日本における検閲

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警視庁検閲課による検閲の様子(1938年(昭和13年))

日本における検閲(にほんにおけるけんえつ)では、日本における検閲の歴史を述べる。

近代以降、戦前には内務省などによって、連合国占領下では連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)によって検閲が実施された。検閲は大きく分けて事前検閲と事後検閲の2種類あるが、日本において行われたものの多くは事前検閲である。

現在の日本において、検閲(行政による事前検閲)は日本国憲法第21条によって禁止されている。

概要[編集]

江戸時代[編集]

江戸時代から出版が盛んになるにつれて江戸幕府も検閲に乗り出すようになった。初期はキリスト教や幕政批判、江戸幕府並びに徳川氏の事績に関するものが発禁の対象だったが、寛政の改革では風俗を乱すものや贅沢な出版物も対象となった。版木を没収されたものでは『海国兵談』、山東京伝の『仕懸文庫』、恋川春町の『金々先生栄華夢』などが有名である。天保の改革では、為永春水柳亭種彦らの人情本や好色本などが版木没収に遭った。

大日本帝国憲法制定後[編集]

大日本帝国憲法26条では、法律の留保があるものの、通信・信書の自由・秘密が保証され、検閲を行うには法律の根拠を必要とした。

日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ祕密ヲ侵サルヽコトナシ

大日本帝國憲法第26條

内務省による検閲[編集]

内務省は、讒謗律新聞紙条例出版法新聞紙法映画法治安維持法などに基づき、書籍、新聞、映画の記事・表現物の内容を審査し、不都合があれば、発行・発売・無償頒布・上演・放送などを禁止や一定期間差止する検閲を行った。行政処分として、現物の没収・罰金、司法処分として禁錮刑を行った。

日露戦争の後、内務省逓信省に通牒し、極秘の内に検閲を始めた [1]1941年(昭和16年)10月4日に、臨時郵便取締令(昭和16年勅令第891号)が制定されて、法令上の根拠に基づくものとなった。

新聞[編集]
関東大震災後に行われた記事差止めが1923年10月21日に解除されたことを受けて朝鮮人による暴動事件を報じる東京時事新報1923年10月22日

法律によって解釈される新聞は、一定の題号を用い、期間を定め、または6ヶ月以内の期限で期限を定めず発行される著作物で、同一の題号の新聞を他の地方で発行する場合はそれぞれ別種の新聞とみなされ、発行人は保証金を納入して許可を受けた。検閲の眼目は安寧秩序を乱し風俗を害するものに向けられ、これに違反したものは発売を禁止された。発行と同時に、内務省2部、管轄地方官庁、裁判所検事局へそれぞれ1部を送って検閲を受けた。雑誌は月刊物で新聞紙法によって発行されるものは同様の取締を受けた(明治42年5月法律41号、明治43年4月内務省令15号)。

書籍等[編集]

著作物は、出版法による文書、図書を発行した時は発行3日前に内務省に製本2部を納本する必要があり、書簡、通信、社則、引札、番付、写真等は内容が取締法規に触れないものに限り届出が省略された。検閲にあたって当局は、内容が皇室の尊厳を冒涜し、政体を変改しその他公安風俗を害するものは発売頒布を禁止し、鋳型および紙型、著作物を差し押さえ、または没収し得た(明治26年4月法律15号、明治43年4月法律55号、昭和9年7月内務省令17号)。

脚本[編集]

脚本の検閲は、演劇興行の用に供する場合、当該地方官庁の取締を受け、したがって、興行の用に供さない脚本は取締の範囲外であるが、願出の場合はそれぞれ規定の形式があり、1ページ30字詰以内(活字刷のものは除く)として明瞭に記載することとされた。脚本の認可の印を押捺されたものは3年間の有効期間を有し、この検閲には、教育上の悪影響、国交親善を阻害するなどの項目に特に注意された(大正10年7月警視庁令15号)。

