恵那郡

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岐阜県恵那郡の位置(薄黄:後に他郡に編入された区域 水色:後に他郡から編入した区域)

恵那郡(えなぐん)は、岐阜県美濃国)にあった

郡域[編集]

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

尚、701年大宝元年)に制定された大宝律令で、日本国内は国郡里制の三段階の行政組織に編成された時には、現在の長野県木曽郡の全域も含んでおり、美濃国内で最大の面積を有する郡であったが、下記の区域は含まれていなかった。

  • 中津川市加子母の一部(小郷・小和知)
  • 恵那市笠置町の(河合・姫栗・毛呂窪)と 中野方町
  • 愛知県豊田市の一部(上切町・下切町・上中町・下中町・島崎町・一色町)

恵奈郡から恵那郡へ[編集]

905年延喜5年)、醍醐天皇の命により 藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は 藤原忠平が編纂に当たった延喜式には恵奈郡と書かれており、平安時代中期の和名類聚抄拾芥抄にも恵奈と書かれている。 和名類聚抄では恵奈郡六郷に淡気(たむけ)・安岐(あぎ)・絵上(えなのかみ)・絵下(えなのしも)・坂本(さかもと)・竹折(たけおり)が挙げられており、この頃の郡域は現在の恵那市(飯地・笠置を除く)・中津川市(加子母北部を除く)・瑞浪市の陶地区および現在の長野県木曽郡全域であったと考えられる[1]。また延喜式には中川神社、坂本神社、恵那神社の三社が記されている。江戸時代の 1651年(慶安4年)に完成した正保国絵図には恵那郡と書かれているが、 元禄以後にまた恵奈郡に戻された。明治になって恵那郡という表記に定められた。

木曽も含んでいた古代から近世[編集]

古代恵奈郡(注:この地図には瑞浪市陶町が恵奈郡に含まれていないことと、恵那市飯地が恵奈郡に含まれていること、鳥居峠と境峠以南の木曾全体が恵奈郡に含まれていない3点が誤りである)

702年(大宝2年)に「始めて美濃国の岐蘇山道を開く」と続日本紀に記されているのが岐蘇(木曽)の史料上の初見であるが、このとき木曽路を開通させたのは美濃国の役人たちであったため、木曾谷は美濃国に含まれた。はじめ美濃国恵奈郡絵上郷に属していたが、信濃国と所属がしばしば争われた。9世紀後半の、貞観年中の859年876年に天皇の勅命により、朝廷より藤原正範靭負直継雄が派遣され、両国の国司と現地に臨んだ。この時の正範らの報告によると、「もともと吉蘇、小吉蘇の両村(木曾谷の村落)は美濃国恵奈郡絵上郷の地域にあり、和銅6年(713年)に美濃守笠麻呂らが、ここに吉蘇路を開通させた(三代実録)。ここは美濃の国府(不破郡垂井町府中)から10日余りもかかる距離にあり、信濃国府(松本市)のすぐ近くではあるが、もし信濃国ならば、美濃国司がこのような遠いところで工事をする理由がない。その理由で美濃と信濃の両国の国司立ち会いの上で国境を「懸坂上岑」(木祖村と旧奈川村との境界で木曽川の水源から北にある境峠)と定め、吉蘇・小吉蘇両村を恵奈郡絵上郷の地と裁断。それでこの報告にしたがって、木曾谷を美濃国と決めた。」という。当時は、境峠を越えて飛騨から来た道と合流し信濃国府へ向かったのである[2]。しかし平安時代末期になると、源義仲が信濃国木曾の住人とされたように「木曾谷は信濃」という認識が生まれた。平安時代中期の拾遺和歌集には、源頼光の『なかなかに いいもはなたで信濃なる木曽路の橋のかけたるやなぞ』という和歌がある。

