(1995年1月)
    戦後最悪の無差別テロ、地下鉄サリン事件(1995年3月)
    アロマ企画直営のアングラ系カルトビデオショップ「高円寺バロック」跡地。1994年10月開店。タコシェ模索舎トライアングルと並ぶ日本四大カルトショップのひとつ。ヴィレッジヴァンガードエログロ版といった趣。1990年代の鬼畜・悪趣味ブームの波に乗り、インディーズAV総合ショップから鬼畜系総合カルトショップへと変貌を遂げた。1995年以降は『危ない1号』『SPA!』『GON!』などでも特集が組まれ、最盛期にはタイ死体雑誌『アチャヤーガム』をはじめとする死体関連グッズや猟奇殺人鬼グッズ、山野一丸尾末広日野日出志など青林堂発行のガロ系漫画、ボンテージビザール関連商品、アロマ企画のオリジナルビデオ、フェチ系のアダルトビデオSMスカトロ妊婦レズ唾液咀嚼ブス女だるま女穴留玉狂監督『猟奇エロチカ 肉だるま』)などのカルト商品が多数陳列されていた。

    1990年代中頃になると鬼畜系サブカルチャー鬼畜ブーム・悪趣味ブームとして爛熟を迎え、不道徳な文脈で裏社会やタブーを娯楽感覚で覗き見ようとする露悪的なサブカルアングラ文化が「鬼畜系」または「悪趣味系」と称されるようになった[64]

    青土社発行の芸術総合誌『ユリイカ1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」では文学映画アートファッションなどあらゆるカルチャーにキッチュで俗悪な「悪趣味」という文化潮流が存在することが提示され、これを境に露悪趣味(バッド・テイスト)を全面に押し出した雑誌ムックが相次いで創刊され一大ブームとなる。また同年6月には海外タブロイド誌『Wilkly World News』をモチーフとした世紀末B級ニュースマガジン『GON!』(1994年4月創刊)がコンビニ向けに月刊化された。

    このブームを代表する1995年7月創刊の鬼畜系ムック危ない1号』(東京公司データハウス)では史上初のカルトグルハッサン・イ・サバーの「真実などない。すべては許されている[注 10]という言葉を引用して「妄想にタブーなし」を謳い文句に「鬼畜系」を標榜し、ドラッグ強姦死体ロリコンスカトロ電波系障害者痴呆変態畸形獣姦殺人風俗読書盗聴テクノカニバリズムフリークス身体改造動物虐待ゲテモノアングラサイトカルト映画カルト漫画ゴミ漁りアナルセックス新左翼内ゲバV&Rプランニング青山正明全仕事まで、ありとあらゆる悪趣味を徹頭徹尾にわたり特集した。鬼畜・変態・悪趣味が詰め込まれた同誌はシリーズ累計で25万部を超える大ヒットとなり、初代編集長の青山正明は鬼畜ブームの立役者とみなされた[64][66]

    ロマン優光は『危ない1号』とそれ以前の悪趣味の違いについて次のように述べている。

    危ない1号』第2巻が刊行される一年前である95年にユリイカ臨時増刊『総特集・悪趣味大全』(青土社)が刊行されており、現在よりはるかに硬めでハイカルチャー寄りの性質だった『ユリイカ』が特集を組んでしまうくらい、悪趣味系自体が当時のサブカルチャーの中の一つの大きなムーブメントであったわけですが、そこの中での差別化を図るために使われたフレーズが鬼畜だったということだと思います。『危ない1号』第2巻のテイストは非常に露悪的なものであり、その意図された露悪的でゲスい視点にオリジナリティがあったことで、それ以前の悪趣味文化との差別化に成功していました — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、11-13頁。

    結果として『危ない1号』は鬼畜本ブームの先駆けとなり、次に掲げるような後発誌も続々と現れた。

    このように鬼畜/悪趣味を前面に押し出した雑誌週刊誌月刊誌隔月刊誌ムック単行本が相次いで出版されるようになり、ますますブームの過熱を煽っていった[67]

    電波系鬼畜ライター・村崎百郎の登場[編集]

    データハウス創業者が運営している「まぼろし博覧会」内の常設展示「村崎百郎館」に設置されている村崎百郎の等身大人形[68]
    支離滅裂な主義主張を喧伝する電波ビラの典型。かつて東京メトロ銀座線で湊昌子(港雅子)という女性が「トリコじかけの明け暮れ」と書かれた電波ビラを配布しており、これに触発された特殊漫画家根本敬は雑誌『宝島30』に連載したコラム『人生解毒波止場』や著書『夜間中学―トリコじかけの世の中を生き抜くためのニュー・テキスト』などを通じてこの言葉を広めた。根本のフォロワーである電気グルーヴ石野卓球1995年にリリースしたシングル』で「トリコじかけにする」というフレーズを用いている。

    鬼畜系電波系ライター村崎百郎は『月刊漫画ガロ』(青林堂1993年10月号の特集「根本敬幻の名盤解放同盟/夜、因果者の夜」でメディアに初登場し、1995年4月刊行の『ユリイカ/悪趣味大全』で本格的に文筆デビューした。1995年からは「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ために「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動をはじめると宣言[69]、鬼畜本ブームの先駆けとなった『危ない1号』の編集・執筆に参加し、編集長の青山正明と知己を得る。

    1996年1月10日には新宿ロフトプラスワン村崎百郎主催の『危ない1号』関係者総決起集会『鬼畜ナイト』が開催、大麻取締法違反で保釈されたばかりの青山正明が一日店長を務めた。その他にも吉永嘉明木村重樹柳下毅一郎根本敬佐川一政夏原武釣崎清隆宇川直宏石丸元章クーロン黒沢ら30人以上の鬼畜系文化人が登壇し、“誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション”を繰り広げた。イベントの模様は同年8月に『危ない1号』別冊『鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ〜な夜』(鬼畜ナイト実行委員会+東京公司データハウス)として書籍化され、7万部を売り上げるヒットを記録した[70]

    その後も村崎は著書『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』(データハウス/1996年7月)で他人のゴミを漁ってプライバシーを暴き出すダスト・ハンティング(霊的ゴミ漁り)を世に紹介し、さらに電波系にまつわる体系的な考察を行った単行本『電波系』を特殊漫画家根本敬との共著で太田出版から1996年9月に上梓する。

    鬼畜ブームの背景─1995年[編集]

    鬼畜・悪趣味ブームの背景および歴史変遷は後述のとおりである。

    • ばるぼらは鬼畜ブームについて「95年に創刊した『危ない1号』(データハウス)を中心に流行した、死体畸形写真を見て楽しんだり、ドラッグを嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『完全自殺マニュアル』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『死体ブーム』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『悪趣味ブーム』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『鬼畜』だった。『危ない1号』の編集長、青山正明氏の出所記念イベント『鬼畜ナイト』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している[67]
    • 映画秘宝』創刊者の町山智浩は90年代の鬼畜系について「80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りがあった」「オシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化[注 11]へのカウンターだった」という見解を示し[71][72]根本敬村崎百郎が「すかしきった日本の文化を下品のどん底に突き堕としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど、当時の日本文化は健全で明るい「抑圧的なオシャレ」や「偽善ファシズム」に支配されていたという[7][73]。これに関して『SPA!』編集部も1996年当時の鬼畜ブーム特集で「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」と指摘している[6]
    • 鬼畜ブームに耽溺していた雨宮処凛は「鬼畜系が生き辛さを抱えた弱者やマイノリティへの救済になっていた」として次のように自己分析した。
    鬼畜系にハマる私たちは「幸せそうな」人々を勝手に敵視していて、世を呪う言葉を存分に交わすことができた。そうやって発散することで、自分という犯罪者予備軍を犯罪者にせず社会に軟着陸させているような感覚は確実にあった。当時、なぜあれほど鬼畜系カルチャーにハマっていたのかと言えば、「表」の健全できれいな社会には、自分の居場所なんてないと感じていたからだった。/あの時期、ある意味で私は鬼畜系カルチャーに命を救われていた[74]
    村崎百郎がゴミを漁り、すかしきった人々の隠したい恥部を晒せば晒すほど、自分自身も一緒になってこの世に復讐している気がした。/(鬼畜ブームは)「実は私が思っているより多くの人が悪意に満ちたロクでもない人間なのかもしれない」と逆説的な勇気を与えてくれたのだった。/90年代、鬼畜ブームがあったからこそ、私は自殺せずに生き延びることができた[75]
    • 一方でロマン優光オウム真理教事件阪神・淡路大震災などの影響で「たいした根はないけど変な終末『気分』になっていた人が増えていた」という状況にも触れ、「金銭や名誉、勉強やスポーツ、地道に文化を身につけるといったことから落ちこぼれたり、回避したりしながらも、他人との差異をつけたがるような自意識をこじらせた人たちが他人と違う自分を演出するためのアイテムとして、死体写真を使うようになった」と分析し、この流れは自販機本など過去のアングラサブカルチャーを踏まえた界隈にも流れこんでいったとしている[76]

    前述したように『危ない1号』が創刊された1995年には阪神淡路大震災地下鉄サリン事件などの重大事件が立て続けに発生しており、それらに起因する一連の社会現象が悪趣味ブームと深く関わっているとされる[77]。特に1995年は「インターネット元年」[78]と呼ばれるように社会環境が大きく移り変わっていった激動の年でもあり[77]宮沢章夫はこれらの事象による社会の混乱や不安定な情勢が、ある種の世紀末的世界観や終末的空気感を醸し出している悪趣味ブームの土壌になったことを指摘している[77][79]。また宮沢は自身が講師を務めるNHK教育テレビ教養番組ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』の最終回(2016年6月19日放送)において1995年を「サブカル」のターニングポイントと定義し、根本敬村崎百郎をはじめとする90年代の鬼畜系サブカルを取り上げている[77]

    インターネットでの動向[編集]

    1990年代にはインターネットが商用化され、ポルノ、スカトロ、暴力場面、侮辱、苦痛、卑語など扱うショックサイトなるものも誕生した[67]

    1995年夏には地下鉄サリン事件を題材にした不謹慎ゲーム霞ヶ関』がパソコン通信上に出回るようになり、これを朝日新聞毎日新聞が同年10月26日夕刊で取り上げ、多くのメディアの注目を集めた[80]。当時このゲームを所有していた「しば」は、このソフトを配布する目的で電子掲示板あやしいわーるど」を起ち上げ、1990年代末において日本最大の規模を誇るアンダーグラウンドサイトとなる[67]。その後「あやしいわーるど」の系譜は「あめぞう」を経て巨大匿名掲示板群「2ちゃんねる」に発展し、さらには4chan8chanなど海外匿名掲示板文化「CHANカルチャー」の原初にもなった。

    1996年4月には日本初と推定されるグロサイト「Guilty」が開設され[67]、同年5月には高杉弾(伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』初代編集長)のWEBマガジン《JWEbB》が創刊される[81]。同年11月には北のりゆき(現代版『腹腹時計』の異名をとる危険図書『魔法使いサリン』〈冥土出版・1994年12月〉で一躍有名になった『危ない1号』と『危ない28号』のライター。別名義に死売狂生・行方未知など)主宰の危険文書サイトの最左翼「遊撃インターネット」がスタートし、翌1997年にはスーパー変態マガジン『Billy』『TOO NEGATIVE』元編集長の小林小太郎が運営していた死体写真ギャラリー「NG Gallery」のWEBサイトや漫画誌『ガロ』の裏サイト「裏ガロ」が本格始動する[67]

