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丸亀藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

丸亀藩(まるがめはん)は、讃岐国香川県)の西部を領し、丸亀城丸亀市)を本城とした。藩主は生駒家山崎家京極家と続き、それぞれ藩主独特の城下町を形成し廃藩置県を迎えた。

なお、生駒家は高松城を本城とし、讃岐一国を領したため、生駒家が領した西讃を丸亀藩と呼ぶには適さないとも考えられるが、現在ではその頃も丸亀藩の歴史の一部として語られることが多いため、ここにも含める。

藩史

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藩政

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丸亀藩は金刀比羅宮への参道である丸亀街道、多度津街道の起点を持ち、参拝客を相手とした観光業は藩財政を大きく潤していた。

幕末になり財政が逼迫すると、江戸詰の藩士たちに隣に屋敷を構えていた大村藩の藩士たちからうちわの作り方を学ばせ、国元に返し内職で作らせ、金毘羅参り土産物として売るなどの策をとり、財政を立て直した。その後、うちわづくりは一般町民にも広まり始め、丸亀の名物となる。

歴代藩主

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生駒家

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外様 17万3千石

  1. 親正
  2. 一正
  3. 正俊
  4. 高俊

山崎家

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外様 5万石

  1. 家治
  2. 俊家
  3. 治頼

京極家

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外様 6万石→5万1千石

  1. 高和
  2. 高豊
  3. 高或 分封により5万1千石
  4. 高矩
  5. 高中
  6. 高朗
  7. 朗徹

支藩

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幕末の領地

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丸亀藩領

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近江国の所領は蒲生郡2村は京極高次の妻常高院(初)の菩提寺である若狭常高寺の寺領関係、坂田郡2村は中世以来の京極氏の菩提寺で後に歴代藩主の墓も集約される近江清瀧寺の寺領関係の所領である[1]

多度津藩領

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  • 讃岐国
    • 三野郡のうち - 5村(大見・松崎・神田(こうだ)・羽方・上之村)
    • 多度郡のうち - 15村(多度津・道福寺・庄・三井・堀江・東白方・青木・山階・奥白方・西白方・南鴨・北鴨・新町・葛原・碑殿村)

脚注

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  1. 西島太郎 著「京極氏菩提寺の形成と変遷」、早島大祐 編『中世武家菩提寺の研究』小さ子社、2019年。ISBN 978-4-90978-202-1/所収:西島太郎『室町幕府将軍直臣と格式』八木書店、2024年2月、393・408-409頁。ISBN 978-4-8406-2277-6

参考文献

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外部リンク

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先代
讃岐国
行政区の変遷
1641年 - 1871年 (丸亀藩→丸亀県)
次代
香川県(第1次)