ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

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「Draft of c/n, Subject : War Guilt Information Program」の1ページ「東京裁判所について」の没となった文書

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:WGIP)は、太平洋戦争大東亜戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領政策の一環として行われた短期間のプログラム。名称の公式和訳については日本独立行政法人国立公文書館によると「戦犯(ウォー)裁判(ギルド)広報(インフォメーション)計画(プログラム)」である[1]。一般的にウォー・ギルドと略される[2]

名称について[編集]

江藤は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)という名称はGHQの内部文書に基づくものであると論じている[3]。この名称は高橋史朗[4]藤岡信勝[5]小林よしのり[6]櫻井よしこ[7]保阪正康[8]西尾幹二[9]勝岡寛次[10]ケント・ギルバートのほか、『産経新聞[11]も使用している。

"War Guilt"は、一般的には「戦争責任」を指す用語である。ヴェルサイユ条約第231条は、通称"War Guilt Clause"、「戦争責任条項」と呼ばれている[12][13]

1979年(昭和54年)よりウィルソン・センターで米軍占領下の検閲事情を調査していた江藤は、アマースト大学の史学教授レイ・ムーアより「Draft of c/n, Subject : War Guilt Information Program, From : CIE, To : G-2 (CIS), : Date : 6 February 1948」と表題された文書のコピーを提供されたという[14]。江藤はこの文書について、1948年(昭和23年)2月6日付でCI&E(民間情報教育局)からG-2(CIS・参謀第2部民間諜報局)宛てに発せられたGHQの内部文書であるとしており、「コピーには特段のスタンプは無いが、推測するところThe National Record Center, Suitland, Marylandで、ムーア教授がGHQ文書の閲覧中に発見したものと思われる。」と述べている[14]

しかし、主張の根拠となった「Draft of c/n, Subject : War Guilt Information Program, From : CIE, To : G-2 (CIS), : Date : 6 February 1948」と表題されたGHQの内部文書そのものは江藤らによって公開されていなかった。また、この表題には「ドラフト(案)」との記載があったことから、真偽を疑う主張もあった[15]

2015年平成28年)、関野通夫[16]が、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の名称を使用しているGHQの指令文書[17]が国立国会図書館所蔵の「GHQ/SCAP文書」[18][19][20][21][22][23]の中に存在[24]していると、自著[25]や『正論』(2015年5月号)[16]に写真を掲げて主張し、件の文書を明星大学戦後教育史研究センターで発見したと述べている[16](関野は調査に当たり、同大教授の高橋史朗および同戦後教育史研究センター勤務の勝岡寛次からアドバイスを得たと述べている[16][26])。

内容[編集]

「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の冒頭には、「CIS局長と、CI&E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである。」とある[27]

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについて江藤は、その嚆矢である太平洋戦争史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析[27]。また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している[27]

また、「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている[27]

“WGIP”を主に担当したのはGHQの民間情報教育局 (CIE) で、“WGIP”の内容はすべてCIEの機能に含まれている[28][29]。当初はCIEに“War Guilt & Anti-Millitarist”(これまで「戦犯・反軍国主義」と訳されてきた)[30][31]、あるいは“War Guilt & Criminal”[32]という名称の下部組織(後に「課」)が置かれていた(1945年11月の組織改編で消滅)。

“WGIP”は「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、検閲などのような「何を伝えさせないか」という消極的な政策と表裏一体の関係であり、後者の例としてプレスコードが代表的である。1946年(昭和21年)11月末にすでに「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として「SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判」など30項目に及ぶ検閲指針がまとめられていたことが、米国立公文書館分室所在の資料によって明らかである[33]プランゲ文庫保存のタイプコピーには、多少の違いがあるが同様の検閲指針として具体的内容が挙げられている。

中国共産党による「二文法」[編集]

2014年7月、イギリス国立公文書館が所蔵する英国内のスパイ摘発や国家機密漏洩阻止などの防諜を担うMI5などの秘密文書のうち、「共産主義者とその共感者」と名付けられたカテゴリーに『ノーマン・ファイル』(分類番号KV2/3261)があることが公表され、戦後に日本でGHQの通訳をして日本共産党を支援していたエドガートン・ハーバート・ノーマンについてガイ・リッデルMI5副長官からカナダ連邦騎馬警察(RCMP)ニコルソン長官に宛てた1951年10月9日付の書簡内で「イギリス共産党に深く関係していたことは疑いようがない」と共産主義者のスパイだと記されていたことが判明した[34]。同ファイルには、GHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官だった米国外交官、ジョン・エマーソン英語版がノーマンの共産主義者疑惑に関連して米上院国内治安小委員会で証言した記録が含まれていた[35]

