苗木藩

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苗木藩(なえぎはん)は、現在の岐阜県中津川市苗木に存在した、最小の城持ち。居城は苗木城美濃国恵那郡の一部と加茂郡の一部を領地としていた[1]

概要[編集]

苗木藩の藩祖は遠山友政である。友政は美濃の国人苗木遠山氏で、父の友忠とともに織田信長に従っていたが、信長死後の東美濃騒動、さらに徳川家康に与したために所領を失い、苗木城は河尻秀長が城主となっていた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで河尻秀長は西軍に与したため戦後に所領を没収され、代わって東軍に与して東濃の戦いで武功を挙げた友政に1万500石が与えられて旧領復帰が許された。ここに苗木藩が立藩した。

元和元年(1615年裏木曽と呼ばれる付知村川上村加子母村の三か村は良材を産するので、幕府が苗木遠山氏から取り上げて直轄地にして苗木藩に預けていたが、尾張藩領に移管した。尾張藩は三か村に代官を置いて支配した。

友政はその後大坂冬の陣では桑名城の守備、大坂夏の陣では松平忠明に属して武功を挙げ、元和5年(1619年)12月19日、苗木で死去した。

藩政においては小藩ゆえの、幕府の相次ぐ手伝い普請や軍役などにより、財政窮乏が早くから始まる。歴代藩主は藩政維持のため厳しい倹約令を出し、天保年間には給米全額の借り上げを行うなどした。

第3代藩主・遠山友貞は新田開発を行なって4286石の新田を開発したが、第5代藩主・遠山友由の大坂加番、第6代藩主・遠山友将の駿府加番による出費が重荷となった。

享保7年(1722年)6月15日、遠山友由の遺言により、弟の遠山友央は美濃国加茂郡において500石を分知されて、旗本となり寄合に所属した。

享保17年(1732年)閏5月25日、第6代藩主で甥の友将の死去により、旗本となっていた叔父の友央が末期養子として家督を相続した。友央の藩主相続にあたり、分知されていた500石を幕府に返上した結果、表高が1万21石となった。

しかし500石を幕府に返上したことは苗木藩にとって大きな痛手で、幕府への対応が拙かったとのことで江戸家老の大脇権右衛門は失脚した。

500石は飛騨に近い加茂郡佐見村の4村(大野・小野・寺前・吉田)を幕府に渡し、高山陣屋の幕府代官の支配下となった。

しかし13年後の延享2年(1745年)高山陣屋の代官が長谷川忠嵩から幸田善太夫に替わると、佐見村210石は本田であるが、290石は新田なので上知できないので別の村から本田を290石差し出すように求められた。

そのため下野村369石のうち、290石を幕府(高山陣屋)に渡すこととし、残り79石は上野村に編入した。そのことにより、佐見村の290石は苗木藩に戻った。

最後の藩主・第12代の遠山友禄文久元年(1861年)と元治元年(1865年)の2度にわたって若年寄となり、慶応元年(1865年)に大坂警備や第二次長州征伐に参加したことなどの出費が重なって財政は火の車となり、従来の倹約令に加えて5種類の藩札発行による改革を図ったが、遂に財政は破綻した。

明治維新後、14万3千両、藩札1万5900両あった藩の借金は、苗木城破却に伴う建材や武具などの売却、藩士卒全員を帰農、家禄奉還させ家禄支給を削減し、さらには帰農法に基づいて旧士族に政府から支給される扶持米を大参事以下40名が3年間返上させること、知藩事遠山友禄の家禄の全額を窮民救済と藩の経費とすることにより、明治4年(1871年)8月には5万2600両、藩札5千両にまでに縮小した。しかし旧苗木藩士の生活は年々逼迫し、自殺者まで出る事態となった。さらに明治4年の廃藩置県により、苗木藩は苗木県を経て岐阜県に吸収され、当初約束されていた家禄奉還の補償は不可能となった。また明治政府からではなく苗木藩庁の指示により他藩よりいち早く家禄奉還して、全員が士族から平民へ移っていたため、旧藩士卒は旧士族として認められないという事態に陥った。このことなどにより、財政改革や後述する廃仏毀釈を主導した大参事青山直通に恨みが集中し、明治9年(1876年)に旧藩士4名が青山の暗殺計画を決行、当人は当日不在だったため屋敷に放火される。明治24年(1891年)にも襲撃未遂事件が起こっている。

藩領(版籍奉還時点)[編集]

  • 美濃国恵那郡
    • (中津川市)日比野村・上地村・瀬戸村・坂下村・上野村・田瀬村・福岡村・高山村・蛭川村
    • (恵那市)中野方村・毛呂窪村・姫栗村
  • 美濃国加茂郡
    • (恵那市)河合村・飯地村
    • (八百津町)峯村・下立村・福地村
    • (白川町)赤河村・切井村・犬地村・上田村・広野村・若松村・名倉村・宇都尾村・中屋村・須崎村・有本村・室原村・久田島村・成山村・徳田村・黒川村・油井村
    • (東白川村)神土村・越原村・下野村・柏本村・久須見村・宮代村・大沢村
    • (下呂市)田島村

代官[編集]

村方の直接支配を行ったのは「代官」であり、代官は藩機構のなかで郡奉行の指図を受けて、民政の直接の担当者であった。また寛文11年(1671年)の「分限帳」でも中小姓格の六人が代官に補任されている。これらの代官は、それぞれ管轄区域を担当し、管轄内の一般民政や、年貢の徴集にあたったもので、その分担区域は次のようであった(後藤時男著 『苗木藩政史』)。以下の六つに分かれている。これら領村支配の体制は、享保期まで続いたようである。

