発禁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

発禁(はっきん、はつきん)とは、『発行禁止処分』または『発売頒布禁止処分』の略称であるとともに、両者の総称である。

本項では略称の「発禁」に統一して記述する。

概要[編集]

発行禁止処分または発売頒布禁止処分は、発行、発売、頒布された(またはその準備が整った)出版物、音楽、映画などの表現物の内容に不都合がある場合に、その発行、発売、頒布を禁止する処分である。無償頒布のものも対象となる。

発売頒布禁止処分(はつきん)は、雑誌ならば該当号、単行本ならばその書籍のみの発売や頒布が禁止対象であるのに対し、発行禁止(はっきん)は、雑誌ならばその雑誌の存続そのものが禁止された。

どのような内容の表現物が発禁とされるかは、時代や地域によって異なる。

国立国会図書館では、旧帝国図書館時代に所蔵していた発禁本と、終戦後米軍内務省から接収しその後返還された発禁本とを所蔵している[1]

現行の事例[編集]

中華人民共和国[編集]

1998年アカデミー賞を受賞した米国映画「クンドゥン」は、ダライ・ラマ14世の半生を描いたものであるとして中国で上映及び公開禁止となっている。

中国国内の経済格差という社会問題に触れた「迷失北京」は、政府の掲げる社会テーマと一致しないという理由で中国映画審査機構より上映禁止となり、「迷失北京」から「苹果」(リンゴ)と改題、映画審査機構による5回の審査を受ける。2007年の第57回ベルリン国際映画祭への出品にあたり、北京の不衛生な町風景と天安門広場及び中国国旗など、中国イメージの対外的な低下に繋がるシーンについて当局から削除が命じらている。[2]

日本[編集]

現在の日本では、日本国憲法第21条において検閲が禁止されているため、法制度上の発禁は原則存在しない。従って、法人及び個人間の民事係争となり、裁判所判決に委ねられる。人権侵害(名誉毀損プライバシーの侵害等)や著作権の侵害(著作権法第112条)が判断された場合は、販売差し止め(出版差し止め)が命じられ、これを俗に発売禁止と称すこともある。

過去の事例[編集]

日本[編集]

警視庁検閲課による検閲の様子(1938年(昭和13年))

第二次世界大戦前及び戦中の日本においては、新聞紙発行条目(1873年太政官布告352号)、出版条例(1872年、明治4年)、讒謗律(1875年)、出版条例(1875年)、新聞紙条例(1875年)、出版法新聞紙法(1909年)、映画法治安警察法(第16条)、興行場及興行取締規則(警視庁令第15号)などに基づき検閲が行われた。

戦前戦中の検閲で発禁処分を受けたものの中では、思想的に危険視されたもの、性描写に関するものなどがあった。これらは、それぞれ「安寧秩序紊乱」・「風俗壊乱」とに分類された。依拠法令は出版法新聞紙法

このほか1枚刷り以上の私暦(「類似暦」と称す。冊子状のものは伊勢暦のみ可)、市井の呪術者が発行する守札も印刷物として検閲の対象となった。依拠法令は太政官達第307号(1870年)。

「風俗壊乱」による禁止のみは地方長官の手に委ねられたが、「安寧秩序紊乱」等はすべて内務省内務大臣の名義で行われた。

発売頒布禁止処分が行政処分であるのに対して、発行禁止は司法処分であった。

日本における出版法でのレコードでの発禁第1号は、松井須磨子『今度生まれたら』[3]1917年大正6年)と言われている[4]。これは、歌詞中の「かわい女子と寢て暮らそ。」の部分が猥褻とみなされたためである。

大東亜戦争太平洋戦争)敗戦後の被占領期の日本においては、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)はプレスコードなどを発して民間検閲支隊による検閲を実行し、連合国や占領政策に対する批判、連合国軍の犯罪、日本を肯定するものなどに対し発禁処分などにした。

日本国憲法下での発禁[編集]

敗戦後の被占領期に於いて、GHQは施行後も事前検閲、事後検閲を引き続き行い、言論を統制した。

出版差し止めの例[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第65回常設展示「発禁本」国立国会図書館、平成8年1月8日 - 1月26日
  2. ^ 「中国人気映画の上映禁止、その背後を探る」大紀元、2007年8月18日掲載。
  3. ^ 芸術座『生ける屍』(1917年10月30日初演)の劇中歌。北原白秋作詞。
  4. ^ 永岡書店刊「おもしろ雑学百科」(ISBN 4-5220-1507-0)。レコードの発禁が出版法の対象とされるまでは治安警察法第16条によって禁止していた。
  5. ^ 「日本会議の研究」販売差し止め 東京地裁が仮処分決定産経新聞、2017年1月6日、2017年2月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]