  • 信濃地名考という文献には、木曾が信濃国に移管されたのは、平安時代の延喜年間(901年 - 923年)と記されている。
  • 美濃国恵奈郡であった木曾全域が信濃国に移った時期について、信州大学人文学部の山本英二教授が長野県木曽郡大桑村定勝寺の古文書の回向文の中から年代が分かる5点で、延徳3年(1491年)には、美濃州恵奈郡木曽庄とあるが、永正12年(1515年)には、信濃州木曽荘と書かれているので木曾が美濃国恵奈郡から信濃国へ移ったのは1491年から1515年の間と結論付けた。
  • 木曾古道記には木曽川より東側にある定勝寺の天文18年(1549年)作の鐘銘には信州木曾庄と書かれてあるのに対し、木曽川より西側にある興禅寺にある承応2年(1653年)作の鐘銘には美濃国恵那郡木曾庄となっていることを述べた上で、天正以来の記録に木曽川より東を信濃国筑摩郡、木曽川より西を美濃国恵那郡と分けていたが、享保9年(1724年)に木曽川の東も西も信濃国筑摩郡木曾と定められたと記されている。

荘園[編集]

太閤検地[編集]

天正年間に豊臣秀吉の命により、全国で太閤検地が実施された結果は、美濃国は54万石、恵那郡は34,3102斗6升5合であった。太閤検正保書上帳による恵那郡の78ヶ村の石高については以下の通り。

江戸時代以降[編集]

町村制施行以前の沿革[編集]

知行 村数 村名
幕府領 幕府領(笠松陣屋) 2村 大川村、水上村
旗本領(明知遠山氏) 34村 明知村、馬木村、馬坂村、高波村、峰山村、小杉村、落倉村、門野村、杉平村、野志村、上手向村、久保原村、下手向村、釜屋村、原村、田代村、猿爪村、吉良見村、小泉村、大船村、上田村、大栗村、田良子村、阿妻村、一色村、野原村、浅谷村、須淵村、颪村、上柏尾村、下柏尾村、岩竹村、安主村、土助村、才坂村
藩領 岩村藩 20村 岩村、飯羽間村、富田村、上村、漆原村、下村、小田子村、沢中村、串原村、椋実村、佐々良木村、阿木村、飯沼村、永田村、野井村、竹折村、久須見村、中野村、東野村、藤村
尾張藩 3村 川上村、付知村、加子母村、大井村
尾張藩(木曾衆) 7村 正家村、千旦林村、駒場村、手賀野村、中津川村、落合村
苗木藩 12村 日比野村、上地村、瀬戸村、坂下村、上野村、田瀬村、福岡村、高山村、蛭川村、毛呂窪村、姫栗村、中野方村
岩村藩・尾張藩 岩村藩・尾張藩 1村 馬場山田村
幕府領・藩領 幕府領(笠松陣屋)・苗木藩 1村 下野村
旗本領(茄子川馬場氏)・尾張藩(木曾衆) 1村 茄子川村

 尾張藩領内における木曾衆の領地   

  • 落合村480石8斗7升 (山村甚兵衛 240石2斗5升・千村平右衛門 240石2斗5升)
  • 中津川宿 (山村甚兵衛 1,334石6斗3升)
  • 駒場村 (千村平右衛門 772石)
  • 手金野村(手賀野村) (山村甚兵衛 456石5斗4升)
  • 千旦林村552石6斗2升 (山村甚兵衛 126石3斗1升・千村平右衛門 126石3斗1升・山村八郎左衛門 300石)
  • 茄子川村1,368石6升 旗本茄子川馬場氏との立会。(茄子川馬場氏275石・山村甚兵衛 350石・千村平右衛門 125石・原十郎兵衛 156石6斗・千村助右衛門 145石・山村一學 130石・千村次郎右衛門 119石・三尾左京 86石)
  • 正家村 873石2斗7升(山村甚兵衛 200石・千村平右衛門 400石・三尾左京 300石)

恵那郡の大区小区制[編集]

