新青年 (日本)

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新青年(しんせいねん)は、日本で1920年に創刊され、1950年まで続いた日本雑誌。発行は博文館など。

1920年代から1930年代に流行したモダニズムの代表的な雑誌の一つでもあり、「都会的雑誌」として都市部のインテリ青年層の間で人気を博した。国内外の探偵小説を紹介し、また江戸川乱歩横溝正史を初めとする多くの探偵小説作家の活躍の場となって、日本の推理小説の歴史上、大きな役割を果たした。また牧逸馬夢野久作久生十蘭といった異端作家を生み出した。平均発行部数は3万部前後、多い時は5~6万部に達していたと言われている[1]

歴史[編集]

創刊[編集]

博文館では日露戦争後から発行していた『冒険世界』(『日露戦争写真画報』『写真画報』から改名)が大正になって時代に合わなくなったため、編集長となった森下雨村に今後の方針を任せ、森下らは若い層に向けた新雑誌の構想を立て、社主の意向で地方青年向きの内容で『新青年』という名前の雑誌として、1920年1月に創刊した。

編集方針として翻訳探偵小説に注目し、創刊号では青年向き読物の他に、編集局長長谷川天渓発案でオースティン・フリーマン「オシリスの眼」(保條龍緒訳)、雨村によるセクストン・ブレイクものの紹介を掲載、また探偵小説募集を行った。1921年1月号では翻訳6編、8月には増刊号「探偵小説傑作集」を発行し、モーリス・ルブラン「水晶の栓」、チェスタトン「青い十字架」、L.J.ビーストン「マイナスの夜光珠」などを掲載。1922年からはこの増刊は年2回発行された。また募集により、1921年に八重野潮路(西田政治)、横溝正史、22年に水谷準が入選する。西田、横溝、浅野玄府妹尾韶夫谷譲次らは翻訳も盛んに手がけ、小酒井不木も探偵小説の研究随筆、翻訳、創作を発表するようになる。

モダニズムの時代[編集]

探偵小説愛好家であった江戸川乱歩馬場孤蝶に創作作品「二銭銅貨」を送ったが読んでもらえなかったため、雨村に送り直して1923年に掲載され、怪奇幻想色の濃い後年の作風とは異なる論理性の高い探偵小説を続けて発表する。これに刺激を受けて、横溝、水谷の他に、角田喜久雄山下利三郎らが執筆、さらに新人として甲賀三郎大下宇陀児城昌幸渡辺温牧逸馬国枝史郎夢野久作などがデビューした。文壇作家では片岡鉄兵佐々木味津三平林たい子戸川貞雄林房雄佐藤春夫なども探偵小説を寄稿した。

翻訳では、ビーストン、コナン・ドイルバロネス・オルツィアガサ・クリスティメルヴィル・デイヴィスン・ポーストらの探偵小説、その他にジョンストン・マッカレーP・G・ウッドハウスオー・ヘンリーらのコントが人気を博した。

1925年から横溝が編集に加わり、当時のモダニズムを取り入れてユーモア小説を掲載するようになり、1927年3月号から編集長となって、この誌面を乱歩は「日本娯楽雑誌中の最も上級な新味のあるものになりきった」と評した[2]。乱歩が1928年10月号に書いた「陰獣」は、掲載号が売り切れて3刷まで発行するほどの人気となったが、探偵小説以外に重点を置く本誌からはその後遠ざかった。1928年10月号からは延原謙が3代目編集長となり、巻頭漫画がカラーとなり、またヴァン・ダインの紹介が始まって人気となった。この時期には、稲垣足穂海野十三浜尾四郎渡辺啓助なども掲載。葉山嘉樹村山知義らの左翼作家作品もあった。

