水谷準

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1954年

水谷 準(みずたに じゅん、1904年3月5日 - 2001年3月20日)は日本小説家推理作家翻訳家編集者

人物[編集]

北海道函館市出身。本名は納谷三千男。旧制函館中学(現北海道函館中部高等学校)中退後、上京し早稲田高等学院に入学。在学中の1922年博文館の雑誌『新青年』の懸賞に応募した「好敵手」が1等に入選。早稲田大学文学部フランス文学科卒業。1929年延原謙に替わって『新青年』の編集長を務めた。1938年に編集長の役職を離れるが、1939年から1945年まで再び同誌編集長となった。

戦後、『新青年』編集長だったことを理由として公職追放を受け、このため博文館を退社する[1]1950年10月13日解除[2][3]

1952年に「ある決闘」で第5回探偵作家クラブ賞の短編賞を受賞。

戦後はゴルフ関係の著作を多数執筆。

横溝正史とは、新青年編集部以来の親友であり、1934年に彼の結核が悪化した際には友人代表として転地療養を勧めている。1977年毎日新聞社刊の横溝のエッセイ『真説金田一耕助』には、この前年来の横溝の日記が収録されているが(文庫版では削除)、空前のブームで多忙な中、水谷とは頻繁な行き来が記録されている。水谷夫人の病状が悪化していく時期であり、水谷が献身的に看病しながらも疲弊していく様子や、横溝が我がことのように心を痛め続ける様子が綴られている。

著作[編集]

  • 獣人の獄
  • エキストラお坊ちやま
  • 瓢庵先生捕物帖
  • 夜獣

訳書[編集]

編著[編集]

  • 横溝正史追憶集

脚注[編集]

  1. ^ 総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年2月25日429頁。NDLJP:1276156 追放理由は「博文館新青年主筆雑誌部長」。
  2. ^ “総理府公告 公職資格訴願審査結果公告第一号”. 官報 (号外116): p. 35. (1950年10月13日) 
  3. ^ 江戸川乱歩 『江戸川乱歩全集 第29巻 探偵小説四十年(下)』 光文社光文社文庫〉、2006年2月20日、381頁。ISBN 4-334-74023-5 

関連項目[編集]

  • 長谷川海太郎 - 作家で函館中学の先輩。退学しており、水谷同様に卒業生ではない。
  • 久生十蘭 - 同じく作家で函館中学の先輩。中退しており、水谷同様に卒業生ではない。
  • 長谷川潾二郎 - 長谷川海太郎の弟で画家。函館中学の同級生。水谷の依頼により、「地味井平造」の筆名で探偵小説を執筆した。