寛政の改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

寛政の改革(かんせいのかいかく)は、江戸時代中期、松平定信老中在任期間中の1787年から1793年に主導して行われた幕政改革である。享保の改革天保の改革とあわせて三大改革と並称される。

内容[編集]

松平定信

浅間山噴火から東北地方を中心とした天明の大飢饉などで一揆打ちこわしが続発し、その他にも役人の賄賂などがあったため、前任者の田沼意次は失脚する。このとき、定信は幕府の重臣に金品を送りつけ、田沼意次の失脚を図り、田沼の政策が、大店による独占市場を生み出し、生産基盤を否定かつ破壊する政策である事を幕府にアピールしたともされる。松平定信は8代将軍徳川吉宗の孫にあたる(父は吉宗の次男・田安宗武、第9代将軍徳川家重の弟)。定信は白河藩主として飢饉対策に成功した経験を買われて幕府老中となり、11代将軍徳川家斉のもとで老中首座となる。

定信は緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化を目指した。また、一連の改革は田沼が推進した重商主義政策とは異なる。蘭学の否定や身分制度改定も並行して行われた。だが、人足寄場の設置など新規の政策も多く試みられた。

改革は6年余りに及ぶが、役人だけでなく庶民にまで倹約を強要したことや、極端な思想統制令により、経済・文化は停滞したこと、さらに「隠密の後ろにさらに隠密を付ける」と言われた定信の神経質で疑り深い気性などにより、財政の安定化においても、独占市場の解消においてもさほどの成果をあげることはなかった。その一方で、農民層が江戸幕府の存立を脅かす存在へと拡大していく弊害があったとも指摘されている。結果として、将軍家斉とその実父徳川治済の定信への信頼の低下や幕閣内での対立、庶民の反発によって定信は失脚することになった。

しかし、定信が失脚した後も、後任の老中首座となった松平信明をはじめとする寛政の遺老たちによってこの改革の方針は引き継がれ、文化14年(1817年)に信明が病没し、水野忠成が新たな老中首座となって幕政の方針を転換させるまで続く事となった。

主な政策・改革[編集]

田沼政権との連続面[編集]

通説では松平定信は田沼意次の政策をことごとく覆したとされるが、近年ではむしろ寛政の改革には田沼政権との連続面があったと指摘される。

著書「江戸時代の古文書を読む―寛政の改革」においては、「定信の反田沼キャンペーンは、かなり建前の面が強く、現実の政治は、田沼政治を継承した面が多々みられる。とくに学問・技術・経済・情報等の幕府への集中をはかったことや、富商・富農と連携しながらその改革を実施したことなどは、単なる田沼政治の継承というより、むしろ田沼路線をさらに深化させたといってよいであろう」と書いている。

日本中世・近世史を専門とする高木久史は自書「通貨の日本史」の中で、近年では定信と田沼政権との間には連続面があったことも重視されていると書き、その一つとして通貨政策をあげている。定信は一七八八年、江戸の物価を抑えるために明和二朱銀の製造を停止し元文銀を増産させた。高木は「製造は停止したが、通用は停止していない。あくまで金貨・銀貨相場を是正しようとしたものであり、田沼政権の通貨政策そのものを否定しようとしたわけではない。一七九〇年には、二朱銀を、あまり通用していなかった西日本の各国でも使うよう強制した。結果、金貨単位計量銀貨の使用がむしろ定信政権の時期になって広まった。新井白石が萩原重秀の通貨政策をことごとく覆したことと対照的である」と書いている。

他の通貨政策としては田沼は金札・銭札、許可したもの以外の銀札の通用を停止するなど、紙幣経済の発達を阻害するような政策を行ったが、松平定信は寛政2年(1790年)に伊勢神宮の御師や伊勢山田商人が発行していた山田羽書山田奉行(伊勢奉行)発行に変更し、準備金の範囲内での発効、偽札対策などを徹底させるなどといった近代的な紙幣政策をおこなっており、山田羽書は事実上の幕府発行の紙幣といえる状態にするなどと紙幣政策においては、むしろ田沼よりも進歩的な政策を行っている。山田羽書が幕府すなわち山田奉行所の管理下に置かれたことにより、商人の都合による乱発が防がれ、通貨供給量が安定することとなった。

日本近世史を研究する藤田覚は自書「勘定奉行の江戸時代」の中で、「寛政から文化期の財政経済政策は、緊縮により財政収支の均衡を図ることを基本とし、批判の強かった運上・冥加金の請負事業の一部を撤回したが、基本的に田沼時代を引き継ぎ、独自の積極的な増収策をみることはできない」と書き、寛政の改革・遺老の経済政策は独自の政策はないものの、運上・冥加金の一部撤回を除けば、基本的に田沼時代を引き継いでいると述べている。また通説では、田沼を積極財政、定信を緊縮財政とすることが多いが、藤田覚は田沼の政治を「出る金は一文でも減らす」支出を減らす緊縮財政と自書で書いており、藤田は田沼時代の財政経済政策を前代以来の財政緊縮策を継続させたとし、田沼時代を緊縮財政と説明している。

