平林初之輔

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平林 初之輔
ひらばやし はつのすけ
誕生 1892年11月8日
京都府竹野郡深田村字黒部(現在の京丹後市弥栄町黒部)
死没 (1931-06-15) 1931年6月15日(38歳没)
最終学歴 早稲田大学文学部英文科
ジャンル 文芸評論家推理作家翻訳家
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平林 初之輔(ひらばやし はつのすけ、1892年11月8日 - 1931年6月15日)は、日本文芸評論家推理作家翻訳家プロレタリア文学運動の理論家として知られる。

経歴[編集]

京都府竹野郡深田村字黒部(後の竹野郡弥栄町黒部、現在の京丹後市弥栄町黒部)に生まれる。1917年9月、早稲田大学文学部英文科に入学、片上伸吉江喬松らに親しんだ。また、アテネ・フランセフランス語を学ぶ。早稲田大学卒業後、やまと新聞に入社、同紙の文芸時評欄を担当するとともに、ヴィクトル・ユゴーなどフランス文学の小説を翻訳して掲載する。1920年、労働争議を契機に同新聞を退社、この前後に、青野季吉市川正一と知り合い交際が始まり、ともに国際通信社に就職する。平林は、外電の翻訳に従事し、社会主義マルクス主義に関心を持ち研究をすすめる。このころ創刊された雑誌『種蒔く人』に関係し、当時勃興しはじめたプロレタリア文学を理論化することに力をつくした。1926年に博文館に入社し、『太陽』誌の編集主幹となる。その後、「政治的価値と芸術的価値」という論文を発表し、芸術作品の価値についての論争の火蓋を切った。

1930年に、帝政ロシア時代の政治家であるセルゲイ・ヴィッテの回顧録を、「個々の事件だけでも、たっぷり大抵の探偵小説位の面白さはある」と高評価している[1]

フランスに映画研究などのため留学中、出血性膵臓炎のためパリ市内で客死した。戒名は法初院廓林寿輔居士[2]。近年、探偵小説の評論および創作の面でも注目され、新しい読者を獲得している。また、S・S・ヴァン=ダインなどの作品を翻訳して日本に紹介した。

作品リスト[編集]

  • 『無産階級の文化』(早稲田泰文社) 1923
  • 『プロレタリア文学綱領』(世界思潮研究会、世界パンフレット通信) 1923
  • 『生物学概論』(春秋社、新学芸講座) 1923
  • 『物質観の変遷』(南宋書院、無産者大学パンフレット) 1927
  • 『文学理論の諸問題』(千倉書房) 1929
  • 『近世社会思想講話』(千倉書房) 1929
  • 『平林初之輔遺稿集』(平凡社) 1932
  • 『平林初之輔文藝評論全集』上・中・下(文泉堂書店) 1975.5
  • 『平林初之輔探偵小説選』I(論創社論創ミステリ叢書1) 2003.10 ISBN 4-8460-0404-X
  • 『平林初之輔探偵小説選』II(論創社、論創ミステリ叢書2) 2003.11

翻訳[編集]

参考文献[編集]

  • 平野謙「平林初之輔」、『図書新聞』1956年9月1日。
  • 池田浩士「転向と探偵小説-平林初之輔没後五十年によせて」、『思想』第689号、1981年11月。
  • 大和田茂「平林初之輔の労働文学観」、『大正労働文学研究』創刊号、1978年10月。
  • 大和田茂『社会文学・一九二〇年前後-平林初之輔と同時代文学』、不二出版、1992年6月。
  • 大和田茂「平林初之輔の本質」、『磁界』第3号、1993年3月。
  • 大和田茂編「平林初之輔著作目録(稿)-生誕百年を記念して」、『磁界』第3号、1993年3月。
  • 菅本康之「探偵小説、群衆、マルクス主義-平林初之輔の探偵小説論」、『日本近代文学』第59集、1998年10月。
  • 菅本康之『モダン・マルクス主義のシンクロニシティ-平林初之輔とヴァルター・ベンヤミン』、彩流社、2007年1月。ISBN 978-4-7791-1214-0
  • 浜田雄介「平林初之輔試論-「大衆性」を軸に」、『国語と国文学』第68巻第2号/通巻805号、1991年2月。
  • 渡辺和靖「平林初之輔と「転向」-池田浩士氏の所論」、愛知教育大学『哲学と教育』第30号、1982年。

脚注[編集]

  1. ^ 平林初之輔 『ウイツテ伯回想記その他』:新字新仮名 - 青空文庫。初出『新青年』1930年11月号。
  2. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)278頁

外部リンク[編集]