阿部正由

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阿部正由
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦12年11月22日1763年1月5日
死没 文化5年10月11日1808年11月28日
改名 久米之丞(幼名)→松平頼朴(初名)→阿部正由
官位 従五位播磨守、従四位豊後守兼侍従
幕府 江戸幕府 奏者番寺社奉行大坂城代
京都所司代
武蔵忍藩
氏族 紀州徳川家阿部氏
父母 父:徳川宗将、母:清信院(吉田氏)
養父:阿部正識
兄弟 直松、徳川重倫、門之進、内藤学文
松平頼興松平頼謙松平忠功三浦為脩
松平忠和安藤道紀正由
正室:阿部正識の養女(阿部正敏の娘)
酉次郎(早世)、正権
養子:明子梅心院亀井茲尚室)

阿部 正由(あべ まさよし)は、江戸時代中期から後期の大名武蔵忍藩第8代藩主。寺社奉行大坂城代京都所司代。忠秋系阿部家8代。紀州藩徳川宗将の子で、はじめは松平頼朴(よりなお)と名乗った。

生涯[編集]

宝暦12年(1762年)11月22日、紀州藩主・徳川宗将の十一男として生まれる。寛政5年(1793年)1月25日に忍藩主阿部正識の養子となり正識の養女を正室に迎える。同年2月に従五位播磨守に叙任された。

寛政8年(1796年)2月21日、阿部家の家督を相続。寛政10年(1798年奏者番享和元年(1801年7月17日寺社奉行文化元年(1804年1月23日大坂城代、文化3年(1806年10月12日京都所司代と幕府の要職を歴任した。

文化5年(1808年)10月11日に死去(公には11月22日と発表)、享年47(満45歳没)。長男の正権が家督を継いだ。

官歴[編集]

参考文献[編集]

  • 工藤寛正編『江戸時代全大名家事典』東京堂出版、2008年。
  • 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。