映画の場合、脚本段階から細かい検閲が行われ、『雄呂血』(大正14年)のように体制批判ととれる字幕は即削除、『無法松の一生』(昭和18年)のように無法者が主人公であったり、賭博や喧嘩、身分違いの恋情などが描かれていれば内務省から「好ましからず」との注意付箋がつけられた。これに沿って修正しても、完成フィルムで「検閲保留」とされれば現状では上映できなかった[2]

フィルム[編集]

フィルムの検閲は取締を受けるものは観覧の用に供するもののみであった。説明台本2部を製作し、内務大臣に届け出ることが必要で、儀式、競技、時事を写実したもので、特に急速を要するものは映写地の地方官の許可を受け得た。フィルムの長さは制限がないが、上映の場合は興行に対して無声版は5750m、発声版は6000mが限度であった。検閲は手数料を要し、内務大臣が許可したものは3年間、地方長官の許可したものは3ヶ月間有効であった。検閲官庁が公安、風俗または保健上障害があると認めた部分は切除され、検閲済の検印を押捺し検閲の有無が明らかにされた(大正14年3月内務省令10号、大正11年7月警視庁令15号)。また太平洋戦争中は映画法が制定され、国策に反する作品の制作は制限された。現在、映画脚本用とフィルム用の検閲印は東京国立近代美術館フィルムセンターで保存されており、展示室で公開されている。

劇映画の検閲は「内務省警保局」が行った。劇映画の場合、皇室に関することは一切劇中に触れることができなかった。錦の御旗でも、劇用では菊の御紋章はつけられず、三日月と丸で代用された。この御紋章は特別内務省の検閲が厳しく、十六花弁の菊に限らず、類似のものでも画面に映せばカットされた。戦時になると厳しさが増し、ふすまの引き手が菊模様だったり行燈が菊型であったり、座布団の地模様が菊だったりしてもカットされた。女性の着物の衣装の菊の模様までもが検閲の対象となった。

また、「過剰エロは毫も近代文明人の生活に混在を許さざるもので、これを社会の表面に露出することは諸悪と共に許すべきではない」と発表、女性の膝小僧が着物の裾から覗くという程度でも「エロ」であるとして、フィルム数コマであっても検閲でカットとなった。戦時中、検閲切除は「公安」、「風俗」に分類され、風俗の中の「淫卑」(過剰エロ)は圧倒的に多く、公安の倍以上228件に及び、年間切除されるフィルムは2,435メートルもあって、全体の約2/3を占めていた。さらに洋画、邦画問わず、キスシーンはすべてカットされた。日本映画では、それを暗示したものまでカットとなった。これらをどう上手く撮って通検するかが各監督の手腕だった。稲垣浩は「官僚検閲の鋏災は長いあいだ日本映画の進歩をはばんだ」と述べている[3]

剣戟映画では、流血場面は絶対に許されなかった。切腹する場面で血が滲むといった描写もカットされた。立ち回りで相手を斬ったときの斬り方や効果音も、リアルなものはカットされた。

これらすべて、試写の段階で「検閲保留」とされればそのままでは公開は許されず、当該箇所がカットされた[4]

レコード[編集]
関門トンネルを通過する最初の営業列車に出発合図を送る当時の三好門司駅長。周囲に見える×印は軍の検閲による修正箇所の指示で、国防上重要と思われる施設設備は、大概が発表時には消去または改竄されていた。

レコードは発売頒布の目的で音を機械的に複製するものに対して取り締まられた。製品は解説書2部を添え、規定された様式にしたがって内務大臣に差し出して許可を要し、検閲上の取締方針は出版物と同様であった(明治26年4月法律15号、昭和9年7月内務省令17号)。

絵画彫刻[編集]

絵画彫刻は取締を受けるのは公衆の観覧に供する場合に限られ、当局は公安を害し風俗をみだす場合は陳列場から撤回を命じることができ、極端なものは没収することもある(明治33年3月法律36号)。

