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大宝律令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年大宝元年)に制定された日本律令。「」6巻、「」11巻の全17巻。の律令を参考にしたと考えられている。

概要

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大宝律令の意義に挙げられるのは、中国(唐)の方式が基準の制度への転換にある。

冠位十二階の制度は、当初は徳目をあらわす漢字で個々の官位を示していたが、数値で上下関係を示す中国式に替わっている。またも、中国で地方行政組織の名称に使われてきたに用字を替えている。

遣隋使の派遣以来、7世紀の間に100年ほどの歳月をかけて蓄積した中国文明への理解によって、朝鮮半島経由の中国文明ではない、同時代の中国に倣うための準備が可能になってきていたことを意味する[1]

続日本紀』によると、官位令は律令がまだ完成前だった大宝の建元当日(大宝元年3月21日ユリウス暦701年5月3日)に先行して実施され、他の諸律令も翌年にかけて実施された。

編纂・施行の過程

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新法典の編纂は文武天皇の即位前後から進められ、飛鳥浄御原令と、天武天皇の時代以来進められていた律の編纂を基礎とし、編纂機関として撰令所が設けられ、文武天皇の叔父である刑部親王藤原不比等らが中心となった[2]

『続日本紀』の文武天皇4年(700年)3月条と6月条は、3月に律令の撰修が命じられ、6月に刑部親王以下19人が撰者に任ぜられたようにも読めるが、短期間での完成は不自然であるため、3月を令の撰修完了と律の撰修開始、6月を令の撰者への行賞とみる解釈があり、律の撰修は令より遅れて進んだとされる[2][3]

大宝元年3月21日(701年5月3日)の建元当日には五位以上の位階と官制が新令に従って改められ、六位以下の位階も同年5月に改められたため、官位令と官制の実施は律の完成に先行した[2][3]

新令の内容は、大宝元年4月に親王以下の官人、6月に僧綱、8月に諸国へ段階的に講義され、中央と地方の一般行政は同年6月から新令によって執行され、8月には明法博士が地方へ派遣されて新しい法令の講義にあたった[2][3]

刑罰法典である律は大宝元年8月に完成し、大宝2年(702年)2月に施行が命じられ、7月から講義が始まり、10月に令とともに写本が全国へ配布されたため、令の施行開始、律の完成、律の施行命令、講義、法典写本の頒布は複数の段階に分かれていた[2][3]

全国への頒布後も規定の定着は一様ではなく、慶雲3年(706年)には実情に即した大規模な改正が行われ、和銅4年(711年)の詔にも律令の規定のうち実行できたものはわずかであったことが記されている[2][3]

日本の律令法では国家的支配の制度を定める令が重視され、令に含まれる二官八省などの官制を実施することは各官司を編成・運営することと不可分であり、官司が宮都内に置かれたことから、律令法の施行、官僚制機構の整備、宮都の造営が結びついて進められた[4]

養老律令は養老2年(718年)に編纂がほぼ終了していたが、実施されたのは天平宝字元年(757年)であり、それまでの8世紀前半の中央・地方行政は大宝律令を現行法典として運営され、大宝の律・令は養老律令の施行後に「古律」「古令」とも呼ばれた[4][2]

なお、後世に一括して用いられる「大宝律令」という名称は当時の法典名ではなく、令と律を合わせて呼ぶために付された学術用語である。

内容

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大宝律令は、日本の国情に合致した律令政治の実現を目指して編纂された。刑法にあたる6巻の「律(りつ)」はほぼ唐律をそのまま導入しているが、現代の行政法および民法などにあたる11巻の「令(りょう)」は唐令に倣いつつも日本社会の実情に則して改変されている。

この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省神祇官太政官 - 中務省式部省治部省民部省大蔵省刑部省宮内省兵部省)の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立した。役所で取り扱う文書には元号を使うこと、印鑑を押すこと、定められた形式に従って作成された文書以外は受理しないことなど文書と手続きの形式を重視した文書主義が導入された。

また地方官制については、国・郡・里などの単位が定められ(国郡里制)、中央政府から派遣される国司には多大な権限を与える一方、地方豪族がその職を占めていた郡司にも一定の権限が認められていた。

  1. 笞…ち:竹のムチで10~50回打たれる
  2. 杖…じょう:ツエで60~100回打たれる
  3. 徒…ず:1~3年の懲役
  4. 流…る:遠方への追放
  5. 死…し:死刑が刑罰であった。

大宝律令の原文は現存しておらず、一部が逸文として『続日本紀』や『令集解』古記などの他文献に残存している。

757年に施行された養老律令はおおむね大宝律令を継承しているとされており、養老律令を元にして大宝律令の復元が行われている。

復元大宝令

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大宝令と養老令の編目の順序は異なっていたと考えられているが、大宝令の編目順序は明らかでない。以下は復元の一例である[5][6][7]

  1. 官位令
  2. 官員令(養老令では職員令
  3. 後宮官員令(養老令では後宮職員令
  4. 東宮家令官員令(養老令では東宮職員令・家令職員令)
  5. 神祇令
  6. 僧尼令
  7. 戸令
  8. 田令
  9. 賦役令
  10. 学令
  11. 選任令(養老令では選叙令
  12. 継嗣令
  13. 考仕令(養老令では考課令
  14. 禄令
  15. 軍防令(養老令では宮衛令・軍防令)
  16. 儀制令
  17. 衣服令
  18. 公式令
  19. 医疾令
  20. 営繕令
  21. 関市令
  22. 倉庫令
  23. 厩牧令
  24. 仮寧令
  25. 喪葬令
  26. 捕亡令
  27. 獄令
  28. 雑令

※令名称の後ろのカッコ書きは、養老令とは異なっていたと考えられている編目名である。

脚注

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出典

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  1. 鐘江宏之『律令国家と万葉びと (全集 日本の歴史 3)』83頁
  2. 1 2 3 4 5 6 7 青木和夫. 大宝律令(国史大辞典)”. ジャパンナレッジ. ネットアドバンス. 2026年7月28日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 続日本紀”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2026年7月28日閲覧。
  4. 1 2 吉村武彦『井上光貞の業績と『令集解』研究』明治大学日本古代学研究所、2019年、35-37頁
  5. 渡辺晃宏 『日本の歴史04 平城京と木簡の世紀』 講談社、2001年、p45より作表。
  6. 吉村武彦井上光貞の業績と『令集解』研究明治大学 日本古代学研究所〈日本古代学研究の世界的拠点形成〉、2019年、35-41頁
  7. 坂上康俊 (1998). “大宝令復原考証三題”. 史淵 (九州大学文学部) 135: 1-17.

関連項目

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外部リンク

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