上柳昌彦

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うえやなぎ まさひこ
上柳 昌彦
プロフィール
本名 上柳 昌彦
愛称 うえちゃん
出身地 日本の旗 日本 大阪府四條畷市
生年月日 (1957-08-01) 1957年8月1日(60歳)
血液型 B型
最終学歴 立教大学法学部卒業
勤務局 ニッポン放送
部署 制作部アナウンサールーム
活動期間 1981年 -
ジャンル 報道・情報系
配偶者 あり
出演番組・活動
現在 上柳昌彦 あさぼらけ
過去 #過去の出演番組を参照
備考
1997年1月から2007年9月までのマイクネームは「うえやなぎ まさひこ」。

上柳 昌彦(うえやなぎ まさひこ、本名:同じ、1957年8月1日 - )は、フリーアナウンサーで元ニッポン放送アナウンサー。愛称は「うえちゃん」。防災パーソナリティ(同局における地震情報のアナウンス担当)指定を受けた一人。

プロフィール[編集]

大阪府四條畷市の出身。父親が転勤族であったため少年期は転居を繰り返し、群馬県高崎市(1歳時)→兵庫県高砂市(幼稚園時)→金沢市(小学2年)→高砂市(小2)→横浜市神奈川区(小4)→東京都神奈川県小田原市(中学1年)→東京(中2)→鎌倉市と転々とした後、東京都に定住した。東京都立新宿高等学校を経て立教大学法学部卒業後、1981年にニッポン放送に入社した[1][2]

若手時代は主に深夜枠の番組を担当。『オールナイトニッポン』(月曜2部)を経て、アマチュアバンドブームの中『HITACHI FAN! FUN! TODAY』『ぽっぷん王国』などの音楽系番組のパーソナリティを歴任し「うえちゃん」の愛称で親しまれる様になる。1987年にスタートしたヤマハ主催の10代限定の音楽の祭典『ティーンズミュージックフェスティバル』の司会も担当していた。上柳自身、元々音楽には造詣が深く、若手時代から現在に至るまで親交を深めているミュージシャン・芸能人は数多い。また自らとスタッフで結成したバンドの歌声をラジオで披露することもあった[1]

1986年の数か月間、ラジオ局のアナウンサーでありながら、同じフジサンケイグループであるフジテレビ系のテレビ番組『夕やけニャンニャン』(水曜日)でMCを務めていた経験がある。なお同番組には同時期、文化放送からフリーに転身したばかりの吉田照美もMCとして出演していた(月曜日ほか)。フジテレビではこの他深夜番組『録影館』で、当時フジテレビの新人アナウンサーだった中井美穂とMCを務めている。ある回では、上柳と中井がCG合成の温泉混浴するという一幕もあった[1]

その後、深夜枠を外れ、1990年代からは日中の時間帯の番組を担当。また1993年の自民党55年体制崩壊時には国会担当記者、選挙特別番組のキャスターなども務めるなど報道畑でも研鑽を重ねた。

1994年のオフシーズンナイター枠で『上柳昌彦の花の係長 ヨッ!お疲れさん』がスタート。帰宅途中の中堅サラリーマンを対象とする実験的な番組で、上柳が得意とするトークと音楽を主体にしながら、ニュースやスポーツなどの情報系コンテンツとを組み合わせたスタイルであった。当初は苦戦するも、明確にターゲットを打ち出して次第に支持を集め、翌年からもオフシーズン番組として続行となる。3年目の『うえちゃんのホッとラジオ ヨッ!お疲れさん』で遂に同時間帯聴取率トップの座を獲得する。これは同局のオフシーズンナイター枠番組としては画期的な出来事であった。上柳は1997年オフ(1998年春)まで『ヨッ!お疲れさん』のパーソナリティを務め、翌1998年オフからはパーソナリティが松本秀夫に交代。その後タイトルは毎年変更しながらも、番組の基本的なスタイルは2009年オフの『ショウアップナイターバッテリー』に至るまで引き継がれ続けている。

1997年1月から2007年9月までは、マイクネームを平仮名の「うえやなぎ まさひこ」としていた。一時期ひらがな表記にしていたのは、「上柳」を「かみやなぎ」と誤読されるケースがしばしば発生するなどしたことからである。1996年の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』で司会を務めたSMAP中居正広から中継先の上柳に向かって「かみやなぎさ〜ん!」「うえすぎさ〜ん!」と呼びかけられたことが平仮名表記にした決定打となり、1997年1月のうえちゃんのほっとラジオ ヨッ!お疲れさんから、新聞のラジオ欄には平仮名で表記されるようになった(ただし報道関連番組では本名表記を使用)。2007年10月1日、報道番組である「上柳昌彦のお早うGoodDay!」開始を機に本名に戻した。

1998年春、テリー伊藤がパーソナリティを務める午後の生ワイド番組『のってけテリー!渚の青春花吹雪』のテコ入れ策として白羽の矢が立ち、テリーとのコンビによる『テリーとうえちゃんのってけラジオ』が3月30日にスタートした。当時の昼間時間帯の番組としては珍しい、男性コンビによるワイド番組。「得意先回りの営業マンが、営業車で、缶コーヒー片手に聞くラジオ」をコンセプトに、苦戦しつつも人気投稿コーナーを企画するなど序々に固定リスナーを確保。テリー発案の企画「ジャイアンツ優勝ちょうちん行列」時に同時間帯聴取率トップの座を奪取するなどし、結局上柳は2002年9月27日まで4年半の間、パーソナリティを務め上げた。