『ノーマン・ファイル』によると、エマーソンは1944年11月にアメリカ軍事視察団英語版戦時情報局(OWI)の一員として中国延安を訪れ、同地で中国共産党野坂参三日本人民解放連盟を通じて日本軍捕虜に心理戦(洗脳工作)をおこない、成功していることを知った[35]。軍国主義者と人民を区別する「二文法」を用いて、軍国主義者への批判と人民への同情を繰り返し呼びかけ、捕虜に反戦・贖罪意識を植え付けていく内容だった[36][37]

スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員である高橋史朗は、占領軍は日本人に戦争犯罪の意識を刷り込ませる為に、共産主義者や社会主義者を利用し、「精神的武装解除」を実現させる為に左翼やリベラル派を利用して「内部からの自己崩壊」を「教育の民主化」の美名の下に支援することが占領軍の根本的な政策だった、と述べている[38]

エマーソンは、延安における洗脳工作の成果がアメリカの対日政策にも役立つと考えた[35]。後に大森実に対し、「(延安での収穫を元に)日本に降伏を勧告する宣伝と戦後に対する心理作戦を考えた」と語っている[36]

産経新聞は、GHQが占領下の日本で「軍国主義者」と「国民」の分断を意図した政策を実施したとし、これらはエマーソンが「二文法」を用いた中国共産党の洗脳手法から学んだものであるとしている[39]

経緯[編集]

1945年(昭和20年)7月26日に発せられたポツダム宣言の第6項には「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」と記されており[40]、8月14日に日本政府はこの宣言を受諾した。

9月22日の降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針で米国はマッカーサーに対し「日本国国民ニ対シテハ其ノ現在及将来ノ苦境招来ニ関シ陸海軍指導者及其ノ協力者ガ為シタル役割ヲ徹底的ニ知ラシムル為一切ノ努力ガ為サルベシ」と指令した。

GHQは1945年10月2日、一般命令第四号に於いて「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」と勧告した[41]

米国政府は連合国軍最高司令官に対し11月3日、日本占領及び管理のための降伏後における初期の基本的指令を発し「貴官は、適当な方法をもって、日本人民の全階層に対しその敗北の事実を明瞭にしなければならない。彼らの苦痛と敗北は、日本の不法にして無責任な侵略行為によってもたらされたものであるということ、また日本人の生活と諸制度から軍国主義が除去されたとき初めて日本は国際社会へ参加することが許されるものであるということを彼らに対して認識させなければならない。彼らが他国民の権利と日本の国際義務を尊重する非軍国主義的で民主主義的な日本を発展させるものと期待されているということを彼らに知らせなければならない。貴官は、日本の軍事占領は、連合国の利益のため行われるものであり、日本の侵略能力と戦力を破壊するため、また日本に禍をもたらした軍国主義と軍国主義的諸制度を除去するために必要なものであるということを明瞭にしてやらなければならない。(下略)」と命令した[8]

同12月8日、GHQは新聞社に対し用紙を特配し、日本軍の残虐行為を強調した「太平洋戦争史」を連載させた。その前書は次の文言で始まる。

日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に遑(いとま)がないほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されてゐるものの、その多くは未だ白日の下に曝されてをらず、時のたつに従つて次々に動かすことの出来ぬ明瞭な資料によつて発表されて行くことにならう。(下略)[注釈 1][27]

それと平行し、GHQは翌9日からNHKのラジオを利用して「真相はかうだ[42]の放送を開始した。番組はその後、「真相箱」等へ名称や体裁を変えつつ続行された。1948年(昭和23年)以降番組は民間情報教育局 (CIE) の指示によりキャンペーンを行うインフォメーション・アワーへ[43]と変った[7]

1945年(昭和20年)12月15日、GHQは神道指令を発すると共に、以後検閲によって「大東亜戦争」という文言を強制的に全て「太平洋戦争」へと書換えさせ言論を統制した。当時、米軍検閲官が開封した私信(江藤は「戦地にいる肉親への郵便」かという)は次のような文言で埋めつくされていた。

突然のことなので驚いております。政府がいくら最悪の事態になったといっても、聖戦完遂を誓った以上は犬死はしたくありません。敵は人道主義、国際主義などと唱えていますが、日本人に対してしたあの所業はどうでしょうか。数知れぬ戦争犠牲者のことを思ってほしいと思います。憎しみを感じないわけにはいきません」(8月16日付)
大東亜戦争がみじめな結末を迎えたのは御承知の通りです。通学の途中にも、他の場所でも、あの憎い米兵の姿を見かけなければならなくなりました。今日の午後には、米兵が何人か学校の近くの床屋にはいっていました。/米兵は学校にもやって来て、教室を見まわって行きました。何ていやな奴等でしょう! ぼくたち子供ですら、怒りを感じます。戦死した兵隊さんがこの光景を見たら、どんな気持がするでしょうか」(9月29日付)