新聞小説の挿絵などでも、軍事施設のある景観を題材にしていれば検閲の対象となった。吉川英治の小説『宮本武蔵』(昭和10年)では、当時巌流島に要塞施設があったため、石井鶴三の挿絵にまで要塞司令部検査済の文言がつけられた[5]

連合国軍占領下[編集]

敗戦後、連合国軍による占領下GHQによる検閲が開始された。1945年(昭和20年)に、「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16、9月10日)や「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書」(SCAPIN-33、9月21日)(いわゆるプレスコード)等を発出し、民間検閲支隊により日本のマスコミなどへの事前検閲や事後検閲を行い、反占領軍的と判断した記事(占領軍兵士による犯罪なども含まれた)などを弾圧して全面的に書き換えさせた。国立国会図書館の記録によると、1945年10月9日、朝日毎日読売東京日本産業[6]新聞への事前検閲が開始された[7]。これらのGHQによる行為は個人の手紙や電信電話にまで及び、検閲は隠匿され日本国憲法施行下にあっても強力に実行された。山本武利は手紙に進駐軍に残虐行為を受けたと嘘を書いた人物が密かに逮捕され、軍事裁判にかけられたという事実を明らかにしている[8][9](ただし、検閲に協力した人々の証言がほとんどないためその実態には未解明な部分も多い[9])。

郵政歴史年表の昭和27年(サンフランシスコ条約の発効に伴い日本が主権を回復した年)に「連合軍による郵便物等の検閲廃止」という記載が残されている事から郵便物も検閲を受けていた事が判る。

また、江藤淳は『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』においてGHQの政策として検閲とプロパガンダが並立されており、プロパガンダの役割を民間情報教育局が担ったと主張した。

日本国憲法制定後[編集]

日本国憲法第21条第2項前段において検閲は明確に禁止されている。

検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法第21条第2項

検閲の歴史を踏まえて規定されたのがこの規定である。また検閲を包含する概念として事前抑制がある。事前抑制も表現の自由を極度に抑圧するものであるから、原則として禁止されると理解されている。

例外として、刑務所拘置所などの刑事施設では検閲が認められており、刑務所や拘置所などの施設に置かれている雑誌や受刑者が出す手紙などには検閲され、部分的に切り取られるか文字が塗りつぶされている。この対処の理由としては再犯や犯罪の指示などの防止のためである[10]

日本国憲法における検閲の概念[編集]

「税関検査事件」(最高裁判所昭和59年12月12日大法廷判決 民集38巻12号1308頁)における最高裁判所の判決によれば、日本国憲法21条2項にいう「検閲」とは、「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」とされる[11]

これに対して、「検閲の主体を行政権に限る必要はなく、公権力と考えるべきだ」と主張する学説もある[要出典]。また、判決では表現物が発表される前に行われるもののみを検閲であるとしているが、発表を許す一方でそれを受け取ることについて規制が行われたり、発表する事自体をためらわせるような規制が事後的に行われたりした場合も「検閲」であるとするべきであると主張する学説も存在する[要出典]

ただし、検閲制度とは別に、21条1項を根拠に「事前抑制の原則的禁止法理」というものが認められるとの説もあり、それによれば、表現行為について公権力が事前に抑制またはそれと同視できる影響を及ぼすことは原則的に禁止されるとする。この法理を認めるのであれば、事前抑制の原則禁止は広く「公権力」が「表現行為」を抑制することを対象とする反面で例外が認められ、他方で、検閲の禁止は「行政権」が「思想の内容」を審査すると狭く解する反面で一切の例外を認めないと解することで、検閲禁止と事前抑制原則禁止で役割分担することで人権保障に資すると考える者もいる。

以下は検閲の概念について、上記判決[11]において示されたものと芦部信喜の提唱した学説(異論説)を対比したものである。

判例・学説 主体 対象 時期 態様
最高裁 行政権 思想内容等の表現物 事前 発表禁止
異論説 公権力 表現内容 事前、事後 発表、受領の禁止、または事後規制

議論の対象となった制度[編集]