    1998年には『コンピューター悪のマニュアル』の著者・KuRaReを編集長に『危ない1号』の事実上後継誌『危ない28号』がデータハウス鵜野義嗣によって創刊される(これについてばるぼらは「90年代雑誌文化のサブカルの流れをコンピューター文化が引き継いだ」と指摘している[82])。同誌はハッキングドラッグ兵器安楽死など様々な違法・非合法行為のハウツーが記載された危険情報満載のムック本で『危ない1号』に次ぐヒットを飛ばしたが、発売前の段階にもかかわらず有害図書指定を受けるなど自治体からの風当たりも強く、KuRaReは「どんだけ何も見てない連中なんだよ。そうやって仮想の敵をやっつけて良いことをしたと思う自慰的行為」「28号は意識的に有害図書指定になろうとしてたので、別にいいのですが」等と述懐している[83]。そして2000年1月浦和駅東海村大阪府で発生した一連の連続爆発事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述[84]した結果、『危ない28号』は全国18都道府県有害図書指定され[85]、発行済みの第5巻(1999年11月発行)を最後に廃刊を余儀なくされた。

    こうしたインターネット発のアングラカルチャーは1996年アダルトサイト摘発、1999年通信傍受法成立と悪趣味ブームの終焉、そして2000年不正アクセス禁止法が決定打となり、完全消滅したとされている[67][86]

    ブームの終焉〜2ちゃんねる開設[編集]

    1997年には『危ない1号』『週刊マーダー・ケースブック』愛読者の酒鬼薔薇聖斗神戸連続児童殺傷事件を起こし[87]、悪趣味系のサブカルチャー書籍を棚から撤去する書店が続々と現れた[88]1999年には日本最大級の匿名掲示板2ちゃんねる」が西村博之(ひろゆき)によって開設され、鬼畜系のシーンは出版文化からインターネットに移行・拡散する形で消滅した。時期を同じくして鬼畜系/悪趣味系に属するサブカルチャー雑誌の廃刊や路線変更が相次ぎ、1999年の『危ない28号』廃刊をもって悪趣味ブームは完全に終焉を迎えた。

    ニッポン戦後サブカルチャー史』(Eテレ)の講師である宮沢章夫は『危ない1号』以降の青山正明の迷走について次のように述べている[79]

    おそらく『危ない1号』において青山が発したメッセージの「良識なんて糞食らえ!」にしろ「鬼畜」という概念にしろ「妄想にタブーなし!」にしろ、すべて「冗談」という、かなり高度な部分におけるある種の「遊び」だったはずだ。しかし、良識派に顰蹙をかうのは想定内だっただろうが、一方で冗談が理解できずにまともに受け止めた層が出現したのは想定外だったということか。2ちゃんねる(のごく一部)、ネットにおけるある種の層に直線的に浸透し、しかも、遊びではなく本気でそれをする者らが現れたと。

    また村崎百郎の師匠筋にあたる今野裕一ペヨトル工房主宰者)も鬼畜系の衰退について村崎と2ちゃんねるを関連づけて次のように指摘している。

    あの頃、ああいう悪意というものの存在を世の中にリードするような位置に彼(村崎百郎:引用者注)はいたんだと思う。彼が出てきてから数年後に2ちゃんねるのような剥き出しの悪意がそのまま出てくるメディアが現れる。この現状は、彼をものすごく書きにくくさせてたんじゃないかと思う。その意味で、もう村崎百郎の仕事は一旦区切りをつけて、新しい仕事に移行しなきゃいけなかった……違う形で脱皮して、あいつの書く姿勢が変わってくればよかったんだけど。あと、あいつはどちらかというとライターよりは編集者の資質が勝っていた気がするんだよね。電波にしろ鬼畜にしろ「これからはこの辺のものがくるぜ」ってセッティングして、その果てに『危ない1号』とかあったわけでしょう。あれが2ちゃんねるの登場によって、雑誌としてやることではない、普通の人間がやるものに変わってしまった。みんながやってしまうものを黒田(一郎。村崎百郎の本名:引用者注)がやってもしょうがないので。 — 今野裕一インタビュー「村崎百郎が唯一、言うことを聞く、怖がる人間が僕でした」『村崎百郎の本』アスペクト、118-119頁、2010年。

    またインターネット上でも1999年以降はテイストレスに興味を持つ人口も減少したようで、死体や奇形など悪趣味に特化したグロサイトは殆ど作られなくなった(テイストレスサイトの総本山だった「下水道入口」も1999年6月17日付で閉鎖している)[67]。これについてばるぼらは「おそらく『何か変わったもの』だったはずの死体や畸形画像が、いつのまにか『ありふれたもの』になってしまい、当時アクセスしていた人々はまた別の変なものを求めて、ネットを徘徊しているのだろうと思う。そもそも2004年本物の殺人動画あの首切り映像が出回ったウェブに、これ以上何を求めればいいのだろう。いつかまた会うその時まで、死体は墓に埋めておいてほしい」とコメントしている[67]

    鬼畜系が飽きられた理由に関して青山正明と交友があったデザイナーこじままさきは次のように述べている。

    昔はネットがなかったから、すべての情報には希少価値があって、ゲスなもの、社会から隠されてるものは人気が出た。でも本人(青山正明:引用者注)がそういうのが本心から好きだったとは思えないんです。比喩に出すんですが、人前で「てのひら」って言っても反応しないけど、「チンコ」「ケツの穴」っていうと反応するじゃないですか。それだけだと思うんですよね。僕はそれだけなんです。社会が隠そうとしてるものを表に出すから面白かっただけで、そのものに対する興味が、ってなるとそんなでもない。グロ画像をネットで自由に見られるような時代になったら、もう何の興味もないってことだと。(中略)でも彼についての評価は、あの時代だったからってことはないと思いますよ、今読んでもクオリティはあるし、時代で消費されるようなものは作ってない。時代のあだ花と言われるのは心外です。でも説明は難しいですね、知らない若者に。 — ばるぼらある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第84回 こじままさきインタビュー part3」(2010年6月13日配信/大洋図書Web事業部・WEBスナイパー)

    青山正明の自殺(2001年)[編集]

    2001年6月17日青山正明神奈川県横須賀市の自宅で首を吊って自殺した[89]

    ともに鬼畜ブームを牽引した村崎百郎は青山の訃報に際して雑誌に次の文章を寄稿している。

    サブカルチャー”や“カウンターカルチャー”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、“鬼畜系”という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」編集部の質問に対し、単行本『鬼畜のススメ』著者であり、青山正明氏とともに雑誌『危ない1号』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・村崎百郎の答はこうだった。

    鬼畜“系”なんて最初からない。ずっと俺ひとりが鬼畜なだけだし、これからもそれで結構だ。

    次に主張しておきたいのは「青山正明が鬼畜でも何でもなかった」という純然たる事実である。これだけは御遺族と青山の名誉の為にも声を大にして言っておくが、青山の本性は優しい善人で、決して俺のようにすべての人間に対して悪意を持った邪悪な鬼畜ではなかった。危ない1号』に「鬼畜」というキーワードを無理矢理持ち込んで雑誌全体を邪悪なものにしたのはすべてこの俺の所業なのだ。

    俺の提示した“鬼畜”の定義とは「被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル」なのだが、途中からいつのまにか“鬼畜系”には死体写真フリークスマニアスカトロ変態などの“悪趣味”のテイストが加わり、そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブームに成長したようだが、「誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、“鬼畜”のイメージや意味なんかどうなってもいい。

    (中略)ドラッグいらずの電波系体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『危ない薬』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、非合法なクスリ遊びをする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。 — 村崎百郎非追悼 青山正明──またはカリスマ鬼畜アウトローを論ずる試み太田出版『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁

    青山の没後、村崎百郎が明かしたのは、実際に『危ない1号』に関わった人間で本当に「鬼畜」な人間は、村崎本人以外に誰もいなかったという事実である[59]。これについてばるぼらは「実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、つまり鬼畜ブームは実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した」と解説している[59]

    村崎百郎の刺殺(2010年)[編集]

    2010年7月23日村崎百郎は読者を名乗る男に東京都練馬区の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされて殺害された。当初犯人は特殊漫画家根本敬を殺害する予定であったが、根本が不在だったため『電波系』(太田出版)の共同執筆者であった村崎の自宅に向かったという[90]

    男は犯行動機について「村崎の書いた本にだまされた」と供述し、住所は2ちゃんねるで調べたとした[91]。その後、犯人は精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となり、精神病院措置入院となった[92]

    2010年7月23日以降[編集]

    2010年11月、村崎本人が遺した文章や関係者の証言などから綴った鬼畜系総括の書『村崎百郎の本』がアスペクトから刊行された。

    関連年表[編集]

    1970年代[編集]

    1976年
    1978年
    1979年

    1980年代[編集]

    1980年
    1981年
    • 3月 - 明石賢生社長の逮捕により『Jam』の後継誌『HEAVEN』(アリス出版群雄社出版)廃刊。
    • 4月 - ロリータ障害者皇室などを取り扱い、鬼畜系サブカルチャーの原型となった伝説のミニコミ誌『突然変異』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)創刊。編集に慶大在学中の青山正明が参加した。後に作家の椎名誠が同誌に対して『朝日新聞』誌上で名指し批判を行ったほか、2018年になって野間易通が上梓した著書『実録・レイシストをしばき隊』(河出書房新社)の中でヘイトスピーチの源泉として「何でもありのポストモダン1980年代」という構図があると仮定し、青山らが同誌で皇室障害者も等価に茶化そうとした姿勢に「権威の頂点と弱者を同じレベルで茶化した場合、弱者には大きなダメージがいく」「等価という青山の視線は自分の行為にしか向いておらず、社会構造の非対称性は無視されている」と批判している。
    • 6月11日 - 佐川一政パリ人肉事件を起こす。
    • 6月17日 - 幼児を含む数名を殺傷した電波系による無差別殺人事件・深川通り魔殺人事件が起きる。犯人は初公判で読み上げた書状で「私が事件を引き起こしたのは、とても世間一般の常識では考えることのできない非人間的な、人間に対して絶対に行うべきではない、普通の人であったら一週間ももたないうちに神経衰弱になるだろう、心理的電波・テープによる男と女のキチガイのような声に、何年ものあいだ計画的に毎日毎晩、昼夜の区別なく、一瞬の休みもなく、この世のものとは思えない壮絶な大声でいじめられ続けたことが、原因なのであります」と語る。
    • 7月 - 蛭子能収の処女作品集『地獄に堕ちた教師ども』(青林堂)刊行。
    • 根本敬のデビュー作「青春むせび泣き」が『月刊漫画ガロ』(青林堂)9月号に掲載される。
    1982年
    1983年
    1984年
    1985年
    1986年
    • 投身自殺した岡田有希子の遺体写真が『Emma』5月10日号に掲載される。
    1987年
    1989年

    1990年代[編集]

    1990年
    1991年
    1992年
    1993年
    幻の名盤解放同盟は1982年の結成以来、モンド・ミュージックの発掘や電波系イイ顔因果者フィールドワークを一貫して行っている。
    1994年
    1995年
    実際に死んだり病んだりするところまで行ってしまうってのはね、昔はなかったですよ。少なくとも黒田(一郎。村崎百郎の本名:引用者注)がいた90年代前半ぐらいまでは、ブラックなものを笑い飛ばすような楽しさがあったし、実際にうつ病っぽい子でも、まぁ何とかやっていけてたんだよね。それがネットが出てくるようになってから、なんだか現実の死まで行っちゃうような、本当の意味でのヤバさみたいなものが現れるようになってきた。

    今まで僕や黒田がやってきたようなのとは全く違う、単にネガティブな思いがだだ漏れになってきたブラック。九五年以降、本当にそういうのに触れる機会が多くなった。で、黒田もそういう新手のブラックは処理し切れなかったのかもしれない。