『のってけラジオ』降板後の上柳に、更なる課題が課された。当時ニッポン放送は、かつて平日午前帯の生ワイド枠で人気を博した長寿番組『玉置宏の笑顔でこんにちは』が終了して以降、主なリスナー層だった高齢者層の他局への流出が大きく響き、加藤茶山田邦子といったタレント起用による新規リスナー層の開拓も不発に終わるなど聴取率改善策に長らく苦慮しており、そのテコ入れ策として上柳にこの枠が託されたのである。

こうして『山田邦子ワンダフルモーニング』の後を受け、同年9月30日うえやなぎまさひこのサプライズ!』がスタート。上柳が深夜放送時代に長らく経験してきた、男一人だけのワンマンパーソナリティ形式の番組は、朝ワイドとしては異色の存在だったが、固定リスナーを得るなど聴取率も安定した。特に、全国各地の心温まるエピソードを取り上げる「10時のちょっといい話」のコーナーから生まれた書籍「涙があふれて心が温かくなる話」シリーズは、第1弾『車いすのパティシエ』が約10万部のベストセラーとなったのに始まり[3]、その後も『母ちゃんダンプ』『80点コロッケ』がベストセラーとなるなど話題を呼んだ[4]。だが一方で2005年以降、番組内容のマンネリ化が顕著となって聴取率は横ばいをたどり始めた。

そこで番組では2006年から、金曜日のみ番組構成を変更して「フライデースペシャル」としたり、同局アナウンサーの新保友映が担当する中継コーナーを設けたり、上柳がかつて『オールナイトニッポン』時代に演じたエロティックなキャラクター「うなぎまさこ」を登場させるなど思い切ったリニューアル策を図った[5]。結局『サプライズ!』は2007年9月28日をもって終了した。

上柳が代わってパーソナリティを任されたのは、平日朝のニュース・情報ワイド枠。同年10月1日上柳昌彦のお早うGoodDay!』がスタートした。報道番組の経験こそあるものの、専らトーク主体の番組を中心に担当してきた上柳。それだけに番組開始当初は試行錯誤の連続だったが、自らのスタイルを徐々に構築していった。『サプライズ!』の人気コーナー「10時のちょっといい話」も「8時のGood Story」として引き継がれた。また2008年10月4日から2009年3月28日まで、ナイターオフ期間の番組『上柳昌彦 土曜日のうなぎ』を担当。“街歩き”を主体にした番組で、上柳が土曜日の夜の街をぶらりと歩きながら、街の人々や風景とふれあいを広げてゆく様子を生中継で伝える独特のスタイルが一部で話題を呼んだ。

この間、2004年5月、『うえやなぎまさひこのサプライズ!』の功績が認められ第41回ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞を受賞した[6]

2010年6月25日を以って『お早うGoodDay!』は終了。代わって6月28日から、平日午後のワイド枠『上柳昌彦 ごごばん!』のパーソナリティを務めた。のちに『ごごばん!』は金曜に縮小となり、その傍らでショウアップナイター日曜日のスタジオ担当やナイターオフ期の『今夜もオトパラ!』を担当。
2015年4月3日からは『ごごばん!』後継ぎ番組である『金曜ブラボー。』を、2016年3月28日からは早朝番組である『上柳昌彦 あさぼらけ』を担当している。

前述の防災パーソナリティも務めており、『サプライズ!』時代には毎年9月1日の「防災の日」と1月17日の「防災とボランティアの日」の年2回放送される『ラジオ災害情報交差点』のパーソナリティリレーにニッポン放送担当として出演し、首都圏の各ラジオ局はもとより、NHKラジオ第1放送でも声を聴く事ができた。現在も担当番組やスポット枠の『防災ひとくちメモ』で災害対策や心がけ、緊急地震速報を聴いた際の対応方法などをレクチャーしている。2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)は、折しも『ごごばん!』放送中の午後2時46分頃に発生した。上柳らはスタジオで最大震度5強の地震を感じつつも、リスナーに対し落ち着いた口調で地震に対する対応策などを呼びかけていた[7]

1995年には渡辺美里の西武スタジアムライブ『She loves you 1995 Summer 10th Anniversary』(於西武ライオンズ球場、現西武ドーム)のナビゲーターを務めた。渡辺は上柳と親交が深いアーティストの一人であり、またニッポン放送が同ライブに協賛していたという縁もあって実現したものだが、この模様はWOWOWでも生放送された。また映画の出演経験もあり、サザンオールスターズ桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』の他、『サラリーマン専科』にも居酒屋のおやじ役として出演している。

2008年9月には、国際パフォーマンス学会第26回大会において、2008年度ベストパフォーマー賞を受賞した[8]

私生活では、二度の結婚経験がある。最初の妻と新婚旅行先のエジプトから帰国すると年号が変わっていて、成田空港で二人で顔を見合わせて唖然としたと語ったことがある[9]。現在の妻との間に2人の子供(2001年生まれの長女と2003年生まれの長男)がいる[10][11]

読書、音楽、映画などといった定番の趣味以外に、落語漫才、ラジオ聴取なども好む[12]高田文夫や、後述する笑福亭鶴瓶との親交はこの趣味によるところが大きい[13]。また古地図収集や博物館・美術館めぐりというマニアックな趣味も持っており、こうした趣味の話は一旦話し出したら止まらない。また『ヨッ!お疲れさん』のエンディングでは有楽町の街中へ飛び出し、付近を走行する東海道新幹線こだま707号」(三島行)の姿を、『サプライズ!』の生放送中はスタジオから見える寝台特急「富士」(東京行)の姿を、それぞれほぼ必ずと言っていい程描写していた。上柳は鉄道ファンを自認しているが、こうして列車の姿を放送上で伝えるのは各路線が定時で動いているかどうかを目安に、ダイヤの乱れが生じていないか確認する意味合いも含まれている。