明治5年4月9日(1872年6月10日) - 大区小区制の施行により、恵那郡は岐阜県第十二大区とされた。郡内には63ヶ村があったが、11の小区に分けられた。

明治11年(1878年)7月22日 - 地方三新法の一つである郡区町村編制法の制定により大区小区制は廃止された。

恵那郡の自治体の変遷[編集]

町村制施行以降の沿革[編集]

恵那郡略図(1906 - 1933年)

恵那郡の市町村合併変遷表[編集]

明治5~8年-明治22年6月末 明治22年7月1日(町村制施行) 明治23年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和32年 昭和33年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
中津川村 中津川町 明治30年4月1日
中津町
昭和26年4月1日
中津川町
昭和27年4月1日
市制
昭和33年10月15日長野県西筑摩郡神坂村の湯舟沢地区を中津川市が編入 中津川市 中津川市
駒場村 駒場村
手賀野村 手賀野村
明治8年 日比野村が苗木村に村名変更  苗木村 明治23年10月24日
町制施行苗木町
明治8年 瀬戸村 (瀬戸村と上地村が合併)
千旦林村 千旦林村 明治30年4月1日
坂本村
坂本村 昭和29年7月10日
中津川市に編入
茄子川村 茄子川村
落合村 落合村 落合村 落合村 昭和31年9月30日
中津川市に編入
阿木村 阿木村 阿木村 阿木村 昭和32年11月1日
中津川市に編入
飯沼村 飯沼村 明治30年4月1日
阿木村に編入
坂下村、上野村 坂下村 明治44年1月1日
町制施行 坂下町
坂下町 坂下町 平成17年2月13日
長野県木曽郡山口村も含め中津川市に編入
川上村 明治38年7月1日
川上村
川上村 川上村
付知村 付知村 明治30年4月16日
町制施行付知町
付知町 付知町
福岡村、田瀬村高山村 福岡村 明治30年4月1日
福岡村
福岡村 昭和41年4月1日
町制施行 福岡町
下野村 下野村
蛭川村 蛭川村 蛭川村 蛭川村 蛭川村
加子母村 加子母村 加子母村 加子母村 加子母村
大井村 大井村 明治23年12月27日
町制施行 大井町
大井町 昭和29年4月1日
恵那市
恵那市 平成16年10月25日
恵那市
恵那市
正家村永田村中野村久須見村 長島村 明治31年12月14日
町制施行長島町
長島町
東野村 東野村 東野村 東野村
佐々良木村野井村椋實村 三郷村 三郷村 三郷村
竹折村 竹折村 明治30年4月1日
竹折村
明治35年5月24日
改称
武並村
武並村
藤村 藤村
毛呂窪村 毛呂窪村 明治30年4月1日
笠置村
笠置村
姫栗村 姫栗村
加茂郡
河合村
加茂郡
河合村
中野方村 中野方村 中野方村 中野方村
加茂郡
飯地村
加茂郡
飯地村
加茂郡
飯地村
昭和23年4月1日
恵那郡飯地村
岩村 岩村町 岩村町 昭和29年9月10日
岩村町
岩村町
富田村 富田村 明治30年4月1日
本郷村
明治5年5月 飯羽間村(上飯羽間村中飯羽間村下飯羽間村根上村が合併) 飯羽間村
馬場山田村 馬場山田村 明治30年4月1日
遠山村
昭和30年3月1日
山岡町
山岡町
久保原村 久保原村
上手向村 上手向村
下手向村 下手向村 明治30年4月1日
鶴岡村
釜屋村 釜屋村
原村 原村
田代村 田代村
明治5年8月 上村(上村、島村飯田洞村小笹原村横道村木實村が合併) 上村 上村 昭和31年9月30日
上矢作町
上矢作町
下村漆原村小田子村 下原田村 下原田村
串原村 串原村 串原村 串原村 串原村
阿妻村 阿妻村 明治30年4月1日
吉田村
昭和30年10月5日
明智町に編入
明智町
上田良子村下田良子村大栗村上田村 大田村
吉良見村 吉良見村
大船村小泉村 大泉村
明知村 明知町 明治30年4月1日
明知町
明知町 昭和29年7月1日
明智町
野志村 野志村 明治38年7月1日
静波村
杉平村門野村 杉野村
馬坂村馬木村高波村峰山村小杉村落倉村澤中村 東方村
明治8年横通村(颪村上柏尾村下柏尾村岩竹村安主村土助村才坂村が合併) 三濃村 三濃村 昭和30年4月1日
旧横通村域が明智町に編入
明治8年 野原村(一色村、上切村、上中切村、下中切村、下切村、島崎村が合併) 昭和30年4月1日
旧野原村と旧浅谷村域が、愛知県東加茂郡
旭村に編入
昭和42年4月1日
町制
愛知県東加茂郡旭町
平成17年4月1日
愛知県
豊田市に編入
愛知県
豊田市
明治8年 浅谷村(浅谷村、須淵村が合併)
大川村 大川村 明治30年4月1日
陶村
昭和7年10月1日
町制施行 陶町
昭和29年4月1日
瑞浪市に編入
瑞浪市 瑞浪市 瑞浪市
水上村 水上村
猿爪村 猿爪村

