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不破郡

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岐阜県不破郡の位置(1.垂井町 2.関ケ原町 薄黄:後に他郡に編入された区域 水色:後に他郡から編入した区域)

不破郡(ふわぐん)は、岐阜県(美濃国)の

人口34,358人、面積106.37km²、人口密度323人/km²。(2017年10月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、以下の区域にあたる。

沿革

美濃国と岐阜県の西端にある。歴史的には畿内東海道東山道諸国を結ぶ交通・軍事上の要地で、古代には不破関が置かれた。

7世紀に置かれた。初見は『日本書紀斉明天皇6年(660年)10月条にあり、百済から唐の捕虜100余人が献上されたことにつき、「今の美濃国の不破・片県二郡の唐人たちである」とある。今とは書紀の編纂時の8世紀初めを指すので、660年に不破郡があったという証拠にはならない。不破に郡があったことがわかる最古の記事は、天武天皇元年672年である。この年の壬申の乱のとき、6月27日に不破に入った大海人皇子(天武天皇)が郡家の近くで高市皇子の出迎えを受けた。不破は大海人皇子が東国から集めた軍勢の集結地になった。ここでいう郡は書紀が編纂当時の制度にあてはめて書いたもので、はじめは不破評として置かれ、大宝元年(701年)に他の評とともに郡に改められた。

別に、不破郡が当芸郡(多芸郡)から分割されたとする説もある[1]。『古事記』には倭建命が当芸野上に到ったとする記述があり、通説は「当芸野の上」と読むが[2]、不破郡の野上にあてれば野上がかつて当芸に属していたと解すことができる。また、不破氏に伝わる系譜が、壬申の乱の直後に当芸郡から不破郡が分割されたと伝える[3]

近世以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 幕府領 19村 綾戸村、室原村、福田村、綾野村、桧村、久徳村、荒川村、栗原村、塩田村、●今須村、青野村、野上村、●垂井村、●宮代村、松尾村、青墓村、大滝村、島村、表佐村
旗本領 8村 平尾村、梅谷村、市之尾村、岩手村、関ケ原村、玉村、山中村、藤下村
藩領 美濃大垣藩 11村 徳光村、中曽根村、矢道村、荒尾村、昼飯村、赤坂村、長松村、若森村、青柳村、与市新田、牧野新田[4]
尾張名古屋藩 5村 伊吹村、十六村、敷原村、榎戸村、笠毛村
幕府領・藩領 幕府領・旗本領・名古屋藩 1村 府中村
旗本領・名古屋藩 2村 大石村、新井村

変遷表

不破郡の歴史

先史

  • 縄文土器を使用する。(御祭田遺跡、中野遺跡など)
  • 弥生土器を使用する。
  • 4世紀後半 ‐ 親ヶ谷古墳が作られる。その後、朝倉古墳など前方後円墳がつくられる。
  • 7世紀前半 ‐ 南大塚古墳がつくられる。

古代

中世

近世

  • 1589年 ‐ 伊吹・岩手で太閤検地が行われる。
  • 1593年 ‐ 伏見城築城の用材が表佐湊に陸揚げされる。
  • 1600年 ‐ 関ヶ原の戦いがおこる。関ケ原や垂井が戦の舞台となる。
  • 1600年 ‐ 垂井城(平塚為広の居城)が廃城となる。
  • 1600年 ‐ 竹中重門竹中氏陣屋に居を移す。
  • 1624年~1811年にかけて中山道朝鮮通信使が通行する。(計 9回)
  • 1640年 ‐ 垂井宿関ヶ原宿助郷の指定をされる。
  • 1642年 ‐ 関ヶ原の戦いで焼失した、南宮大社を再建する。
  • 1691年 ‐ 松尾芭蕉が垂井に滞在する。
  • 1729年 ‐ 垂井から美濃路経由でが通る。
  • 1755年 ‐ 垂井宿で大火がおこる。
  • 1760年 ‐ 関ヶ原宿でも大火がおこる。
  • 1827年 ‐ 中山道をラクダが通る。
  • 1830年 ‐ 中山道をヒョウが通る。
  • 1861年 ‐ 和宮が中山道を通過される。