番組内容などに合わせて話し方を使い分ける技術に長けている。『オールナイトニッポン』や『FAN! FUN! TODAY』などでは複数のキャラクターを巧妙に演じ分けるなど、終始お茶らけたハイテンションな口調で語っていた。反面『サプライズ!』『お早う!GoodDay』では、優しく語り掛けるようにストーリーを朗読する一面も見せている。また、その他の番組でも時間帯やリスナー層、コーナー内容などに合わせて話し方を微妙に使い分けている。この卓越した話術を買われ、特別番組のパーソナリティやナビゲーター、キャスターなどを務めたり、レギュラー番組に於いても何らかの緊急事態があった場合には代役パーソナリティを務めたりする機会が多く、且つ期待に十二分に応え得る技量を有することから「エヴリタイム・エヴリバディOKのうえちゃん」とも呼ばれる[1]

2017年8月31日を以ってニッポン放送を定年退職。9月よりグループ会社に籍を置きつつ、現在の番組は継続する[14]

就職・趣味[編集]

  • 高校時代、担任の先生から「お前、将来は何をやりたいんだ?」と問われて返答に窮していると、「何か、しゃべることを仕事にしろよ」と勧められた。「しゃべる仕事とは、どのような仕事ですか?」と聞き返すと、先生から「まあ、アナウンサーかな」という返事が返ってきたという[1]
  • 大学入学後、まず趣味の落語研究会の部室を覗いたが留守だったため放送研究会へ行き、そちらにそのまま入部した。もし落研に入っていたら少なくともアナウンサーにはならなかっただろう、とは本人の弁[1]
  • 大学時代、放送研究会に所属しながら、日本テレビの情報番組「タウン5」でリポーターを務めた経験がある。この時、番組の司会者だった福留功男(当時、日本テレビアナウンサー)に、アナウンサーになりたい旨を伝え、福留も支援すると約束したものの、結局日本テレビのアナウンサー試験は、2次試験のカメラテストで不合格となった(その際に共に試験を受けていたのが同局に入社し、GoodDay!でタッグを組んだ小倉淳である)。その後「のってけラジオ」に福留がゲストで登場した時に、当時の思い出を語った。
  • 大学時代からスネークマンショーの大ファンで[15]、『FAN! FUN! TODAY』ではスネークマンと自分の苗字をもじって「ウナギマン」と名乗ってラジオコントを演じたりもしていた[1]
  • 大の東京ヤクルトスワローズファンとしても知られる。スワローズの株主であるフジサンケイグループ傘下の社員だからというわけではなく、弱小期からの筋金入りのファンで、『オールナイトニッポン』では前週のヤクルトの戦績を振り返るのが恒例化していた。またニッポン放送解説者の田尾安志東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に決定した際にも、本人を目の前にヤクルトファンである旨を公言していた。
  • 近年では東京マラソンでの完走を目標にマラソンに挑戦している。2010年2月28日の第4回では5時間45分45秒で完走した。

笑福亭鶴瓶[編集]

  • 上柳は鶴瓶の20数年来のファンである。若手時代から、知人に頼んで鶴瓶がパーソナリティを務める関西ローカルのラジオ番組を録音してもらったり、東京では放映していない鶴瓶司会のバラエティ番組『突然ガバチョ!』(毎日放送系)を録画してもらっていたほどだった。特に『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』(ラジオ大阪)はリアルタイムで聴いていた程のコアなファン(いわゆる“ぬかる民”)で、番組でマスコミの関係者のリスナーがいないか否かを募ったところ、上柳は自ら律儀に番組宛てのはがきを投函し、電話出演したのをきっかけに鶴瓶と意気投合、それ以来親交を深めている[16]
  • 鶴瓶は上柳について「現在のラジオアナウンサーで最高の人材の一人。まだフリーになっていないことが奇跡」と話術を評価している。『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』のラジオ『スジナシ』の際はナレーターとして特に上柳を指名した。
  • 2004年に『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』で司会を務めていた鶴瓶が台本を無視して募金に出かけたきりスタジオに帰って来ず(鶴瓶から「お前、出来るよな?」と言われたらしい)、入れ替わり立ち替わりのアシスタントのうちの8時間を担当する予定だった上柳がフォロー、急遽全時間司会を代行した。この時、12月24日の「サプライズ!」から、24時間のミュージックソン、25日正午からの「ありがとうミュージックソン」、そして数時間休んだ後に25日夕方の「涙の電話リクエスト」まで約32時間。ほぼ休みなしで放送に出ずっぱりとなった。この影響でその後3年間、体調不良に悩まされたと『サプライズ!』内で上柳が冗談交じりに語り、それに対して鶴瓶は『日曜日のそれ』で上柳のアナウンサーとしての技量を褒め、ミュージックソンについては申し訳なかったと語った。
    その後、さらに翌日にはイベントの司会もあり、相当参ったという(2010年12月3日の上柳昌彦・山瀬まみ ごごばん!フライデースペシャルにて)。
  • 『サプライズ!』内のコーナー対談で、上柳の発案で鶴瓶と2人で立ち漫才形式で収録した。鶴瓶は「心底驚いた。面白いこと考えつくヤツやなー」と上柳を評価している。これが後にMBSラジオの「ヤンタン・立つラジオ」として生かされることとなった。なお、2007年5月29日の『サプライズ!』にて鶴瓶がゲストとして生出演した際にこれを再現している。
  • また上柳は、鶴瓶が主宰する落語会にも演者として起用された経験があり、2007年11月の落語会『鶴瓶のらくだ』(京都南座)では前半のトークとメインの劇中劇に出演した。上柳は「最初、鶴瓶さんから“手伝ってくれ”ってオファーがあった時には僕の番組で紹介したり、ナレーションをしたりするのかと思ったら“舞台に立ってくれ”と言われてびっくりした。舞台に日に2回出ながら大阪から(『お早うGoodDay!』を)放送するという凄い状況になっちゃったんです」と証言している。上柳は当時『お早うGoodDay!』が開始した直後で、不慣れな報道番組の進行に試行錯誤の日々を送っていたが、この『鶴瓶のらくだ』で何かと苦心したのがきっかけで「全部ばっちり準備して物事に臨むのは所詮無理だと悟ったら、その時に初めてフッと肩の力が抜けて、番組でもコメンテーターの方に素直に質問できるようになった。それから放送がちょっと変わったんじゃないかと思います」と振り返っている。
  • 笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』では、体調が悪い鶴瓶の負担を減らすため・たまたま通りがかったから・収録時にちょうど当直勤務だったからなどの理由で、たびたびゲストとして呼ばれている。

