小島慶子

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こじま けいこ
小島 慶子
プロフィール
出身地 オーストラリアの旗 オーストラリア
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1972年7月27日(41歳)
血液型 B(Rh+)
最終学歴 学習院大学法学部政治学科
所属事務所 オスカープロモーション
職歴 TBSアナウンサー(1995年4月 - 2010年6月)
キャスト・プラス(2010年7月 - 2013年7月)
活動期間 1995年 -
ジャンル 報道・情報
配偶者 あり
家族 夫と2児
公式サイト 小島慶子 オフィシャルブログ&プロフィール
出演番組・活動
現在 ゴロウ・デラックス
ハートネットTV
『日経プラス10』
ノンストップ
『ザ・インタビュー』
ストライクTV
オールナイトニッポンGOLD

小島 慶子(こじま けいこ、1972年7月27日 - )は、タレントエッセイスト[1]ラジオパーソナリティ。元TBSアナウンサー。

経歴

オーストラリアで出生したのち、父親の仕事の都合で、7歳のころはシンガポールに、8歳から9歳のころは中国返還前の香港と日本国外で暮らす。のち日本に帰国、日野市立三沢台小学校、学習院女子中等科・高等科を経て学習院大学法学部政治学科卒業後TBS入社。

身長は172cmと女性アナウンサーとしては高いことから、後輩の小倉弘子とともに「TBSのツインタワー」といわれることがあった[2]

新人のころ、写真週刊誌『FLASH』(光文社刊、1995年10月10日号)のインタビューで「若いうちはバラエティーに、将来は報道を担当したい」と語っていた。入社3年目(1997年11月)のときに番組宣伝がきっかけで『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターになった。

入社4年目(1998年)の秋、ラジオ番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』の初代ナビゲーターになった。1999年に第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティー部門賞を受賞している。

最初の産休が明けた後、『ニュースフロント』、『時事放談』と主に報道番組を担当する。2度目の産休が明けた後の2006年10月に、ラジオのレギュラー番組『久米宏 ラジオなんですけど』が始まる。

2009年3月末より『小島慶子 キラ☆キラ』のメインパーソナリティーに就く。

2010年4月3日にTBSを退社。10年前から独立を意識しており、幅広い分野で自らの可能性を追いたいと周囲に述べていたという[3][4]。4月28日の自身の番組内でこの報道を認めて、6月30日をもって退社する旨を告げた。退社後はキャスト・プラスに所属する[5]。なお、キャスト・プラスもTBSの関連会社である。

2013年8月1日付をもって、キャスト・プラスからオスカープロモーションに移籍。

人物

趣味はきもの、乗馬、ピラティス

学習院女子中・高等科在学中は、21時以降はテレビ厳禁にされていたということから、『三宅裕司のヤングパラダイス』、オールナイトニッポン一部・二部を録音して通学中に聴いていたほどのヘビーリスナーであり、それがラジオパーソナリティとしての原点となる。『伊集院光のオールナイトニッポン』を第1回放送時から聴いていたことがあり、そのことから伊集院光と初めて一緒に仕事した時には感激したという[6]。そして2013年4月から『小島慶子のオールナイトニッポンGOLD』のパーソナリティとして、自分がよく聴いていたオールナイトニッポンのパーソナリティの一人になれたことについて「凄く光栄です」と話した[7]

38歳で水着グラビアに挑戦(2010年10月4日発売分などの『週刊プレイボーイ』)。水着姿披露については、子供と一緒にプールや海へ行く時に着ているので特に抵抗はなかったという(2010年12月下旬発売の『週プレ』にて、小島と同じく異業種から水着グラビアに挑戦した森崎友紀との対談より)。

『キラ☆キラ』月曜レギュラーのビビる大木プロレスの事を語った際、同姓であるプロレスラー小島聡に興味を示し、以後ファンになった[8]

出演番組

テレビ

ラジオ

アナウンサー時代の出演番組

テレビ

ラジオ

CM

著書

単行本

雑誌連載

  • Kiss講談社)『小島慶子の絶対☆女子』
  • DRESSgift)『わたしの神様』
  • VERY光文社)『コ・ジ・マ・メ・セ・ンのもしかしてVERY失格!?』

写真集

脚注

外部リンク

先代:
-
TBS
時事放談 (リメーク版)
アシスタント
初代(2004.4 - 2010.6)
次代:
竹内香苗
(2010.7 -)