木下順二

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木下 順二
(きのした じゅんじ)
1956年
誕生 (1914-08-02) 1914年8月2日
東京市本郷区
死没 (2006-10-30) 2006年10月30日(92歳没)
職業 劇作家評論家
最終学歴 東京帝国大学大学院修士課程修了
ジャンル 演劇評論翻訳
主題 現代劇民話劇、史劇シェークスピア作品
代表作 『彦市ばなし』(1946年)
夕鶴』(1949年)
『山脈(やまなみ)』(1949年)
子午線の祀り』(1978年)
主な受賞歴 岸田演劇賞(1947年)
読売文学賞(1953年)
産経児童出版文化賞(1959年、1992年)
毎日出版文化賞(1959年、1966年)
朝日賞(1961年)
読売文学賞随筆部門(1985年)
毎日芸術賞(1989年)
JRA賞馬事文化賞(1995年)
親族 佐々醒雪(伯父)
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木下 順二(きのした じゅんじ、1914年大正3年〉8月2日 - 2006年平成18年〉10月30日)は、日本劇作家評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人戦後民主主義者)であった。

来歴・人物[編集]

東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。第二女子師範附属小学校を経て郷里熊本市に戻る。実家は祖父の代まで惣庄屋を務めた熊本の名家だった[1]。旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、第五高等学校を経て1936年、東京帝国大学文学部英文科に入学し、中野好夫[2]の指導でシェイクスピアを専攻した。1939年、法政大学講師[3]。1941年東京大学大学院文学部英文科修士課程修了。

第二次世界大戦後、明治大学講師となる。1947年、山本安英らと劇団『ぶどうの会』を結成。『彦市ばなし』などの民話劇を経て『婦人公論』1949年1月号に『夕鶴』を発表(10月丹波市天理教講堂でぶどう座が初演、1950年1月東京初演)。同年「夕鶴」で毎日演劇賞を受賞。『芸術』1949年3月号に『山脈』を発表(3月29日 - 4月14日初演、三越劇場、民芸)。『世界』1951年6-7月号に『蛙昇天』(1952年6月、三越劇場、ぶどうの会初演)を発表。1952-64年に明治大学文学部教授。

他に明治初期の熊本が舞台の『風浪』(処女作を改稿した作品[1])や、ゾルゲ事件を題材とした『オットーと呼ばれる日本人』(1962年に劇団民藝で初演)、東京裁判を題材とする『神と人とのあいだ』などで戦後日本の演劇人を代表する作家となる。作品は「劇団民藝」や「前進座」でよく上演された。前者を主宰した宇野重吉とは生涯の同志であった。

1967年、山本安英らと「ことばの勉強会」を開始[3]

1978年に『文藝』誌上に発表した『子午線の祀り』は『平家物語[4]に基づいて、叙事詩的な「語り」を「群読」というスタイルを導入することで演劇化すると同時に、現代劇のスタイルと歌舞伎狂言といった伝統芸能のスタイルとの融合を実現した。その後も、作品論『平家物語 古典を読む』や児童出版で「絵巻平家物語」を刊行した。

戯曲・小説・演劇評論のほかに、ライフワークにシェイクスピア作品の訳・上演など、広い分野に著作があり、それらは『木下順二集』(岩波書店 全十六巻)[5]にまとめられた。

乗馬・馬術を愛し[3]、旧制五高時代は馬術部主将を務め、インターハイで3位入賞の経験もある[1]
1995年には『馬の文化叢書』でJRA賞馬事文化賞を受賞。2000年に、趣味で収集した国内有数の“馬の本”コレクション約3000冊を馬事文化財団に寄贈した[1]

1984年日本芸術院会員に選ばれたが辞退、1998年東京都名誉都民に選ばれるが辞退、国家的名誉は一切受けず、左翼として筋を貫いた。元号法制化、小選挙区制度等の反対運動をするなどし、九条の会にも賛同している。また日本共産党のシンパとして同党の支持層拡大の催しにも活発に参加した。

2006年10月30日肺炎により死去。92歳没。葬儀は本人の遺志により行われず、11月30日に死が明らかにされた[6]。生涯独身であった。

賞歴[編集]

著書[編集]

