勘定所

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勘定所(かんじょうしょ)は、江戸幕府や諸旗本などにおいて、財政や民政を担当する役所・支配機構の名称。勘定奉行を長官とする場合が多い。

職掌・組織・設置年代などはそれぞれ異なる。一般的に職務内容は、1.蔵入地(直轄領)の農政を司る代官系統の職務-年貢収納など、2.蔵入地と知行地にまたがる業務を担当する郡奉行系統の職務-触の伝達・治安・治水・用水・新田開発など、に大別することができる。

江戸幕府の場合は両系統が勘定所に包摂されているが、別機構になっている諸藩も多い。

江戸幕府[編集]

勘定奉行を長官として、勘定吟味役勘定組頭勘定支配勘定などで構成されていた。

役所は、城内の御殿勘定所と大手門内の下勘定所のふたつがあった。御殿勘定所は「御殿詰」と「勝手方」とに分かれ、下勘定所には「取箇(とりか)方」「道中方」「伺方」「帳面方」があった(天保5年(1834年)時点)。その下にはさらに幾つもの業務が細かく分課されていた。

  • 御殿詰 - 各役所からの諸経費などの書類の決裁、米相場や分限帳の検査を担当
  • 勝手方 - 金座・銀座・朱座の監督や御家人の給米を担当
  • 取箇方 - 天領における徴税など経済面の事務を担当
  • 道中方 - 五街道の管理業務を担当
  • 伺方 - 運上金・冥加金、山林管理などの雑務の監督・経理処理を担当
  • 帳面方 - 各役所や郡代代官から提出される帳簿を検査し、勘定奉行の可判を受けた上で決算書類を作成

天和年間以降に郡代・代官の吏僚化が図られ、勘定奉行から代官に至る支配機構の整備が進められた。享保6年(1721年)、「勝手方」(農政財政関係)と「公事方」(訴訟関係)に分割された。享保8年(1723年)、上方と関東の二元支配体制から部門を統合し一元支配となった。

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諸藩にも勘定所は存在し、幕府の勘定所と同じく、藩の財政や租税徴収などの職務を担当していた。勘定所の最高責任者は勘定奉行であり、藩の財政に関わる重職のため、藩内でも比較的家格の高い上士が任じられた。また、奉行の配下には勘定方の役人がおり、実務に当たっていた。

昭和期の実業家・工学者である団琢磨の養父である団尚静は福岡藩の勘定奉行であった。

旗本[編集]

関連項目[編集]

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