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安八郡

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岐阜県安八郡の位置(1.神戸町 2.輪之内町 3.安八町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

安八郡(あんぱちぐん)は、岐阜県美濃国)の

人口43,885人、面積59.27km²、人口密度740人/km²。(2016年10月1日、推計人口

以下の3町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

  • 大垣市の大部分(杭瀬川以西および横曽根町・横曽根・高渕町・高渕・上笠町・上笠・西大外羽町・西大外羽・大外羽・多芸島町・多芸島・南市橋町を除く)
  • 海津市の一部(平田町今尾・平田町高田・平田町三郷・平田町仏師川・平田町土倉・平田町脇野・平田町西島・海津町平原)
  • 神戸町の大部分(西座倉を除く)
  • 輪之内町・安八町の全域
  • 揖斐郡池田町の一部(白鳥)

歴史

日本書紀』壬申紀に、安八磨郡(あはちまのこおり)として現れる。この時期の評を書紀は郡に書き改めているので、当時の呼び名は安八磨評である。672年の安八磨郡には大海人皇子(後の天武天皇)の湯沐令として多品治がおり、郡全体が大海人皇子の湯沐邑だったと考えられる。壬申の乱では皇子のために真っ先に兵を挙げた。

大宝2年(702年)の戸籍には味蜂間郡のものがあり、これも同じ郡を指す。その戸籍にある味蜂間郡の春部里は、後の池田郡の春日とみられ、古い味蜂間郡(安八磨郡)は後の池田郡をもあわせた領域だったと推測される。10世紀の和名類聚抄成立までに池田郡が分離した。

「あんぱちぐん」と呼ばれるようになったのは明治以降といわれている。

近代以前の沿革

  • 江戸時代初期 - 中郷村の南で新田開発が行われ、中郷新田ができる。
  • 1615年元和元年) - 西橋村の一部が尾張藩領となり、西ノ橋村[1]として分立。
  • 1622年(元和8年) - 海松新田が開発される。
  • 1645年(正保元年)
    • 禾森村の南で新田開発が行われ、築捨新田が成立。後に築捨村に改称。
    • 外花村の東側で新田開発が行われ、南外渕新田と一本木新田ができる。
  • 1646年(正保2年) - 釜笛村の新田として、浅草新田が出来る。
  • 1665年寛文5年) - 南外渕新田は外渕村に改称する。
  • 1679年延宝7年) - 外野村で新田開発が行われ、外渕村新田ができる。
  • 1701年(元禄14年)
    • 築捨村が東築捨村と西築捨村に分立する。
    • 浅草新田が浅草東村、浅草中村、浅草西村に分立する。
  • 1804年文化元年) - 西橋村は尾張藩領となる。
  • 1817年文化14年) - 外渕村新田は外渕新田となる。
  • 江戸時代末期
    • 外渕新田は外花村の一部となる。
    • 北方村は一つの村であったが、村内に岩村藩領(通称:岩村領北方村)と旗本の名取家領(通称:名取領北方村)があり、実質2つの村であった。