江藤は、「ここで注目すべきは、当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの「邪悪」さとは考えていなかったという事実である。/「数知れぬ戦争犠牲者は、日本の「邪悪」さの故に生れたのではなく、「敵」、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。「憎しみ」を感ずべき相手は日本政府や日本軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者でなくてはならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。」と主張した[44]

GHQ文書(月報)には敗戦直後の様子が記されていた。「占領軍が東京入したとき、日本人の間に戦争贖罪意識は全くといっていいほど存在しなかった。(略)日本の敗北は単に産業と科学の劣性と原爆のゆえであるという信念が行きわたっていた」[45]

こうした日本人の国民感情はその後もしばらく続き、CIEの文書はG-2(CIS)隷下の民間検閲支隊 (CCD) の情報によれば昭和23年になっても「依然として日本人の心に、占領者の望むようなかたちで「ウォー・ギルト」が定着してなかった」有力な証拠である、また、このプログラムが以後正確に東京裁判などの節目々々の時期に合わせて展開していった事実は看過できないとも江藤は主張した[46]

東京裁判で東條英機による陳述があったその2か月後、民間情報教育局 (CIE) は世論の動向に関して次のような分析を行っている。

一部日本人の中には(中略)東條は確信を持つて主張した、彼の勇気を日本国民は称賛すべきだとする感情が高まつてゐる。これは、東條を処刑する段になると東條の殉教といふところまで拡大する恐れがある。」「広島における原子爆弾の使用を『残虐行為』と見做す・・・最近の傾向」[47]

こうした国民の機運の醸成に対しCIE局長は6月19日、民間諜報局 (CIS) の同意を得た上で、プログラムに第三段階を加える手筈を整え、情報宣伝に於ける対抗処置を取った[10][要ページ番号]

実例[編集]

  • 1945年(昭和20年)12月8日から、「太平洋戦争史」を全国の新聞に掲載させた[27]
    • 「太平洋戦争史」は新聞連載終了後、中屋健弌訳で翌年高山書院から刊行された(発行日は4月5日と6月10日の2回)。
  • 1945年(昭和20年)12月15日 - GHQ、覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ニ関スル件」(いわゆる「神道指令」)[48]によって、公文書で「大東亜戦争」という用語の使用を禁止。
  • 1945年(昭和20年)12月31日 - GHQ、覚書「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」[49]によって、修身・国史・地理の授業停止と教科書の回収、教科書の改訂を指令。
    • 1946年(昭和21年)1月11日 - 文部省、修身・日本歴史・地理停止に関するGHQ指令について通達[50]
    • 1946年(昭和21年)2月12日 - 文部省、修身・国史・地理教科書の回収について通達[50]
    • 1946年(昭和21年)4月9日 - 文部省、国史教科書の代用教材として『太平洋戦争史』を購入、利用するよう通達[51][52]
  • 1945年(昭和20年)12月9日から、「真相はかうだ」をラジオで放送させた。
    • 「真相はかうだ」は番組名を変えながら、1948年(昭和23年)1月まで続けられた[27][7]
  • 極東国際軍事裁判[27][53]
    • 1946年(昭和21年)5月3日の審理開始以来、1948年4月16日までのうち、1948年1月までは、第1放送において正午と15時の定時ニュースで速報を、19時15分から15分間にその日の審理の概要を毎日伝え、毎週日曜21時30分から30分間、現地録音した素材を中心に、裁判の模様を放送した。1948年1月以降は、前記のうち裁判の録音番組を第2放送の毎週日曜21時00分から15分間に変更した。
  • 1949年(昭和24年)2月、長崎の鐘にマニラの悲劇を特別附録として挿入させる。

ネットの陰謀論に対する反論と批判[編集]

上記の「実例」に記載されている通り、本来のWGIPの姿は陰謀論としてネットで囁かれる日本人に対して行った大規模な「洗脳」といったものではなく、1945年12月から1948年1月の約3年間、GHQがラジオ番組と新聞記事で日本が連合国に敗北した事実関係を伝えるだけというもの[54]

陰謀論、都市伝説として[編集]