    今の2ちゃんねる的な、言葉が勝手に走っていってしまうようなのはまったく新しい現象で……ものすごいスピードで言葉が流れていく中で、真意が見えないまま、言葉に書かれている別の意味を勝手に読み取り、物語を作ってしまう。(中略)ネットで走っている言葉の裏にある悪意って、身体的につかめない。これは新しい時代の新しいブラックの誕生だろうけど……。

    黒田に実はデジタルな悪意はなかった。ひどいことを言いながら、ダメな奴を励ます。「お前もダメだけど、俺なんかもっとダメ、だけどこんな人間でも立派に生きてるんだぜ」って。生きて生き抜いて他人に肉体を擦り付けながらイヤミを言うのがあいつのやり方なんだけど、それって結局「生きろ」ってことでしょ。 — 今野裕一インタビュー「村崎百郎が唯一、言うことを聞く、怖がる人間が僕でした」『村崎百郎の本』アスペクト、126-127頁、2010年。
    • 週刊SPA!』12月13日号の特集「`95年ジャンル別裏BEST10」内で特殊翻訳家の柳下毅一郎が「個人的にはこの猟奇ブームは嫌い」「猟奇とかサイコとかいうのは、本来なら世間に顔向けできないもののはず。恥と覚悟がないと付き合えない。それを抜きにして、ただ刺激だけで面白がる人ばかり」「結局、恥知らずな人が世の中には多かったってだけかも」とコメント。
    • 12月24日 - 『Quick Japan』5号で石野卓球青山正明テクノ対談「裏テクノ専門学校」掲載。
    • この年、オウム真理教事件関連の不謹慎ゲーム霞ヶ関』『上九一色村物語』がパソコン通信草の根BBSで流通。死体写真家の釣崎清隆が池尻大橋NGギャラリー(元『Billy』編集人の小林小太郎が運営していたギャラリー)で初個展。フェチアダルトビデオメーカーアロマ企画」設立。また、この頃からパソコンに関連する書籍やサブカル誌が多数刊行されるようになるが、「万引きの方法」「ラーメン特集」「飲尿療法」など何の役にも立たないか、如何わしい内容のものも多かった。
    1996年
    1997年
    1998年
    1999年
    いわゆる鬼畜系は私は知ってはいたけどあまり入り込むことはなくて、若いときの私にとっての鬼畜・悪趣味カルチャー(?)といえば2chだったなと思う。天皇制すらネタにして、乙武さんを酷い言葉でおちょくり、平然と弱者を罵倒するモラルのない空間は正直言って当時は嫌悪感とともに魅力も同じ強さで迫ってくる場所だったと思う。その後、私はさすがに荒れ狂うネットのインモラルさとはさすがに一線を引くべきだというごく当然の結論に行き着いたけど、2ch〜5chの不道徳も主にリベラル的な「いい子ちゃん」への反抗として存在しているわけで、もし鬼畜系悪趣味カルチャーがバブル的イケイケ文化への反抗だとするなら、2ch系カルチャーもリベラル的お利口さん文化への反抗で、この2つの当事者は「虐げられた者の反抗」のつもりでいるところが結局同じ。後者はそのままネトウヨ陰謀Jアノン(引用者注:オルタナ右翼Qアノンの日本版)につながって肥大してしまいました。 — 能町みね子のツイート(2021年7月22日)
    2ちゃんに代表されるものこそ、バロウズの言ってた『言語ウィルス』が悪意をもって活発な活動を展開する拠点だと思うんだよね。『言語ウィルス』はひたすら言語を消費させればいいんだから。そこにはただ消耗しかない。だからオレはあまり入れ込めないんだよね。単に生存時間を削られているだけ、って感じがするでしょ? バカが使ったらネットに使われているだけになるんだよ[51]
    2ちゃんねるという名に何となく聞き覚えがあるとしたら、それは物議をかもすアメリカの画像掲示板4chan、そしてその精神を受け継いだ8chan(現在は8kunに改名)に名が似ているからだろう。(中略)

    東浩紀によれば、オタク・コミュニティの台頭は、インターネットが広く商業化された90年代日本特有の政治・経済状況の副産物だ。第二次大戦後の急激な再建と経済成長は「終わりなき資本主義の発展」という夢物語を生み出した。(中略)この傲慢な楽観はバブル崩壊で消え去り、結果引き起こされた重度の不況と景気低迷による「失われた10年」(または20年)で実質賃金も低下する。失われた10年のあおりを一番食らったのは若者で、終身雇用モデルも破壊された。(中略)

    1995年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして巨大な阪神・淡路大震災の2大悲劇に襲われ、国民の士気がさらに低下した。オタクが占めるオンライン空間で繰り広げられるのは嫌みな皮肉と冷笑主義で、彼らは掲示板の持つ共同体としての側面に夢中になった。(中略)

    終わりなき発展物語(引用者注:ジャン=フランソワ・リオタールが『ポストモダンの条件』において提唱した「大きな物語」のこと。戦後民主主義高度経済成長に支えられた、社会全体で共有される統一的な価値観を指す)の崩壊と開いた穴を埋めるため、フィクションやネット・ミーム、内輪ジョークで成り立つ空間へと避難したのだ

    2000年代[編集]

    2000年
    2001年
    2003年
    2004年
    2005年
    • 3月 - 出演者のほとんどが小中高生で鬼畜なSMプレイが中心の援助交際ビデオ「関西援交・上玉援交シリーズ」制作者が児童ポルノ禁止法違反などで摘発・逮捕される。逮捕された制作者は反社会的勢力ではなく素人のサラリーマンに過ぎなかったが、シリーズは160巻超を数えるなど裏ビデオ史上最大のヒット商品となった。
    • 5月 - 『危ない1号』以降、鬼畜系雑誌の代表とされたカウンターカルチャー誌『BURST』が6月号を最後に休刊することが発表される。
    • 7月 - 「人間の欲望を裏側から描き出す鬼畜系体験マガジン」がキャッチコピーのサブカル雑誌『裏BUBKA』(コアマガジン)が7月号をもって廃刊。廃刊の理由は「日光の猿を撲殺して食う企画が社内で問題視されたから」とも言われる[124]。かつてのライバル誌『裏モノJAPAN』編集部の仙頭正教は「猿を編集部まで持ってきて、後でバーベキューをしようということで冷蔵庫に入れていたんです。そしたら全然そのことを知らない派遣社員の女の子が冷蔵庫を開けて騒ぎになって、こんな事がバレたら会社が潰れるということで、編集部ごと潰してしまったんです」と語っている[125]
    • ばるぼら加野瀬未友責任編集『ユリイカ』8月臨時増刊号で「総特集=オタクVSサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史」特集。ばるぼらと加野瀬未友の対談「オタク×サブカル15年戦争」が掲載されたほか、90年代サブカルに関連して近藤正高「カミガミの黄昏〈一九九三年〉以前・以後」、屋根裏「悪趣味と前衛が支えたアングラ」、オクダケンゴ平成大赦(仮)-平成サブカルチャー年表-」などの記事が収録されている。
    2006年
    2007年
    2008年
    2010年

    2010年7月23日〜[編集]