近世以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 幕府領(美濃郡代 13村 中郷村、中郷新田、上大榑村、上大榑新田、五反郷村、五反郷新田、下大榑村、下大榑新田、仏師川村、仏師川新田、車戸村、脇田村、須賀村
幕府領(大垣藩預地 14村 本戸村[2]、南波村、●楡俣村、福束村、楡俣新田、海松新田、福束新田、西結村、西橋村、里村、中須村、馬瀬村[3]、藻池新田、大藪村
旗本領 5村 白鳥村、南今ヶ淵村[4]、善光村、内野村、下成田村
藩領 美濃大垣藩 1町
88村
大垣町[5]、割田村、切石村、宮村、西崎村、室村、南寺内村、●南頬村、禾森村、今福村、難波野村、牧新田村、深池村、古宮村、平村、直江村、西高橋村、東高橋村、長沢村、江崎村、今宿村、三塚村、津村、上開発村、大島村、加賀野村、貝曽根村、高屋村、犬ヶ淵村、東前村、藤江村、林本郷村、林中村、林東村、楽田村、中川村、領家村、興福地村、河間村、笠木村、笠縫村、中野村、一色村(現・大垣市)、木戸村、大村、三本木村、万石村、波須村、沢渡村、小野村、下開発村、東結村、新屋敷村、●下宮村、川西村、前田村、●八条村、和泉村、中沢村、青木村、市島村[6]、南方村、更屋敷村、末守村、一色村(現・神戸町)、田村、安次村、丈六道村、曽根村、瀬古村、柳瀬村、加納村、今村、小泉村、横井村、池尻村、釜笛村、島里村、友江村、外花村、川口村、米野村、内阿原村、築捨村、浅草西村、浅草東村、浅草中村、塩喰村、豊喰新田村
尾張名古屋藩 20村 森部村、墨俣村、西之橋村、海松村、大吉新田、二ツ木村、柿内村、西島村、高田村、大森村、●神戸村、氷取村、成田村、大明神村、北今ヶ淵村、大野村、南条村、落合村、斎田村、付寄村
美濃今尾藩[7] 4村 ●今尾村、土倉村、脇野村、大牧村
尾張犬山藩[8] 2村 牧村、中村
大垣藩・名古屋藩 1村 草道島村
名古屋藩・今尾藩 1村 大尻村
幕府領・藩領 幕府領(美濃郡代)・名古屋藩 1村 勝村
幕府領(大垣藩預地)・名古屋藩 1村 下宿村
旗本領・大垣藩・美濃岩村藩 1村 北方村
  • 慶応4年
  • 明治初年
    • 領地替えにより名古屋藩領の一部(附寄村・勝村)が笠松県の管轄となる。
    • 西高橋村・東高橋村が合併して高橋村となる。(1町150村)
  • 明治4年
  • 明治7年(1874年)9月[9](1町153村)
    • 割田村の一部が分立して外野村となる。
    • 外花村の一部が分立して外淵村となる。
    • 北方村の一部が分立して西保村となる。
    • 2ヶ所存在した一色村がそれぞれ南一色村(現・大垣市)・北一色村(現・神戸町)に改称。
  • 明治8年(1875年
    • 1月 - 以下の各村の統合が行われる[10]。(1町133村)
      • 平原村 ← 内野村、成田村、下成田村
      • 仏師川村 ← 仏師川村、仏師川新田
      • 三郷村 ← 大尻村、車戸村、海西郡須脇村
      • 蛇池村 ← 脇田村、海西郡野市場村
      • 福合村 ← 福束新田、中郷新田、藻池新田、海松新田、下大榑村、下大榑新田
      • 四郷村 ← 上大榑村、上大榑新田、五反郷村、五反郷新田
      • 松内村 ← 海松村、柿内村
      • 塩喰村 ← 豊喰新田、塩喰村
      • 林村 ← 林本郷村、林東村、林中村、高屋村
      • 四成村 ← 八条村、和泉村、市島村、青木村
    • 6月(1町133村)
      • 須賀村・勝村が合併して勝賀村となる。
      • 切石村の一部が分立して久瀬川村となる。
    • 11月 - 大牧村が石津郡高柳古新田・高柳新田・小坪新田と合併して多芸郡大巻村となる。(1町132村)
  • 明治12年(1879年2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての安八郡が発足。郡役所が大垣町に設置。
  • 明治13年(1880年)8月 - 今村の一部(旧・今村入方)が分立して世安村となる。(1町133村)
  • 明治14年(1881年)(1町141村)
    • 8月13日 - 林村が分割して林本郷村・林東村・林中村・高屋村となる。
    • 12月8日 - 福合村が分割して福束新田・中郷新田・藻池新田・海松新田・下大榑村・下大榑新田となる。

町村制以降の沿革

変遷表

脚注

  1. ^ 「西端村」「西之橋村」とも表記されていた。
  2. ^ 「木戸村」と誤記されている。
  3. ^ 馬之瀬村・馬之瀬新田に分かれて記載。
  4. ^ 記載は今ヶ淵村。
  5. ^ 大垣城下各町の総称。無高のため記載なし。
  6. ^ 戸数0の無人の村であった。『神戸町史』上巻、43頁。
  7. ^ 尾張藩附家老竹腰氏領が慶応4年1月24日(1868年2月17日)に立藩。
  8. ^ 尾張藩附家老成瀬氏領が慶応4年1月24日(1868年2月17日)に立藩。
  9. ^ 明治7年9月岐阜県第187号布達
  10. ^ 明治8年1月岐阜県第17号布達
  11. ^ この時点では大垣郭町、大垣宮町、大垣袋町、大垣外側町、大垣桐ヶ崎町、大垣栗屋町、大垣田口町、大垣弓町、大垣籏町、大垣室町、大垣鳩部屋町、大垣鳥見町、大垣番組町、大垣牛屋町、大垣西長町、大垣鷹匠町、大垣馬場町、大垣新馬場町、大垣切石町、大垣西代官町、大垣岐阜町、大垣歩行町、大垣高橋町、大垣東代官町、大垣新地町、大垣東長町、大垣清水町、大垣伝馬町、大垣中町、大垣魚屋町、大垣本町、大垣南新町、大垣北新町、大垣竹島町、大垣俵町、大垣東船町、大垣西船町、大垣田町、大垣田町堤通、大垣西田町、大垣東今岡町、大垣西今岡町、大垣東主水町、大垣西主水町が存在。
  12. ^ 宇代官町東、新地前、狐堀、村西、堤際のうち新規川(水門川支流)より西の地域。
  13. ^ 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)。

参考文献