番組での出来事[編集]

オールナイトニッポン[編集]

  • 1983年12月29日の『谷山浩子のオールナイトニッポン』に登場。その日は、六本木から忘年会をオンエアしており、お酒を飲んで気分の良くなった上柳は、生放送中にもかかわらず「浩子さんには、おまんこ、無いんです」と発言。その番組内で上柳は、当時同番組ではがき整理のアルバイトをしていた(後に、上柳の妻となった)山崎えりこ(通称「うさぎちゃん」)と結婚式ごっこをさせられた[17]
  • 1983年4月から1986年3月まで『オールナイトニッポン』月曜2部を担当。この頃のエピソードは数多い。
    • 番組開始時には3時の時報と共に、上柳が自らボーカルを務めたオリジナルのジングルが流されていた。このジングルには「マサヒコ ウエヤナギ これでもアナウンサー」という一節があった。オープニングテーマはビートルズ『A Hard Day's Night』のカバーバージョン(アーティスト名不詳)。これは前述の『突然ガバチョ!』のオープニングテーマが『A Hard Day's Night』であったことに因んでおり、鶴瓶ファンの上柳なりのオマージュが込められていた。またタイトルコールは、開始当初は上柳が生で怒鳴っていたが、後年は相模湖ピクニックランドのリスナーイベントでファンと共に怒鳴ったものを使用していた。このタイトルコール収録の際、悪乗りしたリスナー1名がどさくさに紛れて「上柳昌彦のバカヤロー!!」と叫ぶハプニングがあったが、何とこれがOKテイクとなり、上柳が降板するまでこのタイトルコールが使用されていた。
    • エンディングテーマは当時の2部他曜日と同様『ビター・スウィート・サンバ』を使用していたが、演奏後に10秒間、エンディングの一言コーナーが設けられていた。この10秒間を利用して、上柳がその日の番組内容に沿ったボヤキや小言を絶叫していた。
    • ニッポン放送社員の担当曜日ということもあって、リスナーからは同局のアナウンサーに関するネタがしばしば寄せられていた。はがきを寄せたリスナーのペンネームが「くり万太郎、早く免許を取れ!!」だったことに大ウケした上柳は「あの人は気が短いから、教習中に教官と口喧嘩しそうなんだよなぁ」と話をさらに広げていた[18]
    • 1983年12月、オープンしたばかりの新宿ワシントンホテルのPRを兼ねて最上階のスイートルームを借り切り、生放送を敢行した。放送中に睡魔に襲われかかった上柳は「新宿ワシントンの近所に住んでいてこの放送を聴いてる人、部屋の明かりを点けたり消したりして!」と苦し紛れに告知したところ、周辺に住むリスナーが部屋の電灯を点滅させたり、暗い部屋から懐中電灯をくるくる回したりするなどして上柳の呼びかけに応じた。その家の数の多さに上柳は感激。後に「20年以上アナウンサーをやってきて、過去一番面白かった放送としては3本の指に入る」と振り返っている[2]
    • 漫画家弓月光からのはがきが届き、放送中に電話をつないだ所、弓月と上柳は卒業(卒園)した幼稚園小学校が同じだったことがわかり大いに盛り上がった。上柳が「自分を漫画に出して欲しい」と頼んだところ、後日発売された弓月の漫画『みんなあげちゃう』に「上柳産婦人科」の院長として実際に登場したということがあった[19]
    • 後に『サプライズ!』の人気コーナーとなった『うなぎまさこ先生の乙女の診療所』の原点も、このオールナイトニッポン2部である。うなぎは女性リスナーと電話で対談して下ネタ絡みの悩み相談に乗り、話の中に卑猥な文言が飛び出すと「ワァ〜オ♪」などと嬌声を上げていた。さらにリスナーに受話器を局部に当てるよう指示した上で「お〜い!!」とエコー付きで絶叫し、その音の反響の度合いで局部の具合を確かめるルーティンもあるなど、『サプライズ!』よりもかなり際どい内容であった。
    • 1984年から1985年にかけての一時期、片岡鶴太郎のものまねに傾倒した時期があり、番組内に鶴太郎の持ちネタをモチーフにしたコーナーを設けていた。
    • 1985年春、それまで本名を隠していたオールナイトニッポンのチーフアシスタントディレクター(当時)菅原のフルネームが「菅原長一郎」であることが判明。この「長一郎」という名前がいたくツボにはまった上柳は番組の後半約1時間にわたって、何かにつけては「長一郎」を連呼し続け、挙げ句にエンディングの一言コーナーでも「(この春、進学や就職で)東京に出て来て辛いことがあったら、長一郎という名前を思い出してほしい…。長一郎〜!!!」と絶叫した。
  • 月曜2部の枠であったこともあり、月曜1部の『中島みゆきのオールナイトニッポン』にまつわるエピソードも数多い。
    • 1984年6月、中島みゆきがコンサートツアー「明日を撃て!」の千秋楽公演のため沖縄県沖縄市に行くことになり、コンサート前日深夜の6月4日ラジオ沖縄から生放送を行うことになった。これを聞きつけた上柳は、どうしても沖縄に行きたいばかりに「僕も連れて行って下さい。何でも手伝います」と必死に嘆願し、「同行取材」の名目で沖縄遠征メンバーに潜り込むことに成功、放送当日はアシスタントディレクターとして番組制作の手伝いをし、録音したテープを東京にもってかえることになった。だが上柳は普段は全く無縁の仕事に四苦八苦し、テープ編集は不慣れな上に音出しのタイミングも悪く、スタッフの足を引っ張ってしまうことになった。上柳は後に「一緒に仕事をしていたラジオ沖縄の人は“なんだ、ニッポン放送っつっても大したこと無ぇなぁ”って思ってたんだろうなぁ」と述懐している。