国内ではネット右翼陰謀論都市伝説として「このWGIPにより日本人が洗脳され続けているため、国家神道を取り戻す。」「日本国憲法こそが日本を解体させるための洗脳」と言われているが、そもそも江藤淳という日本人自身から言い始めたというもので、言い始める前までの戦後から数十年(1940年代後半から1980年代前半)は知られていなかった。たった7年の占領のみで70年以上経っても解けないと言われている洗脳が本当に行われていれば他国(アジア全域やヨーロッパアフリカなど)でも確実に有名になるはずだがアメリカだけでなく、各国の著名者もWGIPの洗脳について知られてもおらず、語られてもいない。WGIPを語っているのは全て日本人や日本国籍の右翼の人物だらけである[55]

そのため、この洗脳は実際に成功したか、そもそも本当に洗脳されていたのか、戦後から70年以上経っても洗脳が残るのならなぜ記事や個人製作のネット動画で「洗脳されている」と視聴者に一言伝えただけで解消されるのか、同じ敗戦国で日本と違い、ドイツはドイツ連邦軍と呼ばれる軍を既に装備してるのにドイツでの洗脳について一切触れられてない、公文書が発見されていると言われているが、そもそもなぜ発見場所がアメリカ国内ではなく、日本の明星大学戦後教育史研究センター内から公文書が見つかったのか。理由としてサンフランシスコ講和条約後にGHQは日本の主権回復後の撤退時したが、同時にGHQはWGIPの公文書をアメリカに持ち帰りはぜず洗脳していると言われる日本国内に公文書を全て置いていったのか、そしてなぜ戦後から現在までアメリカ軍やアメリカ政府がWGIPの公文書を取り返しに来ないのか、洗脳に成功したはずなら、日本政府や日本人に知られないように公文書をアメリカに持ち帰り、政府と軍が秘密裏に保管するのが普通である(だが後にWGIPの公文書はGHQが実際に行う予定の政策だったが、占領途中で没になった事が判明し、そのままGHQが置き去りにした事が判明し、ネットでは没である置き去りの公文書の内容を貼り付けあたかも実際に行なわれたように伝えていると言われている[55])や本来のWGIPの姿である「真相はこうだ」なども放送当時のから日本人には合わず、逆にGHQやNHKに批判が殺到するまでとなった[56]

そのため、そもそも洗脳ともとは言えない、洗脳したとしても大失敗であるとの見方が普通だ。また上記以外でもWGIP洗脳説を詳しく調べると矛盾点とおかしな理由が多く、検証もされない事のまま幅広い年代の層に信じ込まれてしまったといわれている[55][54]

また、右翼・保守派によるとアメリカ側が「日本崩壊に向けてWGIPの洗脳は効果が抜群でとても大成功であった。」と公式で発言しているため、本当だ。としているようだが、実際にアメリカがそのような声明を出した事は過去1度もない。仮にそうだとしても、声明で出す必要性が一切ない。逆にもっと言えば、知られないように行ったと言われるのになぜ知られるようにアメリカ側声明出すのか。などとの矛盾見方も出来る[57]

全て英語であるが、WGIPの公文書を読むと東京裁判所の内容を国民にしっかり伝えることがメインとなり、ほとんど洗脳については語られていない。しかも1952年に終了となっている。実際に行われていたとしても「予想以上に大したことのない洗脳政策である。」と指摘されている[58]

この言説は学術研究をベースとしたものではない事やまた、War Guilt Information Programと英語で検索しても、英語ウェブサイトが存在しない(9割が日本語の記事しかないウィキペディアにおいても、日本語版しかない)、戦後も各地で反米デモ(2度に渡った安保闘争など)も現在でも頻繁に行われている[59]

その他、公文書自体も全文呼んでみると一部英語の文法がおかしいため日本人が話題作り、信ぴょう性を高めるために個人製作した偽物の公文書である可能性が高いと指摘することがあったり、その他、informationは「広告」、Guildという意味自体ネットで言われている「罪悪感」ではなく、本来は「有罪性」という意味である(和訳をすれば''(旧日本軍が行った)戦争の有罪性を(日本国民に向けてラジオと新聞のみで)伝えるプログラム''」ということである。

英語能力が低レベルまたは日本の社会問題を取り出し、信ぴょう性を上げる悪徳商法などに騙されている人物が検証もせずに信じ込んでいるだけなどとして、デマであるとの声が多数存在する[55]

論評など[編集]

占領期に連合国軍総司令部 (GHQ) が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムと同義)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている。(中略)文芸評論家の江藤淳は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。