1929年に水谷準が4代目編集長となる。野球好きだった水谷は学生野球の記事の掲載を始め、1930年には野球増刊を2回発行する。若者向けに、ファッション、新刊紹介、音楽時評、映画界噂話などのページも充実し、1931年には谷崎潤一郎『武州公秘話』の連載が話題となった。1932年には飛田穂洲「熱球三十年」、33年は徳川夢声「くらがり三十年」、獅子文六「西洋色豪伝」、井上吉次郎「スポーツ社会学」、矢部謙次郎「マイクロ十年」などを連載、創作読み切りとして小栗虫太郎「完全犯罪」掲載、34年は柳家金語楼「金語楼半代記」などを連載、創作で木々高太郎がデビューした。木々は1936年連載の「人生の阿呆」で直木賞を受賞する。また1930年以降では、井伏鱒二深尾須磨子宇野千代吉屋信子堀辰雄川端康成阿部知二岸田國士室生犀星などを掲載。清沢洌の創作「精神分析をされた女」は1929年掲載。新漫画派集団として、吉田貫三郎横山隆一樺島勝一竹中英太郎松野一夫らが1932年頃から活躍する。

戦時色の時代[編集]

日華事変が拡大するとその影響も受けるようになり、1936年に武藤貞一「これが戦争だ」、国際小説と銘打って泉谷彦「くの一葉子」「大海戦未来記」などを掲載、翌年は戦争実録ものを多く掲載し、増刊「輝く皇軍号」も発行。

1938年に上塚貞雄(乾信一郎)が5代目編集長となる。軍人による「陸海軍時局対談」の掲載、吉川英治「特色亜細亜」連載など、戦時色を強めていき、探偵小説は次第に減っていった。1939年には軍人による国際問題小説、海戦小説と銘打たれた作品が増えるが、水谷が編集長に返り咲いて戦争読物を削って小説を主とするようになり、特に一千円懸賞で入選した鳴山一平などの時代小説、横溝、城、久生十蘭の捕物帳などが増加、海野、大下は科学小説に向かった。他に小説では宇野信夫秘田余四郎や、山手樹一郎の時代小説、岡田誠三による戦争の悲惨さを描いた作品もあった。翻訳小説の増刊号も1940年が最後となり、1941年からは読物欄の名前もカタカナ名から漢字の名前に変え、小説や読物も軍人によるものが増える。1942年には用紙統制によって236ページとかつての半分となり、1944年には56ページにまで減る。1945年2月号まで発行し、3月号の見本が出来たところで印刷所の共同印刷が空襲で焼かれて発行ができなくなった。

戦後[編集]

1945年10月に32ページ70銭で復刊、2万部発行。編集長の横溝武夫が探偵小説嫌いなためもあり、現代小説、ユーモア小説主体で発行。山本周五郎が覆面で「寝ぼけ署長」などを掲載。

1948年に博文社は財閥解体の圧力や大橋進一社長の公職追放などで解散し、高森栄次が編集長となって、発行元は江古田書店文友館へと移る。1949年に横溝正史『八つ墓村』の連載が始まって探偵小説色を取り戻し、江戸川乱歩『探偵小説三十年』、次いで山田風太郎島田一男ら新人や、火野葦平林房雄船山馨の探偵小説も掲載されるが、探偵小説雑誌としては『宝石』『ロック』などの新雑誌が中心となっていて経営は改善されず、実売も1万部に満たず、1950年7月号で終刊となった。

復刻[編集]

本の友社より1990年-2003年にかけて合本復刻されている。

主な掲載作品[編集]

執筆者[編集]

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行


脚注・出典[編集]

  1. ^ 尾崎秀樹「『新青年』と松本清張」(『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録)参照。
  2. ^ 1927年3月号「三月号寸評」

関連書籍[編集]

  • 中島河太郎編『新青年傑作選』(全5巻)立風書房 1970年
  • 新青年研究会編『新青年読本』作品社 1988年

参考文献[編集]

  • 木本至『雑誌で読む戦後史』新潮社 1985年
  • 幻想文学』33号 幻想文学出版局 1992年(特集「日本幻想文学必携 美と幻妖の系譜」)
  • 鈴木貞美「三つの雑誌を繰りながら」(『昭和文学の風景』小学館 1999年)
  • 中島河太郎編『君らの魂を悪魔に売りつけよ 新青年傑作選』角川書店 2000年

外部リンク[編集]