日本国憲法制定以後でも、ある種の公の制度は検閲ではないかという議論が行われてきた。例えば、税関検査、裁判所の仮処分による事前差止、教科書図書検定、および青少年保護育成条例による「有害図書」の指定などである。これらの制度が日本国憲法上禁止されている検閲及び事前抑制にあたるかどうかは表現の自由および知る権利の保障に重大な影響を及ぼすため、慎重かつ厳密に議論すべきであると考えられている。以下、個別に説明する。

税関検査[編集]

関税法では日本国内に輸入することができない輸入してはならない貨物(輸入禁制品)について定めているが、同法69条の8第7項は「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」を輸入してはならないと規定している。税関ではこの規定に従い、輸入される物品の内容について検査を行っている。これを一般に税関検査というが、これが検閲にあたるのではないかという議論が行われている。

「税関検査事件」において、最高裁は上記のように「検閲」を定義しつつ、税関検査はその「検閲」にも事前抑制にも該当しないため合憲であるとした。その理由として、輸入が禁止された書籍などの表現物も日本国外では既に発表済みなので、税関検査は事前に一切の発表を禁止するものではないこと、税関検査は関税徴収手続の一環として行われるのであり、表現物を網羅的に審査して記載することが目的ではないこと、および司法審査の機会が与えられていることを挙げた[11]これについては学説からの異論もある。[要出典]

裁判所による事前差止[編集]

裁判所は仮処分によって書籍などの出版を事前に差し止めることができる。これがしばしば問題となるのは、出版物によって名誉毀損プライバシーが侵害されるおそれがある場合である。「北方ジャーナル事件」はまさにその例で、北海道知事選挙の立候補予定者を批判する記事を掲載した雑誌『北方ジャーナル』が発売前に名誉毀損を理由として裁判所により差し止めされた事件である。最高裁は、仮処分による事前差止は「検閲」には該当しないものの、事前抑制そのものであるから厳格な要件のもと、例外的な場合にのみ認められるとした。具体的には、表現内容が真実でないまたはもっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ被害者が重大で著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとき、および原則として口頭弁論または債務者の審尋を行うことを例外的に事前抑制が認められる要件とした[12]。また、「田中真紀子長女記事出版差し止め事件」は東京地裁によって事前差し止めの仮処分がされた例があるが、東京高裁において、「重大で著しく回復困難な損害」でないとして仮処分が却下されている。

青少年保護育成条例による有害図書指定[編集]

青少年の健全な育成を目的に、わいせつ性や残忍性をもった雑誌などを、「有害図書」などに指定することで、青少年への販売や自動販売機への収納、コンビニエンスストアでの販売などを禁止するといった青少年保護育成条例地方自治体によって制定される場合がある。これも表現物の内容に着目してその発表を抑制しようというものであるから、「検閲」ないし事前抑制にあたるのではないかという議論がある。これが実際に問題となったのが「岐阜県青少年保護条例事件」(最高裁判所平成1年9月19日第三小法判決 刑集43巻8号785頁)である。最高裁は悪書が「青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になつていると言ってよい」とし、またその目的達成のためにはやむを得ない規制であるとの理由からこの条例は合憲であるとした[13]。これには「有害図書」と青少年の非行が安易に結びつけられているとの批判がある[14]伊藤正己裁判官による補足意見もその点を指摘している(『青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性』が無ければ基本的人権を保障している憲法に違反しているとコメントしている)(ただし、結論として本条例の合憲性を認めている)[13]

教科書用図書検定[編集]

教科用図書検定が検閲にあたるのではないかという議論もある。この議論は「家永教科書裁判」に関連して活発化した。この一連の裁判において最高裁は、検定制度自体が検閲や事前抑制に該当することはなく合憲であるとの判断をしている。ただし、検定制度そのものが検閲や事前抑制であるとして禁止されることはなくても、検定の内容如何によってはそれが適用違憲または裁量権の逸脱・濫用による違法となりうるともしている。

