松平輝和

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松平輝和
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 寛延3年3月21日1750年4月27日
死没 寛政12年9月20日1800年11月6日
改名 長三郎→酒之丞(幼名)→輝和
墓所 埼玉県新座市野火止の平林寺
官位 従四位下、右京大夫
幕府 江戸幕府
上野高崎藩
氏族 大河内松平家
父母 父:松平輝高、母:林氏
兄弟 輝行輝和輝延
輝健(長男)、絢(柳沢保民正室)、娘(松平宗允正室)、娘(松平直方継室)ら
養子:輝延

松平 輝和(まつだいら てるやす)は、江戸時代中期から後期の上野高崎藩主、寺社奉行大坂城代。高崎藩大河内松平家5代。

生涯[編集]

高崎藩第3代藩主・松平輝高の次男。兄・輝行の死去により、安永4年(1775年)7月5日、嫡子となる。

天明元年(1781年)11月11日、家督を継ぐ。天明3年(1783年)9月1日、奏者番となり、翌天明4年(1784年)4月26日、寺社奉行を兼任する。寛政10年(1798年)12月8日、大坂城代となる。寛政12年(1800年)、任地の大坂で病没した。

死去に際し実子・輝健がいたが、輝健の誕生以前に弟の輝延を嗣子に定めていたため、家督は輝延が継いだ。

藩政においては、郡奉行大石久敬に農政書『地方凡例録』を編纂させ、藩士の服務規程を定めた。