    • 2010年9月 - 根本敬『生きる2010』(青林工藝舎)刊行。
    • 11月25日 - 鬼畜系総括の書『村崎百郎の本』(アスペクト)刊行。特殊漫画家の根本敬は本書のインタビューで“悪い悪趣味”の跳梁跋扈について次のように語っている。
      90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし、読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思うんですよ。それに「影響受けました!」っていう第二世代、第三世代が出てくるにつれどんどん崩れて、次第に単に悪質なことを書いてりゃいいや、みたいな“悪い悪趣味”が台頭してくるようになる。だいたい趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね。村崎さんにしろ、オレの漫画にしろ、結局世の中がちゃんとしていてくれないと、立つ瀬がないわけですよ。でも、世の中がどんどん弛緩していっちゃって、もう誰もがいつ犯罪者になるのか、わからないような状況になっちゃったのが鬼畜ブームの終わり以降。とりわけ90年代終わりからここ数年、特に激しいじゃない? — 根本敬インタビュー「村崎さんには“頑張れ”という言葉が相応しい、というか、これしかない」(上掲書・334頁)
    2011年
    2012年
    • 11月16日 - アウトロー雑誌『BURST』(コアマガジン)の派生誌『TATTOO BURST』が2013年1月号をもって終刊。
    • この年、第一東京弁護士会に所属する弁護士を対象とした、2ちゃんねる史上最大級の炎上騒動「ハセカラ騒動」が起きる。これは「なんでも実況J板」で炎上した高校生がつけた弁護士が2ちゃんねらーに対してIP開示請求を行った際、数多くの不手際があったとして反感を買い、炎上したのが原因である。その後、当該弁護士に対する殺害予告は100万回を超え、ありとあらゆる嫌がらせが行われた結果、複数の逮捕者も出した[126]。また住所特定や墓荒らしに留まらず、2014年にはKRSWLockerと呼ばれるランサムウェアを用いた攻撃が、2015年には炎上騒動に関連したグーグルマップ改ざん事件が、2016年には当該弁護士を騙った同時爆破予告が起きるなど、現実社会にも大きな影響を与えている[127]。ネット上でも、当該弁護士を麻原彰晃に見立てて教祖化したり、3Dモデル(MMD)にして脱糞させたり、ロリコン扱いしたりと小学生感覚の発想でネタ化が進み、ニコニコ動画にも多数のMADムービーが投稿されるなど、2ちゃんねるの枠を超えた平成ネット史上最大級かつ最長級のインターネット・ミーム(ネット上の祭り)となった[128]。なお当該弁護士は炎上騒動について「ネット社会ではネタになれば何でもいい。憎しみが動機ではなく、集団コミュニケーションの中の居場所探しでしかない」とした上で「(ネット社会では)話し合う以前に、自分の主張に合わなければ人格否定をする。健全な言論空間として機能していない」とSNSや匿名掲示板で誹謗中傷が起きる背景を指摘している[129]
    2013年
    2014年
    2015年
    2016年
    2017年
    2018年
    • 5月2日 - 大阪ロフトプラスワン・ウエスト宮沢章夫野間易通幻の名盤解放同盟の韓国旅行記『ディープ・コリア』をめぐる対談イベント「サブカルに決着をつける」を行った。これを発端として音楽評論家高橋健太郎Twitter上で『ディープ・コリア』論争を起こす[133]。識者の見解や論争の流れについては香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』(太田出版)やロマン優光『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)に詳しい。
    • 5月30日 - 政治活動家で作家の雨宮処凛が『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻』という論考を発表。 これは「90年代、私はクソサブカル女だった」と語る雨宮が「鬼畜ブーム的なものが盛り上がる中、意図的に見ないふりをしてきたことについて、改めて考えなくてはいけないと思っている」と自己批判あるいは反省を促す内容で、これを皮切りにTwitter上で90年代サブカル論争が起こる。
    • 6月24日 - ブロガーのHagexが荒らしユーザーに刺殺される。この事件で加害者の精神鑑定を担当した精神科医は「被告の攻撃的な面は現実社会の対人関係で出ることはなかった。ただ、ネットの中では、他者と全く違う関わり方をするようになった。ネットの中では被告の中の攻撃的な面が引き出されてしまった。もし、被告がネットのない時代に生まれていたら、本件のような犯行に至った可能性は、極めて低かったと考えられます」と法廷で証言し、インターネットが狂気を増幅・加速させた旨を明言した[134]
    • 9月1日 - RRR(両国楽園部屋)で催された『バースト・ジェネレーション』創刊記念座談会「90年代カウンターカルチャーを振り返る」に登壇した幻の名盤解放同盟根本敬が『ディープ・コリア』論争について「その頃はいわゆる進歩的な文化人とされる左翼系の人達が言論界を握っていて、韓国に対して悪い事を言うと贖罪意識が強過ぎて、非常に風当たりが強かった。(中略)良い意味の間抜け加減とか、そういうものに対しても、みんな口を閉ざして」いた80年代の空気感に言及しながら、あえて「韓国のことを正直に書く」ことによって、執拗な贖罪意識にとらわれた形でしか韓国を語れず、硬直していた日本の韓国観に対し「ある種のカウンターカルチャー」として機能していたと改めて解説した[135]。また根本は高橋の『ディープ・コリア』に対する執拗なバッシングについて「それこそ本も読まないで、その行間も読まないで、そして80年代がどんな空気だったのかってことを無視して…(中略)その男が『あれはヘイト本のルーツだ』っていうキャンペーンを始めたんですよ」と不快感を示し、「結局『ディープ・コリア』バッシングっていうのは、実はある音楽評論家が『ディープ・コリア』とヘイトスピーチを結びつけて、それを自分が社会正義の立場からバッシングしているという事に置き換えてるんですけど、実は(同い年で自分より先に出世した湯浅学に対する)極めて個人的な嫉妬」が全ての元凶として一蹴している[135]。以上のように当時の時代性を考慮せずに『ディープ・コリア』がヘイト本のルーツというような批判・主張については的外れであるとしながらも「非常に表層の部分だけを捉えれば、それはもしかしたら受け手によっては『韓国をバカにしてる』『ヘイトスピーチに何かしら影響を与えたことは否めない』と捉えられるかもしれない」と受け手がそういった解釈をしてしまう可能性については根本も認めている[135][136]
    • かつて鬼畜本ブームを仕掛けたデータハウスの創業者でまぼろし博覧会館長の鵜野義嗣(セーラーちゃん)が村田らむのインタビューで「『危ない』系の本は今は絶対ダメですね。『危ない』のに興味を持つのは、経済的に余裕がある時なんですよ。どうやって食っていくか大変な時代に、『危ない』とかそんなことは言ってられない。こういう“すねた本”がうけるのって実は貴族文化なんですよ」と語る[137]
    • 12月5日 - 『BURST』の後継誌『バースト・ジェネレーション』(東京キララ社)創刊号が発売。責任編集はケロッピー前田。カバーガールは姫乃たま
    2019年
    2ちゃんねる管理会社が運営する匿名画像掲示板8chan」はQアノン陰謀論を広める上で積極的な役割を果たした。
    • 3月4日 - ロマン優光が悪趣味ブームと90年代サブカルに関する手引き書『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)を刊行。出版に至った動機についてロマンは「90年代サブカルという特殊な文化を今の価値観で振り返り、怒り狂っているヤバい単細胞が昨今目立ちます。彼らによる考察ならびに反省は、一見まともでも的を射ていないものが実に多く、世間に間違った解釈を広めてしまう害悪でしかないのです」と同書袖で語っている。
    • 3月15日 - 香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』(太田出版)刊行。『HEAVEN』編集者時代の自身の経験と特殊漫画家の根本敬を主軸に90年代サブカルと平成末期のヘイト現象を論じる試み。
    • 8月5日 - アメリカ合衆国匿名掲示板8chan」がオフラインとなる。理由として8chanのユーザーが3度にわたる銃乱射事件を起こし、米CDN大手のCloudflareが「ヘイトの肥溜め」として強制的にサービスを打ち切ったことが挙げられる[138][139]。なお、カレン・ホーバックは8chan管理人のロンについて「彼が信奉する宗教は冷笑主義」と語る[140]
    • 童貞。をプロデュース』の松江哲明監督が性的虐待を認め謝罪。
    2020年
    • 8月28日 - ドキュメンタリー映画フィールズ・グッド・マン』が公開される。この映画では、米アンダーグラウンド・コミック界のアーティスト、マット・フュリーが生み出したカエルのペペというキャラクターが、白人至上主義ネオナチなどヘイトのシンボルとして4chanオルタナ右翼に広く拡散された経緯と、ペペのイメージ奪還にマットが乗り出す様子が描かれている[141]文芸評論家藤田直哉朝日新聞に寄せた批評の中で、トランプ現象を生みだしたアメリカのネット社会について次のように評した[142]
      ペペは惨めさや悲しさを表現しているキャラクターで、だから匿名掲示板に来る「負け犬」たちの自画像として機能していたと映画は分析する。明るい女性たちがペペを使って「童貞」を罵ったり、ヒラリーがペペを攻撃したりしたことで、いわゆる「リベラル」「リア充」たちへの彼らの鬱屈が爆発した。トランプには破壊者として支持が集まり、ヒラリー陣営に対しては、児童買春などのデマや陰謀論がたくさんまかれた。これはインターネット・ミームの力である。(中略)匿名掲示板の文化や、新しいメディア・テクノロジーによって、これまでにない政治的な感性が形成されている。(中略)めちゃくちゃにしてやりたい衝動が、ネットから現実に出てトランプ現象が起きたと映画は分析する。その衝動は世界の破滅すら望む。そんな悲しい姿を映画は捉えていた。
    2021年
    • 1月6日 - アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件発生。
    • 3月21日〜4月4日 - 8chanQアノン陰謀論のドキュメンタリー『Q: Into the Storm』(HBO)放送。5ちゃんねる管理人のワトキンス親子が主役を務める。
    • 5月7日 - グロ動画やゴア映像を掲載していた動画共有サイトLiveLeak」閉鎖。後継サイトの「ItemFix」では過度の暴力・残酷シーンを含む猟奇的なコンテンツが禁止された。サイトの閉鎖についてギズモード・ジャパンは「ネットアングラ文化の終焉」と評した[144]
    • 7月19日 - 開幕を目前に控えた東京2020オリンピックの開会式で作曲担当予定だった小山田圭吾が、1994年1月発行の『ロッキング・オン・ジャパン』と1995年8月発行の『Quick Japan』3号掲載「村上清のいじめ紀行」で告白した障害児いじめの記述が国内外で問題視された結果、自主的な降板に追い込まれる[145]。また小山田の告白を躊躇なく掲載した編集サイドや、あえて悪趣味な言動や価値観を好む“鬼畜系”なども批判の対象となった。いじめ記事を掲載したロッキング・オン社は18日[146]太田出版は19日[147]、公式サイトに謝罪文を掲載した。
    • 7月23日 - 村崎百郎忌。東京2020オリンピック開催。小山田問題の検証記事「いじめ紀行を再読して考えたこと―90年代には許されていた?」(北尾修一)公開。一連の辞任劇について作家の適菜収は次のようにコメントした[148][149]
      東京五輪のキーワードとしては「ウンコ」「いじめ」「殺人」などいろいろ上がっていましたが、最終的には「鬼畜系」というのが一番しっくりくるのかと思います。そもそも新型コロナ感染拡大下における東京五輪の強行自体が国民に「ウンコを喰わせる」ような鬼畜の所業。テレビメディアや広告代理店をはじめとする「電波系」の小遣い稼ぎであり、悪質な政治家による「トリコじかけの明け暮れ」である。嘘とデマによる誘致に始まり、開催費用の計算もデタラメ。エンブレムは盗作騒動で変更。森喜朗の女性蔑視発言から、タレントの女性を「豚」として扱う演出まで、下品のどん底に転落した東京五輪の音楽は、小山田こそがやるべきだった。
    • 8月7日 - 『Quick Japan』創刊編集長の赤田祐一が『スペクテイター』公式サイトで「いじめ紀行」の企画意図を説明する[150]
    • 9月16日 - 小山田のインタビュー記事が『週刊文春』9月23日号に掲載されたことを受け、当時「いじめ紀行」の連載を企画・構成・執筆した村上清のコメントが太田出版のWEBサイトに全文掲載された。ここでは「いじめはよくない、やめよう」という教科書的な正論を大っぴらに言うことに対する違和感があり、あえて極端な角度から「いじめ」の本質を伝え、突破口にしたかった、という企画意図が述べられている。また村上は、元記事にあった“皮肉反語”をあえて掛け合わせたり、一種の“諦念”や“自虐的なニュアンス”を盛り込んだりした記述形態の文脈が、第三者のブログに転載された際、恣意的に切り取られて剥奪されてしまったこと、そしてマスメディアの報道を含む大半のケースで、そのブログ記事が「原文」として参照・拡散されたことなどにも触れている[151]
    • ロマン優光は小山田の炎上騒動が大きくなった理由について「反オリンピックの流れによる部分が多かった」とし、「いじめ記事をオリンピックを攻撃する材料として利用しようとする人間がでたことで、いじめ記事の存在すら知らなかった人、小山田氏に興味もなかったような人に届き、人権意識の高い真面目な人から、叩ければ何でもいいような人まで巻き込んだ」と指摘した。またロマンは炎上に加担したネットユーザーについて「自分に都合のいい言葉を求めてるだけで文章全体の趣旨に無関心の人も多く、期待した言葉がないとピントはずれな批判をしてきたりもする。叩く材料として利用できたら何でもいいし、好意的に解釈するために利用できればなんでもいいのだろう。そういうことから考えてみるに、小山田氏が今後に何を発信しようが、悪く思いたい人は何が何でも悪く解釈するだろうし、良く思いたい人は何でも好意的に解釈する。結局、どっちの言うことも信用ができない」と一蹴した[152]
    参考文献

    関連ライター[編集]

    関連雑誌[編集]

    休廃刊[編集]

    ポルノグラフィに於ける鬼畜系[編集]

    成人向け漫画アダルトゲームなどのポルノにおいて、SM緊縛誘拐拉致監禁拷問調教洗脳催眠強姦輪姦獣姦異種姦屍姦臍姦乳児姦児童虐待人身売買カニバリズムスカトロロリコン孕ませ腹パン寝取られ触手責め拡張プレイ異物挿入キメセク時間停止強制口淫口内射精尿飲精飲嘔吐焼印欠損寄生蟲責め闇堕ち悪堕ち風俗堕ち身体改造強制受胎産卵プレイ強制自慰強制露出人体破壊内臓掻爬四肢切断精神崩壊公衆便所など、強制的な性行為を強調した作品は「鬼畜系」(または「陵辱系」)と呼ばれており、これは度が過ぎるサディストを指した用語でもある。それに対して恋愛や合意の上での性行為を重視した作品を「純愛系」と呼ぶことがある[178]

    いずれもオタク系の媒体で用いられることの多い表現である[179]評論家本田透は「鬼畜系」について二次元世界に理想的な恋愛を見出そうとする「萌え」とは対極をなす概念であると指摘し[180]監禁調教といった鬼畜系のジャンルは1990年代半ばまでがピークとして、2000年代半ばの現在では一部の根強いファンだけに支えられていると述べている[181]

    また、成人向け漫画の世界で自分の世界を築き上げる作家も多く、もちろん、性的描写を避けては描けない世界というものでもある。また一つには性的描写が必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台であり、その自由度の高さから作家独自の嗜好によって特異ともいえる表現が追及され、一般誌では掲載不可能な作風を実現する作家も存在する。

    鬼畜系漫画家[編集]

    1970年代から2020年代にかけて特殊漫画雑誌『月刊漫画ガロ』『月刊コミックフラミンゴ』『コミックMate』『COMIC LO』ほか、三流劇画誌SM雑誌、陵辱系/リョナアンソロジーお絵かき掲示板などで鬼畜系・モンド系の作品を執筆していた漫画家イラストレーター同人作家を挙げる。

    参考文献

    関連漫画雑誌[編集]