歴史の流れとして田沼時代を享保・寛政の改革とは別のものではなく、洋書輸入の解禁や株仲間の結成など享保期の政策が実を結んだ結果として田沼時代が誕生したのであって、意次の登場によって唐突に田沼時代という新しい時代が到来したのではなく、田沼時代を享保期からの延長線のものと論ずるのが現在の通説となっている。同時に定信が寛政改革発足時に発布した天明7年の3年間の倹約令を指して田沼の積極財政から逆転する緊縮政策だと通説で語られることも多いが、実のところは、田沼自身が天明3年より、7年間の倹約令を発布しているので、少なくとも定信が行った天明7年からの3年間の倹約令は田沼の政策からの逆転どころか田沼の政策をそのまま追認したものである。このように、田沼と定信を指し、積極財政VS緊縮財政などと言われがちであるが、実際のところは定信の緊縮政策は田沼の緊縮政策を追認、深化した田沼政治からの連続性といえるものも多い。

経済政策[編集]

囲米
諸藩の大名に飢饉に備える為、各地に社倉義倉を築かせ、穀物の備蓄を命じた。また、江戸の町々にも七分積金とセットにして実施が命じられた。
旧里帰農令
当時、江戸へ大量に流入していた地方出身の農民達に資金を与え帰農させ、江戸から農村への人口の移動を狙った。1790年に出され、強制力はなかった[1]
棄捐令
旗本御家人などの救済のため、札差に対して6年以上前の債権破棄、および5年以内になされた借金の利子引き下げを命じた。
猿屋町会所
棄捐令によって損害を受けた札差などを救済するために、資金の貸付を行ってその経営を救済して、今後の札差事業や旗本・御家人への貸付に支障がないように取り計らった。
人足寄場
無宿人、浮浪人を江戸石川島に設置した寄場職業訓練した。治安対策も兼ねた。
商人政策
田沼時代の重商主義を改め、株仲間や専売制を廃止した
七分積金
七分積金は、町々が積み立てた救荒基金で、町入用の経費を節約した四万両の七割に、幕府からの1万両を加えて基金にした。町入用の経費は、地主が負担し、木戸番銭・手桶・水桶・梯子費用、上水樋・枡の修繕費、道繕・橋掛け替え修繕・下水浚い・付け替えなどに使われた。この制度はその後の幕府の財政難にもかかわらず厳格に運用されて明治維新の際には総額で170万両の余剰があった。この資金は東京市に接収されて学校の建設や近代的な道路整備などのインフラストラクチャー事業にあてられたという。

その他

  • 米価抑制のため、米を大量に使う造酒業に制約を加えて、生産量を3分の1に削減するように命じた。
  • 田沼意次が推進した南鐐二朱銀丁銀に改鋳しなおして物価の抑制を図った。後に再度南鐐二朱銀を復活させた。
  • 定信失脚後、定信の路線を継承した松平信明によって、相対済令が出された。

学問・思想[編集]

寛政異学の禁
柴野栗山西山拙斎らの提言で、朱子学を幕府公認の学問と定め、聖堂学問所を官立の昌平坂学問所と改め、学問所においての陽明学古学の講義を禁止した。この禁止はあくまで学問所のみにおいてのものであったが、諸藩の藩校もこれに倣ったため、朱子学を正学とし他の学問を異学として禁じる傾向が次第に一般化していった。
処士横議の禁
在野の論者による幕府に対する政治批判を禁止した。海防学者の林子平などが処罰された。さらに贅沢品を取り締まる倹約の徹底、公衆浴場での混浴禁止など風紀の粛清、出版統制により洒落本作者の山東京伝黄表紙作者の恋川春町、版元の蔦屋重三郎などが処罰された。
学問吟味
江戸幕府が旗本・御家人層を対象に実施した漢学の筆答試験。実施場所は聖堂学問所(昌平坂学問所)で、寛政4年(1792年)から慶応4年(1868年)までの間に19回実施された。試験の目的は、優秀者に褒美を与えて幕臣の間に気風を行き渡らせることであったが、慣行として惣領や非職の者に対する役職登用が行われたことから、立身の糸口として勉強の動機付けの役割も果たした。類似の制度として、年少者を対象にした素読吟味(寛政5年創始)、武芸を励ますための上覧などが行われた。
文教振興
改革を主導するにあたって幕政初期の精神に立ち戻ることを目的とし、『寛政重修諸家譜』など史書・地誌の編纂や資料の整理・保存などが行われた。また、近江堅田藩主で若年寄として松平定信とも親交のあった堀田正敦など好学大名も文教振興を行った。

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 坂本賞三 ・福田豊彦監修。『総合日本史図表』(2000年1月10日 改訂11刷発行。 第一学習社) 246頁に「1790 11 江戸からの帰村を奨励」と記載されている。
  2. ^ 関口すみ子『御一新とジェンダー:荻生徂徠から教育勅語まで』 東京大学出版会 2005年 ISBN 4130362232 pp.91-98.

参考資料[編集]

参考文献[編集]

  • 竹内誠『寛政改革の研究』吉川弘文館、2009年。ISBN 978-4-642-03438-8
  • 高木 久史 『通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで』 中公新書 2016年 ISBN 978-4-12-102389-6
  • 藤田覚 『勘定奉行の江戸時代』 ちくま新書 2018年 ISBN 978-4-480-07113-2
  • 徳川林政史研究所 『江戸時代の古文所を読む―寛政の改革』 2006年 ISBN 4490-20590-2

関連項目[編集]