長谷川伸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
長谷川 伸
(はせがわ しん)
Shin Hasegawa.jpg
1931年頃
誕生 長谷川伸二郎
1884年3月15日
日本の旗 日本神奈川県横浜市日ノ出町
死没 1963年6月11日(満79歳没)
職業 小説家
劇作家
言語 日本語
活動期間 1914年 - 1963年
ジャンル 小説
主題 股旅物
代表作 関の弥太っぺ』(1930)
『瞼の母』(1936)
配偶者 まさえ、七保
子供 美津枝
Portal.svg ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

長谷川 伸(はせがわ しん、1884年明治17年)3月15日 - 1963年昭和38年)6月11日)は日本の小説家劇作家である。本名は長谷川 伸二郎(はせがわ しんじろう)。使用した筆名には他にも山野 芋作(やまの いもさく)と長谷川 芋生(はせがわ いもお)があり、またそのほか春風楼、浜の里人、漫々亭、冷々亭、冷々亭主人などを号している(筆名が多いのは新聞記者時代の副業ゆえ名を秘したためである)。

股旅物」というジャンルを開発したのはこの長谷川であり、作中できられる「仁義」は実家が没落して若い頃に人夫ぐらしをしていた際に覚えたものをモデルにしたという。

長谷川 伸の碑

略歴[編集]

神奈川県横浜市(日ノ出町)の土木業の家に生れる。実母は横浜市泉区の出身だが、夫の暴力・放蕩が原因で、伸が3歳のとき家を出る。後年『瞼の母』の主題となる母との再会を果たした。

実家が没落したため小学校3年生で中退して船渠勤め等に従事。品川の遊郭で出前持ちをするなど住み込みの走り使いや水撒き人足として働く間に、港に落ちている新聞のルビを読んでは漢字を覚えた。大工や石屋の見習いなどを経たあと、体より頭を使う仕事をしたいと、好きだった芝居の評を新聞社に投稿し、それが縁で1903年(明治36年)にその新聞社の雑用係として入社。その後、英字新聞ジャパン・ガゼットに移る。1905年(明治38年)に千葉県国府台の騎砲兵第一連隊に入営する。そのときの中隊長が、のちの陸軍大臣となる畑俊六大尉だった。

除隊後、横浜毎朝新報社に入社。たまたま警察回りの記者が辞めたため、事件・事故の記事担当となり、他社の記者が書いた記事を集めては真似をして記事の書き方を学ぶ[1]都新聞の劇評家・伊原青々園に手紙を書いたところ、まったく見ず知らずであったが、伊原の口ききで1911年(明治44年)から都新聞社の演芸欄を担当する記者となる。長谷川はしばしば劇評を演劇雑誌などに投稿しており、伊原はその名前を覚えていたという。出社の際に履いていく袴がなく、知人に借りうけるため、出社日を1日伸ばしてもらう。入社後、まわりの記者の知識に圧倒され、毎日辞めたいと考えていたが、それは彼らが東京の地理や事情に詳しいだけであると気づき、東京の地図を懐に忍ばせながら記者生活を送った。同時に猛烈に本を読み始める[2]

1914年大正3年)前後に講談倶楽部や都新聞に山野芋作の筆名で小説を発表しはじめ、1922年(大正11年)以降は菊地寛の助言を受け、長谷川伸として作品を発表するようになる。1925年(大正14年)には大衆文芸を振興する二十一日会の結成に尽力。このころ周囲で亡くなる人が相次ぎ、自らの体調も思わしくなく、以前易者に言われた死期に近付いていることなどから、もうすぐ死ぬのではないかという思いにかられ、「どうせ死ぬなら、生まれて初めて自分が自分の体に奉公しよう。ダメなら大道で天ぷら屋でも始めればいい」と考えて、1926年(大正15年)には都新聞社を退社、以後作家活動に専念した。困難の次には困難でないことが起こるということを苦しい生い立ちから学び、前途が乏しいときほど力で出る、と長谷川は語っている[3]

五反田で芸者屋を営んでいた妻・まさえが亡くなり、自殺を考えるほどのスランプから小説が書けなくなり、脚本を書き始める。いくつかが上演されたのち、沢田正二郎が演じた『掏摸(すり)の家』の好評をきっかけに、劇作家として徐々に話題を集め[4]、『沓掛時次郎』など、次々とヒット作を世に送り一時代を築く。1927年(昭和2年)、江戸川乱歩土師清二小酒井不木国枝史郎らと耽綺社を設立、また昭和8年には二十六日会を結成、大衆文芸や演劇の向上を目的とした活動においてもその名が知られるようになる。また主宰していた文学学校(勉強会)新鷹会の門下生には長谷川幸延村上元三山手樹一郎山岡荘八戸川幸夫平岩弓枝池波正太郎西村京太郎武田八洲満らが名を連ねた。