いったんこの(GHQの)検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る

1999年(平成11年)7月21日に自死した江藤の「予言」は、不幸にも現実のものとなろうとしている[60]

高橋史朗明星大教授は、

東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし戦争贖罪意識を植えつけることであり、いわば日本人への『マインドコントロール計画』だった」と論じている[11]
  • 有山輝雄は、『閉された言語空間』の新刊紹介で、第一次資料によって占領軍の検閲を明らかにした先駆的研究であるとしながらも「著者の主張に結びつけるための強引な資料解釈も随所に見受けられる。また、占領軍の検閲に様々な悪の根源を押しつける悪玉善玉史観になっているが、これは現在の政治状況・思想状況への著者の戦術なのであろう」と評した[61]
  • 山本武利は、江藤の占領研究について、占領軍の検閲方針を示した第一次資料をGHQ関係資料によって検証した先駆的な仕事であると評価した[62]。Robert Jacobsによれば、江藤の著書の重要性を認めながらも山本は1996年の『占領期メディア分析』で江藤に反論し、降伏以前に日本当局による検閲が横行していた反面、米国による検閲に対しては日本の左翼が抵抗したという事実を江藤は無視したと山本は指摘した[63]
  • 秦郁彦は、江藤の「歴史記述のパラダイム規定…言語空間を限定し、かつ閉鎖した」や高橋の「日本人のマインドコントロール計画」などの主張に対して「果たしてそんな大それたものか」「江藤の論調は必然的に反米思想に行きつく」と否定している[64]。秦は米留学中の江藤の体験談を引用しながら、江藤が「日米関係にひそむ『甘えの構造』に早くから気づ」いており「それを最大限に利用していたよう」だと指摘。江藤の論は「アメリカ製の公文書を引き合いに、陰謀の『証拠固め』に乗り出した」「相手が中国や朝鮮半島であれば厄介な紛争を招きかねないが、アメリカなら聞き流すか笑いにまぎらすだけ」の「陰謀説」であり、このような「(日米の協調と同盟の関係を)対米従属と見なし、『甘えても怒られない』(怒ってくれない)のを承知の上で反発する論調」は今後も絶えないだろうと述べている[64]

"WGIP"の記述があるGHQの文書[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 仮名遣いは出典のママ。()内はルビ。

出典[編集]

  1. ^ JAPAN, 独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF. “国立公文書館 デジタルアーカイブ” (日本語). 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 2020年11月3日閲覧。
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  5. ^ 藤岡信勝 『汚辱の近現代史-いま、克服のとき』(1996年、徳間書店)
  6. ^ 小林よしのり 『戦争論-新ゴーマニズム宣言special』(1998年、幻冬舎)
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  17. ^ “Implementation of First War Guilt Information Program”(1945年10月頃と推定)、“Implementation of Second War Guilt Information Program”(1946年6月頃と推定)、“War Guilt Information Program (Intra-Section Memorandam)”(1948年2月8日)、“Proposed War Guilt Information Program (Third Phase)”(1948年3月3日)
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  39. ^ 【歴史戦】 GHQ工作 贖罪意識植え付け 中共の日本捕虜「洗脳」が原点 英公文書館所蔵の秘密文書で判明 (3/5)”. 産経新聞 (2015年6月8日). 2019年5月22日閲覧。
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  50. ^ a b 学制百年史 資料編 年表(文部科学省)。1975年、文部省編・帝国地方行政学会発行より載録。
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参考文献[編集]

  • 江藤淳『閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋〈文春文庫〉、1994年1月10日(原著1989年)。ISBN 978-4167366087(初出は月刊『諸君!』1982-1986年にかけ連載)
  • 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館〈小学館文庫〉、2002年8月1日。ISBN 978-4094028867
  • 保阪正康『日本解体―「真相箱」に見るアメリカGHQの洗脳工作』扶桑社〈扶桑社文庫〉、2004年9月29日(原著2003年8月7日)。ISBN 978-4594047948
  • 勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』明成社、2005年8月。ISBN 978-4944219377
  • 秦郁彦『陰謀史観』新潮社〈新潮新書〉、2012年。ISBN 978-4106104657
  • 高橋史朗
  • 関野通夫『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦』自由社〈自由社ブックレット〉、2015年3月11日。ISBN 978-4915237805
  • 有馬哲夫『歴史とプロパガンダ』PHP研究所、2015年7月22日。ISBN 978-4569825823
  • 賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム GHQ情報教育政策の実像』法政大学出版局、2018年8月10日。ISBN 978-4588321344
  • 日本放送協会 (1948年12月30日). “ラジオ年鑑 昭和23年版”. 2020年11月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]