    アダルトビデオに於ける鬼畜系[編集]

    V&Rプランニング[編集]

    安達かおる1986年に創業したアダルトビデオメーカーV&Rプランニングレイプスカトロ蟲責めなどを題材にしたキワモノ系の異色作・問題作を1990年代に多数リリースして異彩を放ち、鬼畜ブーム時には『危ない1号』に特集が組まれるなどマニアの間で密かに注目を集めていた。

    V&Rは当時台頭していた規制の少ないインディーズメーカーを差し置くほど過激極まりない作風で知られ[226]、当時加盟していた日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)からはしばしば発売禁止・審査拒否の対象となった。

    例えば1993年に制作されたスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』(監督:安達かおる)では身体障害者が出演したことが問題視されお蔵入りとなり[227]平野勝之監督の『水戸拷悶2 狂気の選択』(1997年)では過激な描写を追求するあまり2名が負傷して3名が引退宣言し、撮影の舞台となった渋谷はパニック状態に陥り警察が出動する騒ぎとなった(当然ビデ倫からは「論外の外」と審査拒否されたため、自主規制した不完全版のみが流通した[228])。また下水道を舞台に撮影を敢行した平野監督の『ザ・ガマン』(1993年)でも警察官水道局員が大挙する騒動に発展している[228]

    AV史上最大の問題作とされるバクシーシ山下監督のデビュー作『女犯』(1990年)は既存のレイプ作品では到底考えられないほど迫真に迫ったリアルな描写・演出から女性人権団体から抗議が殺到、社会問題化した[229]。しかし、後に山下が語るところによれば作品は意図的に後味の悪さを狙ったもので、事前に山下は本気で嫌がるよう女優に説明し、あえて男優にその事実を教えなかったという[229]。これらを踏まえて著作家本橋信宏は「実際に弄ばれていたのは女優でなく男優だった」と述べている[229]。その後も山下は抗議に萎縮することなく、1992年には路上ドキュメント『ボディコン労働者階級』を監督し、山谷ドヤ街を舞台に日雇い労働者AV女優との交接を描いたことで物議を醸すことになった[229]死体写真家釣崎清隆は人権団体と争ってまで問題作を送り出すV&Rプランニングの姿勢に感銘を受け、過去にAV業界で活動していたこともある。

    V&Rのスカトロ作品では井口昇監督・卯月妙子主演の『ウンゲロミミズ エログロドキュメント』(1994年)が最も有名で排泄物食糞塗糞脱糞に始まり、嘔吐物ミミズまでを扱った過激な演出からマニアの間でカルト的な人気を集め、翌1995年には続編も制作された。

    2004年にはV&Rプランニングの制作陣によってV&Rプロダクツが発足し、現在も事業を継続中である。なお、2015年には封印されていた障害者主演のスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』がアップリンク渋谷で上映され、制作から22年目にしての解禁となった[230]

    バッキービジュアルプランニング[編集]

    アダルトアニメに於ける鬼畜系[編集]

    参考文献[編集]

    関連書籍[編集]

    脚注[編集]

    [脚注の使い方]

    注釈[編集]

    1. ^ ロマン優光いわく、狭義の90年代鬼畜系とは「モラルを理解したうえでギリギリな範囲で遊ぶハイコンテクスト文化であった。しかし、それが分からず面白がってモラルを無視し、本当に鬼畜なことを実行する人も少なからずいたという。またロマンはゼロ年代以降の実話誌・裏モノ雑誌で「鬼畜系」を誤解した、犯罪同然の過激な企画が増えたことを指摘している(例えば『裏BUBKA』の日光猿殺し事件など)[9]
    2. ^ 伊藤晴雨によれば、撮影後すぐに妻は下ろしたとしており、虐待を加える暇はなかったとされる。妻のキセは2日後に無事出産するが、晴雨は妻が無事だったことにがっかりしたという。
    3. ^ 梅原北明の雑誌でも死体写真を掲載した号は必ずしも発禁になっておらず、彼の雑誌『グロテスク』が誌名通り「エロ」より「グロ」を主題としたのは、時代の趨勢を見越してのことである。
    4. ^ 北明主宰『変態・資料』5号でも東京帝国大学教授の杉田直樹が同事件について論じており、これは先駆的なSM評論とされる。
    5. ^ 当時の雑誌広告(1930年10月発行『犯罪科学』5号)には次のようにある。「警察司法官等の参考として実費を以て提供することとした。本書の出版は空前であり、絶後であって、萬金を投ずるも尚得難き資料である。本書は特殊出版にして警官司法官にのみ頒布すべきなるも、此際特殊な研究家に一百部を限り、実費送料を以て頒つものである」。ここでは100部のみ発行すると記されていたが、実際には一般人にも売られており、戦後は古書市場にも頻繁に出回っていたことからして、その数倍は流通していたと推測される。
    6. ^ 日本のサブカルチャーに「MONDO」という言葉と文化を輸入したのは高杉弾といわれている。ちなみに高杉は「MONDO」について「アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化」と定義した。また高杉は「MONDO」に一番近い不思議な日本語として「ひょっとこ」を挙げている[39]
    7. ^ その本の中で「マンソンファミリーが殺人の様子を撮影したビデオが存在する」旨でインタビューが行われたためである。しかし、そのインタビュー対象者は実際にはスナッフフィルムを見てはいなかった。
    8. ^ 青山正明永山薫との対談で「面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている(宝島社別冊宝島345 雑誌狂時代!』所載「アンダーグラウンドでいこう! 自販機本からハッカー系まで」より)。また青山は出版業界に入った理由について「僕自身は『HEAVEN』という自販機本があって、その前身の『Jam』だったっけ? あそこらへんで、かたせ梨乃とか山口百恵ゴミ箱あさって……たしか、かたせ梨乃のタンポンとか、山口百恵の妹の学校のテストが二十点とかいう、すっげえ成績悪いやつを全部並べて写真撮って載せてるような……そういうメチャクチャな自販機本があったんですよ。それ見てね『あっ、こんな楽しいことやってて、食っていけるんだなー』って思って、うっかり入っちゃったんだよね。そのあとも、うっかり続きで(笑)」と東京公司のトークイベント『鬼畜ナイト』(新宿ロフトプラスワン/1996年1月10日)にて語っている
    9. ^ a b 同書は1990年代に出版された『SCENE』と書名が同じだが、内容は全く異なっているため「初代」と区別される。元々は『Billy』(白夜書房)の別冊として小林小太郎が出版しようと試みたが諸事情で頓挫し、別の編集者が小林の志を引き継ぐ形で出版したという経緯がある[53]
    10. ^ ハッサン・イ・サバーは、11世紀に登場したイスラム教シーア派の分派であるイスマーイール派の一派「ニザール派」の開祖として知られ、暗殺教団(アサシン教団)を率いてイランからシリア全土の山岳地帯に要塞を築いたといわれる。別名「山の長老」。高杉弾村崎百郎にも多大な影響を与えたウィリアム・S・バロウズのアイドル的存在であり、ハッサンが唱えバロウズが引用した「真実などない。すべては許されている」(Nothing is true; everything is permitted.)という言葉はあまりにも有名である。この言葉は『危ない1号』で次のように解釈された。
      この世に真実などない。だから、何をやっても許される」(史上初のカルト・グル、ハッサン・イ・サバーの言葉)

      全ての物事には、数え切れないほどの意味やとらえ方、感じ方などがある。例えば、自殺。これを「悲しいこと」「負け犬がすること」とみなすのは、無数にある“自殺のとらえ方”のほんの一部に過ぎない。この世には、祝福されるべき自殺だってあるのだ。

      あらゆる物事は、その内に外に、無数の“物語”を秘め、纏っている。『危ない1号』では、これら無数の物語の中から、他の本や雑誌ではあまり語られない物語だけを選びだして語るようにした。さらにその際、一つの物事が含み持つ無数の物語の全てを“等価”と考えるように心掛けた。(中略)

      この世に真実などない。あらゆる物事は、その内に外に“数限りない物語”を秘めている。そして、それらの物語は、人間様中心の妄想であるという意味で“全て等価”なのである。だから何を考えても許される。これが当ブックシリーズの編集ポリシーだ。

      妄想にタブーなし! — 東京公司「はじめに」『危ない1号』第1巻 データハウス、1995年、2-3頁。
      まず『危ない1号』の中で使った鬼畜という意味なんだけど、これは世界で初めてカルト集団を作ったハッサン・イ・サバーと言う人物がいて、この人は、ドラッグとセックスで信者に天国を見せておいて、もう一度天国を見せてやるからお前らの命をくれみたいなこと[65]をしたんですが、その人の言葉に「この世に真実などない。だから、何をやっても許される」って言うのがあるんです。それって、ある程度正論なんですよ。たとえば後ろから殴るのは正義に反すると言うけど、誰だって、後ろから突然殴られたくない。だから、私も後ろから殴らないから、あんたも後ろから殴らないでねって言う弱気の正当化でしかない。そんな情けない正義や道徳なんかにこだわらず、もっとオープンマインドで生きようって言うことを読者に提示したかったんです。 — コアマガジン世紀末倶楽部』第2巻、1996年、198-201頁「ゲス、クズ、ダメ人間の現人神『危ない1号』編集長の青山正明氏に聞く!」(聞き手/斉田石也
      この試みについてロマン優光は「失敗に終わった」として次のように総括した。
      概念としては素晴らしいですよ。優劣をかってに決める社会に対して、優劣など存在しないということを言っているわけですから。この文章には感銘を受けた覚えはあります。

      しかし、全てが等価値だからといって、何をやってもいいということとは違うわけです。筒井康隆氏はフィクションとして、それをやっていたのですが、青山正明氏は現実をストレートに素材にしており、フィクションであるというワンクッションが置かれていないためにストレートに取られやすく、はるかに毒性に関しては強かったわけで。

      彼は無邪気でした。そして、内面には良識というものがしっかり存在していました。無邪気にその良識に逆らって反語的に遊ぶゲームに興じていただけなのだと思います。しかし、その無邪気さと良識ゆえに、世の中には良識が備わっていない人間が存在すること、そういう人間が自分の悪ふざけを本気にして真似しだしたらどうなるかということが想像できていなかったのです。それは悲劇でもあり、失敗でもあります。その結果起こった出来事は、繊細なインテリであった氏にとっては、大きなストレスになったでしょう。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、38-39頁。
    11. ^ 町山智浩が言うところの「クソ文化」とは「オシャレやモテばかりを追求するリア充志向のトレンディ文化」を指している。これは主に大手資本側(電通フジテレビセゾングループホイチョイ・プロダクションズ)が中心となって仕掛けた資本主義的な社会現象であり、バブル時代に流行した軽チャー路線拝金主義恋愛資本主義的価値観などが軸となっている。これらトレンディ文化は、表面上はきらびやかでありながら、どこか軽薄で偽善的な空気感をまとっていたのが特徴的だった。町山によればトレンディ文化に対するカウンターが鬼畜系であり、村崎百郎の「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」というスローガンもこれに由来しているという。なお中国語圏で見られるナンセンスなパロディ文化については「KUSO文化」を参照のこと。
    12. ^ 村崎百郎は「言語ウイルス」と「言語が持つ致命的な欠陥」について次のように語っている[121]
      「どうか言語ウィルスどもの巧妙な罠に気づいてくれ! 奴らの正体は自分たちを使用する全ての人間に寄生して、世代を超えてその身体を拡張し続ける極めて特殊な疑似生命だ。彼らの希薄な身体と支配力は、彼らを使用する人間の数にかかっている。そのため彼らはできるだけ多くの人間に取り憑き支配しようと、自分が取り憑いた民族を刺激して他民族に対して侵略をしかけるのだ。歴史をひもとけば、侵略に成功した側の民族が征服民に自分達の宗教や言語を強いる例はいくらでもある。“神”はことばであり、同時に言語ウィルスなのだ」という言説は、一九七七年の秋以降、俺の頭に二十九日周期でやってくる電波特有のものだが、この種の妄想は記録によれば一九世紀後半のヨーロッパでは道端に転がる糞ぐらいにポピュラーなものであったというから、そもそもキチガイの妄想には所詮大したオリジナリティーなど皆無なのだ。
      とどのつまり、バロウズの言語ウィルス論から我々が学ぶべきは、「我々の使用する言語の中には“言語ウィルス”という言葉に象微されるような致命的な欠陥が存在する」ということだ。我々の日常のコミュニケーションの中でも、伝えたいことが何ひとつ相手に伝わらず、つまらない悪意ばかり増幅して伝わってしまうことは良くあることだろう。最も伝えたいことが相手にさっぱり伝わらないもどかしさを感じて言葉につまった経験はないか? それは何も“ボキャブラリーの貧困”ばかりが原因ではない。コミュニケーション・ツールとしての“言語”がもつ不完全性と、そこから生じる“悪意”をつねに意識しながら注意深く言語を使用すること──それこそが、我々意識ある人類が陥った“言語の拘束”から解き放たれるための第一歩なのだ。全ての言語が、発生したその瞬間に、嘘もつける“詐欺の手段”としての機能をも同時に合わせ持った“両刃の刃”であることを忘れてはいけない。
    13. ^ 「鬼畜系作家」というのは自称でなく通称であり、京極夏彦の対談では「鬼畜系作家」でなくハートレスな「キクチ系作家」として呼んで欲しいとのこと。

