松平乗邑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平乗邑
時代 江戸時代中期
生誕 貞享3年1月8日1686年1月31日
死没 延享3年4月16日1746年6月4日
改名 源二郎(幼名)、乗益(初名)、乗邑
戒名 源壽院殿晃月心英忠大居士
墓所 東京都港区虎ノ門天徳寺
官位 従五位下和泉守左近衛将監従四位下侍従
幕府 江戸幕府 大坂城代老中、勝手掛老中、老中
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗家重
肥前唐津藩主、志摩鳥羽藩主、伊勢亀山藩主、山城淀藩主、下総佐倉藩
氏族 大給松平家
父母 松平乗春奥平昌能次女くら姫
兄弟 乗邑乗住乗興忠暁
土屋政直
柳瀬氏、加賀野氏
意乗乗祐乗薀乗富乗溥、ヒサ、
岡部長著正室
テンプレートを表示

松平 乗邑(まつだいら のりさと)は、江戸時代中期の大名老中肥前国唐津藩3代藩主、志摩国鳥羽藩主、伊勢国亀山藩主、山城国淀藩主、下総国佐倉藩初代藩主。大給松平家宗家10代。官位従四位下侍従

生涯[編集]

唐津藩2代藩主・松平乗春の長男として誕生。元禄3年(1690年)、藩主であった父・乗春の死により家督を相続する。正徳元年(1711年)には、近江国守山において朝鮮通信使の接待を行っている。享保8年(1723年)老中となり、下総佐倉に転封となる。以後足掛け20年余りにわたり徳川吉宗享保の改革を推進し、足高の制の提言や勘定奉行神尾春央と共に年貢の増徴や大岡忠相らと相談して刑事裁判の判例集である公事方御定書の制定、幕府成立依頼の諸法令の集成である御触書集成太閤検地以来の幕府の手による検地の実施などを行った。

水野忠之が老中を辞任したあとは老中首座となり、後期の享保の改革を牽引し、元文2年(1737年)には勝手掛老中となり、「金穀の出納を掌るべき旨仰をかうぶ」ることになった乗邑は農財政の全てを管掌することになった。『大岡忠相日記』によれば、関東地方御用掛の職を務めていた大岡忠相も「月番の無構(かまいなく)」(老中の月番に関わりなく)農政に関することは全て乗邑に報告するよう指示された。

当時は吉宗が御側御用取次を取次として老中合議制を骨抜きにして将軍専制の政治を行っていた。『大岡日記』に拠ると元文3年(1738年)に大岡忠相配下の上坂安左衛門代官所によるの植林を3ヵ年に渡って実施する件について、7月末日に御用御側取次の加納久通より許可が出たため、大岡が8月10日に勝手掛老中の乗邑に出費の決裁を求めたが、乗邑は「聞いていないので書類は受け取れない」と処理を一時断っている。この対応は例外的であり、当時は御側御用取次が実務官僚の奉行などと直接調整を行って政策を決定していたため、この事例は乗邑による、老中軽視の政治に対するささやかな抵抗と見られている[1]

将軍後継問題に関して、吉宗の次男の田安宗武を将軍に擁立しようとしていたが、長男の家重が後継と決定されたため、その経緯により家重から疎んじられるようになった。延享2年(1745年)、酒井忠恭が老中に就くと、忠恭が老中首座とされ、次席に外れた。同年11月、家重が9代将軍に就任すると直後に老中を解任され、加増1万石を没収され隠居を命じられる。次男・乗祐に家督相続は許されたが、間もなく出羽山形に転封を命じられた。

延享3年(1746年)に死去、享年61。

年表[編集]

※日付=旧暦

  • 1690年元禄3年)11月10日 - 家督相続(肥前国唐津6万石)
  • 1691年(元禄4年)2月9日 - 志摩国鳥羽に転封
  • 1699年(元禄12年)12月21日 - 従五位下和泉守に叙任
  • 1710年宝永7年)1月26日 - 伊勢国亀山に転封
  • 1717年(享保2年)12月 - 山城国淀に転封
  • 1722年(享保7年)6月1日 - 大坂城代
  • 1722年(享保7年)7月12日 - 左近衛将監に遷任
  • 1723年(享保8年)
    • 1月15日 - 大坂城代御役御免
    • 4月21日 - 老中
    • 5月1日 - 下総国佐倉に転封
    • 12月15日 - 従四位下に昇叙
  • 1724年(享保9年)11月9日 - 侍従を兼任
  • 1730年(享保15年)6月12日 - 老中水野忠之御役御免に伴い、老中首座
  • 1745年延享2年) - 1万石加増・都合7万石
    • 9月1日 - 西丸老中酒井忠恭の本丸老中への異動および同首座となるに伴い、老中次座
    • 10月9日 - 老中黜免・差控
    • 10月10日 - 加増分の1万石減封・隠居を命じられる

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 深井雅海「江戸幕府御側御用取次の基礎的研究」1983年5月(『国史学 第120号』)

参考文献[編集]

  • 萩原裕雄「吉宗時代 松平乗邑失脚事件--享保の改革の功労者に突如下された非情な結末 (特集 江戸城の400年) -- 「江戸城400年事件史」『歴史読本:第48巻8号(通号765号)』新人物往来社 2003年8月所収
  • 高野澄「第八代将軍吉宗 松平乗邑の家重廃立の陰謀 (特集 徳川将軍家 血の暗闘史) -- (将軍家の継嗣騒動)」『歴史と旅:第26巻12号』秋田書店 1998年8月所収
  • 谷口昭「転封考 史料編松平乗邑文書(1)資料」『名城法学:第45巻3号』名城大学法学会 1996年2月所収。以下、(2)第46巻1号:1996年7月 (3)第46巻2号:1996年11月 (4)第46巻4号:1997年2月 (5)第47巻3号:1997年12月 (6)第48巻1号:1998年6月に、それぞれ同様の論題で続編として所収。
  • 大石学「松平乗邑体制の歴史的性格--元文〜延享期の農政の検討を通じて」『徳川林政史研究所研究紀要 』(通号 昭和55年度)徳川黎明会 1981年3月所収
  • 本間修平「加納久通の西丸若年寄昇進と老中松平乗邑罷免について--吉宗大御所政治に関する一試論」『法学新報』第86巻10号 - 12号 中央大学法学会 1980年3月所収

登場作品[編集]

関連項目[編集]