    • 1985年3月11日、中島が風邪をこじらせて急遽番組を休むことになった。上柳は担当ディレクターの入江太乃士と2人で代打パーソナリティを務めた。当初、入江はオープニング部分だけ出演して中島の病欠について説明する予定だったが、上柳の勧めでそのまま2時間、男二人で下ネタなども織り交ぜつつ通常のコーナーを取り仕切った。番組中、入江宛てにリスナーから「イリエ オマエナンカ キライダ」と書かれた電報が届けられ[20]、入江が落ち込む一幕があった。また、あるリスナーからのはがきをきっかけに「自分が子供が作れる身体になったことに気付いたのはいつ?」という話題に発展し、上柳は「もしかしてそれは、オナニーをした時かな? 僕は夢精ってしないんですよ」とカミングアウト。これに入江も同意したことから、思わず「二人でもったいないことしてますねぇ」と揃って苦笑し合う一幕もあった。上柳はそのまま引き続き2部も担当。緊張から解き放たれたこともあってか、3時の時報明けは、断末魔の笑いを含んだ「バカ野郎!俺がやってやったよこの野郎!!」という半ば自暴自棄な第一声からスタート。自身が前週ハワイへ取材に出かけたことに因んで、1曲目には舟木一夫の『夢のハワイで盆踊り』を選曲した。そんな上柳宛てに届いたリスナーからの電報には「ウエチヤン 4ジカン ゴクロウサマデス」と書かれていた。しかし、4時間の長丁場に心身ともに疲れ果てた上柳はエンディングで「来週はみゆきさんが来てくれないと本当に困ります! 2週続けて4時間なんてできましぇん!!」と、当時ハマっていた鶴太郎のものまねで絶叫を繰り返していた。ところが翌3月18日の放送も中島が病欠したため、同日の1部のパーソナリティを構成作家の「ポチ」こと寺崎要と二人で務め、結局上柳は2週連続で1部・2部を通した長丁場を務め上げた。
    • 1985年8月12日夕刻、日本航空123便墜落事故が発生。ニッポン放送は臨時の報道体制を執った。同日深夜のオールナイト1部は録音によって放送される予定であったが、オープニングのトークは帰省ラッシュに関する話題であった。これを気にかけた中島が入江に電話を入れ、すぐに局内で検討を進めた結果、放送を取り止めることになった。代わって上柳がメーンキャスターとしてマイクの前に座り、午前1時から臨時報道番組を放送。担当記者と共に、刻々と伝えられる情報や各所からのリポートの取りまとめ、搭乗者名簿の読み上げなどを行った。さらにそのまま当時自身が担当していた月曜2部の時間帯まで、計4時間を務め上げた。
    • また普段の放送時にも、隣のスタジオで1部を終えたばかりの中島が上柳のもとへ飛び入りし、二人で数分間フリートークを繰り広げることもあった。こうして中島と上柳はオールナイトニッポン月曜を通して縁を深め、後に上柳が担当する『サプライズ!』内の帯コーナー『中島みゆき ほのぼのしちゃうのね』が誕生することとなる。
    • 早朝番組『あさぼらけ』を担当することになり、月に一度生放送を行う『中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ』(2013年4月放送開始)とも隣り合わせになることから、中島にドッキリを仕掛けられそうになったり、スタジオに呼び出されて天気原稿を読んだりするなどしている。
  • 1986年12月9日フライデー襲撃事件の影響で、その週の『ビートたけしのオールナイトニッポン』が中止になった際にも臨時でパーソナリティを務め、事件についてリスナーから電話やFAXで意見を募り、報道の自由や暴力について考えるという内容になった。
  • THE ALFEEも、上柳と公私にわたって親交が深いアーティストの一組である。1987年8月、静岡県清水市(現静岡市清水区日本平の「日本平ホテル」野外庭園"MUSIC LAND"で開催されたオールナイトコンサート「SUNSET-SUNRISE」ではオールナイトの1部・2部を通した特別番組が生中継で放送された。上柳はホテルの一室からライブの模様を、事前に収録したインタビューを交えてナビゲート。ライブの休憩時間にはメンバーも生出演し、上柳と4人で放送を行った。その後も現在に至るまで、THE ALFEEはニッポン放送の番組で上柳と共演するたびに「うえちゃん、まだフリーにならないの? 前からずっと『フリーになりたい、フリーになりたい』って言ってたのに・・・」などと上柳をいじり続けている。
  • 1989年1月9日深夜の昭和天皇崩御後の最初の『オールナイトニッポン』を、月曜2部の辻仁成と共に担当している。
  • 21世紀の現在もオールナイトニッポンではネタにされやすく、2011年12月13日miwaのオールナイトニッポンでは父親が息子を思う悲哀を読むネタコーナー、「息子シリーズ」の読みを特別に担当(事前収録)し、miwaをうならせた。また、スペシャルウィークなのにmiwaが好きなアシュトン・カッチャーをブッキングできなかった責任を取り担当の宗岡芳樹ディレクターが担当をおりるという(実際は異動)文を読み上げている。