近代

  • 1868年 - 幕府領・旗本領が笠松裁判所の管轄となる。
  • 1868年 - 笠松裁判所の管轄地域が笠松県の管轄となる。
  • 1868年 ‐ 神仏分離により、南宮大社内の寺院・仏堂を統廃合し、朝倉山に真禅院が移される。
  • 1871年 ‐ 関ヶ原に郵便取扱所ができる。
  • 1871年 - 廃藩置県により、藩領が大垣県名古屋県となる。
  • 1872年 - 第1次府県統合により、全域が岐阜県の管轄となる。
  • 1872年 ‐ 垂井に郵便取扱所ができる。
  • 1875年 - 以下の各村の統合が行われる[5]。(44村)
    • 府中村 ← 岩手村[字野庵分]、府中村
    • 赤坂村 ← 与市新田、赤坂村
    • 静里村 ← 塩田村、徳光村
  • 1879年 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての不破郡が発足。郡役所が垂井村に設置。
  • 1882年 ‐ 郡立養蚕伝習所ができる。
  • 1883年 ‐ 関ヶ原駅が開業する。
  • 1884年 ‐ 垂井駅が開業する。
  • 1884年 ‐ 島田警察署垂井分署ができる。
  • 1885年 - 笠毛村が福田村に合併。(43村)
  • 1887年 - 牧野新田が改称して牧野村となる。
  • 1889年 - 町村制の施行により、垂井町現存)、今須村松尾村藤下村山中村玉村関ケ原村(現・関ケ原町)、相川村岩手村(現・関ケ原町、垂井町)、大石村府中村平尾村梅谷村敷原村市之尾村大滝村新井村宮代村栗原村(現・垂井町)、室原村(現・養老郡養老町)、表佐村(現・垂井町)、長松村荒川村十六村島村(現・大垣市)、綾戸村(現・垂井町)、静里村久徳村中曽根村綾野村福田村荒尾村牧野村桧村赤坂村青墓村青野村榎戸村矢道村昼飯村(現・大垣市)が発足。それにともない以下の変更が行われる。(1町39村)
    • 垂井村が町制施行して垂井町となる。
    • 伊吹村・野上村が合併して相川村となる。
    • 若森村の一部(字石田・勝沼分・町浦など)が安八郡大垣町の一部となる。
    • 青柳村および若森村の大部分が安八郡南杭瀬村の一部となる。
  • 1891年 ‐ 濃尾地震がおこる。
  • 1897年 - 以下の町村の統合が行われる。(1町14村)
    • 合原村 ← 室原村(現・養老郡養老町)、栗原村(現・垂井町)
    • 府中村 ← 府中村、平尾村、市ノ尾村、梅谷村、敷原村、大滝村、新井村(現・垂井町)
    • 宇留生村 ← 福田村、荒尾村、牧野村(現・大垣市)
    • 静里村 ← 静里村、久徳村、中曽根村、荒川村、桧村(現・大垣市)
    • 綾里村 ← 綾野村、多芸郡野口村(現・大垣市)
    • 岩手村 ← 岩手村、大石村、相川村[伊吹](現・垂井町)
    • 荒崎村 ← 長松村、十六村、島村(現・大垣市)、綾戸村(現・垂井町)
    • 青墓村 ← 青墓村、青野村、榎戸村、矢道村、昼飯村(現・大垣市)
    • 関原村 ← 松尾村、藤下村、山中村、関ケ原村、相川村[野上](現・関ケ原町)
  • 1897年 - 郡制を施行。
  • 1901年 - 赤坂村が町制施行して赤坂町となる。(2町13村)
  • 1914年 ‐ 玉に火薬庫ができる。
  • 1917年 - 現住人口33,519名。マラリア患者数187名[6]
  • 1919年7月29日 ‐ 垂井駅で列車衝突事故がおこる。死者1名、重傷者8名。
  • 1920年 ‐ 大谷池が完成する。
  • 1923年 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 1926年 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。

現代

  • 1928年
    • 4月1日 - 関原村が町制施行・改称して関ケ原町となる。(3町12村)
    • 4月15日 - 赤坂町が安八郡北杭瀬村の一部(池尻・興福地)を編入。
  • 1940年2月11日 - 宇留生村・静里村が大垣市に編入。(3町10村)
  • 1944年 ‐ 名古屋市の学童が集団疎開してくる。
  • 1944年 ‐ 東海道本線の迂回線(下り本線)が完成する。同時に新垂井駅が開業する。
  • 1945年 ‐ 垂井が空襲をうける。
  • 1947年 - 綾里村が大垣市に編入。(3町9村)
  • 1954年
    • 4月1日 - 赤坂町が安八郡南平野村の一部(草道島および四成字青木)を編入。
    • 9月1日(3町6村)
      • 赤坂町・青墓村が合併し、改めて赤坂町が発足。
      • 関ケ原町・今須村・玉村および岩手村の一部(伊吹・大高)が合併し、改めて関ケ原町が発足。
    • 9月10日 - 垂井町・宮代村・表佐村・府中村・岩手村および荒崎村の一部(綾戸)が合併し、改めて垂井町が発足。(3町2村)
    • 10月1日 - 荒崎村が大垣市に編入。(3町1村)
    • 11月3日 - 合原村の一部(室原)が養老郡高田町養老村広幡村上多度村笠郷村小畑村多芸村日吉村および池辺村の大部分(駒野新田および釜段大字徳島を除く)と合併して養老郡養老町が発足。
    • 12月1日 - 合原村が垂井町に編入。(3町)
  • 1956年4月1日 - 赤坂町が揖斐郡池田町の一部(南市橋)を編入。
  • 1967年9月1日 - 赤坂町が大垣市に編入。(2町)
これより先は垂井町関ケ原町を参照。

脚注

  1. ^ 田中卓「不破の関をめぐる古代氏族の動向」156-159頁
  2. ^ 『古事記』岩波文庫版126頁。
  3. ^ 田中卓「不破の関をめぐる古代氏族の動向」157頁に『不破家寿麻呂家譜』の一部の紹介がある。
  4. ^ 記載なし。
  5. ^ 明治8年1月岐阜県第17号布達
  6. ^ 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)。

参考文献