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わが青春に悔なし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わが青春に悔なし
監督 黒澤明
脚本 久板栄二郎
製作 松崎啓次
出演者 原節子
藤田進
大河内傳次郎
音楽 服部正
撮影 中井朝一
編集 後藤敏男
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 日本の旗 1946年10月29日[1]
上映時間 110分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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『わが青春に悔なし』(わがせいしゅんにくいなし)は、1946年に公開された日本のドラマ映画である。監督は黒澤明、主演は原節子。モノクロ、スタンダードサイズ、110分。GHQ占領下に民間情報教育局が民主主義啓蒙を目的に推奨した映画の一つである[2]。京大事件の滝川幸辰とゾルゲ事件の尾崎秀実を題材とし、ファシズムの時代に弾圧された教授と学生たちの師弟関係と、そんな時代に自我に目覚める女性の姿を描く[3]。

ストーリー

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原節子、藤田進
大河内傳次郎、原節子、藤田進
杉村春子、原節子

日本が戦争へと歯車が狂い始めていた1933年(昭和8年)、京大教授の八木原夫妻とその娘・幸枝、父の教え子である糸川と野毛ら7人の前途有望な学生達は、吉田山でピクニックを楽しんでいた。全てに慎重で常識と立場を重んじる糸川と、正しいと信じた事は立場に関係なく主張する野毛の二人は幸枝に好意を持っていた。幸枝も好対照な二人それぞれに惹かれていた。しかし、大学では京大事件が発生し、自由主義者の八木原教授は罷免されてしまう。やがて大学を追われた八木原は弁護士、糸川は検事になり、野毛は左翼運動に身を投じていた。野毛に強く惹かれていた幸枝は上京して自活の道を選び、野毛の後を追った。1941年(昭和16年)、幸枝は野毛と結婚する。だが、野毛は戦争妨害を指揮したとして逮捕され、獄死してしまう。

キャスト

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スタッフ

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製作

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撮影現場。主演の原節子。
原節子と監督の黒澤明。

1945年9月22日、民間情報教育局(CIE)課長のデヴィッド・コンデは各映画会社の重役たちをCIE本部に呼びつけ、民主主義啓蒙映画を早急に作るように厳命した[5]。1946年2月、松竹は軍国主義の弾劾をテーマにした『大曾根家の朝』を制作・公開した。木下惠介が監督し、久板栄二郎が脚本を書いた。東宝ではプロデューサーの松崎啓次は本作の企画を発案し、久板に話をもちかけた[6]。松崎が集めた素材をもとに、久板は黒澤明の協力を得て約20日間かけて脚本の第1稿を執筆した[7]。

1946年4月6日、東宝撮影所では第1次東宝争議が終結した[8]。それにより東宝従業員組合は企画審議会を設置し、映画製作に強い権限を持つようになった[9]。本作の第1稿も企画審議会に提出されたが、楠田清監督の『命ある限り』と題材が類似しているとして変更を余儀なくされた[9]。黒澤は2つの脚本からはまったく異なる作品が生まれると審議会で述べたが、受け入れられることはなかった[10]。『命ある限り』は組合幹部の山形雄策が脚本を書いていたため、この審議会の結論は初めから決定していた[9]。そのため黒澤は最後の20分間を書き直すことになり、「無理に話を替えたから、少し歪んだものになった」と述べている[10]。このような経緯もあり、黒澤は本作について「題名とは逆に、大いに悔あり」と述べている[10]。

撮影は同年4月から10月15日の第2次東宝争議開始までのあいだに行われたとされる[8]。同年7月発売の映画雑誌には映画完成を告げる広告が掲載された[11]。

冒頭の吉田山のシーンは衣笠山や宝ヶ池で撮影した[8]。大学内部は東京大学で撮影し、八木原教授の記念講義のシーンは東大法学部25番教室を使用した[12]。東大での撮影は、監督補佐の堀川弘通が東大出身だった縁をたどって、法学部長の我妻栄に許可を貰って実現させた[12]。この撮影の学生エキストラの中には東大生の荻昌弘もいた[12]。また、学生が警官隊と揉みあうシーンは京都大学の正門前で撮影した[12]。本作ではパンフォーカス撮影を試みようとしたが、大量の照明が必要になるため、敗戦直後の電力不足で諦めた[13]。