その他の番組[編集]

  • 2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)発生時に番組を担当しており、有楽町のスタジオで震度5強が観測される中、リスナーへ警戒を呼び掛けた。この様子はYouTubeニコニコ動画などにアップされ、NHK伊藤健三日本テレビ豊田順子と共にその的確さと冷静さが高く評価されている。
  • 『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』でリポーターを務めていた頃、仮眠を取るために泊まったホテルでディレクターとラジオカーのドライバーの3人で酒盛りをした後、床に就いた。ところが、酔いが回ったせいもあって揃って寝坊してしまい、リポート担当の時間に間に合わなくなってしまった。結局2時間遅れで現場に到着したものの、周囲には「いやぁ〜判らなくって、ここ」と道に迷ったふりをしてやり過ごした(1997年の『ライオンのごきげんよう・ゴールデンウィークトリオフェア』において懺悔告白した。後述のバツイチもこの番組で告白していた)。
  • 玉置宏の笑顔でこんにちは』で中継リポーターを担当していた若手時代、ラジオカーで寝過ごしてしまいリポートコーナーに穴を開けたことがある。
  • 1986年、『HITACHI FAN! FUN! TODAY』にRUN D.M.C.がゲスト出演した際、彼らは収録予定時刻を大幅にオーバーしてニッポン放送入り。収録では上柳と共にパーソナリティを務めていた久保田利伸羽田一郎の3人はメンバーとラップセッションを行うことになっていたが、大遅刻でさんざん待たされた上、話す英語はブロークン・イングリッシュであるため通訳もままならないほどだった。業を煮やして立腹した3人は悪乗りして、怒気を込めつつ彼らへの愚痴やボヤキをラップに乗せたところ(無論日本語で)、日本語を理解できないメンバーからは「君たちはなかなかノリがいい」と、逆にいたく気に入られてしまった。また久保田の初ライブで、上柳はスタッフと組んだバンドで前座を務めたが、曲を演奏する際「1・2・3・4・5」と、間違って「5」までカウントしてしまったという。
  • 1995年1月17日兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)を受けて放送された報道特別番組でキャスターを務めた。翌1月18日『ヨッ!お疲れさん』の番組中、当時の中川和雄大阪府知事が「被災者は自炊をすればいいのに、その気がない」といった趣旨の失言をしたニュースが入った際、上柳は「被災地は今、水も電気も火も満足に使えない状況。死傷者も大勢出て心身ともに打ちひしがれている。しかも、本来なら手を差し伸べるべき立場の隣人(隣接府県)の首長だというのに、あまりにも心無い発言。こういう馬鹿な人が地方行政を担っていることが、本当に恥ずかしい」などと強く憤った。
  • 2006年10月3日から2007年3月27日の間、『サプライズ!』火曜日で「うなぎまさこ先生の乙女の診療所」が約20年ぶりに復活した。うなぎは主婦リスナーの下ネタ絡みの相談に乗り、卑猥な文言が出ると「ワァ〜オ♪」などと嬌声を上げていた。2007年2月19日には、官能的な作風で知られる作家渡辺淳一と“夢の共演”を果たしたが、終始「ワァ〜オ♪」と嬌声を上げまくるうなぎに、渡辺はただただ苦笑するばかりであった。なお、このうなぎまさこは、あくまでも上柳本人とは別人という設定になっていた。
  • 2007年9月28日の「サプライズ!」最終回で10月からの自身の番組名を発表した際、何故か『早起きGoodDay!』と言い間違えてしまった。さらに、言い直しの際には『上柳昌彦のばっちりモーニングワイド・ゴーゴーゴー』とわざとボケて、パートナーだった榊原郁恵の笑いを誘った。
  • 上柳が『お早うGoodDay!』を任されたのは50歳になった直後のことだった。上柳は社からの“朝のニュース・情報番組のパーソナリティ”というオファーに対して当初「何を考えているんですか」と拒絶しようとしたものの、結局受諾。その時の心境について「五十路の扉を開けた途端に運命が凄い大きな音を立てて変わっていっている感じがした」と話している。また番組草創期は試行錯誤が続き「僕は要領が悪いし学力も無い。でも、どうしても頭が良さそうに見せたいところがあるし、過去の著名なキャスターの方が乗り移ったような感覚もあった。だから最初は著名なコメンテーターの方と話す時にも、バカがばれないように無理して“ニュースキャスターでござい”っていうツラをしちゃっていた」と、その苦悩ぶりを振り返っている。だが開始1か月後、鶴瓶の落語会(前述)に出演したのをきっかけに発想を転換し「知らないことは(素直に)知らないと言っても決して恥じゃないし、任せるところは任せて懐に飛び込んでいくのもひとつの方法」と捉えたことで、これを境に力まず番組に臨めるようになったと話している。
  • 『お早うGoodDay!』放送中、部下で老け顔キャラが定着している飯田浩司を引き合いに出し「飯田アナが生まれた年に、僕はニッポン放送に入社したんです」と言うべきところを、間違って「飯田アナが入社した年に、僕はニッポン放送に入社したんです」と言ってしまった。もちろん即座に訂正したものの、その直後の『垣花正 あなたとハッピー!』ではパーソナリティの垣花正がそれをネタにして「そうじゃないかと思っていた」などと飯田をいじり、また飯田本人も「同期ってことはないでしょう」と困惑していた。