行政[編集]

  • 歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 山村良貴 明治12年(1879年)2月25日 明治14年(1881年)3月6日
2 神谷道一 明治14年(1881年)3月7日 明治16年(1883年)3月4日
3 阿部直輔 明治16年(1883年)3月5日 明治19年(1886年)3月17日
4 福田豊 明治19年(1886年)3月18日 明治26年(1893年)12月20日
5 国井清廉 明治26年(1893年)12月21日 明治31年(1898年)1月31日
6 若林卓爾 明治31年(1898年)2月1日 明治43年(1910年)12月20日
7 大野薫 明治43年(1910年)12月21日 大正4年(1915年)4月27日
8 立木利道 大正4年(1915年)4月28日 大正12年(1923年)2月25日
9 辻寶一 大正12年(1923年)2月26日 大正13年(1924年)10月3日
10 河村牧太 大正13年(1924年)10月4日 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により廃官

恵那郡役所と恵那郡会[編集]

郡区町村編制法の施行に伴う恵那郡が置かれると、明治12年(1879年)2月25日に山村良貴が初代恵那郡長に任ぜられるとともに、大井村(現在の恵那市)に恵那郡役所が設けられるが、2年後の明治14年(1881年)に郡役所が中津川村に移転される。

明治30年(1897年8月1日郡制が施行され、8月25日に郡会議員選挙が行われ、各町村選出議員20名、大地主議員5名、総数25名であった。9月16日に第一回目の郡会が招集され法律の定めるところによって役員の選挙を行い、恵那郡会が成立し、郡の自治制が完備した。

明治32年(1899年)3月に郡制の一部改正が行われた。

大正12年(1923年)4月1日、郡会が廃止されるが、郡役所は存続。

大正15年(1926年)7月1日、郡役所が廃止となる。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 日本歴史地名大系台二一巻『岐阜の地名』平凡社地方資料センター、平凡社、1993年。
  2. ^ 恵那郡史、1926年。すなわち古代には木曾は美濃国恵奈郡に属していたのである。そして元慶3年(879年)9月に懸坂上岑と鳥居峠を境界とし、岐蘇・小岐蘇の所属は美濃国恵奈郡絵上郷と定められた。
  3. ^ 明治7年9月岐阜県第187号布達
  4. ^ 明治8年1月岐阜県第17号布達

参考文献[編集]

  • 角川日本地名大辞典』21 岐阜県、「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室

関連文献[編集]

  • 『恵那郡史』加藤護一、恵那郡教育会、1926年。NDLJP:1021178

関連項目[編集]

先代:
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行政区の変遷
- 2005年
次代:
(消滅)