公開と評価

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1946年10月29日に劇場公開された。第2次東宝争議のあおりを受けて日活の系列館で上映された[8]。

第20回キネマ旬報ベスト・テンでは第2位に選出された[14][8]。公開当時の批評家のあいだでは、黒澤の技巧的演出力は認められたものの、原節子演じる自我の強い女性のエキセントリックな描写に賛否が分かれた。北川冬彦、飯島正、瓜生忠夫、登川直樹らは映画を批判した[15][6]。しかし『新映画』1947年2月号、『映画ファン』同年4月号に掲載された読者による1946年の映画ベストテンでは、いずれも本作が1位に選ばれた[16][17][6]。『映画ファン』編集長の大塚和も「この一年間を通じて、東宝演技陣の最大の収穫は、『わが青春に悔なし』の原節子であろう」と書いた[18][15]。

本作は興行的にヒットし、当時は「〇〇に悔なし」という言葉が流行した[19]。

備考

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脚注

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  1. ↑ わが青春に悔なし - IMDb(英語)
  2. ↑ 山下慧、井上健一、松崎健夫『現代映画用語事典』キネマ旬報社、2012年、6頁。ISBN 9784873763675。
  3. ↑ 都築政昭『黒澤明 全作品と全生涯』東京書籍、2010年3月、134-136頁。ISBN 9784487804344。
  4. ↑ 『週刊朝日』1979年7月27日号。
  5. ↑ 石井 2016, p. 150.
  6. 1 2 3 北村匡平 (2017年). “スクリーンに投影される〈青春〉 黒澤明『わが青春に悔なし』のオーディエンス”. 2025年11月12日閲覧。
  7. ↑ 久板栄二郎「新劇ぎらい…思想を鼻にかけるのも大きらい」『キネマ旬報セレクション 黒澤明』キネマ旬報社、2010年4月、103-107頁。ISBN 9784873763293。
  8. 1 2 3 4 5 『全集 黒澤明 第2巻』 1987, p. 386.
  9. 1 2 3 浜野保樹「解説・黒澤明の形成―『わが青春に悔なし』」『大系黒澤明』 第1巻、講談社、2009年10月、696-697頁。ISBN 9784062155755。
  10. 1 2 3 黒澤 1990, pp. 276–277.
  11. ↑ 『新映画』1946年7月号、映画出版社。
  12. 1 2 3 4 堀川弘通「『わが青春に悔なし』の頃」『全集黒澤明』第3巻(月報)、岩波書店、1988年1月、3-6頁。ISBN 9784000913232。
  13. ↑ 堀川 2000, p. 96.
  14. ↑ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、46頁。ISBN 978-4873767550。
  15. 1 2 『全集 黒澤明 第2巻』 1987, pp. 345-346, 岩本憲児「批評史ノート」.
  16. ↑ 『新映画』1947年2月号、映画出版社。
  17. ↑ 『映画ファン』1947年4月号、映画世界社。
  18. ↑ 大塚和「日本映画復興の萌芽」 『映画ファン』1946年12月号、28-29頁
  19. ↑ スチュアート・ガルブレイス4世『黒澤明と三船敏郎』亜紀書房、2015年10月、104-105頁。ISBN 9784750514581。

参考文献

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関連項目

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  • 瀧川幸辰 - 「八木原教授」のモデルと考えられる人物。
  • 尾崎秀実 - 「野毛」のモデルと考えられる人物。ただし史実上、尾崎と滝川に接点は存在しない。

外部リンク

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