最高裁が検定制度を検閲にあたらず合憲であるとした理由として、検定不合格となった書籍を教科書として使用することはできないけれども、一般図書として「思想の自由市場」に登場させることは可能であることを挙げている。事実、歴史教科書問題で検定不合格となった家永三郎三省堂『新日本史』(三一書房『検定不合格日本史』1974年)や西尾幹二ほか『新しい歴史教科書』(扶桑社2001年)が一般図書として販売された事例も存在する。

インターネットにおける検閲[編集]

2002年に岡山市岡山市電子掲示板に係る有害情報の記録行為禁止に関する条例が制定され、施行された。2008年3月26日広島市青少年と電子メディアとの健全な関係づくりに関する条例が制定され、施行された。

2008年6月11日青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律(青少年ネット規制法)が制定された。

岡山県議会自民党県議団(池田道孝団長、36人)が「県青少年によるインターネットの適切な利用の推進に関する条例」案をまとめ2011年3月11日の県議会総務委員会に提案する。2011年3月16日の本会議での可決成立、2011年10月1日の施行を目指す [15]

群馬県がフィルタリングを普及させるため県青少年健全育成条例の一部改正案をまとめる。県は2011年5月の県議会定例会に改正案を示し、2012年1月1日の施行を目指す[16]

2011年3月3日 、インターネットへの ブロッキング導入に先駆けてリスト作成・管理及び提供等を行う自主規制団体「インターネットコンテンツセーフティ協会」設立[17]

刑事施設における検閲[編集]

日本国憲法下において例外的に検閲が認められている刑事施設であるが、運用が恣意的だとして、しばしば訴訟が起こされている[10][18][19][20][21][22]

脚注[編集]

  1. ^ 郵政省『続逓信事業史』1961年、ほか。
  2. ^ 『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  3. ^ 『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  4. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  5. ^ 『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  6. ^ のちの日本経済新聞。当時の正式紙名は「日本産業経済」。日本経済新聞#沿革を参照。
  7. ^ 詳細年表 1 1939年9月1日~1945年10月25日 国立国会図書館
  8. ^ 山本武利『占領期メディア分析』。
  9. ^ a b 保坂正康・山本武利「二つの占領-狼のイラク、羊の日本」諸君!2004年1月号。
  10. ^ a b 多田庶弘受刑者の人権 --外部交通権を中心に--」、『現代社会文化研究』第23号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、2002年3月、 pp. 60-63、 ISSN 1345-84852009年11月12日閲覧。
  11. ^ a b c 最高裁判所大法廷判決 1984年12月12日 、昭和57(行ツ)156、『輸入禁制品該当通知処分等取消』。
  12. ^ 最高裁判所大法廷判決 1986年6月11日 、昭和56(オ)609、『北方ジャーナル事件』。
  13. ^ a b 最高裁判所第三小法廷判決 1989年9月19日 、昭和62(あ)1462、『岐阜県青少年保護育成条例違反被告事件』。
  14. ^ 田中祥貴(2009年)福島県青少年健全育成条例違反被告事件
  15. ^ 有害ネット防止条例案…岡山 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  16. ^ 携帯の閲覧制限促進 県、条例改正へ : 群馬 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  17. ^ 児童ポルノのブロッキング、日本でも4月スタート、業界団体が発足 -INTERNET Watch
  18. ^ 鳥取地方裁判所1994年1月25日。『判例タイムズ』847号、139頁。
  19. ^ 東京地方裁判所1980年3月13日。『訴訟月報』26巻5号、747頁。
  20. ^ 大阪地方裁判所1958年8月20日。『行裁例集』9巻8号、1662頁。『判例時報』159号、6頁。
  21. ^ 東京地方裁判所1992年3月24日。『判例時報』1422号、91頁。
  22. ^ 最高裁判所1999年2月26日。『訴訟月報』45巻10号、1927頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]