  • 『夕鶴』弘文堂アテネ文庫) 1950
  • 『山脈(やまなみ)』世界文学社 1950
  • 『三角帽子』(アラルコン原作を脚色)未來社 1951
  • 『蛙昇天』未來社 1952
  • 『風浪』未來社 1953 のち新潮社(一時間文庫)、角川文庫ほか
  • 『私たちのシエイクスピア』筑摩書房 (中学生全集)1953、ちくま少年図書館 1975
  • 『木下順二集 新文学全集』河出書房 1953
  • 『木下順二ラジオ・ドラマ選集』宝文館 1954
  • 『木下順二放送劇集』未來社 1957
  • 『ドラマの世界』中央公論社 1959、中公文庫 1976
  • 『オットーと呼ばれる日本人』筑摩書房 1963、講談社文庫 1973。解説尾崎秀実
  • 『冬の時代』筑摩書房 1964
  • 『日本が日本であるためには』文藝春秋新社 1965
  • 『花若・陽気な地獄破り』未來社 1966
  • 『無限軌道』講談社 1966、講談社文庫 1977
  • 『白い夜の宴』筑摩書房 1967
  • 『ドラマとの対話』講談社 1968
  • 『随想 シェイクスピア』筑摩書房(私の古典) 1969
  • 『神と人とのあいだ』講談社 1972
  • 『シェイクスピアの世界』岩波書店 1973、同時代ライブラリー 1993
  • 『忘却について』平凡社 1974
  • 『運命のこちら側』講談社 1976
  • 『歴史について』毎日新聞社(現代日本のエッセイ)1976、講談社文芸文庫 1990
  • 『龍が見える時』三月書房 1978
  • 『子午線の祀り』河出書房新社 1979、河出文庫 1990
  • 『古典を訳す』福音館書店(福音館日曜日文庫)1979。梶山俊夫
  • 『楽天的日本人』作品社 1980
  • 『寥廓 随想集』筑摩書房 1980
  • 『ドラマが成り立つとき』岩波書店 1981
  • 木下順二戯曲選』全4冊 岩波文庫 1982-1999
  1. 風浪・蛙昇天
  2. 夕鶴・彦市ばなし・山脈・暗い花火
  3. オットーと呼ばれる日本人・神と人とのあいだ
  4. 子午線の祀り・沖縄・龍が見える時
作品集
  • 木下順二評論集』全11巻 未來社[8] 1956-1984
  • 木下順二作品集』全8巻 未來社 1961-1971
  • 木下順二集』全16巻 岩波書店 1988-1989
  • 『木下順二集 戦後文学エッセイ選』影書房 2005

民話・童話・絵本[編集]

  • 『民話劇集』全3巻 未來社 1952-1953
  • 『ききみみずきん』未來社 1955、岩波書店 1966
  • 『日本民話選』岩波少年文庫 1958、改版1985。産経児童出版文化賞受賞
  • 『かにむかし』岩波書店 1959
  • 『わらしべ長者 日本の民話22編』岩波書店 1962、岩波少年文庫 2000
  • 『夢見小僧』平凡社 1966、新版1976
  • 『山のせいくらべ』風涛社 1968
  • 『白河殿の戦い 保元物語』平凡社名作文庫 1979
  • 『でれすけほうほう』筑摩書房 1979
  • 『うりこひめとあまんじゃく』岩波書店 1984
  • 『絵巻平家物語』ほるぷ出版 1984-1991
1 忠盛 1984
2 祇王 1984
3 俊寛 1985
4 文覚 1987
5 清盛 1987
6 義仲 1988
7 義経 1989
8 忠度 1989
9 知盛 1991

対談[編集]

  • To Be, or Not To Be:木下順二対談集 筑摩書房 1972
  • 人間・歴史・運命 対話集 岩波書店 1989
  • 生きることと創ることと 演劇問答 人文書院 1994
  • 木下順二・民話の世界 聞き手塩田庄兵衛 創風社 1995
  • 木下順二対話集 ドラマの根源 未來社 2007

共編著[編集]

翻訳[編集]

ジョン・バートン、ピーター・ホール編著 講談社 1997

評伝[編集]

  • 新藤謙『木下順二の世界』東方出版、1998年12月。ISBN 4-88591-583-X 
  • 関きよし、吉田一『木下順二・戦後の出発』影書房、2011年8月。ISBN 978-4-87714-416-6 
  • 宮岸泰治『木下順二論』岩波書店、1995年5月。ISBN 4-00-002746-8 
  • 吉田一『木下順二・その劇的世界』影書房、2008年2月。ISBN 978-4-87714-380-0 
  • 井上理恵編著『木下順二の世界 敗戦日本とむきあって』社会評論社、2014年2月。ISBN 978-4-7845-1132-7

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 日外アソシエーツ現代人物情報
  2. ^ 師・中野によるシェイクスピア作品集の訳や、晩年刊の著作集(筑摩書房)にも協力した
  3. ^ a b c 読売人物データベース
  4. ^ 石母田正『平家物語』(岩波新書 青版、初版1957年、のち増補新版・岩波文庫)からの影響も大きい。
  5. ^ 翻訳作品は入っていない。『木下順二集』以後も新しい作品・翻訳を刊行している。
  6. ^ 不破敬一郎「木下順二と山本安英」(岩波書店『図書』2008年12月号)によると、「平成18年10月30日、風邪をこじらせて肺炎で亡くなった。救急車で文京区にある駒込病院に運ばれた直後であった(戦前から文京区本郷に在住)。つきそっていたのは、晩年の十数年間、身の回りのすべてを世話になった養女新藤とみ子一人であった」という。
  7. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年9月1日閲覧。
  8. ^ 松本昌次が担当、独立し影書房を設立

外部リンク[編集]