他局番組への出演[編集]

  • テレビ番組でニッポン放送からの中継がある際に映り込んでいることがある。フジテレビで『ラジオチャリティ・ミュージックソン』の告知を行う時にメインパーソナリティの横に映っているのが顕著であるが、他系列局では1986年9月15日放送の日本テレビ歌のトップテン』での例がある。この日出演予定の斉藤由貴はニッポン放送で『斉藤由貴 ネコの手も借りたい』の収録を行っていたため中継での出演となったが、当時同番組のディレクターとナレーションを務めていた上柳の姿が、副調整室の硝子越しに映り込んだ。この模様は2010年7月5日、CS放送の日テレプラスにおいてもそのまま再放送された。
  • 1988年12月21日に『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した経験がある。紹介者の小室哲哉TM NETWORKとして出演)の最初の結婚式の際、司会を上柳が務めたつながり。タモリとは後に『タモリの週刊ダイナマイク』で共演することになる。
  • 1989年3月31日深夜(正確な日付上は4月1日)には、当時上柳が担当していた『FAN! FUN! TODAY』『ぽっぷん王国』の裏番組であるTBSラジオSURF&SNOW』にゲスト出演を果たしている。これはこの日がエイプリルフールに当たることに加え、『SURF&SNOW』が月 - 金の帯番組なのに対し『FAN! FUN! TODAY』『ぽっぷん王国』は月 - 木の帯番組(ニッポン放送のみ[21])であったため、金曜日のこの日は上柳のスケジュールが空いていたという偶然も重なって実現した出来事だった。また、このことが『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)内のコーナー「秘密キッチの穴」で取り上げられ、17年後の2006年5月14日に放送されたその解決編では、上柳本人がゲストとして再びTBSラジオに生出演した。このような民放共同キャンペーン以外でのアナウンサーの他局出演は最近ではかなり珍しい。
  • 2006年7月24日文化放送社屋移転の際に放送された特別番組の際、同局アナウンサーの野村邦丸とリスナーによる「引越ご挨拶中継」に、ニッポン放送玄関前から出演。上柳は野村とリスナーを歓迎し、野村からは文化放送旧社屋のあった四谷名物の鯛焼きがプレゼントされた。
  • 上柳が『お早うGoodDay!』を担当し始めた2007年から2009年、毎年12月から1月にかけての年末年始には、ニッポン放送と文化放送が共同で実施している「ストップ! 飲酒運転キャンペーン」で、吉田照美と共にイメージキャラクターを務めている(現在、文化放送側は福井謙二にバトンタッチしている)。キャンペーン初日には『お早うGoodDay!』と『吉田照美 ソコダイジナトコ』の相互乗入れ放送を実施。また期間中、両局のスポット枠では2人が「安全運転で今日もGoodDay!」「ソコダイジナトコ!」などと語る啓発メッセージも放送されていた。なお同キャンペーンのキャラクターは2010年から、ニッポン放送側は垣花正、文化放送側は野村邦丸に交代している。
2014年度は、『今夜もオトパラ!』でコンビを組む松本秀夫アナとのダブル担当となった[22]
  • 2008年3月21日NHKラジオ第1放送で放送された『いまこそ!ラジオルネサンス』の14時台「ラジオのちから・かのうせい」では、NHKと在京中波民放3局の朝番組のアンカーマン・パーソナリティが共演した。NHKからは『ラジオビタミン』の村上信夫、TBSラジオからは『おはよう一直線』の生島ヒロシ、文化放送からは『くにまるワイド ごぜんさま〜』の野村邦丸が、そしてニッポン放送からは『お早うGoodDay!』の上柳が参加。4人は東京駅構内の会場でラジオの長所や特性、今後の可能性などについてトークバトルを繰り広げた。この中で上柳はラジオで話し続ける理由について「僕は基本的に、モテたいから喋っているんじゃないかと思っている。ルックスには自信がないし、勉強もスポーツもそう得意ではないし、他に何か取り得があるわけではない。『フリーになってもやっていける』と誘われたこともあるが、子供がまだ小さいし、家のローンも残っているし、家族を養っていかなきゃいけない。だから喋り続けるしかないんです」と語った。
  • 2012年10月7日MBSラジオが関西ローカルで放送した『おとなの駄菓子屋』で、在阪局制作の番組へ初めて出演。「店主」(パーソナリティ)の角淳一毎日放送出身のフリーアナウンサー)がプライベートで所有している音楽スタジオを宇崎竜童がアルバムのレコーディングで使用していたことが縁で、『ごごばん』向けの宇崎へのインタビュー企画とともに収録した。ちなみに、角と上柳は同じ四條畷市の出身で、この収録で初めて対面した。
  • 2014年3月30日、MBSラジオ『おとなの駄菓子屋』に再び出演。4日前に角が自著の宣伝も兼ねて『ごごばん!』にゲスト出演しており、放送終了後のスタジオを借用して収録された。