1934年(昭和8年)、たった一度だけ劇場の廊下で出会ったある夫婦の妻から手紙が届く。封を開ける前に「母親の居所がわかったのだ」という啓示があったという。手紙を読み終えると「熱海に行く」と妻・七保に言い残し、ひとり家を出る。誰もいない温泉に入り、湯から出ようと立ち上がったとき突然滂沱の涙があふれ、翌日まで部屋で呆然と過ごしたのち、帰京後、母と会うことを決心。牛込にある母親の再婚先を訪ね、再会を果たす。異父弟の三谷隆正(法学者)、三谷隆信(官僚)とも面談する[5]。この再会を朝日新聞の記者がすっぱ抜き、新聞紙上を賑わせた。

1963年(昭和38年)、満79歳で死去。1966年(昭和41年)には長谷川伸賞が設立された。もっとも影響を受けた弟子のひとり、池波正太郎は師・長谷川伸との思い出を多数のエッセイに書いており、池波が作家を志したときには、長谷川から「(作家は)男のやる仕事としては、かなりやり甲斐のある仕事だよ。もし、この道へ入って、このことを疑うものは、成功を条件としているからなんで、好きな仕事をして成功しないものならば男一代の仕事ではないということだったら、世の中にどんな仕事があるだろうか。こういうことなんだね。ま、いっしょに勉強しましょうよ」と激励されている[6]

主な作品[編集]

  • 『地獄絵巻』 春陽堂、1924年
  • 『どろんの道』 春陽堂、1925年
  • 『討たせてやらぬ敵討』 春陽堂、1925年
  • 『敵討鑓諸共』 春陽堂、1926年
  • 『戦国行状』 春陽堂、1926年
  • 『弱い奴強い奴』 至玄社、1926年
  • 『血白粉』 南宋書院、1927年
  • 『舶来巾着切』 春陽堂、1927年
  • 『善悪半代記』(『闇の巣』改題) 至玄社、1927年
  • 『日染月染』 平凡社、1929年
  • 『股旅草鞋』 平凡社、1929年
  • 中山七里』 舞台戯曲十月号、1929年
  • 関の弥太っぺ』 新潮社、1930
  • 『紅蝙蝠』 朝日新聞社、1931年、のち徳間文庫
  • 『戸並長八郎』 朝日新聞社、1931年、のち徳間文庫
  • 『源太時雨』 博文館、1931年
  • 『馬頭の銭』 大日本雄弁会講談社、1931年
  • 『刺青奇偶』 中央公論社、1932年
  • 『白鷺往来』 全線社書房、1932年
  • 『濡れ闇の男』 中央公論社、1932年
  • 『伊太八縞』 全線社書房、1932年
  • 『鼠小僧唄祭』 新小説社、1933年
  • 『喧嘩駕籠』 改造社、1933年
  • 『段七しぐれ』 新小説社、1933年
  • 『刺青判官』 改造社、1933年
  • 『角兵衛物語』 改造社、1933年
  • 『雪の渡り鳥』 春陽堂(日本小説文庫)、1933年
  • 『白夜低唱』 新小説社、1933年
  • 『伝法ざむらひ』 新小説社、1934年
  • 『母親人形』 新小説社、1934年
  • 『耳を掻きつゝ』 新小説社、1934年
  • 『直八こども旅』 新潮社(新潮文庫)、1934年
  • 『股旅新八景』正・続  新小説社、1935年、のち光文社文庫
  • 「大衆文学名作選」第2巻『沓掛時次郎』など  平凡社、1935年
  • 「昭和長篇小説全集」第8巻『道中女仁義』 新潮社、1935年
  • 「維新歴史小説全集」第6巻『寺田屋騒動』 改造社、1936年
  • 『藁人形の婿』 サイレン社、1936年
  • 瞼の母』 新小説社、1936年
  • 『人斬り伊太郎』 一誠社、1937年
  • 『股旅の跡』 書物展望社、1937年
  • 『長八郎絵巻』 新潮社、1939年
  • 『玄武館の人々』 史実小説』 交蘭社、1940年
  • 『一本刀武者修行』 大道書房、1941年
  • 『源太左衛門兄弟・夜渡り鳥』 非凡閣(新作大衆小説全集)、1941年
  • 『敵討八景』 春陽堂文庫、1941年
  • 『七尺六寸の男』 春陽堂文庫、1941年
  • 『上杉太平記』 新小説社、1941年、のち徳間文庫
  • 『二十九年目の仇撃』 大道書房、1942年
  • 『佐幕派史談』 大道書房、1942年、のち中公文庫
  • 『浜田弥兵衛』 天佑書房、1942年
  • 『居留地』 白林書房、1943年
  • 『相楽総三とその同志』(『江戸幕末志』改題) 新小説社、1943年、のち中公文庫。講談社学術文庫
  • 『国姓爺』「芝虎の巻」 大道書房、1943年、のち徳間文庫
  • 『背中の女』 桜書房、1947年
  • 『国定忠次』 江戸書院、1947年
  • 『素材雑載』 静書房、1947年
  • 『足尾九兵衛の懺悔』(『狼九五郎』『狼』改題) 新小説社、1947年
  • 『鼠小僧唄祭』 中川書店、1948年
  • 『甲斐の角兵衛』 東書房、1948年
  • 『ランプ虎』 新小説社、1948年
  • 『飛び吉道中』 森下書房、1948年
  • 『振分け小平』 矢貴書店、1948年
  • 『切られ与三郎』 紫書房、1948年
  • 『定九郎仲蔵』 南有書房、1948年
  • 『提灯と女』 新橋文庫、1948年
  • 『明治の探偵』 中川書店、1948年
  • 『八丈つむじ風』 湊書房、1949年
  • 『荒木又右衛門』 河出書房、1951年、のち徳間文庫。講談社文庫。人物文庫
  • 『源太とぴん介』 新小説社(新小説文庫)、1951年
  • 『捕物・おかめの面』 新小説社(新小説文庫)、1951年
  • 『旗本くづれ』 湊書房、1951年
  • 『ある市井の徒』 朝日新聞社、1951年、のち中公文庫
  • 『殴られた石松』 同光社(大衆文学名作選)、1951年、のち徳間文庫
  • 『ちんば股旅』 同光社磯部書房、1952年
  • 『ふるさと鴉』 同光社磯部書房、1952年
  • 『七つの捕り物』 東方社、1952年
  • 『よこはま白話』 北辰堂、1954年
  • 『稲葉小僧新介』 同光社、1954年
  • 『浪人祭』 同光社、1954年
  • 『狼九五郎』 光の友社、1954年
  • 『眼の中の女』 同光社(大衆小説名作選)、1955年
  • 『蹴手繰り音頭』 同光社、1955年
  • 『日本捕虜志』 新小説社、1955年、のち中公文庫
  • 『なりひら鬼』 同光社(長篇時代小説全集)、1955年
  • 『まむしのお政』 桃源社(新撰大衆小説全集)、1955年
  • 『四条河原の荒木又右衛門』 宝文館(ラジオ・ドラマ新書)、1955年
  • 『自伝随筆』 宝文館、1956年
  • 『素材素話』 青蛙房、1956年
  • 『戦国行状』 同光社(大衆小説名作選)、1956年
  • 『生きている小説』 光文社、1958年、のち中公文庫
  • 『江戸と上総の男』 光風社、1960年
  • 『印度洋の常陸丸』 新小説社、1962年、のち中公文庫
  • 『日本敵討ち異相』 中央公論社、1963年、のち中公文庫
  • 『我が「足許提灯」の記』 時事通信社、1963年
  • 『石瓦混肴』 新小説社、1964年、のち中公文庫
  • 『私眼抄』 人物往来社、1967年
  • 『越後獅子祭』
  • 『四斗谷平次』
  • 『堀の小伝』
  • 『三代目扇歌と女』
  • 『横浜租界』(『代表作時代小説』東京文芸社に所収)
  • 『相馬大作と津軽頼母』 時事通信社、1975年、のち徳間文庫
  • 『夜もすがら検校』 旺文社文庫、1976年
  • 『狼  足尾九兵衛の懺悔』 旺文社文庫、1977年
  • 『ある市井の徒・新コ半代記』 旺文社文庫、1978年
  • 『瞼の母・沓掛時次郎』 ちくま文庫 1994年