      京極:平山さんは、いうなれば鬼畜系ですよね。
      平山:それを言われると嫁が泣く(笑)。ネットで「鬼畜系作家」と書かれているのを読んで、「あなた鬼畜系なの?私は鬼畜の嫁なの?」って泣いたんだよね(笑)。まあいいんだけど、漢字だと重たいから、できればカタカナにしてもらえたら(笑)。
      京極:表記の問題なのか(笑)。でも音で区別はつかないから。発音を変えて対談するしかないじゃないですか。「キチク」……「キクチ」ならいい?
      平山:そうそう、「キチク」とか「キクチ」とか……「キクチ」だね。
      京極:じゃあ「キクチ」系にしましょう(笑)。で、「キクチ」系作家の平山夢明さんとしては、ハートフルな小説というのはあまりお書きになりませんね?ハートレスですよね(笑)。
      平山:ハートレスだね。(中略)僕が書くこわい話なんかは、どっちにしろ死んでるやつのほうが多く出てくるわけ。そういう生き物より死人のほうが多いような小説はともかく(笑)。でも、そうじゃない小説って、みんな愛の方向にもっていくでしょう?
      京極:もっていきがちですわね、愛の方向に。
      平山:愛なんて所詮、算数でいうゼロみたいなもの。幸も不幸もゼロを掛ければみんな同じ。駆け込み寺みたいな安易な逃げ場所なんだけど、酷いことを書いて、そのまんまで終わらせちゃうとだいたい鬼畜系作家とか言われちゃうわけだよね。

      対談 京極夏彦×平山夢明 - レンザブロー

    出典[編集]

