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土井利厚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土井 利厚
時代 江戸時代後期
生誕 宝暦9年(1759年
死没 文政5年6月24日1822年8月10日
官位 従四位下、侍従、大炊頭
幕府 江戸幕府老中
主君 徳川家治家斉
下総古河藩
氏族 桜井松平家土井氏
父母 父:松平忠名、母:庄司氏
養父:土井利見
兄弟 加藤明堯忠告利厚脇坂安弘正室、水野勝起正室、五百姫
板倉勝清の養女板倉勝暁の娘)
鶴太郎、利行、利広永井直興婚約者、富
養子:利位
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土井 利厚(どい としあつ)は、江戸時代後期の大名、老中下総古河藩主。土井家宗家10代。

摂津尼崎藩主・松平忠名の四男。母は側室の庄司氏。正室は板倉勝清の養女(板倉勝暁の娘)[1]。子に土井利行(次男)、土井利広(三男)、娘(永井直興婚約者)、富(細川立之正室)。従四位下・侍従・大炊頭。

生涯

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古河藩主土井利見の養嗣子となり、はじめ利和(としかず)と名乗る。利見が相続後1か月足らずで没した後襲封し、その後45年の長きにわたり古河藩主となった。この間、寺社奉行京都所司代老中などの重職を歴任し、1万石の加増も得た。土井家から老中が出たのは利房以来のことであった。

利厚には跡継ぎがいなかったため(嫡子の利広は早世)、分家の三河刈谷藩土井利徳の四男・利位を養嗣子に迎えた。

略歴

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系譜

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父母

正室

子女

  • 土井鶴太郎(長男) 早世
  • 娘(長女)早世
  • 土井利行(次男) 早世
  • 土井利広(三男)
  • 娘(次女) 早世
  • 娘(三女) - 永井直興婚約者
  • 富(四女) - 細川立之正室

養子

脚注

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  1. ^ 宮内庁書陵部所蔵「華族系譜23」p.57
  2. ^ 寛政譜などの板倉家系図には勝清の実子と記載されている。

関連項目

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