作品集[編集]

  • 『長谷川伸戯曲集』全4巻 新小説社、1935
  • 『長谷川伸集』 アトリヱ社(現代日本小説全集)、1937年
    • 『天明旗本傘』ほか
  • 『長谷川伸代表作選集』全10巻 同光社磯部書房、1952−54年
  • 『長谷川伸集』河出書房(大衆文学代表作全集 第17巻)、1955年 
  • 『長谷川伸戯曲集』上下巻 新小説社、1960年。限定版
  • 『長谷川伸全集』全16巻 朝日新聞社、1971–72年
  • 『長谷川伸集』筑摩書房 (昭和国民文学全集5)、1974年
    • 『荒木又右衛門・まむしのお政』
  • 『長谷川伸傑作選』全3巻 国書刊行会、2008年
    • 『瞼の母』ほか戯曲全七篇
    • 『股旅新八景』ほか短編全九篇
    • 『日本敵討ち異相』ほか史伝

関連書籍[編集]

  • 佐藤忠男『長谷川伸論-義理人情とはなにか』 岩波現代文庫、2004年。中公文庫でも刊
  • 池波正太郎『男のリズム』 角川文庫、2006年
  • 山折哲雄『義理と人情 〜長谷川伸と日本人のこころ〜』新潮選書、2011年
  • 平岡正明『長谷川伸はこう読め! メリケン波止場の沓掛時次郎』 彩流社、 2011年

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 1960年8月1日NHK第2放送「私の自叙伝」にて本人談
  2. ^ 1960年8月1日NHK第2放送「私の自叙伝」にて本人談
  3. ^ 1960年8月1日NHK第2放送「私の自叙伝」にて本人談
  4. ^ 1960年8月1日NHK第2放送「私の自叙伝」にて本人談
  5. ^ 1960年8月1日NHK第2放送「私の自叙伝」にて本人談
  6. ^ 池波正太郎、エッセイ「長谷川伸」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]