    1. ^ 「『悪趣味系』の中のサブジャンルとして立ち上がった『鬼畜系』ですが、鬼畜という言葉の持つインパクトの強さと当時の『危ない1号』や村崎氏の勢いによって、『悪趣味系』よりも広く口にされる言葉となり、『悪趣味系』というジャンル自体を飲み込んでしまったというのが、大まかな流れだと思います」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、13頁。
    2. ^ a b 「鬼畜系というのは本来、他人のゴミ漁りや自身の『電波』体験をテーマにした文章で知られるライターの村崎百郎氏が自身を指すのに提唱した言葉であるが、悪趣味系のサブジャンル的に、その中でも特に非道徳的・反社会的な部分を指すような言葉として使われることもあった。漫画家・根本敬氏が書いていた奇妙な人々を観察したある意味カスタネダ的な文章の影響も大きく、本来は文献紹介的だった悪趣味系に生身の人間を題材にするという流れを生んだ」ロマン優光連載「好かれない力」特別編「文化人を次々と葬り去る90年代サブカルとは一体何なのか」コアマガジン『実話BUNKAタブー』2021年10月号,178頁。
    3. ^ a b 香山リカ (2021年8月20日). “かつてのサブカル・キッズたちへ〜時代は変わった。誤りを認め、謝罪し、おずおずとでも“正論”を語ろう”. 情報・知識&オピニオン imidas. 凸版印刷集英社. 2021年8月22日閲覧。
    4. ^ ロマン優光は「90年代サブカルという特殊な文化を今の価値観で振り返り、怒り狂っているヤバい単細胞が昨今目立ちます。彼らによる考察ならびに反省は、一見まともでも的を射ていないものが実に多く、世間に間違った解釈を広めてしまう害悪でしかないのです」と語っている。(コアマガジン『90年代サブカルの呪い』袖)
    5. ^ 「本来、鬼畜系という呼称は、雑誌『危ない1号』(データハウス)周辺が出演したロフトプラスワンで開催されたイベントのタイトル『鬼畜ナイト』(96年開催。のちにイベントの模様がデータハウスより書籍化された)や『危ない1号』第2巻『特集/キ印良品』(データハウス・96年)の表紙に踊っていたキャッチフレーズ『鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座』から来ているものと考えられます。その『鬼畜』というワードを『危ない1号』の編集長・青山正明氏に提唱したのが、同年に『鬼畜のススメ』(データハウス・96年)という著書を出版することになる村崎百郎氏です。その時点で『ここからここまでが鬼畜系です』というような明確なジャンルとしての定義があって名付けられたわけではなく、後にジャンル名として使われることになることも想定していなかったでしょう」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、10-11頁。
    6. ^ a b 扶桑社SPA!』1996年12月11日号特集「鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?
    7. ^ a b 町山智浩のツイート 2021年7月20日
    8. ^ 「90年代サブカルについてネットで語られているのを見る機会が最近増えました。リアルタイムで接していた人による想い出語りのようなものもあれば、新しい世代による研究もあります。約20〜30年前の時期の話ですから、今の視点から見るととんでもないようなことが起こっていたり、問題視されるような部分も多いと思います。特に悪趣味系や鬼畜系と括られていた界隈については、そういった視点で眺めている人も多いでしょう。また、その言葉の語感から、当時のことを知らない人から必要以上に悪く思われる場合もあります。世の中のたいていのものがそうであるように、悪趣味系、鬼畜系といったものも、全てが否定されるべきものでもないし、全てが肯定されるべきものでもない。皮肉なことに、否定されてしかるべき部分は今も継承されているのにも関わらず、最良の部分については言及されることもなく忘れられていく一方です」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、6頁。
    9. ^ 「本当に酷いのは90年代終わってからの、あのコアマガジンの『裏BUBKA』とか、裏モノの本とか、別にサブカルとか関係なくて酷いことをしたら売れるって思ってる…。あの、なんていうか、モラルに反することをやって、アピールしたら売れると思ってる本が大量に出たじゃないですか」(ロマン優光)「そっちだよね。サルを殺す文化とかね。分かりやすく言うと」(吉田豪鬼畜系サブカルを総括する(2) 実写版『90年代サブカルの呪い』ロマン優光×吉田豪×宇川直宏 - Togetter 2019年3月18日
    10. ^ Torii Kiyonobu I -By the Light of a Hexagonal Lantern early 1700s
    11. ^ How Does the Interior of a Vagina Look Like?
    12. ^ PARIS, CAPITAL OF CORPSES
    13. ^ Skeletons in the cupboard of medical science
    14. ^ Skeletons in the cupboard of medical science
    15. ^ うんち大全 ジャン・フェクサス
    16. ^ 故人をまるで生きているかのようにポーズをとらせて遺体を記念撮影する、ビクトリア時代の「遺体記念写真」 - カラパイア 2015年10月15日
    17. ^ a b 筑摩書房『宮武外骨・滑稽新聞』第6冊(第146号〜第173号)414頁
    18. ^ 宮武外骨(みやたけがいこつ)=宮武外骨の研法発布囈語
    19. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 53頁。
    20. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 56頁。
    21. ^ 「『文芸市場』の創刊当時を語るとなると、関東大震災をヌキにして語ることはできない。焼土と化した帝都。軍部の白色テロの横行、朝鮮人の大量虐殺大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥宗一少年の暗殺南葛労働組合員九名の惨殺、加うるに、虎ノ門で行われた難波大助の皇太子暗殺未遂も、暗く、大きく作用して世は正に暗黒時代と言うにひとしかった。日本共産党が非合法を清算して、自由主義運動から始めなければいけないと迷うたほどだから、大方察しがつくだろう。治安維持法に反対する、政治運動をめぐって、アナとボルに分裂、対立したプロレタリア文学運動も、自然の脅威による帝都壊滅に出あって、いつとはなしに肩を接するように、元の共同戦線に帰って行ったが、絶望感とニヒルが底流していて、革命的志向を失ないがちだった」金子洋文「梅原北明と『文藝市場』」『文藝市場/復刻版 別冊』財団法人日本近代文学館、1976年5月30日発行、1頁。
    22. ^ 「戦後のバブル期には、左翼的で晦渋なニュー・アカデミズムが流行した。戦前のエロ・グロ・ナンセンスの時代には、共産主義革命を支援するプロレタリア文化運動の隆盛があった。つまり昭和の初めと終わりには、軽薄さと社会派の両面から、常識やジャンルを逸脱する熱気が大きく盛り上がっていたのだ」足立元「猥本出版の王・梅原北明と昭和エロ・グロ・ナンセンス」『芸術新潮』2020年9月号, 新潮社, pp.36-41
    23. ^ 「……濃淡の差こそあれ、ブルジョワ的婦人雑誌、その他一切の通俗読み物までブルジョワ・エロ・グロによって一塗りに彩られている。……何ら新しいイデオロギーも何もありはしない。エロの粉黛を、紅色に変化することによって、数万の読者を扇情してるだけだ。ばかりでなく、手近いところで、活動のレビュー、商店の飾り窓、新聞面の広告、一切合切がそうだ。何故そうか? あっさり言って、ブルジョワ文化が、行き詰まったからだ。二進も三進も、現実を無視して思想の、イデオロギーの進展はありはしない。濁った、流れない水は腐るよりほかない。エロも、グロもナンセンス新興芸術派もそこから発生した。見たまえ、殺人毒ガスマスクと大本教、昭和五年度二千件のストライキと日本刀──新聞面だけでも、可なりなグロがある。ましてや本誌編集者の梅原北明君が、常々、ロシア大革命史の翻訳者として著名になり、現在『グロテスク』の編集者であることなども、正にグロではないか。……しかし、プロレタリア芸術家は、この一九三一年度を『ブルジョワ・エロ・グロに巣食う人々』の駆逐に向かって闘争されなければならない」徳永直「ブルジョワ・エロ・グロ」グロテスク社『グロテスク』1931年4月号(復活記念号)129-130頁から抜粋。(引用文中、歴史的仮名遣で書かれた箇所については現代仮名遣いに改めた)
    24. ^ 「北明編集時の『グロテスク』をざっと見る限り、北明の『エロ・グロ・ナンセンス』がブルジョワ新興芸術ともプロレタリアート芸術ともかなり異質な、芸術至上主義やイデオロギーを排した生産的な秩序破壊の活動であったことがうかがわれる」秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 61頁。
    25. ^ わずか7年ほどの間に梅原北明は“反体制的反骨出版”を怒濤の勢いで行った。しかしながら北明には政治的・思想的なイデオロギーはなかったという。北明本人はエログロ出版から手を引く直前、雑誌で次のように回想している。
      僕が要するに以前の雑誌グロテスクによってグロテスクとかエロチックとかいうようなことをまるで流行させたかのごとくに思われるのでありますけれども、然しこれは、僕は意識的にグロテスクあるいはエロチックをやったわけではなくて、詰り非常に大胆不敵な考えの下から、 エロチシズムあるいはグロテスクということを主としまして、そして世の中を何でも構わぬから、お茶に濁して遣ろうという気になって、それを始めたのが丁度世の中に一種の流行を受けたというような訳で、始めから流行をさせようとかしないという様な意味でなくして、僕としては何でも構わぬから行ってやろうという単純な気持でやった訳です。ところが僕が止めた時分に世の中が案外そう云う様な時期になって実は僕としてはもう今日になってはエロだとかグロだとかの時代ではないと思うのです。そこで僕のほうじゃ好い加減鼻について居るのです。それで僕は一年許り止めて居たので、ところが、こっちが好い加減倦いたりして居る頃に世の中が漸くエロのグロのと騒いできたような訳なのです。 — グロテスク社グロテスク』1931年4月号(復活記念号)所載「全国留置場体験座談会」251頁。
    26. ^ 文藝市場社の尾高三郎は『明治大正綺談珍聞大集成』(梅原北明編纂/1929年〜1931年)の推薦文で採算の取れない出版を行う理由を次のよう記している。
      日本一の新聞蒐集家梅原北明氏決死的道楽出版
      明治大正綺談珍聞大集成
      (前略)親愛なる友よ。大正昭和年間に於ける猥本刊行者の親玉たる梅原北明の存在は餘りに有名であります。併し、彼をして単なる世界各国の猥文献提出者として葬るならば、餘りに彼の蒐集課目を無視したる言葉で、彼こそ實に日本一の新聞蒐集家であると云へば何人も驚嘆するでありませう。事ほど左様に彼は古新間の蒐集に拾数年を費し、この間に投じた蒐集費は数拾萬圓の上に算します。
      この貴重な長時間と莫大な費用とで纏めあげたのが、今回の「明治大正綺談珍聞大集成」で(中略)内容装幀共に日本有史以来の凝りかたで、やがて死んだ親爺のせつせと稼ぎ蓄めて残し去つた財産の大部分をかぢつて了ひさうです。
      然らば、何が故に實費以下に頒布なさんとするのか? それには一つの大きな原因がなければならない。所謂原因は燒け糞です。梅原北明第三十一回の筆禍禁止勲章授與紀念報告祭に要する燒糞出版だからであります。損得を云つちやいられません。冗談にも早く三十二回目にしろよと云ひますので、責任出版者たる拙者こと文藝市場社こと尾高三郎こと、誠にもつて北明なんて愚にもつかぬ不經濟極る親友を脊負つてゐるばかりに、末は畳の上で死ねるか死ねないか今のところ一寸疑間ものです。
      冗談は扨て置きまして、この紀念を、日本の後代に永遠に残し去かんとする慾望が編者の印税であり、又、明治、大正六十年の人類が刻み残した生ける珍記録の集成こそ、吾々にとつて、最も懐かしい人間的な歴史でなければなりません。と私は確信するので御座います。
      たとへ、この貴重なる決死的道楽出版が、果して、諸賢に共鳴され得るや否やは大なる疑間です。併し吾々は、そうしたたい社會的に不純なる投機的精紳とは絶対に妥協出来ないことだけは断言いたしておきます。
      退窟は死なりと誰れかが云ひましたが、退窟で仕様のない人達にとつては、正に本書は唯一の獵奇趣味に富む眠む氣覺しであるかと思はれます。金錢と云ふ観念を全く超越した装幀の贅澤さ、内容の極珍ぶりに、東京中の出版業者は、多分泡をふいて極度の妬みと嘲けりを投げ與へることでせう。(中略)本書は一部でも多く賣れれば賣れるだけ損害が益々甚大になる譚です。が、この珍聞を一人でも多くに告げ得られる喜びは、千や二千の端金には換へられない貴い喜びだと信ずるからであります。特に百人の俗人に讀まるゝより一人の獵奇家諸氏に愛讀されんことを欲する次第で御座います。(後略) — 文藝市場社『グロテスク』1928年11月号(第1巻第2号)
    27. ^ 「公敵」としてのコンテクストメイカー梅原北明『殺人會社』『文藝市場宣言』『火の用心』『ぺてん商法』【FIGHT THE POWER】
    28. ^ a b c 梅原正紀北明について」『えろちか』No.42「エロス開拓者 梅原北明の仕事」三崎書房 1973年1月
    29. ^ 伊藤晴雨「女体逆さ釣り撮影記」第一出版社『人間探求』24号
    30. ^ 斉藤昌三『三十六人の好色家―性研究家列伝』創芸社 1956年
    31. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 51頁。
    32. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 56-57頁。
    33. ^ 「戦争の足音が聞こえてくる頃、『かえって……好色本出版と縁を切るふんぎりがつき』(野坂昭如『好色の魂』)北明は妻と子供を連れて大阪で女学校の英語教師になる。北明三十三歳の時であった。その後の北明は、『近世社会大驚異全史』の編集能力が買われて靖国神社史編纂に加わったり、日劇再建に一肌脱いで実業家ぶりを発揮したり、その謝礼として日劇小劇場を譲り受ける話を蹴って、台湾に出かけ、記録映画を撮ったりと大波乱の人生で、野坂昭如の小説中でもこのあたりは圧巻といえる。三度上海に遊び、戦時中は翻訳能力を軍に買われ、財団法人科学技術振興会を創設して海外の技術関係文献の海賊版作りを行う。もとより北明に戦争協力の意志はなかった」秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 62-63頁。
    34. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 146頁。
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    36. ^ 「病名は発疹チフスで、東京へ通う列車の中でシラミを経由して伝染したのである。ダンディーな身だしなみのいい男として知られた北明が、そうした病気で倒れたのは運命の皮肉であった。高熱が一週間も続き、死ぬ前日には、脳症を起こして意識は混濁していたが、ボクが朝刊を持って病室に入っていくと、父はつと手を伸ばし、新間をとりあげ、手でかざして読もうとした。しかし、なんとしても新聞を手でかざすことができず、新聞は、父の顔にバサリと落ちた。活字とともに生きてきた男の反射的動作の中に、まだ自分は生きて仕事をしなければならないのだという執念がこもっていた。しかし、その時はおそかった。北明が息をひきとったのは昭和二十一年四月五日のことである」梅原正紀『近代奇人伝』大陸書房、1978年、252頁。
    37. ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 63頁。