現在の出演番組[編集]

過去の出演ラジオ番組[編集]

過去の出演テレビ番組[編集]

出演映画[編集]

サラリーマン専科 単身赴任(1996年)

音声ガイド[編集]

など

CM[編集]

受賞[編集]

  • ギャラクシー賞
    • 第41回ギャラクシー賞 ラジオ部門DJパーソナリティ賞(「うえやなぎまさひこのサプライズ!」 2003年) - 放送批評懇談会
    • 第46回ギャラクシー賞 ラジオ部門最優秀賞(「上柳昌彦 土曜日のうなぎ(2008年12月6日放送)」 2009年) - 放送批評懇談会
  • 日本民間放送連盟賞
    • 第51回日本民間放送連盟賞 番組部門ラジオ生ワイド 優秀賞(「うえやなぎまさひこのサプライズ!」、2003年) - 日本民間放送連盟
    • 第55回日本民間放送連盟賞 番組部門ラジオ教養番組 優秀賞(「ラジオハートフルストーリー 車いすのパティシエ」〈「うえやなぎまさひこのサプライズ!」内のコーナー〉、2007年) - 日本民間放送連盟
    • 第57回日本民間放送連盟賞 番組部門ラジオ報道番組 (「ニッポン放送報道スペシャル 時効という名の壁〜未解決事件遺族の願い」、2009年) - 日本民間放送連盟
  • その他
    • 第48回消費者のためになった広告コンクール 銀賞(「文化放送・ニッポン放送共同企画 ストップ!飲酒運転キャンペーン(2007年度)」、2008年) - 日本アドバタイザーズ協会
    • 第26回国際パフォーマンス学会 ベストパフォーマー賞(2008年) -  パフォーマンス教育協会

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 月刊ラジオパラダイス 1987年8月号『上柳昌彦ロングインタビュー』(83-89ページ)
  2. ^ a b 月刊ラジオマガジン 1985年2月号『ざまみろ特集 徹底研究 小堀勝啓・上柳昌彦』(42-49ページ)
  3. ^ 扶桑社、10万部越えの人気書籍「車いすのパティシエ」をオーディオブック化”. hon.jp Daywatch (2007年5月25日). 2014年12月7日閲覧。
  4. ^ ニッポン放送「母ちゃんダンプ」感動作 コンビニでどうぞ”. 産経新聞 ENAK (2007年10月25日). 2014年12月7日閲覧。
  5. ^ 11月7日(火)”. 『うえやなぎまさひこのサプライズ!』番組公式サイト (2006年11月7日). 2014年12月7日閲覧。
  6. ^ 放送批評懇談会・第41回ギャラクシー賞受賞作品
  7. ^ 今思うこと・・・”. 『上柳昌彦 ごごばん!』番組公式サイト (2011年3月12日). 2014年12月7日閲覧。
  8. ^ 国際パフォーマンス学会 第26回大会「ありがとうのパフォーマンス」ベストパフォーマー賞贈呈式
  9. ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年3月号(68ページ)
  10. ^ 海釣り”. 『上柳昌彦 ごごばん!』番組公式サイト (2014年6月15日). 2014年12月7日閲覧。
  11. ^ 妖怪ウォッチ考”. 『上柳昌彦 ごごばん!』番組公式サイト (2014年10月29日). 2014年12月7日閲覧。
  12. ^ 「のはなしし」のこと”. 『上柳昌彦 ごごばん!』番組公式サイト (2014年10月29日). 2014年12月7日閲覧。
  13. ^ 笑福亭鶴瓶、「オダギリジョーに勝った」とご機嫌トークショー”. オリコン (2009年6月17日). 2014年12月7日閲覧。など
  14. ^ えっ!?どーいうこと?? - 上柳昌彦 あさぼらけおつかれさま - 上柳昌彦 あさぼらけ
  15. ^ 5月15日(火)今日のごごばんは・・・”. 『上柳昌彦 ごごばん!』番組公式サイト (2014年9月28日). 2014年11月27日閲覧。
  16. ^ なつかしラジオ大全(三才ブックス)162~164ページ「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」の記事より。
  17. ^ 月刊ラジオマガジン 1984年3月号 93ページ及び98ページ
  18. ^ 月刊ラジオマガジン 1984年9月号 166ページ
  19. ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年8月号特集『ニッポン放送35周年グラフィティ』36ページ
  20. ^ 当時ファクシミリは一般家庭にはまだ普及していなかったこともあり、リスナー用FAXは設けられていなかった。また当時は通常電報でも24時間配達されていたが、電文にはカタカナしか使用できなかった(ひらがなは1988年から、漢字は1994年から使用可能に)。
  21. ^ 両番組はニッポン放送のみ月 - 木曜の生放送で、ネット局では別途収録した録音版が月 - 金曜に放送されていた。詳細については両番組の項目を参照。
  22. ^ 文化放送サイドも前年度の福井に加え、同局の水谷加奈アナも担当に加わった。
  23. ^ 1996年12月までは『上ちゃんのホッとラジオ ヨッ!お疲れさん』として放送

外部リンク[編集]

現在未更新
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  • 上柳グッディ日記 - 「上柳昌彦のお早うGoodDay!」時代に更新。「ごごばん日記」に引き継ぐ