  • 地回り村々支配……… 城下町・日比野村・上地村
  • 北方村々支配………… 黒川村・中屋村・須崎村・柏本村・久須見村・宮代村・大沢村・下野村・神土村・越原村・有本村・名倉村・油井村・田嶋村・打尾村・広野村・若松村・久田嶋村・成山村
  • 五ヶ坂下村々支配…… 上野村・下野村・田瀬村・福岡村・高山村・坂下三郷
  • 中通村々支配………… 飯地村・中之方村・峯村・下立村・塩見村(飯地枝郷)・福地村・切井村・赤河村・犬地村・上田村
  • 南方村々支配………… 蛭川村・姫栗村・毛呂窪村・河合村
  • 瀬戸村支配…………… 瀬戸村

宝永7年(1710年)の「御巡見」記録では、支配管轄が五つに減っている。

  • 地廻り村々 
  • 北方村々 
  • 五ヶ坂下村々
  • 中通村々
  • 南方村々

享保17年(1732年)苗木藩は下野村の内の500石を幕府に返上したため、下野村の一部が公儀御領(天領)となった。

延享2年(1745年)には、さらに以下の四区域となり、代官は四人となり、同時に支配村々の移動がみられる。五ヶ支配地内の下野村が天領となって消えていることから、四区分制はそのまま版籍奉還まで続いた。

  • 地廻り支配…………… 城下町・日比野村・上地村・瀬戸村
  • 五ヶ坂下蛭川村支配… 坂下三郷・上野村・田瀬村・福岡村・高山村・蛭川村
  • 南方中通支配………… 中之方村・切井村・赤河村・犬地村・上田村・峯村・下立村・飯地村・河合村・姫栗村・毛呂窪村
  • 北方支配……………… 黒川村・神土村・越原村・有本村・佐見新田・久田嶋村・成山村・油井村・名倉村・中屋村・柏本村

家臣団[編集]

士分は、上から給人、中小姓、徒士の家格に分かれ、それ以外に足軽中間等があった。

苗木下屋敷[編集]

苗木城より北の中津川市並松に下屋敷があった。

江戸屋敷[編集]

  • 上屋敷 (将監橋) 東京都港区芝
  • 下屋敷 (麻布広尾)東京都港区南麻布 

藩札[編集]

江戸幕府は享保15年(1730年)に各藩に対し年限を期して藩札の発行を許可した。苗木藩は元治年間に金札二両・一両・二分・一分・二朱等を発行した。

年貢米[編集]

黒瀬街道で細目村黒瀬湊(加茂郡八百津町)まで陸路で運び、水運で伊勢国桑名宿へ送った。    

廃仏毀釈[編集]

岐阜県東白川村役場脇にある「四つ割りの南無阿弥陀仏碑」。苗木藩の廃仏毀釈時に4つに割られて庭石などにされたのち、廃仏毀釈後に破片を集め修復されたもの。中央に割った時の跡が残る

維新直後、平田国学の影響を受けた藩政改革が図られ、青山景通青山直通の親子らが先頭に立って、領内で徹底した廃仏毀釈が実行された(東白川村の蟠龍寺などの例がある)。明治3年(1870年)9月27日、苗木藩庁は、支配地一同が神葬改宗したので、管内の15か寺の廃寺と、その寺僧たちに還俗を申し付けたことを、弁官(中央役人)に届けた。

  • 恵那郡
    • 苗木村 雲林寺・仏好寺
    • 福岡村 片岡寺 
    • 蛭川村 宝林寺 
    • 坂下村 長昌寺
    • 高山村 岩松寺
    • 中野方村 心観寺
    • 姫栗村 長増寺
  • 加茂郡
    • 河合村 竜現寺
    • 飯地村 洞泉寺
    • 黒川村 正法寺   
    • 赤河村 昌寿寺
    • 神土村 常楽寺
    • 犬地村 積善寺
    • 切井村 龍気寺 

この届け書によると、廃寺は15か寺となっているが、実際には苗木の雲林寺の塔頭の正岳院と寿昌院、加茂郡大沢村の蟠龍寺も廃寺となっている。

歴代藩主[編集]

遠山家

1万石。外様譜代格柳間城主

  1. 友政
  2. 秀友
  3. 友貞
  4. 友春
  5. 友由
  6. 友将
  7. 友央
  8. 友明
  9. 友清
  10. 友随
  11. 友寿
  12. 友詳のち友禄

参考文献[編集]

  • 後藤時男『苗木藩政史研究』中津川市、1968年(1982年再版)
  • 日本博学倶楽部『江戸300藩の意外な「その後」―「藩」から「県」へ 教科書が教えない歴史』 PHP文庫、2005年 
  • 福岡町史 通史編 下巻(第五部 近世)通史編 下巻> 第五部 近世> 第一章 近世における苗木藩の概観> 第一節 苗木藩成立と領村支配> 四 代官の支配区域

脚注[編集]

  1. ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(304ページ)

関連項目[編集]

  • 可児徳 - 体育学者、父が苗木藩士
  • 青山胤通 -医学博士、男爵、貴族院議員、父が苗木藩士

外部リンク[編集]

先代
美濃国
行政区の変遷
1600年 - 1871年 (苗木藩→苗木県)
次代
岐阜県