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    39. ^ 「これは日本に入って来たときに誤解されたよね。なんでもかんでもヘンなものをMONDOだってしちゃって。MONDOはもともとはイタリア語でWORLDのことなんだけれど、これを聞いたアメリカ人がすごくヘンな響きにきこえたらしくて、それで60年代にヘンなものを創ってる人達のことをモンドピープルって呼んだのが始まりだよね。それでラス・メイヤーアンディ・ウォーホルジョン・ウォーターズなんかが『モンドカルチャー』とか『モンドニューヨーク』なんて言い出したの。要するにアメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化をそう呼ぶようになったわけだから、60年代でMONDOはなくなっちゃってるんだよ。で、MONDOを日本語に訳したらひょっとこだよね。ひょっとこっていうのが一番近い日本語だよ(笑)」高杉弾メディアマンライブトーク─高杉弾とメディアマンのすべて青林堂月刊漫画ガロ』1997年3月号「特集/僕と私の脳内リゾート特集」48頁。
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      1980年代コミックマーケットに出没していた蛭児神建のイメージ
      文筆家・イラストレーター。日本初の鬼畜系ロリコン同人誌『幼女嗜好』(変質者)主宰。主に幼女姦を主題にした猟奇的な官能小説やイラスト、および変質者ルックで知られた(トレンチコートマスクハンチング帽サングラスプティアンジェ人形を逆さまにぶらさげていた)。1984年9月にモンド系ロリコン漫画雑誌『プチ・パンドラ』(一水社)の編集長に就任するが、作家との軋轢から1987年に引退・絶筆する。後に出家。その経緯に関しては『出家日記―ある「おたく」の生涯』(角川書店・2005年)に詳しい。
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    109. ^ 同号では『Jam』の高杉弾/『写真時代』の末井昭/『EVE』の原野国夫/『漫画大快楽』の小谷哲/『漫画ピラニア』の菅野邦明/『劇画アリス』&「迷宮」の米沢嘉博/『漫画エロジェニカ』の高取英/『S&Mスナイパー』の緒方大啓などの編集者が参加・寄稿している。
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    178. ^ 桃園書房『桃園ムック92 鬼畜系美少女ゲーム攻略200連発』(2002年)など。
    179. ^ 「逆に、萌え系と対極をなす鬼畜系のゲームは、『狩猟性』や『支配関係』という現代における恋愛関係のネガティヴな面を戯画的に拡大解釈させた展開になる。つまり主人公は『女を狩猟の対象・支配すべき弱者としてしか認識しておらず、暴力と嘘を積み重ねて女性を支配していく。もちろん鬼畜ゲームのトゥルーエンドは『ハーレムエンド』つまりすべてのキャラクターの支配となる。現実における恋愛の持つ暴力性・マッチョイズム・拝金主義などを否定し、あくまでも二次元世界に理想の恋愛を見出そうとする運動が『萌え』ならば、現実の恋愛の偽善性・暴力性を執拗に白日の下に曝け出そうとする運動が『鬼畜』なのであろう」本田透『萌える男』ちくま文庫 2005年 158-159頁。
    180. ^ 「男たちが群がる『監禁ワールド』をのぞいてみた! 連続する監禁事件」『週刊朝日』2005年6月3日号、pp.126-129
    181. ^ ガロ』1973年8月号掲載の入選作「パチンコ」で漫画家デビュー。つげ義春ATG映画に影響されたシュールで不条理なギャグ漫画や暴力的なモチーフを多用するダークな作風の漫画家で知られる。高杉弾山崎春美編集の伝説的自販機本Jam』『HEAVEN』でも執筆活動を行っていたほか、スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)1982年3月号では山崎春美のスーパー変態インタビュー遠藤ミチロウ明石賢生に次いで3人目)にも応じている。主な作品集に『地獄に堕ちた教師ども』『私はバカになりたい』(ともに青林堂青林工藝舎)などがある。
    182. ^ 1980年代のエロ劇画界においてロリコン趣味や猟奇殺人などのタブーを、私小説の様に文学的な独白調かつ端正な劇画タッチで描き、残虐かつ救いの無いストーリーを圧倒的画力と迫力をもって描き出した昭和のエロ劇画界を代表する伝説的な鬼畜系漫画家。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に先駆けて少女趣味ストーカーのぞきリストカットSM監禁窒息レイプひきこもりバラバラ殺人など現代で起こりうる異常犯罪を予言していたかのような作品を発表していたが、前述の宮崎勤事件を契機に1989年頃から寡作になり、その後10年以上休筆していたが、大西祥平による再評価や復刻本刊行等によって2000年に再デビューを果たす。以降「伝説の猟奇エロ漫画家」「エロ漫画界の極北」「漫画界の暗黒大陸」として国内外で再評価が進んでいる。
    183. ^ 自称・特殊漫画家東洋大学文学部中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号掲載の「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。しばしば便所の落書きと形容される猥雑な絵柄と因果で不条理なストーリーで知られ、日本オルタナティブ・コミックの作家の中でも最も過激な作風の漫画家である。『平凡パンチ』から『月刊現代』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで活動の場は多岐に渡り、イラストレーションから文筆、映像、講演、装幀まで依頼された仕事は原則断らない。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』他多数。
    184. ^ 貧困差別電波畸形障害者などを題材にした作風を得意とする特殊漫画家。山野の前妻で漫画家のねこぢるが自身の私生活を題材にしたエッセイ『ぢるぢる日記』には「鬼畜系マンガ家」である「旦那」が登場している(ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)75頁)。立教大学文学部卒。四年次在学中、青林堂に持ち込みを経て『ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。以後、各種エロ本などに特殊漫画を執筆。不幸の無間地獄を滑稽なタッチで入念に描いた作風が特徴的である。ちなみに青山正明は山野一の大ファンであり、青山が編集長を務めた『危ない1号』第2巻には山野のロングインタビュー(聞き手・構成/吉永嘉明)が掲載されている。主な作品に『夢の島で逢いましょう』『四丁目の夕日』『貧困魔境伝ヒヤパカ』『混沌大陸パンゲア』『どぶさらい劇場』(いずれも青林堂)『そせじ』(Kindle)がある。
    185. ^ 丸尾末広と並ぶ「耽美系」「猟奇系」の作家であり、ベースとなるテーマが人間の「」である作品が多い。著作に『赤ヒ夜』『月ノ光』『刑務所の中』『花輪和一初期作品集』(ともに青林工藝舎)などがある。
    186. ^ 高畠華宵の影響を受けたレトロなタッチに幻想・怪奇・猟奇・グロテスクな描写を交えた過激な作風を特徴としている。代表作に『少女椿』(青林工藝舎)ほか多数。
    187. ^ カニバリスト。猟奇犯罪実録漫画『まんがサガワさん』(オークラ出版)は本人によるパリ人肉事件コミカライズである。
    188. ^ 鬼畜系・電波系ライターの夫・村崎百郎が原作を担当し、妻の森園が作画を担当した漫画作品が多数ある。
    189. ^ 「おいら(川本耕次:引用者注)は1970年代から編集者をやっていたので、鬼畜系がブームになる前から、ホンモノの鬼畜系人物を見ている。『変態だって人間だ、変態だって生きてるんだよー』と絶叫する腹切り首飛ばし漫画描いて、その後、性転換する漫画家とか(笑)そういうホンモノ中のホンモノと比較したら、90年代の鬼畜系なんてお遊びなんだが」鬼畜系とは何か? - ネットゲリラ(2021年7月20日配信)
    190. ^ モダンホラー系のロリコン劇画家。美少女とクリーチャーを主題とした、グロテスクでサイケデリックな描写を得意とする。久保書店から2冊の単行本『ピンキーパニック』『子供じゃないもん!』を昭和末期に上梓したこと以外、一切の活動実績が不明という謎多き作家である。
    191. ^ 謎の変態カルト漫画家「戸崎まこと」とは誰か? - Togetter 2021年6月28日
    192. ^ 「やはり、和田エリカはヤバい。『アリスのお茶会』は、ロリコン・クライムストーリーとしてはかなり初期の長編作品である。当時『ロリコン』という言葉は、かなり広義で、今の萌え絵ぐらいの幅の広さを持っていたので、何もかもがロリコンマンガと呼ばれていた時代には珍しく、今のロリコンマンガに近い位置にあると言えよう。なにより、そんな作品を宮崎事件が起きた八九年から九二年とオーバーラップして発表している。要するに、和田エリカは真性のペドフィリアであり、その妄想、認知のゆがみをそのままマンガにしたのが『アリスのお茶会』なのだ」(稀見理都)夜話.zip編『エロマンガベスト100』2021年1月、40-41頁。
    193. ^ 『この世界には有機人形がいる』発売記念 蜈蚣Melibe氏インタビュー!長き沈黙から有機人形の叙事詩がついに復活”. おたぽる編集部. おたぽる (2014年12月2日). 2021年8月29日閲覧。
    194. ^ 商業誌に載せられる限界の変態漫画家・サガノヘルマーとは何者か? - ニコニコ生放送『山田玲司のヤングサンデー』第54回「誰がいちばんエロいんだ選手権!〜漫画家・大井昌和と語るクリエイターとリビドーの物語」(2016年10月29日放送)
    195. ^ ふたなり」という概念が定着する前の1980年代後半から「両性具用」「人体改造」「内臓フェチ」「露出プレイ」「産卵プレイ」「触手陵辱」「強制受胎」「スカトロ」「レズプレイ」などハードかつフェティッシュなSM要素・変態描写・鬼畜系特殊プレイを開拓した漫画家。2019年に逝去。代表作の『奴隷戦士マヤ』について稀見理都は「SF設定を活かした新しいエロの多様性を読者に教えてくれた」「80年代に今のキルタイムコミュニケーションがやっていることをほぼ全部盛りにした」と評した(夜話.zip編『エロマンガベスト100』45頁)。
    196. ^ 猟奇漫画家を自称しており、性表現のみならず四肢切断やカニバリズムなど猟奇的な題材を主眼とした暴力性・加虐性にあふれたスプラッターな作風で知られる。女子高生コンクリート詰め殺人事件など実際に起きた事件をモチーフにした『真・現代猟奇伝』は物議を醸した。
    197. ^ 「昔、鬼畜ブームという妙な潮流に巻き込まれ、編集部主導で妙な抜けないエロ漫画を描いたりしましたが、ブームが去り梯子を外されると描く場所がなくなったり、一般誌でも連載決定した漫画の約束を反故にされたりと、2回位干されているので、流行というものには懐疑的です。予定は未定なのです」玉置勉強のツイート 2020年7月4日
    198. ^ エログロナンセンスシュール不条理ブラックユーモアなどを得意とする奇想漫画家で、海外での評価も高い。
    199. ^ 米沢嘉博「ニッポン変態マンガ考」『危ない1号』第2巻、86頁、データハウス。
    200. ^ 日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』出身の漫画家・同人作家。エロマンガ界における「ぷにロリ」の元祖的存在。鬼畜系の代表作に手塚治虫調の可愛らしい絵柄で三流劇画的なセックスバイオレンスを表現した『遊裸戯』シリーズ(SYSTEM GZZY/茜新社刊)がある。
    201. ^ 1970年代から80年代にかけて『風俗奇譚』ほか複数のSM雑誌に緊縛折檻をテーマにしたイラストを発表していた女性絵師。
    202. ^ 1980年代に活動したスプラッタ系の美少女漫画家
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    205. ^ 米沢嘉博「ニッポン変態マンガ考」『危ない1号』第2巻、82頁、データハウス。
    206. ^ 男性器を女性器に挿入する際の不思議な擬音「メコリメコリ」や女性器に長い針を突き刺す「ニードリングプレイ」など、あまりに特殊な性描写で知られた漫画家。
    207. ^ 女子小学生、人妻、女教師の調教もので知られた漫画家。
    208. ^ 強引にSM展開持ち込む御都合主義的なストーリー展開と癖の強い絵柄で知られた。2020年1月逝去。
    209. ^ 元漫画家兼元塾講師。ロリコンの不純さ・醜悪さを直視した児童虐待ものが多く、幼女にトラウマを植え付けるようなリアリズム作品が中心である。またロリコン漫画の理論武装担当を自認し、マニュアル的な調教開発講座をはじめ、並行してロリコン論も執筆している。単行本に『小さな玩具―子供たちは狙われている―』『アニマル・ファーム―新世紀鳥獣戯画』など。漫画評論家伊藤剛は『小さな玩具』の書評で「鎌やんは、『自分が幼女を愛好していること』について繰り返し言及する。現実の幼女ヘの性行為には、暴力が伴い、幼女の人格は深く傷つく。そのことを十分に知っているからこそ、鎌やんは内省し、苦悩し続ける。この誠実さには、僕は素直に声援を送りたい。この先には『自分の性的な嗜好を漫画という形で表現すること』への内省と言及が待っているのだから。鎌やん自身の『(異常性愛という)極めて個人的な問題は、正しく突き詰めればいずれ普遍に辿り着くものと考えられる』という言葉は、あまりにも正しくシビアな認識だ」として「これが『自覚的な』エッチ漫画にとって、唯一の出口だと思う」と評した(コアマガジン『コミック・ジャンキーズ』Vol.3、1998年1月、35頁)。
    210. ^ 少女を主人公とした、厭世観・無常観・失望感の漂う、空虚でリアリズムな作風の成人向け漫画が多い。
    211. ^ 広告媒体では「陵辱の帝王」と冠されるほど、作品の内容は女性への陵辱のみに徹しており、年齢層を問わずあらゆる女性が社会復帰不可能なほど精神的肉体的に破壊・陵辱される話が多い。
    212. ^ 孤児の少女が引き取られた親戚の伯父に性的虐待を受ける『コロちゃん』という鬼畜系漫画がネット上で話題となり、作中に登場する台詞「家族が増えるよ!!」「やったねたえちゃん!インターネットスラングとして定着するなど作品の代名詞となった。
    213. ^ わらしなママ特集! - DLチャンネル 2020年5月12日
    214. ^ 異物挿入などハードなSMプレイの描写が多いが、非現実的な領域まで達してしまっている物がほとんどであり、ファンタジーもしくはギャグとも称される。
    215. ^ 人間を食肉として正確に調理する描写を得意とする漫画家。作品集に『カニバリズム!』(ジーウォーク)がある。
    216. ^ 単行本発売記念インタビュー!! 第3回「乳欲児姦と目高健一先生」 - ウェイバックマシン(2006年10月4日アーカイブ分)
    217. ^ Comicアンスリウム』で鬼畜系と純愛系の作品を数作発表後、成人漫画界から引退した。後に別名義で一般向け漫画に転向する。
    218. ^ タイラアガアデン - ウェイバックマシン(2009年2月7日アーカイブ分)
    219. ^ 主に『COMIC LO』で活動している鬼畜系漫画家。女子小学生に対するハード系プレイが多い。単行本に『メスに生まれたお前が悪い!!』『おとなのおもちゃの使い方』『君はおじさんとセックスするために生まれてきたんだよ』(ともに茜新社)など。同人作家としてプリキュアシリーズキメセク同人誌も多数出版している。
    220. ^ NTR、凌辱、催眠、睡姦などの要素を含む作品が多い。
    221. ^ 女子中学生を拉致監禁催眠調教性教育)する作品をコミックマーケットで多数発表している同人作家
    222. ^ 『COMIC LO』で活動するロリ系漫画家。児童向け少女漫画調のポップな絵柄だが、内容としては情念深いロリコン犯罪者が歪んだ性欲や劣情をひたすら女子小学生に向けて発散する鬼畜系作品が多い。
    223. ^ 「小さくて、かわいくて、丸々とした小さな女の子。そこに情欲・凌辱の限りを叩きつける描写に脳がクラクラするような感覚さえ覚えるのが、鬼才・みんなだいすきの漫画です。ほのぼのとした漫画も収録されていますが、メインとなるのは凌辱・強姦、しかも強烈な描写の漫画ばかり。まだあどけなさの残る小さな女の子に向けられる一方的な野獣性は並みの凌辱漫画ではありません。どうかご注意を。しかしながら、ロリコンの心情を痛いほどに描写してくる表現力の高さこそが、鬼才と呼ばれる所以です」みんなだいすき『時間が止まればいいのに』(茜新社DIGITALプレミアム)作品解説より
    224. ^ アンソロジー『激しくて変』シリーズ
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    関連項目[編集]

    外部リンク[編集]